誇り高き人魚 一
「吾生、悪いが彼女を頼んでも良いか?」
「分かった。ここよりももっと水のある場所が良いかな。」
「何だ何だ?」
「何事だ?」
「酷い傷だ…。」
「私の下流の岸で倒れていたので連れて来たのだが…。一体誰がこんなことを…。」
「…。」
「どうだ、吾生。良くなりそうか?」
「とりあえず痛みは引いたと思うけど、僕には傷そのものを治す力はないからあとは彼女次第だよ…。」
「そうか…。」
「狗神様、龍神様、お二人揃ってこんなところに来るなんて何事でやんすか?」
「うむ、詳しい事情は私にも分からぬ。悪いが、暫くここで預かっては貰えぬか?」
「僕からもお願いするよ。」
「お二人がそう仰るなら、あっしらは全然構いやせんが…。」
「うむ、良くなるまでは毎日様子を見に来るぞ。」
「分かりやした。」
「まだ意識は戻らぬか…。」
「胡瓜を寄越せ!さもなくば尻子玉を抜くぞ!」
「うわっ!」
「こら離せ、蛙!お前、この娘の味方か?」
「今はそのようなことをしている場合ではないでござる。それに狗神様や龍神様が御座す前でお二人のご友人にそのようなこと、無礼ではござらんか?」
「ぬ、確かにそうでやんすな…。これは失礼した。美味そうな霊力につい食欲がそそってしまった。何せ人間が来たのは久々なのでな。」
「…!」
「…人間…?」
「む…?」
「お前が…!」
「…?」
「お前達がぁーっ!」
「離せっ!私は仇を撃つのだっ!」
「だいぶ錯乱してるね。」
「余程の目に合ってきたのだろう。」
「落ち着いたか?」
「…済まなかった。」
「いえ、気にしないでください。」
「愛嘉理は君に酷いことはしないよ。だから安心して。」
「ふん、どうだか。人間なんて、皆同じようなものだろう?欲に塗れ、自らのことしか考えない薄汚い連中だ。」
「…。」
「おい、さっきから聞いてれば偉そうな口を利きおって!助けて貰った礼くらい言ったらどうなんだ?」
「黙れ、河童。誰も助けてくれとは言ってない。寧ろ迷惑だ。」
「何だと?」
「お前らが助けなければ、私もあそこで消えることが出来たのに…!」
「…。」
「失せろ!私のことはもう放っておいてくれ!」
「分かった、また来るよ。行こう、愛嘉理、澄風、皆も。」
「母様、姉様…!私は…これからどうすれば…!」
「…彼女は人間の環境汚染で、家族を亡くしてしまったみたいだね。」
「人魚とは、往々にして人間に振り回される運命だというのか…!」
「…?」
「人魚はかつて、その肉を食べることによって不老不死になれると信じた人達に乱獲されてその数を激減させた歴史がある。」
「そして今は信仰も薄れ、伝承でのみ語られる忘れられた存在になりつつある。その人魚が住まう海を人間が汚し、家族と必死に逃れるうちに彼女だけが生き残ったという訳さ。」
「私達が…。」
「…。」
「彼女の傷は、身体よりも心の方が深そうだね。」
「やあ、調子はどうだい?」
「…来るなと言ったはずだが?」
「そういう訳に行かないよ。僕はこの村の土地神なんだ。だから、この村に生きとし生ける者達を守らなくちゃいけない。」
「ふん、お前と言い澄風と言いご苦労なことだ。」
「澄風も来たんだ。」
「ああ、お前のことを自慢気に話して帰って行ったぞ。」
「…そうなんだ。」
「お前、読心能力があるそうだな。」
「うん、それがどうかしたの?」
「それならば、何故あの人間の小娘を連れて来た?」
「それは、君が思うような人間ばかりじゃないってことを分かって欲しかったからだよ。」
「そんなこと、分かってたまるか!分かったところでどうなる?母様や姉様が返って来る訳ではあるまい?」
「そうだね、返って来ない。」
「ならば余計なお世話だ!私は人間へのこの煮え滾る憎悪の念を、捨て去るつもりはない!分かったら、とっとと失せろ!」
「…。」
「何度言えば分かる、来るなと言ったはずだが?」
「うん、でもその要望を聞くつもりは僕にはないよ。」
「今日は何の用だ?昨日と同じく、あの娘はいないみたいだが…?」
「うん。本当は昨日話そうと思ってたことを、今日は聞いて貰おうと思って。」
「…何だ?」
「僕もね、君の気持ちは分かるんだ。」
「何をほざくかと思えば…。」
「本当だよ。澄風から僕のことは全部聞いたんでしょ?」
「…。」
「人に忘れられる孤独を、僕はよく知ってる。…それに、僕達はそういう存在でしょ?」
「ならば何故、人間などを好きでいられる?」
「君が思うように、確かに人は弱い。欲に流される時もあるよ。でもね、だからこそ強くなれる可能性を秘めてるんだ。僕はそれを見てきたから。」
「ふん、それが何だ。万が一そうだとしても、私達を欲の為に利用するだけなら人間などいない方がましだ。…例えその果てで、私達が消えようともな。」
「でも君は、生きようとしたじゃないか。お母さんやお姉さんと、必死に。」
「当たり前だ。母様や姉様と過ごす日々が私にとってどれだけ大切なものだったか、お前に分かるか?」
「…分かるよ。」
「…?」
「僕にとっては、愛嘉理と過ごす日々がそうなんだ。」
「先程から聞いていれば…!一体あの小娘の何がそんなに良いと言うんだ?」
「関わってみれば分かるよ。」
「お断りだ。」
「お前のその立派な耳は飾りか?何度言っても分からないようだな。」
「僕も言ったはずだよ。君の要望は受け入れられないって。」
「…!」
「あの、こんにちは。皆さん、この間は自己紹介出来ずにすみませんでした。人見 愛嘉理です。」
「…。」
「愛嘉理殿、拙者は忍と申す。よろしく頼むでござる。」
「ぬ、名を教えるとは…!お主は人間と馴れ合うでやんすか?」
「狗神様がこれ程目をかけるなら、きっと悪い存在ではないでござる。」
「…お主がそこまで言うなら仕方ないでやんす。あっしは素と言う。よろしく頼むでやんす。」
「…私はお断りだ。人間如きに教える名などない。」
「はい、じゃあいつか教えてくれるのを楽しみにしてますね。」
「永遠に待ってろ。」
「…。もう知ってると思うけど、僕は吾生。改めてよろしくね。」
「…ふん。」
「おお、吾生達もいたのか。私も丁度来ようと思っていてな…。」
「今皆で自己紹介をしてたんだ。折角出逢ったんだしね。」
「ほう、では最早必要はないだろうが折角なので私も名乗っておこう。雄々しい角に気品溢れる紫紺の瞳、そして玉虫に輝く鱗ときらびやかに靡く尾鰭を持つ美しき河の主。それが私、澄風だ。」
「…。」
「澄風は自分の身体が自慢なんだ。」
「初めて間近で見た時はただ吃驚するばかりでしたけど、実際に澄風さんはとても綺麗ですもんね。ここの滝壺の水もそうですけど。」
「あっしらはいつも龍神様の恩恵を受けてるでやんす。」
「うむ、龍神様なくして我々はないでござるからな。本当に、感謝してもしきれないでござる。」
「うむ、分かっているではないか。もっと敬うが良い。」
「ふふ。」
「あ、狗神様!龍神様!」
「む、何だ?」
「た、大変でござる!」
「どうした、落ち着け。」
「素の皿から水が零れて、倒れてしまったのでござる!どうやら慣れない場所での生活で、無理が祟ったようでござるーっ!」
「はい、これで元気になると思うよ。」
「か、かたじけないでやんす…。」
「通りで最近ここらで姿を見ないと思っていたら、違う場所で過ごしていたのだな。」
「気を遣わせちゃってごめんね。」
「我々は大丈夫でござる。そこのお嬢さんが落ち着くまでの、短い間の辛抱でござる。」
「ありがとう。でもこんなことが起きちゃ心配だし、皆がここに戻ってきても良いかい?」
「…ふん、元々私が追い出した訳じゃないんだ。好きにすれば良いだろう?」
「ありがとう。そういう訳だから、もう皆戻ってきても大丈夫だよ。」
「ほ、本当でござるか?やったー!」
「うむ、良かったな。」
「こんにちは、調子はどうですか?」
「ふん、この村には分からず屋しかいないようだな。何度来ても答えは同じだ。お前に話すことは何もない。失せろ。」
「愛嘉理殿、毎日めげずによく来るでござる。」
「ふん、どうせ狗神様のご機嫌取りでやんすよ。」
「またまた、そうは思ってないのが拙者には分かるでござるよ。」
「な、そんな訳ないでやんす!あっしは本当にそう思って…。」
「それに、そういうことなら狗神様に分からぬ訳がないと思うのでござるが…?」
「ぬ、それは確かにそうでやんすが…。しかしならば気になることが一つ…。」
「何でござろう?」
「何故、あの娘はあそこまで嫌われてるのにああもに尽くすのであろうな?」
「…。我々には到底理解し難い思考回路をしているのかもしれぬでござるな。」
「そうだ、何か好きな食べ物はありますか?良かったら、私作ってきます。」
「私は人間ではないのだ。物を食べると思うか?」
「…あ、そうですよね。吾生は人間が作ったお供え物とか食べるみたいなんで、つい…。」
「ふん、それに人間に差し出された物を私が食べる訳がないだろう!」
「それならあっしに胡瓜をくれ!」
「こら、素!」
「素さん、忍さん。」
「あっしは胡瓜が好きなのでやんす。昔はよく人間が胡瓜を供えてくれたものだが、しかし最近はこの山に人間が入ること自体が稀でやんすからな。」
「そうですか。じゃあ、今度持って来ますね。」
「本当か?」
「はい。」
「そういうことなら、拙者には是非極上の蝿を…。」
「そ、それはちょっと…。」




