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あおとあかのきせき 下書き  作者: 世渡 繋
第一章
32/69

人を愛する者達 五

「そう言えばお主、愛嘉理に対して洒落や冗談を言わなくなったな。」

「何であんたがそんなことを知ってるんだい?」

狗護神社からの帰り道、素朴な疑問を呈す徹を抱は訝しんだ。

「悪いな。盗み聞きするつもりはなかったのだが、あの時偶然耳に入ってな。」

頭を掻いて笑う徹に、抱は溜息を吐いた。

あの日愛嘉理が簪を投げ捨てようと振り上げた手を止めた理由も、二人の会話を聞いた徹が全ての事情を説明していたのだとすれば納得が行く。

「ふん、そんなつもりで言ったことなんてないよ。それに、愛嘉理が凍り付いちまうから気を付けてるだけさ。」

「何だかんだ言いつつ、気になっているのだな。」

「別に、ただ癪なだけさ。」

「そうか。」

徹は穏やかに笑った。

すると抱はふいに立ち止まり、徹の顔をじっと見つめる。

「どうした、抱?」

「…いや、何でもない。ただ…。」

不思議そうな顔で見つめ返す徹に、抱は少し複雑な表情をする。

「何だ?」

「愛嘉理の言うことは、間違いじゃないと思ってね。」

「どういう意味だ?」と徹が言うか言わないかの刹那に、再び烏の面が抱によって剥がされる。

「…あ、おい!」

「そろそろお取りよ、これ。」

「か、返してくれ…。」

片手で顔を覆い俯く徹は、必死に懇願する。

「あんたは烏天狗だろ?鼻が高いのはまた別の奴じゃないか。誰も気にしやしないよ。」

徹と同じくらい必死な顔で、抱も訴える。

「私が気にする。」と譲らない徹に、抱は残念そうに面を返し溜息を吐いた。

「はあ。私はあんたのその真っ直ぐな瞳、嫌いじゃないんだけどね。」

「何だ、急に?」

受け取った面を付けようとする手を止め、徹は問うた。

「いや、そう思っただけさ。あんたのその瞳に、私は助けられてきたんだろうってね。」

「私の瞳に…?」

「そうさ。」と頷く抱の目は真剣だ。しかし、全く心当たりのない徹は「そんなこと、あったか…?」と首を捻る。

「…ふん、いっそ笑ってくれても良かったんだよ。その方がきっともっと早く諦められただろうしね。」

抱は悲しそうに笑った。そして無理に明るく繕ったような声音で、「愚かだろ?人間に恋をするなんて。」と問う。

「何故、そう思う?」

「だってそうじゃないか。どんなに望んでも、私達は共に生きられないんだから。そうだろ?」

真剣な眼差しで問い返す徹に、抱はそう答えた。実際、そう思った。

「結局あの人は他の人間の女と結婚したし、当然この世にはもういない。だけど私はどれだけの月日が経っても、忘れられないんだ。これを愚かと言わずに、何と言うんだい?」

溢れ出す言葉を、徹は黙って受け止める。

「あんたの瞳はそんな私を、何も言わずに見守ってくれた。私がするあの人の話を、いつも黙って聞いてくれた。失くした簪を、必死になって探してくれた。本当に、感謝してるんだよ。」

そこまで聞いて初めて、徹が口を開く。

「…私がお主に何も言わなかったのは、その思いを本当だと感じたからだ。だから私があの簪を奪ってしまったことを、簡単に詫びることはできなかった。」

「え?」

「確かにあの者は、今はもうこの世にはいない。しかし、忘れる必要などないのではないか?大切な記憶なら、これからも抱いていけば良い。それ程に、愛していたのだろう?」

真っ直ぐな瞳で、真っ直ぐな言葉で、徹は抱を思い遣る。

「…ああ、大好きだった。あんな気持ちは初めてだった。初めてだったんだよ…。」

抱は両手で顔を覆い、震える声で長年封をしてきた思いを解き放った。

「分かってる。」

今もなおこうして自身を見守ってくれる存在に救いを感じながら、抱はその胸に顔を埋めた。カランと面が音を立てて落ちる。徹は戸惑いながらも抱を受け止め、不器用な手で落ち着くまで優しく背中を撫でた。


「あの人はきっと、私が妖だってことに気付いていたと思うんだ。」

「何故だ?」

赤く腫れた目で笑う抱に、徹は問う。

「初めて触れられた時に、病人のように手が冷たいと心配されてね。更に言えば私達には影がないし、何年経っても容姿が変わらないだろ?妖しいところだらけじゃないか。」

「確かにな。」

納得する徹に、抱は遠い目で追憶する。

「あの人のたとえ互いの時間の流れが違ってもって言葉に、気付かれてたんだと悟ったよ。だけどあの人はそんな私に怯えることもなく、いつも優しくしてくれた。…あんたと違って、趣味も良かったしね。」

最後に悪戯な笑みで付け足された言葉に、徹は「…悪かったな。」とむくれる。

「はは、そこがあんたらしいところでもあるんだけどね。」

その子供のような反応に思わず笑う抱だったがすぐに険しい顔になり、「しかし、今の狗神様を見てると…。」と意味深に呟く。

「何だ?」

「いや、何でもない。自分が一番よく分かってるはずだからね。」

振り払うように頭を横に振る抱を、徹は「そうか。」と心配そうな瞳で覗き込んだ。


「む、久しく逢ったと思ったら、簪を変えたのか。」

上機嫌に河の縁を歩く抱に澄風が声を掛ける。

抱は、「まあね。似合うだろ?」と自慢げに言った。

「誰かに貰ったのか?」

「まあ、そんなところさ。前のを失くしちまってね。」

「そうであったか。前のも似合っていたが、それも中々味があって良いと思うぞ。」

そう言って頷く澄風に抱は気分良く、「そうかい?実は前のより気に入ってるんだ。」と笑った。

「そうか、それは良かったな。では大切にな。」

「ああ、そうするよ。…ん?」

抱きが頷くと、茂みから何かが動く音がした。

「何だ、いないと思って来てみればこんなところで油を売ってたのか。」

高下駄で雪の岸辺を踏み締め、徹が顔を出す。

「相変わらずお前さん達は仲が良いな。」

「よしとくれよ、ただの腐れ縁さ。」

そう言いながらも満更でもなさそうな抱に、澄風は穏やかに笑う。

「仲良きことは美しきかなと、お前の好きな人間は言うぞ?」

「それはあんただろ?どこでそんな言葉を覚えてくるんだか。」

抱はやれやれと首を横に振った。

澄風は小さく笑うと、「しかし、聞けばお前さんも中々の人間好きだそうではないか。」と徹の方を向いた。

「私が?何故だ?」

「その面、人間の作品を真似て自分で作ったのであろう?」

「そうだったのかい?それは初耳だね。」

「か、顔を隠すものが欲しかっただけだ。」

二人の好奇の眼差しに、徹は分かりやすく動揺する。

「これもこいつが作ってくれたんだよ。」

「ほう。先程も言っていたのだが、中々良い品だと思うぞ。荒削りだが、細部までよく凝っている。」

抱が簪に手を触れそう言うと、澄風は感心した口振りで褒めた。

「全く、この山は人好きな者が多くて困るね。」

恥ずかしさからか黙りこくって一言も発さない徹を横目に、抱はやれやれと大袈裟に溜息を吐く。

「では、私達は失礼する。」

徹はようやくそれだけ言うと、風を起こし抱と共に澄風の前から姿を消した。

「うむ、また気が向いたら遊びに来るが良いぞ。」とその背に澄風は満面の笑みで投げ掛けた。

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