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あおとあかのきせき 下書き  作者: 世渡 繋
第一章
31/69

人を愛する者達 四

愛嘉理が雪女と烏天狗と出逢ってから一週間が経った。一週間が経った。あれから雪は止むことなく降り続いている。そしてその雪が帯びる悲しみは、愛嘉理には深くなっているようにも思えた。

吾生にはあの日の後に雪山を登るのは危ないのでこれから暫くは山の入口で会おうと言われ、そうしている。特に秘密にしている訳ではないが、吾生が特に聞いてこないので雪女と烏天狗の件については話していない。しかし吾生のことだから、分かった上で何か困ったことがあれば力になろうと考えてくれているのだろうと察しがつく。そんなふうにいつも静かに自分を見守ってくれている吾生に、愛嘉理は感謝するばかりだった。

そんなことを思いつつ愛嘉理が山の入口へと向かっていると、そこには先客がいた。

「あ、こんにちは。今日は二人一緒なんですね。」

「まあな。」

烏天狗は頬をぽりぽりと掻きながら、声色に少し緊張を滲ませた。

「何だい、あんた達知り合いかい?」

「ああ、この間少しな。」

「ふん、後で痛い目を見ても知らないよ。」

「そうだな、気を付けよう。」

雪女は気付かないようだが、上の空の様子の烏天狗は一つ咳払いをすると向き直した。

「それより、今日呼び出したのは他でもない。お主に渡したい物があるのだ。」

「それは、この小娘が見てる前じゃないと渡せない物なのかい?」

震えそうな声を必死に抑えるように話題を切り出す烏天狗に、雪女は愛嘉理を指差して問うた。烏天狗は少し考えると、「そうだな。出逢ったのは偶然だが、できればその方が良い。勿論、お主らさえ良ければの話だが。」と答えた。

「私は大丈夫です。」

今この二人のやり取りを見守ることで少しでも力になるのなら、愛嘉理に迷いはなかった。

「ありがとう、では見届けてくれ。お主はどうだ?」

「ふん、それなら私の気が変わる前に早くしな。」

「ああ、ではこれを。」

怪訝な様子で答える雪女に、烏天狗は頷き懐からある物を取り出した。

「簪…?」

形は歪で美しいとはとても言えないが、細部まで丁寧に作られた味のある一品だ。

「何のつもりだい?私に簪を寄越すなんて。」

雪女は眉間に皺を寄せた。

「こんなもの…!」

烏天狗の手から奪うように簪を取ると、雪女はそれを投げ捨てようと腕を振り上げた。

「!な、何するんだい。放しな!」

裾の捲れたその白い腕を両手で掴み止める愛嘉理に、雪女は抵抗した。

「嫌です!」

「何なんだい、この前逢った時からあんたって奴は…!」

雪女は苛立つように歯を食い縛る。

「烏天狗さん…。」

「良いんだ。こうなることは分かっていた。しかしこの前お主に話した時から、それを覚悟でこうしようと決めていたんだ。」

愛嘉理の呼び掛けると、烏天狗は悲しげにそう己の心の内を語った。その言葉に雪女は腕を下ろし、「何…?」と反応を示す。

「代わりの物で気を収めて欲しかった訳ではない。ただ、ずっと謝りたかったんだ。赦されなくても良いから…。」

「…!」

雪女は少し目を見開いた。

暫しの沈黙の後、再び勇気を振り絞るように烏天狗は口を開く。

「お主の簪を奪ってしまったのは私だ。本当に悪かった。気が済まないのなら、満足するまでどうにでもしてくれ。」

「…。」

深々と頭を下げる烏天狗を前に、雪女は複雑な表情で手元の簪を見つめる。

「…どうしてこの簪を私に?」

ようやく口を開いた雪女に、烏天狗は顔を上げると不意を突かれたように「え?」と訊き返す。

「だから代わりの物を寄越すにしても、どうしてこの簪なんだって訊いてるんだよ!失くした物とは似ても似つかない趣味の悪さじゃないか。」

「そ、それは…済まない。私にはそれしか作れなかったんだ…。」

烏天狗は申し訳なさそうに項垂れた。すると雪女は驚いた顔で「これ、あんたが作ったのかい?」と訊ね、「…ああ。」と烏天狗は力なく頷いた。

「…くっ、あっはははははは!」

「そ、そんなに笑わなくても…。」

唐突に山中に響くような高い声で笑い出す雪女に、烏天狗は消え入るように訴えた。

「これが笑わずにいられるかい、あはははは…!」

「雪女さん…?」

愛嘉理には、その目の隅に僅かに涙が滲んでいるように見えた。

「…いらなければ捨ててくれ。」

「ふん、それでまた探し回られても困るから付けといてやるよ。」

「え、知ってたんですか?」

簪を頭に付ける雪女に、愛嘉理は思わずそう訊ねた。

「ふん、当たり前じゃないか。それに、あの時以来自慢の団扇を使わなくなったこともね。」

「そ、それは…。」

雪女の答えに、烏天狗は目に見えて狼狽える。それを可笑しそうに小さく笑うと、雪女は静かに烏天狗に問う。

「…前にあんたに狗神様に協力を依頼しようと言われた時、私が大事な物だから自分の手で気の済むまで探したいと断ったことを覚えてるかい?」

「ああ。」

「その気持ちは勿論本当だったよ。狗神様ならすぐに見付けてくれたかもしれないけど、そうしたくはないってね。」

雪女は儚げに微笑み、胸に手を当てた。

「…だけど、本当はもう心の何処かで諦めてた。いつまでも過去に縋ってないで、前を向くべきだってね。でも諦めずに探し続けるあんたの姿を見てたら、そんなことを言えないじゃないか。どうやら私に内緒にしたかったようだしね。」

「いや、だからそれは…!」

悪戯に笑う雪女に、烏天狗は否定の言葉を探す。しかし雪女は烏天狗の肩に手を置くと、ゆっくりと首を横に振った。

「さっきは私も悪かったよ。過去に捕らわれまいと、つい感情的になっちまった。でも、あんたが悪いと思ったことなんて一度もない。だからあんたが私の為に謝ったり、罪悪感を背負ったりする必要なんて少しもないんだよ。」

「…!ゆ、赦してくれるのか…?こんな私を…。」

喜びに全身を震わせる烏天狗に、雪女は不機嫌な顔をした。

「私の話聞いてたかい?あんたは悪くないんだから、赦すも赦さないもないだろ?卑屈になるんじゃないよ、全く。気持ち悪いったらありゃしない。」

「…ありがとう。」

「だから!今度言ったら赦さないよ!その自慢の翼諸共、雪の中に埋めてやるからね!」

頭を下げる烏天狗に強い口調で腕を組んで顔を背けながらも、その顔はどこか優しく愛嘉理には感じられた。


「愛嘉理。」

翌日、待ち合わせ場所に着いた愛嘉理を吾生が笑顔で出迎えた。

「吾生、今日は早いね。」

「ふふ、まあね。」

少し含みのある表情の吾生は、それを察した愛嘉理に「今日はお客さんが来るみたいだから、一緒に神社の方へ来てくれる?」と問う。

「良いけど…。」と戸惑いながらも承諾する愛嘉理に、吾生は八重歯を覗かせる。

「じゃあ、はい。これで危なくないでしょ?」

「そ、そうだけど…。」

差し出された手に顔を茹で上がらせ戸惑いの色を濃くする愛嘉理の手を取り、吾生は「行こう。」と歩き出した。誰かと手を繋ぐなど夢にも思ったことのない愛嘉理は、初めての体験に終始無言で心臓は早鐘を打っていた。

二人が神社へ着くと、そこには既に吾生の言う来客らしき二人の後ろ姿があった。その姿に見覚えのある愛嘉理は吾生の手を離すと、その来客の元へと駆け寄る。

「雪女さんと烏天狗さん?」

愛嘉理が呼び掛けると、二人は振り返った。

「おお、お主はこの間の。そう言えば、自己紹介がまだだったな。私は烏天狗の(とおる)、こちらは雪女の(いだき)だ。」

「な、あんた、名は妖の命だろう?それを勝手に。」

名を明かされた抱は怒ったが、徹が「どうせお主も教えるつもりだったんだろう?」と言うと「…ふん。」と顔を背け大人しくなる。

二人の自己紹介を受け愛嘉理も「人見 愛嘉理です。」と頭を下げると、徹は「良い名前だ。この前は色々手間を掛けさせて悪かったな。」と愛嘉理の肩に手を置いた。

「いえ、私は何も…。」と首を横に振る愛嘉理に、徹は「本当に、ありがとう。」と改めて礼を述べた。

「それにしても珍しいね。君達がここへ来るなんて。」

吾生が分かりきったことをわざわざ訊ねると、徹は軽く笑い事情を説明する。

「見ての通りさ。この間狗神様のご友人に世話になったからな、今日はそのお礼参りだ。」

「そっか。良かったね、解決できて。」

吾生の笑顔に抱は怪訝な顔をする。

「ふん、別に元々問題なんてなかったさ。此奴が勝手に背負ってただけでね。」

「それが問題だったのだ。だから、切っ掛けをくれた愛嘉理には本当に感謝している。」

徹は改めて礼を述べる。そんな二人に、吾生は申し訳なさそうな顔をする。

「ごめんね、僕は力になれなくて。」

「何を言う。いつも私達を見守ってくれている、それがどんなに心強いことか。」

「そうそう、余り卑屈になるんじゃないよ。あんたは充分やってるじゃないか。」

吾生の言葉を強く否定する二人に、「ありがとう。」と吾生はそれでも悔しげに礼を述べた。すると心配そうに吾生を見つめる愛嘉理を横目に、抱は溜息を吐く。

「それとあんたに忠告だ。まあ、言わなくてもあんたなら分かってるんだろうけどね。」

「うん、ありがとう。」と吾生は頷いた。

「ふん。でも愛嘉理やその面を今でも手放せないところを見ると、やっぱり心配だよ。」

そう言ってやれやれと首を横に振る抱に、吾生は困ったように笑った。何のことかさっぱり分からない様子の愛嘉理と徹の二人は、顔を見合わせ首を傾げた。

「しかしここは、上に比べて雪がないせいか暑いね。あんたもそんな面してて、顔が暑くならないのかい?」

突然徹の方を向くと、抱は手で顔を仰ぎながらそう言った。

「わ、私は…大丈夫…だ。」

「?」

何故か目に見えて動揺する徹を愛嘉理が不思議そうに見ていると、それを察した抱が可笑しそうに笑った。

「ああ、こいつは天狗なのに鼻が低いのが悩みなのさ。ほら。」

「おい、やめろ。」

抱に無理矢理面を取られた徹は、恥ずかしそうに顔を赤く染める。真っ直ぐな黒い瞳が印象に残るその顔立ちは、神秘的な存在である烏天狗に恥じない美しさだと愛嘉理は素直に思った。

「真っ直ぐな目が印象的な、綺麗なお顔だと思います。」

「だとさ、良かったね。」

「…。」

くっくと堪え切れないように笑う抱と、その横で眉間に手をやり深い溜息を吐いて首を横に振る徹は対照的な様子だ。

「それにしても、本当に暑いね。あんた、その団扇貸しな。」

「あ、こら…。」

抱が徹の腰から団扇を強引に取って一つ扇ぐと、徹と初めて会った時と同じような強い突風が吹く。

「うわっ!」と尻餅をつく愛嘉理を他所に、「はあ、涼しくて良い風だね。」と目を閉じて満喫する抱。

しかし、その風はパチッと言う指の音と共に突然止んだ。

「…ん?」

「ごめん、愛嘉理にはちょっときついから…。」

どうやら吾生がこの風を止めたようで、手を差し伸べ愛嘉理を立たせながらそう言った。

「何だい、噂の娘が聞いて呆れる。」と溜息混じりに言う抱に、愛嘉理はいつもの癖で「…すみません。」と謝る。

「そう意地悪を言ってやるな。実体を持っているのだから、仕方ないだろう?」と愛嘉理を庇う徹にも、抱はふんと鼻を鳴らす。

「言われなくたってそのくらい分かってるよ。大体、いつも風を起こしてる張本人に言われたくはないね。」

困ったように笑う徹に構わず抱は、持ち主に面と団扇を返しながらガッカリした顔をした。

「はあ、私には丁度良かったんだけどね。じゃあ、私達は私達の居場所に帰るとするかね。」

受け取った団扇を腰に戻し面を付け直すと、「色々と済まなかった。」と徹は二人に頭を下げた。抱に振り回されて苦労している徹に愛嘉理は「いえ。」と笑うと、徹は「では、失礼する。」と踵を返した。

「はい、さよなら。」

「またね、二人共。」

風と共にいなくなる二人を見送ると、吾生は「…行っちゃったね。」と呟いた。

「そうだね、まるで嵐みたいだった。」と愛嘉理が笑うと、「吹雪じゃなくて?」と吾生も笑う。

「吹雪?」

「うん。以前は冬になると、二人はよく吹雪を起こしてたんだよ。」

微笑ましく語る吾生に愛嘉理が「へえ、やっぱり仲が良いんだね。」と納得すると、吾生は「うん。」と頷いた。


暫しの沈黙が流れる。吾生は遠い目で、腰に下げた狗面を手に取り見つめている。

「…吾生?」

「ん?」

「どうしたの?ぼーっとして。」

「いや、ちょっとね。」

呼び掛ける愛嘉理に、吾生は何とも言えない顔をする。その理由を探るように自身の目を見つめる愛嘉理の燃える瞳に、吾生は面を腰から外しながら微笑んだ。

「これ…。僕も人間に貰ったんだ。想像上の僕を模して作ったらしいんだけど、何だかそれがとても嬉しくて僕の宝物なんだ。」

「うん。」

「でもそれは僕も彼女と同じで人間が大好きだってことの証で、だからこそ傷付いたり傷付けたりすることもたくさんあるんだよね。そう思ったら、どうするのが一番良いのかちょっと分からなくなっちゃった。」

吾生はそう言って、面を両手で抱えるようにぎゅっと握った。

きっとそれは自分を含めたこの村の人間のことなのだろう。吾生にとって大切な人間を傷付けない為に遠ざかる、それはついこの間までの自分が飛火里に、家族に、誰もにやっていたことそのものだ。結局家族を壊してしまった自分に、自身を、そして誰かを大切にするということはどういうことか。教えてくれたのは他の誰でもなく吾生ではないか。

揺れる深海の瞳を、今度は強い眼差しでじっと見つめる愛嘉理。

「…愛嘉理?」

その力強く燃えるような赤い瞳に吸い込まれそうになりながら思わずその名を呼ぶ吾生に愛嘉理は呟くように、しかし強い意志の篭った言葉を紡ぐ。

「大切なものは、大切にするべきだよ。傷付くことも傷付けることもあるかもしれないけど、それでも向き合わないで知らない間に壊れちゃうよりずっと良いもん…。」

「うん、そうだね。ありがとう、愛嘉理。」

愛嘉理の強く確かな言葉に頷く吾生の瞳は、夕日に照らされ輝きを取り戻す。

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