鬼の目にも涙 七
始業式も終わり、下校の人の波の中に明るく輝く金髪で背の高い少年を愛嘉理は見付けた。
「紡ちゃん、触ちゃん、ちょっと良い?」
愛嘉理がちょいちょいとその少年を指差しそう言うと、二人は手でOKのサインを作って傍らで待機する姿勢に入った。
「涙くん、本当に学校に来てくれたんだね。嬉しいな。」
「愛嘉理。疑ってたのか?」
愛嘉理に気付くと涙は少し怪訝さを見せた。
「いや、そうじゃないけど…。」
愛嘉理が慌てて否定すると涙は表情を一転させ「冗談だよ。愛嘉理のお陰だ、ありがとな。」と笑い、愛嘉理の頭をいつものように不器用に撫でる。
「うん、また今度勉強教えてね。」
「俺で良ければいつでも。じゃあ、またな。」
「うん、またね。」
お互いに手を振り別れると、傍らにいた二人は疑わしい顔を愛嘉理に向けた。
「愛嘉理、あれが本当に友達になっただけなの?」
「そうだけど、どういうこと?」
「いやいや、あれはどう見ても…。」
「そうだよね。」
「?」
何も理解できない愛嘉理に二人は額を突き合わせこそこそと何言か交わすと、急に愛嘉理に真顔を向けた。
「そう思ってるのは、愛嘉理だけなんじゃないかってこと。」
「?」
尚も意味を理解しない愛嘉理に紡は「このにぶちん。」とデコピンをすると、触も悟ったように「愛嘉理、罪な女だね。」と溜息を吐いた。
「え、え?」
しかしそれでも全く何も分からない愛嘉理なのであった。
帰り道の途中で紡と触に別れを告げた後、愛嘉理はいつものように吾生の元へと向かった。相変わらず笑顔で尾を振る吾生に出迎えられた後、愛嘉理は今日の出来事をやはりいつものように報告した。
「あはは、それは確かに罪かも。」
「もう、吾生まで…。」
心底おかしそうな吾生に、愛嘉理は少し気恥ずかしげに頬を膨らませた。
「しかし、愛嘉理。」
吾生は一通り笑い終えると、今度は真剣な表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「君程の霊力の持ち主が、何故狙われてることに気付かなかったんだろう?それに対しては、涙も違和感を持ってたみたいだけど。」
腕を組みながらそう口にする吾生の瞳には、警戒心が宿る。
「吾生がいつも守ってくれてたからじゃないの?この村に来てから、いつもどこにいても吾生を感じるよ。狙われることが少なくなったのは、そういうことだと思ってたけど。」
「勿論、それもあるよ。でも、今回はちょっと違ったっていうか…。うーん…。」
分からないなりの愛嘉理の意見にも、吾生は下を向いて難しい顔で唸る。
そんな吾生に、愛嘉理は好奇の目を向けた。
「吾生にも分からないことってあるんだ?」
「あるよ。繋の考えとかね。」
「確かに、それは私も分からないや。」
顔を上げてそう答える吾生に、愛嘉理も笑って賛同した。
「でも良かったね。やっぱり僕の思った通りだった。」
「…何で吾生はそう思ったの?」
「うん?同じ悩みを持つ者同士が、やっぱり一番分かり合えるんじゃないかなって。」
「そんなもの?」
吾生の予想外に単純な答えに愛嘉理は目を丸くした。
「結構そんなものだよ。でも愛嘉理なら、どんな人とでも分かり合えるかもね。」
吾生は目を細め、緩やかに尾を揺らした。
「そうかなぁ?確かにそれが理想だけど。」
「理想を叶える為にはまず、それを理想とし続けること。つまり諦めないことだよ。」
不安そうな愛嘉理を吾生がそう励ますと、愛嘉理も「うん、そうだね。頑張るよ!」と拳を作って笑った。
「その意気!それにしても、愛嘉理は本当にすごいね。そうやって、少しずつ確実に強くなってるんだもん。今回だって、愛嘉理が一人の運命を変えたんだよ。」
吾生は語気に熱を込めた。
「でも吾生がいなかったら涙くんは死んじゃってたかもしれないんだから、吾生のお陰もあるよ!」
「ありがとう。」と愛嘉理の髪を優しく撫でると、吾生は含みのある笑みを漏らした。
「ふふ、もうあんな無茶はしないと良いんだけど。」
「しないんじゃないかな。学校に来たってことは、多分そういうことでしょ?」
「どうだろうね?死にたいとはもう思ってなくても、君の為ならまた無茶をするかもしれないよ。」
「いくら友達だからって、そこまでして貰わないよ。」
「分かってないなぁ。愛嘉理がそのつもりでも、無茶をしたい時って言うのがあるんだよ。人間には。」
「そうなの?」
「そうだよ、あの時だって…。」
「あの時?そう言えば私が涙くんを連れてった時、吾生“さっきの”って言ってたような…。」
神の吾生が人間の側に立って愛嘉理に物を言うおかしさもあったが、今はそれよりも“あの時”が気になって仕方がない。
吾生はしまったとばかりに「え、いや、何でもないよ。」と狼狽え否定したが、愛嘉理は「気になるなぁ、言ってよ。」と吾生の前に詰め寄る。それを受けて、吾生は堪忍したように話した。
「…あの日愛嘉理が彼に会う前、彼は君を守る為に戦ってたんだよ。」
「え、どういうこと?」
涙が、自分の為に戦っていた?自分はその涙を案じて村の外に飛び出して行ったということだろうか?吾生の言う通り、自分は知らない間に本当に妖に狙われていたのだろうか?
事態を上手く飲み込めない愛嘉理は、吾生の話の続きを待った。
「君の霊力に目を着けた妖が、村で暴れようとしてたんだ。僕もそれを止めようとその場に向かったんだけど、途中で彼がやって来て…。」
「うん。」
「僕諸共倒そうと必死に戦ってたよ。」
「ええっ!?大丈夫だった?」
愛嘉理は飛び退いた後、吾生の身体にそっと触れてその身を案じた。しかし吾生はどこからどう見ても元気そのものであり、それを証明するかのようににこりと笑った。
「僕はこの通り。何度も止めようとしたんだけど、彼には届かなくて…。正に鬼の形相だったなぁ。傷付くのも構わない様子で、その妖に何度も立ち向かってたよ。」
「そ、そうだったんだ…。」
「結局その後妖は村の外へ逃げてしまってね。いくら困難な状況だったとは言え、今回は神としての仕事をしっかり果たせなかった僕のせいなんだ…。そのせいで涙は村の外まで妖を追いに行って、あんなに傷付いた…。」
今度は先程とは打って変わって対照的に、吾生はしゅんと尾や耳を垂らした。愛嘉理はそんな吾生に首を横に振る。
「そんなことないよ。私は仕方ないと思う。妖に加えて、涙くんまでそんな状況だったんじゃ…。悪いのは呼び寄せた私だよ。」
愛嘉理は沈痛な面持ちでそう言った。
「愛嘉理…、それは違…。」
「ううん、良いの。こう言うのは変かもしれないけどね、それが良い。二人が私を守ってくれようとしたことが、すごく嬉しいから。今度からは私も、もっと気を付けるよ。ありがとうね。」
吾生の否定の言葉を遮るように、愛嘉理は微笑んで言った。
「愛嘉理、僕こそだよ。ありがとう。」
出逢った頃はすべてを閉ざし隠していたその優しく強い心は今やこんなにも開かれ、いつも自分を照らす太陽のように眩しい。吾生は愛嘉理をそっと抱き寄せ、よりこの気持ちが伝わるようにと願った。
「しかし、どうしたら涙くんは無茶をしないでくれるかな。吾生の話だと私を狙う妖がまた現れたら、その度に無茶をしそうだし…。」
愛嘉理は腕を組み、難しい顔で唸った。吾生は愛嘉理のそんな様子をおかしそうに眺めながら、目を細める。
「涙の傷は、まあ言ってみれば“男の勲章”ってやつだね。」
「そう言われると、何か格好良いけど。」
「うん、でも僕がそう言ったことは本人には内緒だよ。そういうのは、照れ臭いだろうから。」
「ふふ、分かった。」
口の前に人差し指を立て悪戯に笑う吾生の様子は、やはり彼が神らしく見えない理由な気がして愛嘉理も思わず笑みを零した。
「でも本当に私なんかの為に、そこまでの無茶をしなくても良いのに。」
「さっきも言ったでしょ。そうしたかったんだよ、彼は。」
再び愛嘉理が話を戻すと、吾生はやはり涙の肩を持った。
「でも、だからって友達をそんな危険な目に遭わせるのは…。」
「まあね。そう思うなら、今度会った時にそう言えば良いよ。」
微笑む吾生に、愛嘉理も「そうする。」と頷いた。
「澄風。」
「何だ?」
唐突な繋の呼び掛けに、澄風は悠然と応えた。
「僕は時々、自分が傍観者の域を出られないことをとても残念に思うよ。」
「どういう意味だ?」
「彼らの戦いは続く。愛嘉理ちゃんを守る為に。」
「愛嘉理を守る為の戦い?お前さんはさっきから何を言っている?この村は今日も平和だ。この間一度村の外に逃げた奴がいたが、それも吾生の仕事の結果だろう?何も心配いらぬではないか。」
彼らというのは、吾生と話に聞き及ぶ鬼目 涙のことだと察する。しかし繋の言い回しが分かりづらいのはいつものことだが、今日の澄風にはそれに輪を掛けて解読不能に思えた。
「蒔かれた火種がいつまた燃え盛るかは、誰にも分からないだろ?君も巻き込まれることになるかもしれない。くれぐれも気を付けておくことだ。」
「ふん、見縊るな。いざとなれば愛嘉理の友として戦うのみ。私はこう見えて、我ながら強い方の部類に入ると思うのだがな。」
言っている意味は分からないが、もしも愛嘉理を守る戦いの火種が自分にも及んだ時には迷うという選択肢はない。ただ友を守るのみだ。
「そうかい、それなら良いんだ。」
繋は爽やかに微笑むと、くるりと背を向けた。
「もう帰るのか。」
「ああ、また気が向いたら邪魔しに来るよ。」
「うむ、いつでも来ると良いぞ。ではな。」
澄風のその言葉に片手をひらひら振って応えると、その手を折り畳みパチンと鳴らして繋は消えた。
「…全く。あの霊力と言い、今の芸当と言い、吾生もそうだが彼奴も只者ではないな。」
その背を見送った澄風は、思わずそう呟いた。




