表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あおとあかのきせき 下書き  作者: 世渡 繋
第一章
20/69

鬼の目にも涙 四

梅雨が明けた頃に、それはやって来る。今日は終業式だ。

帰る前には、テストの結果と通知表が愛嘉理達を待ち受けていた。紡はその結果に微妙な顔をしていたが、触はこの世の終わりのような顔をしていた。

そんな二人に掛ける言葉を見付けられなかった愛嘉理はそっと教室を出ると、足早に涙の元へと向かった。

「鬼目くん、見て見て!過去最高得点だよ!」

「…良かったな。」

「うん、鬼目くんのお陰だよ!ありがとう!」

「…。」

子供のように跳ねて喜ぶ愛嘉理に、涙は予想外に素っ気ない態度をとった。何やら難しい顔をした涙は、上の空と言った方が正しいかもしれない。

「どうしたの?」

「いや…。」

愛嘉理が顔を覗き込むと、涙は慌てて表情を繕った。無理をして笑う涙に、そういう日もあるのかもしれないと思った愛嘉理はその場を去ることにした。

「じゃあ、またね。」

愛嘉理が愛想良く手を振って背を向けると、「あ、人見!」とその後を涙の声が追い掛けた。

「ん?」

「あ、その…。何でもない、またな。」

愛嘉理が振り返ると涙は躊躇って、誤魔化すように手を振った。



夏休みに入ってからも、愛嘉理は涙の元へ足を運び続けた。しかし終業式のあの日からずっと涙は上の空の状態で、愛嘉理はその理由が気になりながらも平静を装う涙にどう切り出して良いものか分からず訊ねられずにいた。

そして夏休みも半分が過ぎ、盆に入る頃。

その日真昼の太陽に照らされがら愛嘉理がいつも通り涙に会い行くと、そこには誰もいなかった。特に何時に行くと約束をしていた訳ではないが、夏休みに入ってからは愛嘉理がいつも昼前に訊ねるので今日もてっきりいると思っていた。

所用なら暫くここで待とうと思った。しかし最近の涙の態度もあり、何か嫌な予感がした。涙の事情を詳しく知っている訳ではないが、彼は愛嘉理と同じものが見える上に鬼の姿を持っている。もしかしたら、それらの一部に襲われている可能性もある。そう考えた愛嘉理は、僅かに漂う涙の霊気を辿ることにした。

涙の霊気は村の外へと続き、隣の村の雑木林で止まった。どうやら涙はこの場所を縦横無尽に駆け回っているようで、霊気が入り乱れてこれ以上居場所を特定することは愛嘉理には困難だった。それでも構わず、愛嘉理は草木を掻き分け涙を探し続けた。

しかし涙を見付けることはついにできず、必死に走り続けて体力が尽きた愛嘉理はとうとうその場に座り込んでしまった。気付けばもう夕方だ。早く涙を見付けて村に戻らなければ、逢魔が時になれば妖が活発になる。村の中ならまだ土地全体に吾生の加護がある。しかしここは村の外で、吾生の力は及ばない。咄嗟に探しに来てしまったものの、見えるだけで戦う力のない自分では涙が襲われていたとしても助けることができない。それどころか、自分さえ危ないことに愛嘉理はここで初めて気付く。今まで涙を探すことに夢中で感じなかった不安を一度覚えてしまったからには、それはどんどん心を蝕んでいく。

もしも自分が死んでしまったら、吾生はどんな顔をするだろう。少しは悲しんでくれるだろうか。それとも死んでも霊として漂っていたら、吾生にはもう一度会えるだろうか。

いや、ダメだ。しっかり生きた結果なら、いつ死んでもいい。それでも今諦めてしまったら、涙を苦しめてしまう。涙に手を差し伸べようと決めたのは自分だから。

そう思い直して立ち上がろうとした瞬間、背後から草を揺らす音がして愛嘉理は急いで振り返った。するとそこにはあの日吾生と見た太刀を手にする鬼が立っていた。

「…鬼目くん?」

「人見、どうしてこんなところに…?人見なら、すぐに危ないと分かるだろ?」

満身創痍でやっと立っている様子の涙は面を外すと心底驚いた様子で目を見開いた。

「そうかもしれないけど、家に行ったらいなかったから心配で鬼目くんの霊気を辿って…。ここら辺かなって、ずっと…探してた。」

色々と入り乱れて溢れ出しそうな感情を必死に抑えようと、緊張の糸を切らさないように愛嘉理は静かに呟いた。

「俺の…だけか…?」

「え?」

「まさか…。」

涙は愛嘉理の反応に違和感を抱く。しかし、今は愛嘉理が心配する気持ちが勝った。

「こんなに泥だらけになって…。危ないと思わなかったのか?」

涙は足を引きずりながら近寄ると、不器用に愛嘉理の顔に触れた。

「思ったよ。だけどその時にはもう、ここにいたんだもん…。」

涙の問いに、愛嘉理は尚も耐えるような表情で訴えた。

「そうか、そうだよな。ごめんな、心配かけて。」

涙は消え入るように弱々しく微笑み、しかし心から詫びた。

ぎこちない手つきで涙が愛嘉理の頭を撫でると、愛嘉理は唇を噛んで瞳を潤ませながら激しく頭を横に振った。その拍子に雫が数滴、辺りに飛び散る。

「そんなことより、また傷が増えてる…。」

愛嘉理は急いで袖で顔を拭うと、涙の腕の真新しい傷にそっと触れた。

涙は「大したことない。」と言ったが、その顔が一瞬痛みに歪められたのを愛嘉理は見逃さなかった。

「そんなことないよ、ちょっと付いて来て。」

何かを決意したように今度こそ手足にぐっと力を入れて跳ねるように立ち上がった愛嘉理は、涙の腕を掴んで引っ張った。

「な、どこに連れてく気だ?」

「良いから。痛いし疲れてるかもしれないけど、あと少しだけ我慢してね。」

戸惑う涙に構わず、愛嘉理は村へと帰る道をずんずん歩く。その足取りは体力が底を突いた人間とは思えない程、力強い。まだこんなに歩けたんだと、本人すら軽く驚きを覚える程だ。

「吾生⁉︎」

目的地に着く前に出逢ったことに、愛嘉理は驚いた。村と村の境目で、吾生はまるで二人が来るのを分かっていたかのように待っていた。

「愛嘉理、それに…!」

心配そうな顔で呼び掛ける吾生がそう言い終える前に、「君はあの時の…!」と呟いて涙はその場に倒れ込んだ。

「鬼目くん!」

「大丈夫、意識を失っただけだよ。」

「本当に?」

狼狽える愛嘉理に、涙を抱き止めた吾生は落ち着かせるように優しく微笑み頷いた。

「とりあえず、神社まで行こう。その方が、きっと良いはずだから。」

「うん。」

吾生の提案に、愛嘉理は心細そうに賛成した。

「大丈夫だよ、ちゃんと良くなるから。ね?」

不安に押し潰されそうな愛嘉理を察して、再び吾生は初めて出逢った時を呼び起こすような優しい口調で宥める。

「吾生がそう言うなら、きっと大丈夫って分かってはいるんだけど…。」

吾生が涙を背負う様子を見つめながら、愛嘉理はやはり心配そうに呟く。

それから二人は無言で目的地まで歩き続けた。神社に着くと、吾生は御神木の根元に涙を静かに寝かせた。

「鬼目くんの怪我って、妖に関係してるよね?人間には治せないのかもしれない。吾生の力で、少しでも良くならないかな?」

「…。」

震える声で必死に問い掛ける愛嘉理の言葉に、吾生は少し複雑な表情をした。

「…?」

「…ごめんね、今回は僕のせいだ…。」

返事を待つ愛嘉理に、吾生は独り言のように涙に向けて呟いた。

「それってどういう…?」

吾生はようやく愛嘉理に顔を向けると、誤魔化すような曖昧な笑みを浮かべた。

「治るよね?」

「ちょっと待ってね。」

縋るように問う愛嘉理にそう返すと、吾生は大きく息を吸って涙の胸に手を当てた。すると涙の胸から全身を巡るように、月のような淡い光がゆっくりと移動するのが見えた。

「っ…!」

光は再び胸に帰って来ると、染み込むように消えた。それと同時に涙は意識を取り戻し、ゆっくりと目を開いた。

「鬼目くん!」

「人見…?」

心配そうに顔を覗き込む愛嘉理を、涙は不思議そうにぼんやりと眺めた。

「これで痛みは引いたはずだけど、あとは自然に治るのを待つしかないよ。」

その言葉に涙は今度は視線を吾生に移す。確かに目の前の風変わりな人物が言うように、何故かは分からないが先程までの全身を襲う激痛は一切なくなっていた。

しかし、何もかもが理解に苦しむ状況だ。目の前の人物だけでなく来た覚えのないこの場所と言い、痛みがなくなった理由と言い、分からないことだらけだ。

「ここは、どこだ…?」

「妖山だよ。」

涙の問いに吾生が穏やかに答えると、涙は途端に血相を変えた。

「何⁉︎それならここには妖が…!」

「鬼目くん!傷が治った訳じゃないんだから、まだ起き上がったらダメだよ!」

無理に立ち上がろうとする涙を愛嘉理は抑え、何とか再び寝かせた。

「心配しなくても大丈夫。ここには来ないよ。それにその傷もまた無茶なことさえしなければ、ちゃんと治るから。」

「鬼目くん、どうしてこんな無茶を…?」

何故か口調に申し訳なさを滲ませながら安静を促す吾生と自らを心の底から案じる愛嘉理を、涙は不思議そうに見つめた。

この二人と出逢ったあの日、誤解もあるとは言え自分は二人を本気で襲った。しかし襲うどころか、二人はこんな自分を本気で心配してくれているように見える。申し訳ないのは、寧ろ自分の方だ。

そう思った涙は、どうしても一つ訊ねずにはいられなかった。

「…君達は一体何者だ?俺は君達を…。」

「僕は吾生、お人好しな愛嘉理の友達さ。愛嘉理については君も知っての通り、僕も君に恨みなんてないから大丈夫だよ。」

「お人好しは吾生でしょ!」

吾生が少し悪戯っぽく笑って言うと、愛嘉理は少し恥ずかしそうに反論した。その様子を見た涙は、思わず口元を綻ばせた。

「人見と言い君と言い、本当に変わった奴等…だな…。」

「寝ちゃった。」

「しばらくこのままにしてあげよう。だいぶ疲れてるみたいだしね。」

「うん。」

糸が切れたように再び目を閉じた涙を、二人は優しく見守った。先程までとは違い今は安らかな寝息を立て、表情も柔らかい。そんな涙の様子にようやく愛嘉理も少し安心したようで、一つ大きな息を吐いた。

するとそれを見た吾生が、子供のように口を尖らせて愛嘉理に不満をぶつける。

「それより愛嘉理、酷いじゃないか。」

「え?」

「僕の忠告を無視したばかりか、僕のことを放って彼に会いに行ってたなんて。」

「そ、それは…ごめん…。」

愛嘉理は本当に申し訳なさそうに謝った。

次に会ったら言わなければと思っていたのに切り出すタイミングが分からなかった愛嘉理に、吾生は言わせてくれたのだろう。吾生が謝罪を求めていないことは愛嘉理には分かる。しかし、愛嘉理が謝らなければ気が済まないことが吾生には分かる。その繋がりの連鎖が、何とも言えずまた擽ったい。

「本当に心配したんだよ。」

吾生は泥で汚れた愛嘉理の身体を労わるように柔らかく抱き締め、耳元で優しくそう囁く。

「わ、私今汚いよ!」と腕の中でじたばた抵抗する愛嘉理だったが、吾生が黙って腕の力を強めると観念したように大人しくなった。

「ごめんね。でもそれならその気になればいくらでも止められたはずなのに、何でそうしなかったの?」

愛嘉理は吾生の腕の中で小さく問うた。

すると愛嘉理を腕から解放し、吾生はカラッと笑って答えた。

「愛嘉理は気になって仕方なかったみたいだし、彼も愛嘉理が人間だと分かったら恐らく手は出さないだろうと思ったからさ。それに流石に村の外へは行けないけど、いつでも駆けつける準備はできてたし。」

その様子に愛嘉理は驚きと戸惑いを露わにする。

「もしかして、見てたの?」

「そりゃあ、心配だもん。」

「過保護だなぁ。でも、吾生の気配は感じなかったよ。」

「それくらいは朝飯前さ。それに前にあげたお守りもあるから、本当に困ったら愛嘉理から呼んでくれるかなって。…結局呼んでくれなかったけど。」

シュンと耳を垂らす吾生に、愛嘉理は慌てて「ごめんごめん。」と謝った。

「でも、最終的にはこうやって私から吾生を訊ねようとしてたでしょ?自分で解決できなかったのは、情けないし悔しいけど。」

「そんなことないよ。愛嘉理はよく頑張ってるよ。…いつだって。」

吾生は愛嘉理の頭をそっと撫でた。

その言葉もその手も、いつも愛嘉理の心強い味方でいてくれる。時に安らぎを、時に救いを与えてくれる偉大な存在だ。愛嘉理の憧れそのものと言って良いだろう。

一方で涙の手はもっと粗野で臆病で一生懸命な、そんな武骨な印象だ。誰かに触れることに慣れておらず、ともすれば恐れさえ抱いているような…。そんな悲しさや寂しさを涙からは痛い程に感じてしまう。だからこそ理解できてしまう。自分と瓜二つと言って良い程の涙を、愛嘉理が放って置けるはずはなかった。

いつもはそんな余裕などなかったが、こうしてよく感じてみれば吾生の手と涙の手は違う。しかし、どちらも優しいことに違いはない。当たり前だがその当たり前に気付いた時に感じる喜びに、愛嘉理は密かに笑みを零した。そしてその喜びがまた伝播して、銀色の尾を人知れず穏やかに揺らす。

「でも村の外のことに干渉できないんだったら、何で私達がここに向かってるって分かったの?」

「そ、それは…。何となく、かな…?」

「何となく?」

「うん。」

特に深い意味もなく口にした愛嘉理の不意の問いに、吾生は分かりやすく狼狽えた。

吾生はいつも誰かの為を考えているから、今回もきっとそうだろう。焦った表情の吾生をこれ以上追い詰めるのも意地悪いと思い、愛嘉理は「そっか、心配してくれてありがとう。」と微笑んだ。その思いに「僕、やっぱり愛嘉理が大好き!」と、吾生は再び愛嘉理を両腕で包み込んだ。先程と比べれば今度はだいぶ激しく、誰が見ても分かる程には豊かな尾は元気に左右に振れている。

しかし唐突に、その尾は動きを止めた。

「…でも実はね、止めなかった理由はもう一つあるんだよ。」

「?」

されるがままになっている泥だらけの愛嘉理を更に強く抱き締めて、吾生は少し悔しさを滲ませながら呟いた。

「きっと愛嘉理なら、彼のことを分かってあげられるから。ううん、分かるだけじゃ足りないんだ。神である僕がこんなことを人間の愛嘉理に頼むのもおかしな話だけど、でもお願い。彼を救ってあげて。それができるのは、きっと愛嘉理だけだから。」

腕から愛嘉理を離すと今度は両肩をしっかり掴み、真っ赤な瞳を見据えながら吾生は真剣に言った。難病を抱えた大事な我が子を手術する医師に絶対に成功させてくださいと頼む時、親はこうなるのではないか。愛嘉理にはそれ程に思えた。

吾生が何故そう思うのか、何故それを自分に言うのか、何も分からないのに愛嘉理は吾生を信じて「うん、分かった。」と頷いた。しかし無責任ではなく、不思議と何とかできる気がした。今まで通りにしかことを運べなかったとしても、その中で自分が思う最善を選び取り全力で向き合っていけば。

決意を新たにする愛嘉理に、吾生も優しく微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ