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あおとあかのきせき 下書き  作者: 世渡 繋
第一章
19/69

鬼の目にも涙 三

「…!」

緊張が解けたのか、突然の空腹を告げる音に愛嘉理は自分で驚いた。

「あ、いや、ごめん。今日のお昼は忙しかったから、食べる暇がなくて…。」

委員会の仕事の為に昼食を摂り損ねたことを今の今まで失念していた愛嘉理は、余りの恥ずかしさに赤面しながら慌てて事情を説明した。

その様子がおかしかったのか、涙は吹き出した。

「…食べるか?」

「え、良いの?」

取り出した肉の缶詰を差し出す涙に、愛嘉理は救世主を見るような目で訊ねた。

「ああ、遠慮するな。」

涙はそう言って笑うと、食器を出す為に台所へと向かった。

「味がしなくても、こうして誰かと食べると何故か飯も美味い気がするよ。」

皿の上に置かれた肉を切りながら、涙は嬉しそうに笑った。

ボソボソとした肉はお世辞にも美味とは言えないが、しかし愛嘉理には涙のその気持ちがよく分かった。長い間、一人で過ごして来たのだろう。だからこそ、愛嘉理にはその寂しさが辛かった。

「じゃあ、明日もまた一緒に食べよう?」

その言葉を聞くや否や、涙は派手に噎せた。

「…ひ、人見はそれで良いのか?」

「うん!」

慌てて水を飲みながら訊ねる涙に、愛嘉理は笑った。愛嘉理の真っ直ぐな深紅の瞳に、涙は息を呑んだ。

「じゃあ、待ってる。」

頷く愛嘉理に思わず頬が緩んで、涙はそれを隠すように慌てて肉を掻き込んだ。愛嘉理と目が合うと、涙は味のしない口一杯の食べ物を水で流し込んだ。

「明日は私が作るよ!」

出した缶詰が全て空になった頃、愛嘉理は突然の提案をした。すると、涙は少し目を見開いた。

「人見は料理できるのか?」

「唯一得意なことかな!」

「そうか、じゃあ美味いんだろうな。」

「楽しみにしといて!」

自信ありげに胸を叩いて見せる愛嘉理に、涙は「分かった。」と笑った。

「ところで…。」

「ん?」

「鬼目くんは一人暮らしに慣れてるみたいだけど、始めてからどのくらい経つの?」

使い終わった食器を片付けて、元の席に座りながら愛嘉理は訊ねた。

すると、愛嘉理の向かい側に座った涙は少し意地悪な笑みを浮かべた。

「俺の事情は、聞かないんじゃなかったのか?」

「あ、ごめん…。答えたくないなら、良いよ。」

慌てる愛嘉理を見て、涙はおかしそうに笑う。

「冗談だよ。もう五年になるかな。」

「そんなに?」

「まあな。十歳で家を追い出されて以来だから。」

「…大変だったんだね。」

愛嘉理は、沈痛な面持ちになった。

自分も含め、一人暮らしをするということはそれなりの理由がある場合が殆どだ。無理にそれを聞き出すつもりはないが、しかし十歳で家を追い出されるなどどう見てもただ事ではない。それにはやはり涙が鬼であるという事実が関わっているような気がして、他人事には思えなかった。

涙の五年の孤独を思うと、愛嘉理は益々胸が痛くなった。

「別に、人見が落ち込むことじゃないだろ?さっきも言ったけど、他人事なんだから。」

涙はあっけらかんと言うが、愛嘉理は首を横に振った。

やはり似ていると思った。痛みに慣れてしまった心も、その諦めも。

「私にはそうは思えないよ。一人ってすごく辛いもん。」

「…?」

「私もね、一人暮らしなんだ。」

「…そうなのか。人見も色々大変だったんだな。」

「どうなんだろう?今はまだ慣れるのに精一杯だから分からないや。」

思い遣る涙に、愛嘉理は笑った。

嘘ではない。しかし本当はもうずっと前から、愛嘉理は一人だった。飛火里に救われてきたのも本当だが、その一方で自分とは違うと思っていたことも事実だ。それでも吾生と出会ってから、愛嘉理は独りではなくなった。だから、生きられた。涙には、今までそういう人がいただろうか?

愛嘉理はまるで大丈夫と言い聞かせるように、その笑みを強めた。そんな愛嘉理に、涙は応えて見せた。

「…人見は何と言うか、変わってるな。」

「そ、そう?これでも普通のつもりなんだけど…。」

涙の素直な感想に、愛嘉理は戸惑いの表情を浮かべた。

「普通になりたいのか?」

「うん。」

「その考えがもう変わってるよ。」

「…やっぱり可笑しい?」

「うん。でも俺は良いと思うよ、面白くて。」

涙はとても愉快そうに笑った。

「…からかってる?」

愛嘉理が頬を膨らませると、涙は悪戯を暴かれた子供のような顔で「…少し。」と打ち明けた。

「でも、本当にそう思ってるよ。傍にいると、不思議と居心地が良い。」

「それはどうも。」

穏やかな口調の涙に、愛嘉理は拗ねた顔のまま言った。その様子がまたおかしくて、涙は口元を緩めた。

「こちらこそ、毎日来てくれてありがとうな。」

「どういたしまして。」

二人は笑い合った。


大きな買い物袋を下げた愛嘉理は、涙の姿を見付けると小雨の中を走り寄った。

「鬼目くん、お待たせ!昨日言った通り、今日は材料を買って来たよ!」

「悪いな。」

そう言って愛嘉理を家に招き入れると、涙は素朴な疑問を口にする。

「しかし俺もついああは言ってしまったが、味を感じない俺は何を食べても同じだぞ?」

「それでも、何かが違う!…と信じて作るよ。」

愛嘉理は力強く拳を作って、努力を誓った。

「…そうか。じゃあ、楽しみに待ってるよ。」

「うん、腕に頼を掛けるからね!」

穏やかに笑う涙に、愛嘉理は胸を叩いた。

「はい、秘伝のスパイス特製カレーだよ!」

「おお、美味そうな匂いだな!」

味覚がないだけで、嗅覚は働く。カレーから立ち上る香りは、確かに涙の食欲を刺激した。

「でしょ?食べてみて!」

自信ありげにカレーを差し出す愛嘉理の前で、涙は「頂きます。」と手を合わせた。

「…!」

「どう?」

一口食べた涙に、待ちきれないとばかりに愛嘉理が問う。

「…何か目に滲みるな、これ…。」

「え?スパイス効かせ過ぎた?」

涙の目は、滲んでいた。

そこまで辛くした覚えはないし、当然何度も味見もしたが、愛嘉理は確認の為に自分の皿から一口取って食べてみた。普通に美味しい。

首を捻る愛嘉理に、涙は泣きながら笑った。

「いや。でも何でだろ…?味は分かんないのに…美味いって感じる…!」

「…そっか、それは良かった…!」

それを聞いて、ようやく愛嘉理は涙の頬を伝う雫の理由が分かった気がした。

しかし、そんなことがあり得るのだろうか。自分の料理が人の心を動かすことが。愛嘉理はそれを確かめるように、自作のカレーを次々と口に運んだ。

涙は瞳を手の甲で拭いながら、そんな愛嘉理の様子を微笑ましく見ている。

「…ありがとう、人見…!お前、すごい奴だな。」

「ほ、褒めても何も出ないよ。」

照れ臭さを隠すように更にカレーを口に入れる愛嘉理の頬は、ハムスターのように膨らんでいる。その様子に涙は思わず笑いそうになって噎せると、コップの水を空にした。

「思ったことを言ってるだけだよ。俺、こんなに美味い物は生まれて初めて食べた。」

涙の心からの言葉に、愛嘉理は胸の奥が熱くなるのを感じた。

「…あ。」

ふと愛嘉理が窓の外を見遣ると、空はもうすっかり晴れていた。

「虹だな。」

「うん、綺麗だね。」

黄昏に架かる虹の向こうに、楽しそうに踊る龍の姿が見える。

「…鬼目くんには、もしかして見えてたりするのかな?」

愛嘉理は、視線を涙に移して言った。

強い西日に照らされて、愛嘉理の瞳は橙色に輝いている。

「あれか?」

涙は少し紅潮した頬を隠すように、夕日に顔を向けて虹の向こうを指差した。

「やっぱり、見えるんだ?」

愛嘉理は、嬉しさを声に滲ませた。

「俺もずっと、同じことを思ってた。」

「え?」

「あの時から。」

微笑む涙に、愛嘉理は頷いた。

自分の感じる世界を誰かと共有できることが、二人はとても嬉しかった。

「あの龍はね、澄風河の化身なんだよ。」

「へえ、それは知らなかった。」

ニコニコと語る愛嘉理が、涙にはとても眩しく見えた。こんなに明るく自分を照らしてくれる存在を心の奥でずっと待っていたような気がして、擽ったくも温かい気持ちになった。


あれから一週間、二人は相変わらず毎日会っていた。涙の為だけではなく、愛嘉理も一人より二人で和気藹々と食べる料理が美味しかったし、何より作り甲斐があった。

「今日は遅かったな。」

愛嘉理の姿を見付けると、玄関の扉の前で座っていた涙は立ち上がってそう言った。

「放課後に残って友達と勉強してたら、少し遅くなっちゃった。」

「ああ、テスト前か。」

夏休み直前の期末テストに向けて、愛嘉理と紡と触の三人は今日から放課後に一時間残って勉強会を開くことに決めた。涙はその事情に納得すると、わざとらしく笑って見せた。

「だったら、俺のことなんて構わずにいれば良いのに。」

「そうは行かないよ。だって、早く学校に来て欲しいからね。」

「それは無駄な努力だな。」

「鬼目くんこそ、私のことなんか待ってなくても良いのに。」

返す言葉に困り黙り込む涙に、愛嘉理は「ありがとうね。」と微笑んだ。

「…ところで、担任はもう俺のことを知ってるのか?」

「ううん、何も話してないよ。話して欲しければ、そうするけど。」

「いや、良い。」

留守中に担任が何度か家に来ていたことを、涙は知っている。しかしこうして毎日愛嘉理と会っていることを知れば、いつ担任が説得に来るかも分からない。そんな面倒はごめんだ。

涙はそう思った。

「それより、勉強は大丈夫なのか?」

いつものように机の前に座ると、涙は徐に訊ねた。

「え、うん。何で?」

愛嘉理は少し驚いた様子で、問い返す。

「俺のせいで成績が落ちたら、責任を感じるだろ?」

「鬼目くんは優しいんだね。でも大丈夫だよ。勉強は余り得意ではないけど、自分なりに頑張ってるから。」

そう言う愛嘉理に、自信は全く感じられなかった。涙は仕方ないとばかりに笑った。

「どこか分からないところがあれば、俺で良ければ教えてやる。」

「勉強得意なの?」

「まあ、それなりに。」

涙は、少し照れ臭そうに頬を掻いた。

「へえ、すごいね。じゃあ、こことか分かる?」

「ああ、ここは…。」

鞄から教科書を取り出し広げる愛嘉理に、涙は分かりやすい解説を展開した。

一問解いたらもう一問、それができたらその次と続けるうちに、気付けば帰る時間になっていた。

「うーん、いっぱい教えて貰っちゃった。ありがとうね。」

「飯の礼だ。いつも作って貰ってるからな。」

「それはどうも。それにしても、鬼目くんは本当に頭が良いんだね。教え方も上手だし。」

「いや、別に…。」

照れを隠すように顔を背ける涙に、愛嘉理は微笑んだ。

「何か今回のテストは、良い点が取れそうな気がするよ。ありがとう。」

「礼なら本当に良い成績を取ってからにしてくれ。」

「それはそうだね。じゃあ、明日もまた教えて?」

「勿論、俺も少しでも人見の役に立ちたいからな。」

涙は特徴的な八重歯を輝かせ、頼もしく笑った。

あの日強烈な殺気を放っていた鬼がこんな顔を隠し持っていたという事実を、愛嘉理は心から嬉しく思った。

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