動き出す歯車 三
「ここは…!」
立ち止まる二人の前には、色褪せた古い小さな鳥居が待ち受けていた。愛嘉理は、この鳥居に見覚えがあった。
「やはり、この鳥居が気になるかい?」
「はい。」
愛嘉理の五年越しの疑問を、繋は鮮やかに解決して見せる。
「単純な話さ。五年前のあの時、吾生くんは君や妖ごと瞬間移動したんだ。神隠しの正体の一つさ。」
「し、瞬間移動?すごい…!そんなことまでできるなんて…。」
目を丸くする愛嘉理だったが、同時に疑問が一つ浮かぶ。再び歩き出した繋を追い掛けながら、愛嘉理は問うた。
「でも、何でそんなことをする必要が…?」
しかし、すべてを言い終えることはできなかった。鳥居を潜った瞬間、肌を刺すようなピリピリとした激しい感覚に襲われたからだ。
しかしそれを意に介する様子もなく、顔色一つ変えないまま繋は言葉を紡ぐ。
「こっちの方が吾生くんの力が最大限に発揮できるからさ。この村には吾生くんによって結界が張られてるんだけど、その源がこの山。更に言えば、この鳥居を潜った先にあるのさ。」
「どういうことですか?」
「行けば分かるよ。ただし、普通ならそう簡単には辿り着けないだろうけどね。」
意味をはかりかねる様子の愛嘉理に、繋は丁寧に説明を重ねる。
「君も鳥居を境にとてつもない霊気を感じてるはずだ。人が簡単に山奥に立ち入らないよう、吾生くんは山全体に幻術をかけている。目的地に辿り着くには正しい出入り口であるあの鳥居を潜らなきゃいけないけど、それでも普通なら何度でもあの鳥居に戻されるはずだよ。」
「へぇ…。」
「でも、安心して良いよ。僕にはそういうのは、余り効かないからね。」
繋は、余裕のある笑みを浮かべた。
「さっき繋さんなら吾生の元へ辿り着けるって言ったのは、そういう意味だったんですね。」
「まあね。」
「でも、何で…?」
「ほら着いた、そこだよ。」
愛嘉理の問いを遮り、繋は目的地を指差した。そこには、山の入り口にある小さな鳥居と同じものが立っていた。
中に入ると、寂れた社とその前に道を作るように立ち並ぶ石灯籠が二人を出迎える。山の中に相応しく樹が生い茂るそこは、まるで世界と隔絶されたような不思議な雰囲気に包まれていた。
「ここは…?」
「狗護神社。正確には跡地かな。人に捨てられた神の御座す場所さ。」
呆気に取られる愛嘉理に、繋は恭しく説明した。
「人に捨てられた…?」
少し悲しげに繋が頷くと、愛嘉理はその瞬間に二人の脇を鈴の音と共にすり抜ける影を見た。
「っ…!」
「何者だ!?愛嘉理から離れろ!」
痛みに顔を歪める繋の足元で、狗面を背負った銀毛に青い瞳の不思議な獣が地を這うように唸る。
愛嘉理は神秘的なその姿にも頭に直接響くその声にも、覚えがあった。
「吾生…?」
しかし愛嘉理の声は、吾生に届いていないようだった。相変わらず低く唸ったまま、繋の腕に噛み付いて離そうとしない。
繋は、これは参ったとばかりに笑った。
「これは失礼、僕は世渡 繋。怪しく見えるかもしれないけど、君に害を加えるつもりは少しもないんだ。吾生くん。」
「ここに何の用だ?何故、愛嘉理を連れて来た?」
「その必要があったからさ。」
「そうだよ、私が頼んだの。」
全く信用できないとばかりに鼻に皺を寄せていた吾生は、愛嘉理の瞳を暫くじっと覗き込んだ。そしてやがてその表情を和らげると、繋の腕をそっと離した。
「ありがとう。」
ふうっと息を吐き腕を一振りすると、繋は吾生に礼を述べた。
すると、吾生は光に包まれ人の姿になった。その姿は五年の歳月を経ても何も変わりがないように見えた愛嘉理は、思わず目を見張った。
「ごめんね。」
吾生は、心底申し訳なさそうに繋に謝った。その耳は、力なく項垂れている。
「気にしないで。じゃあ、僕はこれで。」
「もう行っちゃうんですか?」
残念そうな愛嘉理に、繋は肯定の笑みを見せた。
「折角五年ぶりに再会したんだし、お互いに積もる話もあるだろうから。吾生くんがいれば、帰りは安全だろうし。」
振り返ることもなく出口へと向かう繋に、愛嘉理は深く頭を下げる。
「はい、ありがとうございました!」
「またね。」
その背を追う二人の言葉に、ひらひらと手を振って応える繋。
「…やっぱり君は僕と同じなんだね、愛嘉理ちゃん。」
去り際に二人には聞こえない程の小さな呟きを残して、繋はその場から姿を消した。
「愛嘉理、ずっと逢いたかったよ!」
無邪気な子供のように、吾生は愛嘉理に抱き付いた。
姿だけでなくその他の何一つとして変わりのない吾生に、愛嘉理は少し胸が熱くなった。
「あ、ありがとう。私も。」
「うん!」
相変わらず触れられることに慣れない愛嘉理に、吾生は嬉しそうに頷いた。豊かな銀の尾が正直にその喜びを示しているので、自分への好意に疎い愛嘉理にもそれが嘘ではないことが容易に分かる。
「それにしても、さっきは驚いたな。吾生があんなに敵意を剥き出しにするなんて。」
「それは彼に僕の霊術が通じなかったからさ。記憶も思考も何も読み取れない何を考えてるか分からない人が、結界を潜り抜けて愛嘉理をこんな場所まで連れて来たら警戒するのは当たり前だよ!」
吾生は愛嘉理を腕から解放すると、ふんと鼻を鳴らして言った。
「そっか、ありがとう。心配してくれたんだね。でも繋さんは、私の為に一緒に来てくれたんだよ。」
「うん、愛嘉理を見て分かった。」
「そっか、それは良かった。」
愛嘉理が安心していると、「そうだ、愛嘉理。」と吾生の呼ぶ声がした。愛嘉理が反応すると、吾生は満面の笑みを浮かべた。
「折角だから、これからはたくさん話そう?」
「そうは言っても普通はここには辿り着けないって、繋さんが言ってたよ?」
「それなら大丈夫。これを持ってれば、いつでもここへ来れるよ。」
吾生は懐から、掌にちょこんと乗るくらいの何やら変わった形の石を取り出した。
「三日月の形の石…?」
「お守りだよ。昔ここで作られてたものに、僕が加護を授けてるんだ。」
吾生は、お守りを愛嘉理に差し出した。
「い、良いの?」
「勿論。」
豊かな尾を左右に揺らし、ニコニコしながら頷く吾生。
「もし不安なこととかあったら、それに強く願って。そうしたら僕、これからはいつでも君の元へ行くよ。」
「ありがとう。でも、吾生は神様なんでしょ?私のことばかりじゃ、だめだよ。」
多分、間違ったことは言っていない。その言葉が嬉しいのは事実だ。しかし吾生が神なら、自分だけの存在ではない。その助けを望む人が、数え切れない程いるはずだ。
そんな愛嘉理の真意を汲んだ吾生は、少ししゅんとして「うん…。」と頷いた。
愛嘉理の思う通りだ。神として、一人にばかり肩入れはできない。しかしもしも次に出会えたら、お守りを渡そうと決めていたのだ。
愛嘉理がこの村で暮らし始めた時から、吾生は今日を心待ちにしていた。それは、五年間会いたい衝動を必死に抑え続けた吾生が出した精一杯の結論だった。それ程に、吾生は愛嘉理との再会に焦がれていた。
吾生は、愛嘉理を真っ直ぐに見据えた。
「でも、約束して?本当に恐い時や苦しい時は、僕のことを呼ぶって。そうじゃないと僕、君のことが心配で眠れなくなっちゃうよ。」
「え、神様って寝るの…?」
愛嘉理は力なく耳の垂れた吾生に、素朴な疑問をぶつけた。吾生は少し考えるように、「うーん。」と目線を空にやった。
「たまに昼寝とかはするかな。」
「へえ、そうなんだ。でもそれだと余り、心配してる感じが出ないね。」
「た、確かに…。」
愛嘉理の至極全うな意見に、吾生は少し困ったような顔をした。
「でも、本当に心配なんだよ。今は良い例えが思い付かないだけで。」
「うん、分かってる。」
吾生の必死な訴えに、愛嘉理は思わず笑った。
「それにしても、吾生って余り神様っぽくないよね。」
愛嘉理の素直な感想に、今度は吾生が「ふふ、そうだね。」と笑う。
「君の前では、僕は神じゃいられないみたい。」
「そ、そうなの…?」
その真意を理解はできないが、何故か顔が火照る愛嘉理。特別と言われているような気がして、愛嘉理は少し擽ったい気持ちになった。
それから二人は木漏れ日の降る社の縁側に座り、穏やかな時間を過ごした。
「…そっか、良かったね。」
吾生が目を細めると、愛嘉理は晴れやかな顔で頷いた。
「飛火里のお陰で、私もやっと前に進めそうだよ。繋さんにも、本当に感謝してもしきれないくらい。」
「うん。」
「でもそう思えるのは、あの時吾生が私を諭してくれたからなんだよ。本当に、ありがとう。」
「い、いや、僕は大したことなんて何も…。」
吾生は思わず口籠り、頬をポリポリと掻いた。
「もしかして、照れてる?」
「そ、そんなこと…!」
気恥ずかしくなった吾生は、逃げるように目を逸らした。
「顔、赤くなってるよ?」
「だめ、今こっち見ないで!」
「だ、だめなの…?」
「だめなものはだめ!恥ずかしいから!」
からかうように笑う愛嘉理から隠れるように、吾生は慌てて顔の前でぶんぶんと両手を振った。
「うー…。僕の霊術で、見なかったことにして良い?」
「随分怖いこと言うね…!それをされたら、もう私に為す術はないよ。」
顔を覆う両手の隙間から覗く吾生に、愛嘉理はわざとらしくおどけた。
「あ、でも繋さんならどうなのかな?吾生に記憶を消される前に頼んでおけば、無事で済むかも。」
「確かに、繋は僕よりも強そうだよね…。今までそんな存在に会ったことなんてなかったんだけど、僕が弱くなったのかなぁ?」
腕を組んで真剣に考える吾生に、「そんなことはないと思うよ。」と愛嘉理は意見を述べた。
「でも愛嘉理だって相当だし、こんなに同じ時期に立て続けに今までになかったことが起きたら、そう思ってもおかしくはないでしょ?」
「まあ、そうだけど…。」
体調不良でも心配するかのような口調の吾生に、愛嘉理は何とも言えない曖昧な反応をした。
「でも繋さんはともかく、私は自分でそんなに強いって自覚はないし…。」
「そう?自分から実体化してる訳でもないのに、僕のことを感じる人間なんて中々いないよ。」
「実体化?そんなこともできるの?」
「まあね。山に迷い込んだ人間を送り届ける時くらいしかしないけど。」
大したことはないと言った様子で、興味なさげに吾生は答えた。
「それでもすごいよ。さっきは神様らしくないなんて言っちゃったけど、前言撤回!本当に神様なんだね…!」
尊敬の眼差しで自分を見つめる少女に、吾生は拳を作って熱弁を振るう。
「愛嘉理にだって、思いの力があるじゃないか。今日だって君が強く望んでくれたから、僕達はこうしてまた出会えたんだよ。」
「そうかな…?」
自信なさげに訊ねる愛嘉理に、吾生は力強く頷いた。
「他にも愛嘉理だからこそできることは、たくさんあるよ。愛嘉理が気付いてないだけで。」
「うん、そうだと良いな。」
愛嘉理は、眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせた。




