語らい
投げ飛ばされたリーシュは床に背中をしたたかに打ち付けた。
「甘い! 甘い! 気が緩んどるわ!」
リアスダイスの一喝で飛び起きたリーシュは再び構える。
「待て」
リアスダイスはリーシュの背後に視線を向け言った。釣られて振り向くリーシュその先には衛兵長エイルバメレンが稽古場戸口で敬礼をしていた。
「どうした。衛兵長」
「はっ、戦湖の土壌の雛形が先ほど届きましたのでご報告に参りました」
「おお、早かったではないか」
「はっ、首長の命であると肝に銘じましたので早々に」
「よし、ご苦労。旅団の者達に飯をたらふく食わしてやれ。土壌は畑に回すように伝えておけ。わしも立ち会う」
「はっ、了解いたしました」
エイルバメレンは再び敬礼し駆け足でその場走って辞した。
「リーシュ!」
「は、はいいっ!」
驚いて前を向き直るリーシュ。
「今日はここまでだ。心が浮ついてしまうのは分かる。だが、それではこの父の髪一本も触れること罷り成らんぞ」
「は、はい」
「体術もいいがこっちの方もしっかりやっておくんだぞ?わしはそれを怠ったが為に後でえらくで苦労した」
リアスダイスは頭に指先をとんとん叩く仕草みせてにやりと笑った。
「は、はあ……」
「ロロよ、出てくる。留守を頼む」
「はい。主将。いってらっしゃいませ」
稽古場の隅で稽古を眺めていたロロが立ち上がり一礼して見送る。
「あ、ありがとうございました」
稽古場を出て行くリアスダイスの背中に慌てて一礼するリーシュ。
あー……なんか今日は全然駄目だったなあ。浮ついてるつもりはまったくないんだけどやっぱりそういうのは知らない内に体の動きに出ちゃうのかな? 土壌って灌漑設備のやつの事だろうか。
「お疲れ様でした。リーシュ様」
リーシュの傍らに近づいたロロが手ぬぐいを差し出して言う。
「ありがと。んー。なーんか中途半端って言うか何て言うかって感じだったよ」
「そういう動きでしたからね」
「えー! やっぱり見てると分かるの?」
受取った手ぬぐいで汗を拭っていた手を止めて思わず驚くリーシュ。
「申し訳ありません。言葉では説明しずらくて……何と言いましょう。切れがあまり感じられないといいますか……」
「う……やっぱりそうなのか……」
がっくりうな垂れるリーシュ。
「ですが……」
「何?」
「大変言いにくいのですが……」
「何? 何?」
ロロに詰め寄るリーシュ。
「主将の動きも散漫だったかと……」
「ははは。そうなんだ」
「あの……リーシュ様……」
からからと笑うリーシュにロロが心配そうな面持ちで言い淀む。
「ははっ。大丈夫大丈夫。父上には内緒にしといて上げるからさ」
「ありがとうございます」
なぜか安心して頭を下げるロロ。
「さて、それじゃあ。頭の体操でもしようかな」
手ぬぐいを首に提げて稽古場を出て行こうと戸口に向けれた足をロロの言葉が止めた。
「リーシュ様。頭の体操になるかどうか分かりませんが私に名案がございます」
「名案?」
「はい。ある方とお話してみてはと、良い刺激になると思います」
「だれ?」
「では。早速探させましょう。衛兵!」
だれとは明かさず敬礼と共に現れた衛兵に何事か告げると衛兵は駆け足で走り去って行った。
「話ってさ、僕はロロの話を聞いてるだけでも十分刺激になると思うだけど?」
胡座を組んで座ったリーシュが非難めいた口調でロロに言う。
「私の話等他愛ありません」
「そうかなー。そうは思えないんだけどなー」
「彼の者は私以上に知識が豊富かと思いますし男性同士の方が何かと話し易いと思いますので……あら、やって参りました」
「男の人なんだ。だれだろ?」
「何? 何ですか先輩……うおっ! 守人……様」
「さあ、こちらへ。リーシュ様がお待ちです」
現れたのは以前飯炊きの一件にリーシュを巻き込んだレッドだった。
「レッドさんなの?」
「リーシュか。俺様を呼んだのはっ! はうっ!」
「立場を弁えよ」
鳩尾に守人の電光石火の一撃を貰ったレッドは蹲る事も出来ずにその場でその身体を奇妙に捻じ曲げ声を失った。レッドを引きずり連れて来た衛兵二人も二歩程思わず退く。
「し、しゅつれいしました。リーシュざま……」
おそらくリーシュに向かって一礼したのであろうその姿勢はなんとも形容しがたい惨めな姿だった。当のリーシュもとても他人事とは思えず慌てて駆け寄り手を貸す。
「もう、ロロ!遠慮してあげてよ!」
「リーシュ様。失礼しました。それでは私は砦を見て回って参りますので昼餉までこの者とゆっくりして下さい」
「えー! って、レッドさん死んじゃってない?」
「まったく問題ございません。では」
一礼してロロは稽古場を去って行った。
「まったくもう」
リーシュによって稽古場に引きずり込まれたレッドはロロの姿が見えなくなった途端に跳ね起きリーシュに掴みかかった。
「何なんだ?一体これは!」
「うわっ! すごい元気じゃないですか!」
「元気じゃないよ! 死んださ! まったく……血相変えた先輩達にいきなり連行されてロ……じゃなくて守人様にいきなり一撃貰うとは……すべてお前が仕組んだのか!」
「違う違う!違いますよ」
リーシュは顔を真っ赤にして迫るレッドに当人が昏倒する迄の経緯を語った。
「……話は分かったが、人を呼びつけておいて一撃入れるとはあんまりだ」
「確かに……」
うんうんとリーシュもそこにはさすがに納得する。
「恐るべし、蛇眼のロロ。普段は物腰柔らかなのにいざとなると……う……考えたくも無い……」
「え? じゃがん? 何ですそれ?」
「お前知らんのか」
「ロロの事なの? それ」
「あーそうか。こんな事衛兵や騎士団の連中なら人伝に知ってる事なんだが、うっかり口に出して首長の耳に入ったらとんでもない目に合うからな。お前が知らないのも無理もないか」
「何か嫌な気分だな……それ」
「まあ、首長の息子じゃ仕方ないて。俺も人から聞いた話なんだけどな、何でも先の戦争当時に由来するらしい」
先の戦争……十五年前に起こった国同士の争い、大陸の歴史上それ以上の大規模な争いがなかった為か特に命名されず、ただ戦争と呼ばれている。父やロロ、現在アリマドの首長を務めるロロの姉トトさんもその前線で一緒に戦ったそうだ。父が率いた部隊の大半が今のこのミズリ砦で任務に就く衛兵達でもある。だからレッドさんの言う父やロロの武勇伝みたいなものもその人達が語った事柄なのだろう。
でも、父達は当時の話を僕に話して聞かせる事は決してなかった。今の僕にはそういう話はまだ早いと考えての事なのだろうか。当然、こちらから尋ねた事も幾度かあったが、話を濁されてしまって結局何も聞き出せてはいない。話さないって事は僕に知られたくないから? ……そうか、ひょっとして……ロロは……。
「ふーん。なんだか分からないけどロロ、強かったんだ」
「強かったんじゃない。強いんだ。俺様の予想が正しければザイドール王国屈指の強者の一人だな。間違い無い」
「えー、それは言い過ぎでしょー。だって王都の魔法院にはたくさん強いギード使いがいるんでしょ?」
「それは確かにそうらしいが……ま、とにかくあの人の強さは半端ではない」
「ふーん。でもさ、強いのがそんなに凄い事なのかな?」
「なんだと?」
いつの間にか二人は稽古場の中央に陣取り胡座をかいて話し込んでいた。
「あー……何て言うのかな……体術とかギードとかがそんなに凄いのかな? って」
レッドはリーシュを指差し何か言いかけて口を開いたまま固まってしまった。
「ふっ」
少し呆れた様子で小さな吐息を漏らして苦笑した。
「なんですかー?」
「いやあれだな。やっぱりお前はあの首長の息子だな。ってね」
「嫌味ですかね」
「そうじゃねーよ。でもお前、ギードとか何とかって言う割りにそのギードになる為に王都へ行くらしいじゃないか」
そうなのだ。父から王都へ昇る許可をもらった数週間後に王都へ昇る日取りを聞く事ができ、とうとう出発を四日後に控えているのだ。浮つくなと言うのがそもそも無理な話なのかもしれない。実際、ミレの木に登って王都での新たな生活を夢想する日々が続いている。反面、父やロロ、このレッドさんを含む砦の皆の顔がしばらく見られなくなると考えると寂しい気持ちにもなってしまう。
「んーまあね。……あれ? でも、なんでレッドさんその事知ってるの? 父上がそんな話だれにでも喋るとも思えないし」
「え? そ、そりゃお前、俺様をだれだと思っている。砦内の重要情報を衛兵の俺が知らない方がおかしいってもんだろう」
明らかに慌てた様子だったレッドだがもっともらしい説明で取り直す。
「そうか。そりゃそうだね。レッドさん一応衛兵だもんね」
「なんと失敬な。……ところでだ、お前予習はしっかりしているのか?王都なりギードなりの知識を事前に頭に入れておかないと恥をかく事にならんか? お前の恥は首長の恥になると言っても過言ではないぞ」
「書物を読んだ程度かな。ギードについて書かれた書物ってすごい少ないし、その書物ってのも前にもう既に読んじゃってるし、それより黒く塗りつぶしてある箇所も多くて大した知識は得られなかったよ」
「それはそうだな。ギードに関する王国の知りうる情報を外部に漏らさない措置だな。今の情勢を考えると仕方ない。首長や守人様から何も聞いてないのか?」
「うん。何も。ロロは行けば分かるの一点張りで殆ど何も教えてくれないし、父上はギード使いが嫌いだから尚の事何も」
「そうか。俺はてっきり守人様から何かしらの指導があったと思ったんだがな」
腕を組んで少し考えたレッドは続けた。
「じゃあ、少し話しをしてやろう」
「うんうん」
リーシュは好奇の眼差しをレッドに注いだ。
「ま、これは俺も聞いた話だからあれなんだがな。ま、いいか。知ってると思うが今からおよそ百年前に王都の西にあるティベリアス島に祠が発見されたのが王国でのギードの始まりだ。その祠で器を授かった者がギードになれる訳だな」
「器を授かった者がギード使いになれる」
「違う違う。ギード。だ。ギード使いなんて言葉は元からない。意味は通じるが少なくとも王都ではギード使いなんて言い方はしない」
「え?そうなんだ。なんで僕そんな言い方してたんだろう?」
「まあ、ギードって言葉自体に色々な意味で使われるからその言葉自体ややこしいわな。ギードを行使する者の事をギードとも言うし、ギードが行使した何かしら効果もギードと言うから混乱するわな」
「……ギードのギード……?」
「そうだ。そんな使い回しになってしまう。これは百年前の人間に文句を言うしかないな」
からからと笑って言うとレッドは話を続けた。
「お前がギード使いなんて言葉を使うのにも実は理由がある。恐らくこれは守人様の影響だろう」
「ロロの?」
「うむ。まず最初に俺達が住む大陸には三つの国があるのは知っているな?東からここザイドール王国、オトレノーア、一番西にガルシャスだ。それぞれの国でギードの呼び名が異なるんだ。ギードはザイドール、ギフトってのがオトレノーア、最後のガルシャスでは魔法と呼ばれているそうだ。そして魔法を行使する者を魔法使いと言うそうだ」
「魔法使い……へー。そうだったんだ。初めて聞きました」
口をぽかりと開けて感嘆の言葉を漏らすリーシュ。
「でも、それとロロがどういう関係があるの?……っていうかオトレノーア隣の国だからいいとして、ガルシャス帝国の呼び名まで知ってるなんて凄いですね」
「聞いた話と言っておろうが……でだ。守人様の師に当たる人物。淵王と呼ばれる方がさっき言った国々でのギードの呼称を伝えたと言われている。恐らくその辺りの関係上守人様との会話からお前が勝手に解釈したんじゃないかな」
「ふーん。そうだったのか。……淵王……ですか。前に父上が口にしたのを聞いた時があります」
「現在あの方の消息を知る人間はいないそうだがな」
「王都に居ないのですか?」
「……守人様の師である淵王は居ないな。四十年近く前に突然姿を消したそうだ。元々流浪人だったそうだからな。風に流され何とやらだ」
レッドは少し肩を落としてそう言った。
「そうなんですか。その淵王という方がこの国にギードを教えたんですか?」
「ギードを発見した当初は王都の偉い学者さん連中が色々と模索していたらしいが、とにかく謎が多かったそうだ。もっとも今現在でも分からない事の方が多いそうだがな。そんな時に淵王が王都にふらりとやって来てその基本的な扱いを伝授したそうだ。その奇跡的な所業に敬意を表してザイドール王が古くから伝わる神々の一人の名の淵王を与えたそうだ。魔法院で学べるその殆どが淵王の教えを基盤とした物らしいぞ」
「なるほどー。でも……うーん。その人、淵王はいい人なのか悪い人なのか分かりませんね」
レッドはリーシュの言葉に一瞬戸惑った表情を出したがすぐにそれを消しリーシュに尋ねた。
「どうしてそう思う」
「んー、今の話だけだとあれですけど、淵王がこの国のギードを基礎みたいな物を築いたって事になると……」
言いたい事がまとまらなという様子でリーシュは先の言葉を言い淀んだ。
「なると?」
先を促すレッド。
「なんで……戦争を止められなかったでしょうか? 止められるどころか戦争にギードを持ち込んだんですよね? ……もっと違った形でギードを使えなかったんでしょうか? あれ? その頃には淵王はもう居なくなってしまってたんでしたっけ?」
レッドはリーシュの意見を聞くと初めて真剣な表情を表した。その様子を見たリーシュが慌てて付け加えた。
「いやいや。もちろんその時に淵王がそう指図した訳じゃないだろうし……」
そのリーシュの言葉を聞いていたのかいないのか分からないがレッドは答えた。
「そう思えてしまうのは自然だと思う。彼がこの国にギードを教えた真の目的が一体何だったのか。これは俺にも分からない。ただ分かってる事はな、リーシュ」
「は、はい」
言葉を切ったレッドはリーシュを見つめて言った。日頃では感じられない何かを醸し出すレッドに気圧されてリーシュは思わず背筋をぴんっと張ってしまう。
「お前がギードを会得して何かしらの輝波を纏った時それをいつどう行使するかはお前次第だ。そこに淵王の考えや王国の思惑などは関係ない。そこにあるのはお前の意思だ。いいな?」
「は、はい」
いつの間にか肩に手を添えられて言われたリーシュはうんうんと何度も頷いた。それで気を良くしたのかレッドはにんまりといつもの表情に戻りリーシュの肩をばんばん叩いて立ち上がった。
「よしよし。じゃ、俺、昼飯行くかな……っと、もう一つ」
今度はリーシュに深々と一礼して見せた。
「ちょっとレッドさん。別にいいよこんな……」
レッドは頭を垂れた姿のままリーシュの言葉を遮って言った。
「リーシュよ、こうして頭を下げるのはな、させられているのではない。人ってのはな感謝の気持ちが溢れて思わずこうしてしまうんだ。砦の民の一礼を決して無下にするな。全身でそれを受け止め糧とし再び守ると心に刻め。お前の父がそうしているように。な」
その言葉に返事も出来きないままただ呆然と見ていたリーシュにレッドは続けた。
「ま、俺はやらせられてるんだがな」
下げていた頭をひょっこり上げてしたり顔で言うレッドを見て我に戻ったリーシュは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「けしからーん!」
「はっはっはっ。じゃあな金色の」
駆け足で稽古場を出て行くレッドを追いかけるでもなく見送るリーシュ。
やれやれまったく。あの人は一体何者なんだ? ただの衛兵にはとても思えない。だからと言ってサクスさんやエイルバメレンさんみたいにしょっちゅうぴりぴりした空気を放ってる風でもないし。あの感じは父やロロから感じる物に近いかも? それでもなんか違うかな。でもまあロロの言ってた通り刺激にはなったかな。
でも……ロロもギードとして戦ったんだよね……その時どんな気持ちだったんだろう……レッドさんはロロが強いって言うけれど、その強さってので襲ってくる敵を倒したんだろうか? ……敵? 敵って何だろう? 王国を、砦の民の暮らしを脅かす者。力が……ギードが使えたなら僕も迷わず使える力すべて注いでその敵と戦うのだろうか? みんなを守る為に。レッドさんは自分自身の意思で決めろと言ってたけど戦うとかじゃなくて、何かもっと別な方法があるんじゃないかな。国とか民とか敵とか関係なくって……。
「リーシュ様」
稽古場の戸口で着地点が見つけられない思考を巡らしたままぼうっとしていたリーシュはロロの声で我に返ったが、その思料は少し苦い余韻を残して心の奥の引き出しへと仕舞われた。
「うん」
「どうでしたか? 良いお話は聞けましたか?」
「まあね。ところでレッドさんって本当にただの衛兵なの?」
「何か無礼を?」
「いやいやそんな事ないよ。ただ、何となく只者じゃないような」
「そうですね。彼の者は多少異例な経歴も持ち主でしてね」
並んで稽古場を後にし屋敷へと歩き始めた二人。
「へー、どんな?」
「アリマド、ハマリの砦の衛兵を経験した後、こちらへ赴任してきたんです。ですから他の者達とは一風変わった話題を持っているのではと、思いまして」
「へー、そんな事ってあるんだ」
「普通はありませんね。あるとすれば騎士団への編入希望が出されたり器を授かった時位でしょう」
「じゃあ何でレッドさんはそう転々としてるの?」
このリーシュの質問にはロロはにこにこ顔で答えた。
「実は彼の者はトトお姉様のお気に入りだそうですよ」
これにはリーシュも驚いて立ち止まってしまった。
「えーっ! トトさんってアリマド砦の首長でしょ?」
「ええ」
「その、お気に入りって一体……やっぱり只者じゃない……」
「いえ、確かに経歴だけは特異ですがただの衛兵です。リーシュ様」
「そうだけど……そうじゃないでしょ……」
新たな疑問の浮上によりその日の昼食はあまり進まなかったリーシュであった。