旅団
今日の馬車は酷く揺れる。いやそうではないな数日前から徐々に悪くなっているんだ。そろそろゴムを変えさせた方がいいだろう。次はミズリか……あそこはこの国では一番嫌いな場所だが一番帰れる可能性が高い場所だ。いや、だった。そういえばあそこには良い樹液が採れる木があった気がする。どうせ砦には入るつもりもないのだし辺り見て回るのもいいかもしれないな。車輪を修理する時間位はあるだろう。
ミズリか……もうどうでもいい気がしてきた。はっきり言って今の暮しに慣れ過ぎた。っていうのを言い訳するつもりはないが、つらい時もあるがそれなりに楽しいし。もっとも人の目を気にしてこそこそと生活するのは向こうと考え様には同じ事だ。ただ……。
さて、寝るか。交替の時間になれば怒鳴られて起こしてもらえればいい。また山賊もどきか獣が現れたとしても同じ事だ。
どこだここは! 砂漠か? なぜ?
激しい暴風と巻き上がる砂塵の中で顔面に容赦なく襲い掛かる砂を両腕で庇うが鼻に、口に、目に砂が侵入してくる。辛うじて見える片目で必死に辺りを見渡し自分の置かれた状況を把握しよとするが、どこを向いても視界が無いに等しい。見えるのは風圧で暴れ回る砂の帳ばかりだ。
上を見た。おそらくそこには空があるはずだ。空はあった。砂の嵐に阻まれてはいるが真っ青な空があった。がしかし、その空には白く丸い穴が空いていた。
ショーン・アサノはその奇妙な光景を見上げて驚愕した。
あれは! 俺はあれを知っているぞ。あれはついさっき見た! あれがここを砂漠に!?
その空に開いた穴は見様によっては太陽と言っても良かったのだが、それは太陽ではなかった。眩しくもなければ日差しを感じる事もない。そして何より――急速に縮みはしない。小さくなっていくそれに向かって思わず片手を伸ばしたショーン。手に届く距離にはなかったのか、その手から通り抜けたのか、それはショーンのか細い視界からその存在をやめた。
力なく空に上げられた手の先には本物の太陽ののんびりとした日差しが照りつけていた。砂嵐も白い穴が消えると同時に止みそこにはしんとした砂に埋もれた大地が現れた。
膝を着き茫然自失に捕らわれていたショーンだが、膝に硬い何かの感触があるのに気付いて我に返った。砂を払ってみるとそこに現れたのは鉄製の長さが七十cm程ある一振りの抜き身の剣だった。かなり使い込まれたのだろうその剣は所々刃毀れを起こしており、以前どこかで嗅いだ覚えのある臭気も放っていた。おっかなびっくりでそれを繁々と見つめていたショーンだったが、突然何かの気配を察知して剣を手放し胸元のベレッタを引き抜いて周りを警戒し始めた。
まず気になるのはここの地形だ。何かただならぬ力で地面がすり鉢状に削れている。おそらく砂を掘り返し続ければ硬い土か粘土層に当たるのではないだろうか。俺がいる地点からすり鉢の最深部迄約二百メートルといったところか。すり鉢から脱出するにはさらにその倍以上の坂道を登らなくてはならないな。そしてこの微かな振動。今は意識しなければ分からないがこの異様な地形から考えると何かよくない状況に移行するサインと見てまず間違いない。最後に一番気がかりなのが――何かが近くにいる。獣の声か人の声か判別はできないが何か聴こえた。
人間が地中に埋まってる? 人間が生き埋めにされているという事前情報があれば別だが、そんな話がある訳もない。さっきの白くて丸い物体とこの地形は何かしらの関係があると考えるのは妥当だろう。生き埋めはなしだ。となるとあそこしかない。
ショーンは最深部――すり鉢の底を凝視した。ここからでは詳細は確認できないが、確かにそこには周辺とは異質な何かがあるのが分かった。
相手が敵か味方か不明だが、何かしらの情報を得られる可能性は大きい。……はず。
ショーンは、すり鉢の底を見据えながら底を中心に大きく円を描きながら迫った。その僅かな間にもあの微動はその振動の幅を少し大きくしていた。
すぐに底に位置する場所に何があるのかが分かってきた。白い布の様な物だ。ショーンは走るのを止め銃口をそれに向けじわりじわりと距離を詰め始めた。
そして、耳に入ったその声にぴたりと動きを止めた。
赤ん坊なのか……?
再び前進し出したショーンの目の前で「だあだあ」という声と共に白い布がもぞもぞと動いている。足元まで来たショーンは、もうベレッタを構えるのを止め両手をだらりと下げ、眼下の白い布からこぼれ見える赤ん坊の顔を呆然と見つめていた。
砂嵐。白い物体。砂に埋もれた剣。変形した地形。伝わる微動。そして、赤ん坊。それでどうすればいい? 情報が得られるだって? こいつから聞き出すのか?
俺は決してベテランとはいえないし優秀だとも思わない。任務を受け分析し実行に移し完遂する。それが国家の為になると言われたからだ。俺は国家に尽くしたかった。だからそれを行なった。時には誤認し国家が望むべき結果が得られない事もあった。叱責を受け自身を律し奮い立たせ再び励んだ。なぜなら、それが俺のすべてだからだ。そんな俺にお前はどうしろと?
まだ薄い金色の髪色をしたその赤ん坊はショーンを見て「あはあは」と笑いかけた。と同時に「頼みましたよ」という声がショーンに小さく降りて来たのは幻聴ではなかったが、その子の笑い声が「僕を頼みます」と自分に言ったのだと、自身の心の声の呟きにそれは奇跡的にも重なりショーンの耳にはそれは届かなかった。
「分かったよ」
ふっと鼻を鳴らしてベレッタを胸元のホルスターゆっくり収め、包まれている布ごとその子を抱きかかえると、ぽとりと何かが地面に落ちた。足元を見ると金色の装飾品らしき物が落ちている。拾い上げて見て見ると赤、青、緑等の色をした半球体のガラス玉が大小合わせて七つはめ込まれ木、葉、河等を象った精巧な浮彫が施された腕輪だった。
「お前のか? 大事な物なんだろう。しっかり持っておけ」
その子の胸元辺りにそれを押し込み落ちないように布でしっかり挟んでおく。よく見るとその布にも所々に黄色の糸が使用されているのか金色にきらきらと輝いて見える。
ショーンはしっかりとその子を抱き直すと新たな明確な目的を得たのかしっかりとした足取りで坂道を歩き出した。
ショーンの懸念していた通りそれは最悪の形として姿を現した。
徐々にに大きくなっていた振動がとうとうごおおおっという轟音と共に地を揺るがす地震へと変化しいった。足場の悪い坂道につま先を突き刺す様に登るショーンだが、両手が塞がれた状態では思う様に登れない。そんなショーンをあざ笑うかの様に揺れは増す一方だ。
焦るショーンに追い討ちをかけるかの様に轟然たる大音響と共に地が割れ始めたのである。
ショーンの左手向こうの坂が裂け、その裂け目は赤ん坊を発見したすり鉢の底まで達した。その驚愕な場面を目撃したショーンは赤ん坊を潰さぬ様に細心の注意を払いうつ伏せ転げ落ちぬようつま先を、膝を、肘を、頭までをも爪にする勢いで渾身の力で地面に尽き立て、この天変地異を過ぎ去るのを祈る様に待ったが、二人の状況はさらに悪化した。
底部分の裂け目から水が噴出したのだ。その絶望的なすり鉢の崩壊を目にしたショーンは知りうる限りの呪詛の言葉を吐いた。そして進みだした。
文字通り這って這いつくばって坂を進みだした。だが、噴出す水の勢いは増し水圧に耐えかねた地面までもが飛散し辺りに舞い落ち砕けた。底から這い上がる濁流の刃は既に二人をその視界に捕らえていた。しかし、二人に狙いを定めたのはそればかりではなかった。濁流より早くに二人を獲物にしようと襲い掛かったそれは太陽を背に舞い上がった。かつてはこの大地の一部であったそれは住み慣れた住居から飛び出し、自身を凶器と化して降下した。ふっと何かの影に入ったのに気が付いて横目で振り返ったショーンの目の前でその直撃必死の一撃は何か強い衝撃を受けたのだろうか粉々に砕け二人の周辺に四散し濁流に飲み込まれたが、大地の怒りか執念か人の頭部大の大地の欠片の一つが本来定めた軌跡を辿り、標的にしていたショーンの頭を捉え、直撃した。
……何だろう今のは……何だっていい……か。……すまない。ここまでだ。もう動けないんだ。本当にすまない。せめてお前だけでもなんとか……でももう……すまない。……もう水が来てるな。水に呑まれれば案外状況が良くなるかも……な。ん? これはだれだ? 何か叫んでいる。分からない。何を言っている。違う。この子だ。この子を助けるんだ。さあ行け。そうだ。あの手に掴まれ。よし。しっかりな……少し休んだら後を行くさ。またな……金色の……。
「おおい」
肩を叩かれてジャックは目を覚ました。
「交替。休憩だよ」
声の主に振り返るとそこには外套を纏った獣がいた。ジャックはその直立し人語を操る獣にさして驚く様子もなくまだ薄ら眠い顔しながら「はい」と返事を返しながら簡易的に作られた粗末な腰掛から腰を浮かした。
「ギル」
ジャックが声をかけると荷台から降りようとしていた獣は足を止め振り返った。
「マスターも降りますか?」
明らかに片言の人語でジャックはギルに尋ねた。
「いや、降りません」
丁度ジャックが座っていた左隣――荷台の一番奥に座ってたマスターと呼ばれるクローク姿の人物を一瞥し、ギルも分かりやすい物言いで首を横に振りながら答え荷台を降りた。続いてジャックも飛び降りうーんと背伸びをした。回り込んで馬車馬を撫でてやりながら辺りを見渡す。
そこは大小様々な木々と草花が群生する林の中だった。山間から流れてくる小川が池を作っており、池の中心に大小三本木が生えている。近くに焚き火の痕跡もあることから、ここかとジャックは思った。ジャックの所属する第十五番旅団はアリマド地方からミズリ地方へ入る時にはたいていここで休憩か野営をするのが定番となっていた。
この旅団は荷馬車二台と馬車馬がそれぞれに二頭、乗用馬が一頭、団員七名の構成だ。片方の荷馬車は木製の有蓋馬車で荷物専用でもう片方は木枠の幌馬車で最大三名の人と荷物という具合に役割分担がされている。移動時には馬車馬の負担軽減の為荷台に人は乗せずに全員馬車馬の速度に合わせて徒歩の移動となるのが基本であるのだが、今回はミズリ地方へ抜ける山中でちょっとした事件に遭遇した。山賊の待ち伏せに合ったのである。この旅団と行動を共にする様になってからはこの手の手合いには酷く手を焼いた。団員の中から怪我人はもちろんの事、馬車馬を失ってしまったり大事な荷物や食料を奪われたりと散々な目に合った。幸い彼等の起因で団員を失ってしまう事態にはならなかったが、そういう場面に遭遇してしまう旅団も多々あるそうだ。そもそも他者から強引に物を盗む行為――例えそれがほんの小さく些細な物でもこの世界では恐ろしく罪深い事だそうだ。少なくともここザイドール王国ではその様な罪人は投獄され一生そこで過ごす事になり得る可能性があると聞かされた時には心底驚いた。もっともこちらへ来て以来今でも驚く事に事欠かないのがだ。その中で興味を持ったものの一つに人間同士で行なわれる取引がある。この国には金銭の概念が無い。貨幣の流通がないのだ。基本となるのが物々交換で行なわれて単純に衣服が欲しければ織物をしている者のとこへ行き仕事を請負い、それをこなし、報酬として衣服を得る。空腹ならば炊事場へ行き仕事を手伝い腹を満たす。虎人間ならぬ猫人間の獣人族、ギルにでさえ「恥ずかしいからこんな説明をさせるな」と言う程当たり前の事なのだろう。
しかし、その等価交換の社会からはみ出してしまう者達はどこの世にも存在してしまうのもまた世の常と言うべきなのだろうか。
ここ数年、その――世の中の常識からはみ出してしまった彼等は世の中常識を覆す力の前ではあまりにも無力だった。山中で襲ってきた彼らは五人組みで、二人と三人の波状攻撃とかなり手の込んだ組織的なものだった。こちらの再三の警告も空しく襲い掛かった五人はギルとの二人連携であっさり縛り上げられてしまった。彼等の様な人種は返り討ち合うとその場で罪を償わされる。つまり殺されてしまうのだ。中には逃げられないと判断すると、自分の末路を悟って谷に自ら身を投げる者までいた。奪う者とそれを守る者が争えば殺したくなくともその様な結果を招くのは想像に難しくないが、こちらが圧倒的に有利な場合はそうではない。だからと言ってこちらが有利であることを当初は伝える術もなく、降りかかる火の粉を力を用いて振り払うしかなかったが、ここ最近は魔法使いが共通して持つ能力の念動力で落石を起こさせたり、つまずかせたり等してそれと分からない様に対処する事を覚えた。しかしながら今回は多少人数が多かったのと事故に見せかける様な手ごろな得物が見つからなかった為魔法――いわゆるギードあからさまに行使する事になってしまった。
恐れおののくその五人をその場で断罪することはせず、旅団を迂回させ温厚なエルフ族の暮す部落まで彼等を連れて行き更正し真っ当に生きて欲しい主旨を伝え彼等に託した。ギードの明らかな行使を目撃した彼らを野放しには出来ないと主張するギルに対しだれにでもやり直す機会はあり、ギードを見た見ないで彼らの一生を終わらせる理由にはならないとそれを跳ね返した。
こうした形で更正を願って辺境の部落に押し付けてきた人数は正確に覚えてはいないが、これで数十人にはなった頃だろう。こちらの世ではそうした行動がひどく滑稽に映ったに違いない。
その時立ち寄った部落で団長は偶然にもミズリ砦への荷物の仕事を請け負い前報酬で何やら貴重な獣のなめし革を受取ったとかで上機嫌になり、先の族の一件など頭から飛んで行き逆に功労者扱いされ二人に幌馬車での休憩のご褒美を頂戴する事となった。
「おーい、みんな集まってくれ」
副団長のリクが声を上げ旅団の面々を集める。旅団の主たる団長のコモジはリクの足元にしゃがみ込み皆に背を向け何かごそごそとしている。もっぱら団員に指示するのはこのリクの仕事だ。
だらだらと集まる彼らを待ってリクは言った。
「えー、おつかれおつかれ。えー、団長と相談したんだが今日はここで少し早いが野営することした」
全員無表情でだれも何も反応しない。コモジのごそごそも続いたままだ。
「えー、明朝に出発。明日中にホイミアに入る予定だ。えー、ジャック、馬を池に入れてやれ。スー、食い物。カーマーと俺は設営。えー、ギル、休憩してくれ」
「おおい! 俺の馬車休憩どこいったんだよ」
「お前歩くの好きだろ」
「これは差別だ。さべーつ! カーマーお前も何か言ってやれ! 獣人族が差別を受けてるぞ」
主司に異を唱えたギルが同族のカーマーゼンに応援の眼差しを送る。当の本人は特に感心もなさそうだ。
「私達獣人、歩くの好き」
とだけ答えて設営準備の為に荷台から荷物を取り出す作業に取り掛かった。ジャックも指示があった通りに荷馬車から馬を解いやっていた。自分の言い分を蔑ろにされたギルは、肩であろうその部位を落として大きなため息を漏らした。
「ギルさん、僕を手伝ってくれますか?」
旅団員の中ではおそらく最年少なのだろう。まだ少年の様なあどけなさが残る顔が落胆したギルの背中に声をかけた。
「お、おう……火でも起こしておくかな。やっぱスーだけだな。常識って物を備えているのは」
「え? 何ですか?」
「いや、何でもないよ。」
「はい。じゃーお願いしますね」
スーはにこにこと答えて荷馬車へ向かった。各自が自分に宛がわれた仕事に取り掛かる中コモジだけは終始ごそごそと何かをしているだけであった。
「あっ」
幌馬車の方から上がったスーの声に気がついたコモジ以外の一同が一斉に振り向くと再びスーの声が続いた。
「マスターさん降りますか? はい、どうぞ」
スーに手を取られながら荷台から降りて姿を現したのはジャックの隣に座っていたあのマスターと呼ばれる人物だった。朱色と黒に縁取られたクローク姿のマスターはスーに何事か耳打ちした。
「ジャックさん、ギルさん、マスターさんがお呼びですよ」
呼ばれた二人は顔を見合わせてマスターの側へ向かう。スーは荷台から板に足を付けただけの簡素な腰掛を引っ張り出しマスターに座る様に勧めている。カーマーゼンは一瞥を送っただけで自分の仕事に戻る。コモジはなめし革を頬に擦り付けながら振り返ってその様子を窺っている。リクも同様にマスターが気になる様子だ。マスターと呼ばれる人物にみな注目している。
「おはようマスター。もう日が暮れてるけど。何日ぶりかな」
スーに勧められるまま腰掛に腰を下ろしたマスターにギルがあいさつをする。
「ふっふっ。瞑想じゃよ。瞑想」
「何日も何日も飲まず食わずで揺れる荷台の上で瞑想って……みんな心配してるんだよ」
「ふっ、それはありがたい事じゃ。ところでお前達、少し前に器を満たしたかな?」
「あ、ああ……不可抗力ってか、自衛手段ってか、仕方なしにだよ」
「ふむふむ、なるほど。いいんじゃ聞いてみただけじゃ。ふっふっふっ」
「で? 満たしたかどうか聞く為にわざわざ起きてきた訳じゃないんだろ?」
「うむ。さすがに腹が減ったわ。ふっふっふっ」
「丁度今から作る所でしたから」
スーが小さな声を挟む。喋るのはギルに任せているのかジャックは黙って聞いているだけだ。
「ありがたいのう」
「それなら俺も準備があるから行くよ?」
「まあ待て。腹を満たしたらお前達、わしに付き合え」
「マスター。練習?」
黙って聞いていたジャックが口を開いて尋ねた。
「そうじゃそうじゃ。もっとも練習等という生ぬるい物ではないかも知れんがのう。ふっふっ」
クロークのフードにすっぽり隠れてその表情は読み取れないが、その言葉にジャックは何かいやな予感を感じた。隣のギルの顔を窺ってみると獣人族のその表情には普段と何ら変化は見られなかったが、同様の思いを読み取った気がした。