父と子
最後の方に空白も行がありますが、これは意図的に空けてるものです。
ザイドール王国は大陸の最東端に位置し王都がある北東部をサイドール地方。ザイドール地方西のミズリ地方。ミズリ地方の南東にハマリ地方。ハマリ地方南西のアリマド地方。と、地方分けされ成り立っている。ザイドール地方はザイドール王都、ミズリ地方はザイドール要塞(ミズリ砦)、ハマリ地方はハマリ砦、アリマド地方にはアリマド砦、といった都兼砦がそれぞれ主要拠点として存在している。ザイドール王都以外の砦と要塞にはザイドール王が選出した首長が配され、その地方の統治運営を任されている。また、王立騎士団又は、魔法院の中からザイドール元老院が選出した守人が、その首長の補佐役として仕える事になる。
先の戦争後首長、守人共に異例な配置換えが行なわれたが、ハマリ砦だけは現在のところ首長の座が空席のままで現在は守人が首長を兼任している。
屋敷内のこの部屋は小さい頃に幾度となく中の様子を窺おうとしてロロにげんこつをもらった入室厳禁の場所だった。「大人の部屋」と当時命名したこの部屋は主に砦内外の代表者等を集め会合を行なう場所だった。
もっともこの部屋は父もあまり好きではないらしく使われる事はそれ程多くはなかった。今回、ミズリ湖の調査会議に出席した王都の偉い人が砦に数日滞在するとい事で格式ばったこの部屋を使用運びになったのだろう。
昔から入室厳禁だったはずのこの部屋に連れて来たのはロロだった。
今朝早くに父を砦の外で迎えに出たのだが、一言二言あいさつを交わした程度でそれ以降父とは顔を合わせていない。このまま王都へ帰る団体があったらしくその準備に忙しかったのだろう。今日は父と話をするのは無理そうかな。と、不承不承いつも通り砦内歩き回り、住民の手伝いや、衛兵達との談話に午前中の時間を注ぎ、局在する大食堂で好物の紫シチューの二皿目を平らげ満腹満足に浸っている現場を珍しく礼服姿のロロに発見されこの部屋まで連行されてしまった。
部屋に入ると既に礼服姿のオスト先生が部屋の中程に立っていた。オスト先生はこちらに気が付くと深々とゆっくり一礼した。それに答えてこちらも頭を下げようとするとロロに制止されてしまい――ああ、そういう場所だったかと納得する。
部屋には十脚の背もたれのない石の腰掛が設けられている。腰掛といっても人一人が座れるように四角く成型しただけの代物だ。上座に鎮座する腰掛も同様に石で作られてはいるが、作りは他と比べ物にならず当然、背もたれもある立派な物だ。上座の左右には他の腰掛より少しばかり成型の精度が高くした程度の腰掛が一脚づつ設けられている。ロロに促され、上座から見て右手の腰掛の隣、おそらく違う部屋から持って来たのだろう木製の腰掛の前にロロと並んで整列して待った。自分は平服姿のままだが良いのだろうか? 疑問に思ったが、ここは黙っていた方がいいのだろうしそうあるべきなのだろう。
まもなくして、三人の男性が部屋に入って来た。内二人は砦内でも面識のある衛兵長のエイルバメレンさんと、ミズリ砦騎士団副隊長のサクスさんだ。二人は砦内と同様に革鎧姿だ。一番最後に入室して来た人はまったく知らない老人だった。顔が白い立派な髭と眉毛に覆われて殆ど見えず、目が見えてるのか心配になるほどだ。そして身に纏う礼服も初めて見る物だ。一見普通の布地の平服だが、足の裾部分を床に引きずる程長い。何より特徴的なのは茸の形をした被り物だ。あんな形に一体どんな意味が込められているのだろうか。その出で立ちに呆然としていると右隣にからロロの手が後頭部に伸びてきて強制的に一礼させられてしまった。これはつまりかなり身分の高い人という事だ。この人が会議から戻って来た偉い人に違いない。
後頭部の圧力から開放されるとその老人はまるで置物の様に上座左手の腰掛に座っていた。息をしているかどうかすら怪しい。
それを確認したかの様にロロが一礼して部屋を出て行った。
ほどなく、がちゃりがちゃりという音ともにロロを伴った甲冑姿に珍しく帯剣までしている父がやって来て上座へ向かった。
ここでも一同一礼。横目で老人を窺うとやはりぴくりとも動かない。ついに事切れたか。
「よい」
父の声を合図に一同面を上げ着席する。ようやく一礼合戦も終わった様子。
「皆、留守の番ご苦労であった。報告を貰う前に先に紹介しておく。馬車の旅は疲れてかなわんとここで一泊する事になった元老院議官のハーレンゲーン殿」
父に紹介され息を吹き返したのか手を上げて答えた様だが裾が長すぎて手が見えない。元老院といえば、王直属の相談役を担っている院、やっぱり偉い人だったんだ。
「もう一人、我が不肖の息子、リーシュだ」
紹介されると分かっていても実際こういう状況で紹介に与る見知った顔が殆どにも関らず緊張してしまい目線を落とし頭を下げてしまう。本来はどっしりと構えて「よろしく」等と一言言ってみるのが普通なのだろうがそれほど肝が据わっている訳でもない。そんな心中を見通したのか。
「何分教育が悪くてな」
はらっとした笑い声が部屋に落ちたが、こちらとしてはさらに顔を真っ赤にするしかない。
「それでは報告を貰おうか。副長」
声色を変えたリアスダイスが本題へと入る。呼ばれた騎士団副隊長サクスが起立する。
「はっ、一件あります。カイの集落とホイミア村で光る獣を見た。との報告が上がっております。複数の住人が目撃したとの事です」
「ほお……光る獣と」
「それは青白く光っていたのかのう」
ハーレンゲーンが独り言の様に言った。
「はい。仰せの通り。青白く光っていたとの目撃証言もありますが、他に白く発光していた。紫の光の玉。等目撃者によって様々でした」
「対処は」
「はっ、目撃情報ありの文を一番近い王立旅団に任せましたので遅くとも三日後には王都に届く手筈です。目撃者全員の証言を照らし合わせるとその……光はハマリ地方へ向かったのではないかと愚論いたします」
「では被害等は出ておらぬのだな?」
「はい。現在カイの集落に二人とホイミア村に三人の部下を駐屯、警戒に当たらせております」
「どう思う」
リアスダイスは傍らのロロに尋ねた。
「はい、主将。私はそれを直接見ていませんので断定はできませんが、どこかのギードが召還術を行使した。とも考えられなくはありません。ハーン様の仰る通りそれが青白いく光っていた――尚且つ何かしら獣の姿をしていたのであればその可能性は高いかと。……が、しかし……」
「しかし?」
「王国内で召還術を会得しておる者は二人しかおらんて」
言い淀んだロロに変わってハーレンゲーンが続けた。
「一人はトト殿。もう一人は……」
「私の師であります。先代淵王です」
ロロは沈痛な面持ちで答えた。
「淵王。と……」
「首長、どういたしましょう」
サクスが言った。
「ふむ……トトの線はおそらく考えられん。淵王の仕業とすれば考えが読めぬ。……オトレノーアが動いたとは思いたくないが……目が利く者数人を砦跡に回し連絡を密に取り。集落、村での監視を厳とせよ。民に心配ないと伝えくれ。王都からの文を待つ。」
「はっ、私からは以上であります」
「ご苦労。衛兵長」
衛兵長エイルバメレンが着席したサクスに変わって起立する。
「はっ、首長。塩害被害とその対策。新規防潮林の展開草案。田畑の灌漑設備の不具合。以上について報告いたします。最初に塩害による……
「ミレの木は蕾をつけたか?」
リーシュは突然話しかけられ少し驚いた様子で横を歩くリアスダイスの顔を見て首を横に振って俯いた。
砦外の西に一本だけぽつんと佇んでいるミレの木は、僕が生まれた年に芽を出したのだ。と、昔父に聞かされた。子供心に何か感慨深い物を感じたのだろう。それ以来そのミレの木をよく見に行くようになった。普通ミレの木は乾季の始まりに小さな白い花をつけるのだが、その木は蕾をつける様子もなかった。「お前がまだ未熟だからだな」と言う父の言葉を真に受けたりはしなかったが、母が死んでしまった年には葉さえつけなかった事を考えるとあながち間違いでもないかもしれないと思った。
「大人の部屋」での報告会はエイルバメレンさんの提示した議題についての話し合いが延々と続いた。ロロの助言と父の奇想天外な提案で一応の決着がついたが、事の規模が大きすぎる為即時決行とはいかずそれが成される迄は問題の大部分がその場凌ぎの簡易的な措置がとられる結果となった。サクスさんの言っていた光る獣の件と民の不安を踏まえると仕方ないといえば仕方ないのだろう。
それで報告会は解散となり一礼合戦ののち早々に自室へ退散することになった。あの場になぜ自分が参加させられたのか父の真意は不明だが、感想としてはとても新鮮だった。内容から考えると不謹慎だが、楽しかったとも思えるくらいだった。砦内に住まう大勢の民の不満や問題を報告し討議し結論を出し実行に移す。かならずしも毎時住民の期待に添える結果には至らないのだろうが、何とかしなくては。という気持ちが伝わってきて誇らしい気分でもあった。事実、父の方から彼の熱は下がったか。あの老婆の家の屋根の修繕は済んでいるのか。等些細な心配事まで事細かに衛兵長に尋ねてしどろもどろさせていた。「王国を、砦を強く豊かにしたいのであれば民の顔を見て話せ」父が口うるさく言うこの口癖はこういう事だったのかと、綺麗に納得ができた時間だった。
それはそれでまだ自身の問題が解決していない。もう日も傾きかけて来た事だし夕食時にでも話を持ちかけようと自室で思案していると、向こうからその機会はこうしてやってきた。のだが、散歩にでも行くか。と父に誘われた迄はよかったが、いざ本人を目の前にするとやっぱり口が開けないのは我ながら情けないと思う。砦内を平服に着替えた父から半歩後ろに付いて歩くと住民の容赦ない一礼雨が前後左右から降り注ぐ。豪雨の様なそれから砦外へ脱出すると今度は付かず離れずの騎士団員がお出迎えだ。
「そうか」
特に残念そうでもなさそうに答えると、脇道に逸れ遠くミズリ湖が見える方角を向いて腰を下ろした。地面をとんとん叩いて座れと促す。
「話があるんだろ?」
リーシュが横に座るのを見ると言った。
「え……あ、うん。はい……」
「はっはっはっ。そんな事じゃいかんな。……まあいい。わしから話そうか」
うんうんと頷くリーシュ。
「よし。じゃあ、お前は将来何になりたい」
「僕は父上の様な立派な砦の首長になりたいです」
「ほう。なぜ」
「なぜって、それは……」
「首長の息子だからか?」
「……それもありますが、その……なんと言うか父上の様に強くなってみんなを守りたいんです」
「みんな。とは?」
リアスダイスの問いに毎度言い淀むリーシュ。
「この砦のみんな。町や村や小さな部落のみんな。……それにザイドールを」
「ザイドールを守る。か」
「はい」
そう呟いた父の声は少し悲しそうに聞こえたのは気のせいだっただろうか。母が亡くなった日、亡骸の側で膝を着き手のひらを両手で握り締めた父の姿を部屋の外から見たのを今でもを鮮烈に覚えている。おそらく父は一言も声を上げずに涙を流していたのではないだろうか。それ以来、父の悲しむ顔況しては泣き顔を見た記憶がない。
「母上は、僕が小さい頃亡くなりました。病気で亡くなったと聞かされました。僕はまだその時小さかったから母上の記憶はぼんやりとしかありません。でも、今思うんです。その時……何て言うか、こう……もっと力を持った人が側にいれば母上は死なずに今も父上の隣に座ってたんじゃないかって……その力っていうのがギードって言う訳じゃなくって……母上が死んで、悲しむ人がいて、そういうのを無くしたいって言うか……悲しい涙を無くしたい……」
父のその声から母の面影を連想してしまったのだろうか。いつのまにか勝手に口が動いて涙も流れてきてしまっていたが――ああ、そんな風に思っていたのかと、妙な納得をする自分もいた。
「そうか。リーシュ、言いたい事はしっかりと伝わったぞ」
ミズリ湖に顔を向けたままリーシュの肩に手を置くとリアスダイスは続けた。
「昔、わしはある人からこんな事を言われた。「罪を赦して、理不尽は断罪せよ」と、はっきり言って今の今までそれがどういう意味なのかまったく分からん。今思うとそう言ったあの人もそうだったんじゃないだろうかとも思う。しかし、お前ならそれを理解できる時が来るかもしれんな」
ようやくこちら向いた父の笑顔はとても素敵に思えた。そして――この笑顔もきっと忘れずにいようと。
すっかり日は暮れかけ騎士団の面々もそろそろ痺れを切らして来たのか、砦外に出てから比べてこちらとの距離がかなり縮んでいる。
「やれやれ」
その気配に父も気が付いていたのだろう。腰を上げて帰る様に促したが、ここで答えをはっきり聞いておかねばと思い腹を決めた。
「父上、僕はギード使いになりたいです。どうか王都へ昇る許可を」
意を決してリアスダイスの目を見据えてリーシュは言った。
するとその言葉を聞いたリアスダイスの顔がみるみる怒気を帯びて行く。
その様子にまたしても気圧されかかったがここで引いたらいけないとリーシュは懸命に目を逸らさずに挑む。しばし親子の睨み合いが続いた結果、リーシュに軍配が上がった。リアスダイスはリーシュから視線を逸らし背中を向けて言った。
「王都への手配はしておく、詳細が分かり次第追って伝える」
「あ、ありがとうございます!」
リアスダイスの背中に一礼をしながら大声で言うリーシュ。すたすたと砦内へ向かう父をにこにこ顔で追いかける。
「父上、なぜそのような顔をするのですか」
怒りに触れたついでに思い切って尋ねてみた。
「わしはギードが嫌いだからだ」
すっかり機嫌を悪くしたリアスダイスが仏頂面でぼそりと答える。
「どうしてです」
「王都へいけば分かる」
「ロロだってギード使いじゃないですか」
「あやつは別格だ」
ぴたりと止まってリーシュに振り返って言った。
「忘れておったわリーシュ。あやつと相対したそうだな?」
「は、はい……」
「いいかこれだけは覚えておけ。命が惜しくばあやつとは二度と相対するな。いいな?」
警告とも脅しとも取れる言葉を発しながらリーシュに詰め寄るリアスダイス。気圧されるリーシュだったが好奇心は旺盛だ。
「なぜでしょうか……父上はロロと相対した時があるんでしょうか?」
またしてもリアスダイスの顔がみるみる怒気を帯びていく。しかも先ほどのそれを軽く凌駕している。その形相に一歩退くリーシュ。二人の話し声は聞こえない距離をまだ置いていた騎士団員すら退ける勢いだ。
じわじわと落ち着きを取り戻しながらリアスダイスは小さな声で言った。
「……一度だけ。な……」
「そ、それでどうなったんでしょうか?」
「答えるのか?」
「で、できれば……」
「他言は無用だぞ。話せば親子の縁を切る。知りたいか」
これにはさすがに悩んだリーシュだったが、目の前に箱があれば開けたくなるが人間というものだ。
「知りたいです……」
「よかろう」
リアスダイスのその答えを聞いたリーシュは父に言われた言葉の意味を咀嚼しきれずしばらくそこでぴたりと動きを止めていた。当のリアスダイスは動かなくなったリーシュ気にする様子もなくその場に息子置いてすたすたと砦内へ戻って行った。
後ろから近づいてきた護衛役の騎士団員の手が肩に乗せられ我に返るのに時間がかからなかったのはリーシュにとっては幸いだった。
その日の夜は少し強い雨が降った。