ミズリ砦
「心を落ち着かせ、ゆっくり目を閉じると見えてくる景色がある。」と、ロロが珍しく教えてくれた.ロロがギード使いって事は随分前から知っていたが、ギードに関する話をロロの方からするのはおそらくこれが最初だろう。
だが、これは難解だった。教えてもらった時は嬉々として飛び跳ねたのだが、実践してみると……。
そもそも心を落ち着かせるってところから分からない。心を落ち着かせれば、だれかが君は今心を落ち着かせてるねって、耳元で囁いてくれる訳でも指差して教えてくれる訳でもない。
それと見えてくる景色ってのにも疑問がある。見えてくる景色って頭の中で想像すればなんだって見えるじゃないか? たいてい目を閉じると思い浮かんでくるのが、体術の稽古で父を打ち負かし父を見下ろす自分、母と収穫祭の踊りを踊って喜ぶ母の笑顔、砦跡の湖畔の景色、それに昔父に連れられて行った王都で見た大きな庭園のあの巨木……とか、なんでも好きなものが見える。やっぱりロロが言っていた何とか、って言う儀式を受けなきゃいけないのだろうか?
西からの潮の香りを孕んだ風を全身で受け、ここ数日の間日課となってしまった教わり事への疑問を反芻し今まさに昇ってくる朝日に向かってゆっくりと目を閉じてみた。
今頃この向こうでは父が会議の準備の為に騎士団と段取りの確認を行なっていることだろう。そんな景色を思い浮かべるとやっぱり今回も一緒に行きたかったなと思う。
ザイドール王国の西方ミズリ地方ミズリ砦跡地は十五年前に西方の隣国オトレノーアととの激しい攻防戦が展開された地として名高い、その最たる傷跡としてミズリ戦湖がある。元々ミズリ地方には北に海辺はあれど湖はなかったのだが、原因不明の現象により突如として湖が現れたのだ。
神の怒り鉄槌、地殻変動、当時おそらく初となるギード実戦投入によるギード暴発等、諸説語られる中十五年経過した今でもその原因は明らかにされていない。
その原因不明の現象で両国は互いに甚大な被害を被り、渋々ながら休戦協定を結び今日に至っている。
休戦協定で発足したミズリ戦湖調査団の講和会議が行なわれる場所でもあるのだが、これは両国内ではあまり知られていない。
「リーシュ様、主将がお帰りになるのは明日ですよ」
「うん。分かってるって」
身の丈の何倍もあるミレの木のしっかりとした枝に座ってミズリ砦跡地があるであろう西の空を見ながら下から声をかけて来た女性の声にリーシュは答えた。
空から目を落とすとここからでは到底それが湖とは分からない地平線が横たわっている。
このミレの木に登ってこうして湖を眺めるのが昔からリーシュは好きだった。心を落ち着かせるという事自体は未だに理解できないが、何かを深く考えたり忘れたりするのにうってつけの場所だった。
「今回の砦行き、やっぱり行きたかったなー」
「今回は仕方ないですね」
「しかし、あの怒り様はないと思うんだけどなー。っと」
枝の上に立ち上がり、三本の枝に器用に飛び移りながら地面に降りたリーシュは手を叩きながら傍らの女性に言った。
「さて、戻ろうか」
「はい」
やっぱり腑に落ちない、と言った様子で歩き出すリーシュは言った。
「ギード使いになるってそんなにいけない事にどーしても思えないんだけど? ……大体ロロだってギード使いでしょ? 見た時ないけど」
のんびり歩くリーシュの一歩後ろを歩くロロに振り返って嫌味を付け足す。
「私がギードを……器を授かった時と今では時世が違いますので……」
「時世って言ってもロロが……その器? ギードになったのは戦争が起こる以前の事なんだし、だいたい時世で言えば今がギードを王国に求められてるじゃない。王様からの御触れも出てる訳だしさ」
「それは確かにそうですね。でもリーシュ様。主将は決して言葉に出して反対なさっていませんでしたよ」
「そりゃ確かに言ってはいないけどさ……あの顔はどう見たって反対してるでしょ……」
「大事な事柄ですのでもう一度しっかり主将とお話なさった方が賢明ですね」
その時の父の顔を再び頭に浮かべたのだろうリーシュは憂鬱なため息を漏らした。それを見てくすくすと笑うロロ。
「ふー。じゃあさ、なんでロロは守人になったの?」
「主将には返し切れぬご恩がございます。主将が砦の長になるとお決めになられた時、私から進言いたしました」
当時の事を思い返しながらロロは答えたのか、何か分からないがぴんっと張り詰めた空気を感じた。
ロロには時々、周りに物言わせぬただならない雰囲気を醸し出す時がある。普段、そう、いつもは決して大声で笑ったり泣いたりはしないが、とてもやさしくて物知りで砦内でも頼れるお姉さんって感じだ。それにとても美人だと思う。
そんな感じがしてしまうのは、ロロが常にしている両目を覆う眼帯のせいだけではなかった。
目隠しを外したロロは今まで一度も見た時はないが、もうすっかり慣れてしまった。当然、本人に理由を尋ねてみた事もあるが「落ち着くので」とか、「透けて見えてます」と要領を得ない。父に尋ねても、「眼を合わすと石にされる。」と、相手にしてもらえない。稀に眼帯の柄が変わる事があり、良く観察してみるとどの柄の眼帯にも中央の眉間の辺りに一文字の解読不能な文字みたいなものが書かれているのに気づいた。もちろん、これについても「おまじないです」と、黙るしかない。父は「早く忘れた方がいい」と、肩に手を置かれる始末だ。
結局、その眼帯と解読不能な一文字はロロがギード使いであることと何か関りがあるのだろうと、一応の決着をつけた。
ロロから感じるそれを同様に父からも感じることも時としてあった。自分には与り知らない何かがあるのだろう。
「ふーん、進言ねえ……」
緩い斜面に差し掛かり丁度湖と平行して生い茂る林を抜けるとリーシュの父、リアスダイス・リウムが首長を務めるミズリ砦が見えてくる。
「今日はさロロが稽古つけてよ。ちっちゃい頃に相手してもらったそうだけど……いいよね?」
「承知いたしました。オスト先生にも同席してもらいましょう」
ぎくりとして足を止めるリーシュ。オストとは首長付きの医者の名だ。
ミズリ砦。正しくはザイドール要塞。十五年前の戦争末期にザイドール王国擁するザイドール騎士団は隣国オトレノーアのギード戦術の前に防衛線を次々に突破され、ミズリ砦をザイドール最期の防衛線とし激しい戦闘を繰り広げた。時の将軍リアスダイスが自ら前線を赴いた事で士気を吹き返すザイドール騎士団だったが、突如発生した謎の現象により両軍共に凄惨をきわめる結果となった。
その余波を受けたミズリ砦は今もその原型は留めているも砦としての機能を失ってしまった。再建の声も多く上がったが、ザイドール王はそれを退けミズリ砦跡の東にあったミズリ地方の主要都市ミズリを要塞に改築するという大胆な勅命を発し十年の歳月でこれを完成させた。
当時、ザイドール元老院ではオトレノーアは一週間以内に部隊を再編成し攻め込んで来る。という意見が過半数を占めていた。両国ともに甚大な被害を被ったとはいえ末期は優勢だったオトレノーア。劣勢に立たされた上に砦と兵力を失ったザイドール。オトレノーアの好機と見るのは誰の目にも明らかだったが、その懸念はオトレノーアからの休戦申し出によって払拭された。結局、ザイドール王の英断によって事なきを得た。
しかし、残念ながらザイドール要塞と言う名は国内ではあまり浸透せず、元々都であったミズリの名が印象に強く残り今日ではミズリ砦と呼称される事の方が多い。
ザイドール王は、ミズリ改築の勅命の他国力増強の名の下に各地方の主要都市の要塞化、拠点を繋ぐ街道の整備、ギードの人材発掘と練兵に注力した。中でもギードの人材発掘は国中に有司を派遣し有志を募った。
しかし、あまりにも戦ありきの政策と半ば強引なやり方で国民の反発を買い国の所々で小規模な国民との争いが発生した事もあった。中には騎士団が派遣される事態に発展した事件もあった。
その日の午後、砦の南に設けられている練兵所では珍しく人だかりができていた。昼食を終えた砦の衛兵、王国から派遣されて来た騎士団、砦の住人、周辺の集落からやって来た狩人、皆ぐるりと円を書く様に固まって固唾を飲んで中央を注目している。普段この時間にここに居る者といえば昼寝をしてる衛兵くらいのもなのだが、数時間前に一人でここを訪れたリーシュを衛兵が見つけた所から穏やかな午後のひと時が一変する事になった。
リーシュを見つけるなり衛兵は一目散に駆け寄り目前で背筋をぴんと張り、踵と合わせて顎を引く。ミズリ砦の首長リアスダイスが決めた砦内での敬礼だ。身分の上下に関係なく軍に所属する人間は一貫してこの姿勢をとる。
リーシュもそれに敬礼で答えすぐに体を崩しきょろきょろと辺りを見渡す。近づいてきた衛兵は敬礼の姿勢を保持したままだ。肩が頭より高くなりそうな程力が入っている。
「父上は今日は居ないんだし、そんなに気合入れたあいさついらないよー」
首長の息子というだけでこういう扱いを受けるのは昔はとても嫌悪したが、今ではもうすっかり慣れていた。それに皆が皆この様な接し方をする訳でもない。中には対等に扱ってくれる人も現にいたりもする。
まったく力を抜こうとしないばかりか顔から大粒の汗を噴出し始め、右手で持つ槍の先端が気持ちぷるぷると震え出す。おそらく最近配属された人なんだろうと勝手に決め込んで話を続けた。
「今日はここで訓練じゃなかった? だれもいないみたいだけど……あなたを除いて」
「はいっリーシュ様。この時間の訓練組は早朝から北の畑の手伝いに向かいました」
「そうなんだ。北の畑って灌漑設備の補修だね」
「はいっリーシュ様。仰る通りでございます」
「じゃあ、あなたは留守番って訳だ」
「はいっリーシュ様」
ミズリ砦では通常何かしら問題が発生(してほしくはないが)しない限り衛兵は砦内の巡回任務、騎士団は砦近辺の警備と周辺集落や町の巡回任務を行なっている。その他、練兵所や屋内稽古場での訓練、時には騎士団衛兵合同の模擬戦等もして日々鍛錬を重ねている。
早朝、ロロに体術の稽古を取り付けたのだが、「午前中に手伝いを頼まれていたのを忘れていました。午後でもよろしいですよね」と、お預けをもらってしまった。ロロでも何かを忘れるって事があるのかと、軽い驚きを感じつつ砦内をぶらぶら歩いて時間を潰した。砦といっても元々ここにはミズリ地方で最大の都があった場所だ。都の中心部を歩き回り、砦内の住人とあいさつを交わしたり狩人のおじさんから狩りの成果を聞いたり荷物を運ぶのを手伝ったりとしている内にすぐに時間は過ぎる。日の昇り具合を見計らってロロと待ち合わせをしたここへやって来たのだが、どうやら少しばかり早すぎた様子。
「あーそうか。ロロの手伝いって畑のことだったんだ」
「申し訳ありません。リーシュ様。それは私では分かりかねます……」
目の前に人が居たからだろう、思った事をつい口に出してしまったらもの凄く申し訳ない態度が帰ってくる。こちらも何か申し訳ない気分になってしまう。と、その直後。「あぶない!」と、後ろから声に振り向くと目の前に何かが迫ってくる。咄嗟に左足を軸に体捻って避け、何か、がやって方へ体を向ける。「痛い。」とまたしても後ろから声が上がる。
振り向くと先ほど留守番衛兵がおでこを両手で押さえてうずくまってしまっていた。命には別状ない様子。
「ふふふ。さすがは、金色の穂リーシュ・リウム……」
どこのだれかが単に髪が珍しい金色だ、といだけで付けられた二つ名で呼びかける投擲の犯人に振り返った。
犯人は投げ終えた姿勢を保持したままこちらを見てにやにやしている。
「レッドさん。何するんですか! それにその格好」
衛兵標準の軽革装備に真っ白な割烹着にこれまた真っ白な頭巾のおまけつきだ。
「飯炊き当番だ」
と、兵舎横にある建物を親指で指差す。見るとその建物から突き出た煙突から煙が出ているのが分かる。
「いつものおばさんは?」
「昼飯に行った」
「え?」
「いいか、リーシュ。もうすぐ先輩達が腹空かして任務から戻ってくる。しかしだ、二十数人分の飯を作るのにはさすがの俺様も一人じゃ無理と分かってな。こうしてここへ人手を捜しに来たって訳だ」
「えっ、でも僕料理なんてできないですよ? って言うかレッドさん午前中いっぱい何してたんですか?」
レッドさんは三年程前にミズリ砦衛兵としてやって来た人で、何かと謎が多い人物だ。みなが知らない知識をぽろりと言ってみたりとても一人ではできない仕事をやってのけたりしてしまうのだ。だが衛兵の先輩連中からは何かと雑務を押し付けられたりしている。砦の衛兵の中ではまだまだ若年だからという理由よりもやはりその癖のある性格が災いしての事だろう。
「問題ない。安心しろお前の分もこしらえる」
「そんな心配してません」
「おいっ! タツ! お前もだ! 槍は置いてそのイモを持て! 槍は今回の任務にはあまり役に立たたん」
イモの奇襲に合った留守番衛兵タツは、名前を呼ばれるが早いかの凄い速度で立ち上がり敬礼の姿勢をとった。
「は、はい。が、しかし練兵所の監視任務をと命令を受けております!」
「ばか者! 腹が減っては何とやらだ。付いて来い!」
そう言うとレッドは踵を返し走り出していた。
「せ、先輩、どこへ……?」
右手に槍、左手に拾い上げたイモを握ったタツはよろよろとレッドの背中を追い始める。
「タツよ、よく覚えておけ! 衛兵が向かう先は常に死地よっ!」
死地へと向かって走る2人を見て「この砦は大丈夫なのか」と、真剣に心配したリーシュは二人の後を渋々追った。
かなり心配していたのだが意外と滞りなく厨房作業は進み、任務から戻った衛兵達を出迎える事ができた。それもこれもあのレッドさんのてきぱきした指示のおかげだ。
「うまいっ!」
「おいしい!」
「おかわりっ!」
と、そこらで声が上げながらみなで輪になって食べている彼らを見ていると自分のことの様にうれしかった。
「おい、坊主! おかわりだっ!」
と、後ろから大きな手で叩かれて呼び止められた。
「あ、はーい」
「わっ! 馬鹿! リーシュ様だろっ!」
一人の衛兵が言うが早いか全員食器を持ったままその場で敬礼し始めた。今の今までだれも気が付かなかったのは無理もない。厨房にあった割烹着と頭巾を身に着けていた訳なのだし。
「いーからいーから、みんないっぱい食べてよ。おかわりまだあるよ」
とは言うものの、だれもぴくりとも動かない。
「僕も頑張ってみんなの為に作ったんだ。食べてもらえるとうれしいな!」
「身に余る光栄であります! 昼食作業に戻らせていただきます!」
しんとなったこの場に一言入れてくれたのはレッドさんだ。「いただきます!」と口々に言いまた食べ始めてくれた。レッドさんが向こうからしたり顔でうんうんと頷いてくれる。思わず笑みがこぼれる。
粗方昼食も終え後片付けにとりかかろうと思った時、一人の衛兵が自分の食器を持ってやって来て「ごちそうさまでした」と頭を下げそのまま食器を持って兵舎の方へ走り去って行く。それを皮切りに続々と衛兵がやってくる。
「こりゃ後片付けが捗るわ」
後ろからレッドさんがぼそりと囁く。これには苦笑するしかない。
「残りは二人でやるからお前はもういいよ。ありがとな。借りができちまったぜ」
と、手のひらをひらひらさせながらタツさんを伴って兵舎へ歩いて行くのを「ごちそうさまでした」の洗礼を受けながら横目で見送った。
最後の衛兵が目の前から去ると、次に現れたのはにこにこ顔のロロだった。
「随分楽しそうでしたね」
「あー! 遅かったじゃなーい」
「申し訳ありません。リーシュ様」
「もう用事はいいの?」
「はい。早速に?」
「うんうん!」
割烹着を脱ぎ丁寧にたたむと脇に置かれていた車台車にぽんと投げ置き練兵所の中央へ向かいながら体を解す。
「リーシュ様」
なぜかどきりとしてしまう。
「何?」
「私はリーシュ様の器量を十二分に熟知しております。どうか存分に突いてきてもらって構いません」
「お前の程度は知っている。遠慮せずにかかって来い」そういう意味なんだろう。父にも幾度となく言われた台詞だ。当然、父を相手に遠慮した時はまったくない。そもそも「遠慮する」、「手加減する」という意味もやり方も分からない。「やってみるよ」と答えたものの、なんだか胸の辺りがもやもやしてきた。体術にはそれなりに腕に覚えがあった。父にはまだまだ敵わないが衛兵二人相手でも対等に渡り合う自信もある。このもやもやはおそらく自尊心を傷つけられた腹立たしさなのだろう。身近な人にいきなりそんな見下す様に物を言われたらこんな気持ちになるのは当然か。もっもとロロには他意はないだろうが……やってみるさ。
対峙して構える。ロロは特に構える訳でもなく普段通りの姿勢だ。両手をお腹の前に重ねて立っているだけでまったく力んだ様子もない。これはどういうんだ?
「ロロ」
「はい。リーシュ様」
「構えないの?」
「大丈夫です」
あれが構えってことなのか? ……そういえば構えない相手と相対した事が今迄なかったな……っていうか、ロロは守人だ。その実力は父と互角かそれ以上? 最低でも父に近い実力でしょ。でも体術はどうなのかな? ギード使いで体術も長けてるってことがあるのかな? ……いけない、こんなざわざわした気持ちじゃ足元を掬われてしまう。
息を吐いて構えを解くリーシュ。
「ちょっと待って」
「はい。リーシュ様」
深呼吸。再びゆっくり構える。相手を見る。目をゆっくり閉じる。
これは……!
雲ひとつない青空、なびく草花、巨木、そして泉。波打った泉からは幾線のも支流、その一つがまるで現れたリーシュを認識したかの様に足元へと伸びて来る。
どこだここは…?
驚いて目を開くと先ほどと同じ様に目前にはロロ姿があったが、リーシュが見たのは少し違った。ロロを中心にして丁度半球体の空間が僅かに歪んでいるのだ。目を瞬くとその歪みは消え正常な視界に戻っていた。
何だったのか見当も付かないけど、……なんだかいけそうな気がしてきた。
リーシュはロロに向かって突進した。
……視界が真っ暗になっていた。
いけない!
咄嗟に後方へ跳躍して退く。目前にはロロが右の手のひらを腰の高さでリーシュに向けていた。
頭をあの手で押さえられた? でもでも……触れられた感触がなかった。あれ……? 僕は何をしたの? 何がどうなった?
目を白黒させながらロロの手のひらに釘付けになっているリーシュ。
「リーシュ様」
「え? あ、はい」
思わず素頓狂な返事をしてしまう。
「私の思った通り良い集中力と感性をお持ちでとてもうれしく思います」
「え?」
「リーシュ様。どうか構えを解いてください」
未だに構えた姿勢を保持していた自分に気が付きゆっくり息を吐いて構えを解くと突然疲れが押し寄せてきたのか、リーシュはその場にへたり込んでしまった。と、同時に周りから大きく息を漏らす音の合唱が聞こえた。
「何? 何? 」
慌てて辺りに頭を巡らすと衛兵をはじめ砦の住人や数人の騎士団員までもがリーシュ達をぐるりと囲む様に取り囲んでいた。さらにぱらぱらと拍手まで始まり、
「さすが、リーシュ様!」
「すごかった!」
「お前らも見習え!」
「よっ! 金色の穂!」
「全然見えん!」
等の声と共にすぐに演舞が終わった後かの様な拍手喝采へとそれは変わった。次第に照れ笑いに変わっていくリーシュの目前に手が差し出された。
「さ。リーシュ様」
「あ、ありがとう」
差し出された手を握って立ち上がるリーシュ。
「リーシュ様。続けますか?」
「え? いやいやいや! もういいよ。また今度」
慌てて両手をひらひらさせるリーシュを見てくすくすと笑うロロ。
「では、お疲れ様でした」
「こ、こちらこそ。ありがとうございました」
結局その練兵所の一件は騎士団数人が睨みを利かす事でお開きとなり、衛兵は任務へ戻りリーシュとロロも屋敷へ退散する事になった。
「そーいえば、昼ご飯食べ損なっちゃったなー」
「じゃあ、何か作りましょうか」
「うんうん。ところでさ……」
「はい」
「僕、実はさっきの何も覚えてないんだけどさ。僕って負けちゃったんだよね?」
「さぁ? どうでしょう。」
「えーっ! 何それ!」
「またそれは後ほど、明日は主将が戻られますのでその支度を」
「ちぇー」
先ほど見た泉と巨木の風景と奇妙な歪みの話もしてみようか? するにしてもどう説明したらいいんだろう。と頭の片隅で考えたリーシュだったが、明日父ともう一度ちゃんとギードの件を話し合ってみなければ。という重大案件が頭の中で次第に膨れ上がり、そんな考えは片隅に追いやられてしまった。