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背中の獣人

 その日の早朝出発の支度をしているとマスターと団長、通訳係の副団長の三人が何事かを話しているのが見えた。その後に同じく準備や野営の後始末をするスー、カーマーの所にもマスターが一言二言声をかけていた。

 結局マスターは最後に俺達の所へやって来て言った。

「お前達、わしはちょっとした用事を思い出してな。しばらくお別れせねばならん」

「おいおいまたかよ。長時間の居眠りの次は徘徊かよ。……ったく。一体何を考えているんだか」

 悪気は無い非難を浴びせるギル。

「おや、ギルよ寂しいのか? ふっふっふっ」

「付き合い切れねー」

「えー、ジャック、ギル出発だ。いくぞ」

 リクの声が出発の合図を発する。スーが元気にマスターに手を振っている。それに答える老人を見ながら俺は口を開きかけたがマスターの言葉に遮られた。

「お前達、よくも今までこのれに黙って付き合ってくれたのう……わしの旅も終わりが近い。随分と遠回りをしてしまったが……」

 そこでマスターは言葉を切り押し黙った俺とギルを見やって後を続けた。

「すまなかったのう……」

「けっ何だよそれ。純化の前までには合流しよや。またなマスター」

 そう言うとギルは踵を返し旅団の後を追った。口ではああ言うがおそらく胸中では滝の様に涙を流しているのに違いない。要するにあんな姿をしていても涙脆く照れ屋なのだ。

 ふっと軽く苦笑して彼を見送った俺はマスターに向き直って尋ねた。

「マスター、また会えますか?」

「ああ……もちろんじゃとも、この世界でのお前さんの門出を見送りたいと心から願っておるしのう」

 爽やかな笑顔で答えるマスター。

「……はい」

「うむ。旅の神の加護を、じゃ」

「旅の神の加護が在らんことを」

 そうしてマスターと一時の別れを告げた俺はもうすっかり先を行ってしまった旅団の後を急ぐ事もなく追った。


 あの人は未だに俺の事を本気で元の世界へ還す気でいるんだろうか? おれ自身とうの昔に諦めたと言うのに……――半神伝説。そう呼ばれるいい伝えがこの国……いやこの世界にはある。それは母親が子供に聞かせる御伽噺おとぎばなしにも似てどこへ行っても誰でも一度は耳にした事がある程有名な話だ。半神伝説、半神神話、異人いじん伝説、旅の神と地界ちかいの神等題名や話の内容は若干異なっているものの結末は大体どれも一緒だ。

 この世界が神より生み出された後、神は時折見捨てられた世界の住人をこちらの世界へ召還し解き放つ。同時に神はこちらの世界から自分の半身を宿す者を選び出す。やがて巡り会う二人。旅人は誘い、半身は付き従いやがて無限の段へと至る。旅人はその命を半身に差出し世を去り、半身は神への純化と地界への素懐そかいを果たし遥か神界へと還る。

 こう言った話をラブロマンスに脚色した物や逆に知らない人に付いて行っていけないといった風な教育的な物に指し換わる場合がある程庶民的な話なのだが、これを初めて聞かされた俺にはとても他人事ではなかった。向こうからこちらへ召還されたくだりはまさに俺自身が当てはまるからだ。登場人物に酷似した境遇はそれだけではなかった。自身で正確に数えていた訳ではないが、ギルやマスターその他の団員との情報を付き合わせると俺がこちらへやって来ておよそ十四年から十六年は経過しているらしい。皆が言ういわゆる戦争が収束した頃に俺はこちらへ連れてこられた事になるらしいので経過年数はそれ位が妥当なのだろう。

「旅の神の加護」と、主に旅団員の間で交わされるあいさつの由来でもある異人、旅人等と称される登場人物は不老不死とされ。そしてこの俺も不死という点は不明なものの十数年経過した今日まで俺はまったく歳を取った気がしないのである。すなわち不老なのだ。もっとも、本当にただの気のせいなのかもしれないのだが、ギルやカーマーの獣人族は元々寿命が途方も無く長いらしいから別として同様にこちらに来て出会ったマスターや団員の面々は確実に年齢を重ねているのは見て分かる。スーに関してはそれが顕著で、ある人物に一方的に預けられて以来あそこまで大きく成長している。

 ところがそんな中俺だけが時間が止まったかの様に身体の衰えも感じず、むしろ何か異様な程身体に力がみなぎっているとさえ感じる――その割りには髭や髪は伸びるというおかしな仕様である。

 誰が何の目的で俺をこの世界に送り込んだのか? ――今では俺自身その物語を鵜呑うのみにするつもりもなかったが、そのヒントはやはりあのいい伝えにあるとマスター言う。当時は単独での帰還を試みて当ても無く旅団を引きずり回したが何の成果も上がらなかった。唯一の希望だったのがこの世界に最初に降り立ったと思われるミズリ平原だったが、そこは現在ではミズリ戦湖と呼ばれる湖に変貌しており物語に登場する半身を宿す人物――すなわち半神が待っている訳でもなく、かつて見たあの白い球体が現れる事もなかった。

 この世界での暮らしを強いられる事となった俺は言語や風習を学ぶ内に元の世界で戻るという希望も徐々に薄らいで行きマスターもその話題を持ち出す事も無くなった。

 正直な所この世界の暮しが楽しくなって来たのも原因の一つなのだろう。元の世界程高度に発達した文明が存在しないこの世界だったが、それゆえにとにかくすべてが新鮮だった。流浪人とも言えるこの旅団の生活も俺には合っていた。一つの場所には長く留まる事はせず地方を転々とする様は、かつて俺が生業としていたそれと通ずる物があったからだと思う。反面、こうして放浪を続ければひょっとしたら還る為のヒントが見つけられるかもしれないとういう一縷いちるの希望を潜在的に抱いているのかもとも思う。

 マスターはこうして突然思い出したかの様に目的を告げず旅団から離れる事がしばしばあった。今回に限ってあの様な返事を返すとは、何かしらの情報でも得たのか含む物を感じずにはいなられなかった。


 考え事をしながら歩くとほどなくして敢えて歩を緩めて歩いて俺を待っていたギドに追い着いた。旅団の本隊はもう見えなくなっている。

「おせーよ。……で? マスターは何て?」

「何も」

「……だよね。何を考えてるんだかあの爺さんは……」

 呆れた声を上げたギルはそれっきり口を開く事無く歩き続けた。旅団からこうして遠く離れ二人で肩を並べて歩くのはいつもの事だ。大抵俺の語学の勉強にと他愛ない話題をギルが持ち出して俺が二言三言で返すのに終始するのだが、ここ数年で詳しい文法は別として日常会話位なら誰とでも出来るまでに上達したので最近ではもっぱら歴史や風習等に話が流れるのが常だ。ここまで上達したのもこのひねくれ者の獣人族のお陰だ。

 考え方を変えれば俺と似た様な境遇にあるのかもしれないこの獣人族とは、出会い方は最悪だったものの長い試行錯誤の末、良きパートナーとなった。俺が本当に異人と呼ばれる存在ならばこの男こそ半神ならば良いのにと心底思ってしまう程だ。

「なあ」

「はい」

 しばらくの間黙って歩いていたギルが口を開いた。やれやれ、またろくでもない話を延々聞かされるのか。

「マスター何考えてるだろうな」

 予想を大幅に裏切る重い話題を持ち出した獣人族はそのまま続けた。

「お前だってそんな事位考えた時あるだろうが。え?」

「……あるけど、分かりません」

 それが分かれば苦労はしない。だが、分かってしまうのが怖いとも思う。

「……お前さ、ガルシャス帝国って知ってるよな」

「はい、教わりました。オトレノーアの西の国。今は鎖国してる」

 以前はオトレノーアとザイドールは貿易が盛んだったそうだがそれは俺がこちらに来る前の話だ。それも戦争以後途絶えたと聞いた。どちらにせよガルシャス帝国にしてもオトレノーアにしても俺にとっては未だ謎の多い国々だ。

「これはさ誰にも……マスターは知ってるんだけどな? マスター以外は知らない事なんだけどな。実は俺、そのガルシャス帝国の出なんだわ」

「そうですか」

「そうですかじゃねーだろ! 普通驚くとこだぞ! ここは!」

 そうなのか? 出身国がそこだと何か問題でもあるのだろうか? そういえばギルは以前、故郷から逃げて来たって言っていた時があった。それ以上詮索はしなかったが――当時は単に質問する語学力が身に付いていなかっただけなのだが。

「って、地界の神様に言っても通用せんか。まあいいや……でな、そのガルシャス帝国ってのがとんでもない国でよ。国中で戦争ばっかしてんだわ。強さが正義っていうのかね。そん中で俺達獣人族は獣の姿をしているってだけで隅に追いやられてそりゃ酷い扱いだったんだ」

 だから逃げて来たのか。と単純に考えてしまう。

「俺達兄弟や他の大勢の同族は北の人が寄り付かない岩場で身を潜めて暮らしてたんだ。雨も降らないから作物も育たないし食い物には酷く苦労したよ」

 それとマスターの考えとどう繋がるのかがイマイチ見えてこなかったが、下手な合いの手を入れると先程の様に怒鳴られるのでしばらくは黙って聞いていた方が無難と判断し目で先を促す。

「それで同族の俺を含む足に自信がある奴等と相談してよ。南の森まで行って狩りをしようって事になったんだな。そこで問題になったのが帝国の奴等だ。当時、帝国内の勢力争いがどうなってるのかまったく知らなかったが、噂じゃ獣人族が奴等に捕まるとそのまま食用にされるとか一生奴隷にされるとかそりゃ酷いもんだった」

 どこの世界にもそんな差別や貧困で喘ぐ人々がいるのかと思うと沈痛な気持ちに駆られる。遥か昔にそんな国に任務で訪れて時があったがとても口で説明できる有様では無かったのを覚えている。

「それでも腹を空かした弟達を見ている位ならと有志を募って森へ向かったんだ。ところが警戒してた帝国の奴等の影も気配もまったく無くって、狩りの成果も上がった上に木の実や果実なんかも採れて万々歳だったんだ……ところがだ……考えたらそれが良くなかったのかもしれん……」

「帝国の罠だった……?」

「どうかな、罠だったのかたまたまだったのかは知らんが、森への狩りを続けて半年が過ぎた辺りに奴等は現れたんだ。偶然その日森へ行かなかった俺は帰りが遅いのを不審に思って様子を見に行ったら、もうその時には捕らえられた後だった。抵抗したんだろう殺された仲間もいた」

「……それで?」

「尾行して救出の機会をうかがった。そうでなくても同族を殺されたんだ刺し違えてもいいと思ったよ……けど、駄目だったな。ありゃギードだったんだろうな。結局、助けるどころか簡単に捕まっちまった」

 その時の不甲斐無い自分の姿を思い起こしたのかギルは自嘲気味に言った。

「けどな……あの時殺されていればどれ程楽だったか……本当の地獄はそこからだったんだ」


 ほぼ折り返し地点まで昇った太陽に気がついた頃に唐突に始まったギルの話は一応の終わりを迎えた。

「だからな……俺は……このギルとしての人生を与えてくれたマスターには何としても報いなければならない」

 この男の過去にまさかそんな事があったとは……俺がその時のギルならどうしていただろうか……はっきり言って考えたくも無い。少なからず自身の境遇をなげいた頃の自分がとても恥ずかしくも思えた。

 しかし、現実的に考えるとギルは歴史の生き証人……いや、各国にとっての起爆剤にも成りかねないかもしれない。戦争について聞かされた少ない情報を付き合わせるとあの戦争は……

「マスターがまだ言いたくないのならそれでいい。しかし、意図も無しに俺達にギードや体術を教え込んだりしないだろう? 何であれ、俺はあの人の望むようにこの身体を使うつもりだ」

「マスターは……」

 俺も正直に思う事を言った。

「迷っているんだと思います」

 ギルは黙って先を促した。

「ギルのマスターに対する……覚悟は、マスターが望んではいません。でも、何か、意図はあるんだと思います……不明な意図と与えた新たな人生の間で、マスターは迷っている……分かりますか?」

 あまり考えを口にする事は慣れていないので少しおかしな話言葉にはなったが、まあこんな物だろう。

「ああ……でもな、与えられた人生をどう使おうが俺の勝手だからな。自由に使わせてもらう」

 もう間違いは犯せないと言ったマスターの昨日の言葉を反芻した。あなたは何を考えているんだ。あなたの為にその身を捧げる覚悟をしている男がここにいるというのに……あなたこそこの男に報いなければならないのではないか? 半ば理不尽なマスターへの軽い苛立ちを覚えた俺は、その時がくれば心から背中を預けれる獣の相棒ににやりとしてこう答えた。

「付き合いますよギル。マスターの件が片付いたら一緒に帝国に乗り込みますか。私はどの道行く所がありませんし」

「分かってるじゃないか!」

 顔中にしわを作って破顔はがんしたギルは俺の背中をばんばん叩きながら言った。本当にこれが痛い。獣人族は遠慮って物を知らない。

 それ以後、機嫌を良くしたギルによる為になるのかどうなのか不明な講釈が昼下がりの荒野に延々と響く運びとなった。


 結局、今日の目的地のホイミア村に到着したのは燦々《さんさん》と降り注ぐ陽光に取って代わって現れた満天の星空が瞬く頃おいになった。出発以後とうとう追い着くことができなかった旅団本隊は随分前に到着したのだろう村の外れで既に天幕を張っているのが向こうに見える。もう皆身体を休めている頃だろう。

 しかし、これもミズリ地方内ではいつもの事だった。俺達の旅団での主な役割はその護衛にあると言っても過言では無いからだ。その護衛もここミズリでは意味を成す事も無い。ミズリ地方治めるリアスダイスのお膝元で夜盗等働くやからはほぼ皆無に等しい。人道を外れた行いをしようものなら悲惨な結末を迎えるのは請け合いだ。もっともその枠から外れる腹を空かした獣の類は別の話になるのだが、獣如きカーマーにかかれば存在しないのに等しい。

 護衛が必須となるのはアリマド地方とハマリ地方、特に山岳地帯に限っての事だ。アリマドの首長もリアスダイス同様恐ろしく腕の立つと噂されてはいるが、如何いかんせんあそこは起伏が激しい地形の上に岩場が氾濫している為そういった輩の隠れ家には事欠かない。

 俺達は火を起こしかなり遅い夕食の準備に取り掛かった。

「よー。ご両人!久しぶりですなあ。今から飯とはえらく遅れを取ったものですなあ」

 ひどく馴れ馴れしいその声に振り向くと、にやけ顔の革鎧姿の衛兵が立っていた。

「てめえー!」

 声の主の顔を見るなり飛びかかろうとするギルを慌てて制止する。こんな所でこの男を含む俺達が騒ぎを起こそうものならそれこそリアスダイスの餌食になりかねない。

「おー、おっかないねえ」

 両手の手のひらをこちらに向けて降参の意をやはりにやけた顔で向けるこの男は、ふざけた言動と相俟あいまって俺達と対等、いやそれ以上の実力の持ち主だ。

 ……紅焔こうえんの男。そう勝手に名付けたのは炎を自在に操るギードだからだった。

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