旅の神の加護
「おかえりなさいませ」
ザイドール城でハーレンゲーンさんとの面会を済ませ騎士団の護衛の下、仮住まいへ戻った僕を玄関口でロテインさんが迎えてくれた。
「ただいま。ロテインさん」
部屋は既に昼餉の支度が整っているのかおいしそうな香りが漂っていた。そういえば今朝から何も口にしていなかったなと思い出す。準備された昼食を一人寂しく食べ終わるとそれを計った様に部屋へ入って来たロテインさんが声をかけてきた。
「今朝は風も穏やかで庭園を歩くにはもってこいの日でしたな」
どういう意味かと思いロテインさんの顔を見る。
「普段庭園を通る風は下のそれとは比べ物にならない程強いですからね。いくら風防が備えられているとはいえ散策には聊か適当とは言い難いのです」
にこにこと答える老人。
「そうなのですか」
「ええ、ジュノー将軍も驚いておいででした。恐らくは風の神がリーシュ殿が見えるという事でその力を多少なりとも鎮めて下さったのかと」
「はは……まさかね。ん?あ、あのジュノー将軍ってひょっとして……」
思い当たる節があったので尋ねてみようとしたらロテインさんはそれ察して教えてくれた。
「今朝方迎えに来られたのがジュノー将軍で御座いますよ」
「えっ!」
驚いた。何とも意地の悪い人だ。そんな事一言も言わなかったじゃないか。しかし、なるほど王都へ来て数人の騎士団員に出会ったがあの人は彼等とは少し違うとは思ったがまさか将軍とはね……。
「リーシュ殿との再会をとても楽しみにしておられたそうで……その様子ですと将軍は敢えて名乗らなかったのでしょうね」
面を食らった顔をしていたのだろう。僕の表情から名前を伏せていたのを見抜いたこの老人も普通ではないかもと思う。
「リーシュ殿、将軍もですが実はこの私も恐れながらあなたと会えるのを心待ちにしておりました」
「え?僕に?」
「ええ。以前に面識があった訳では無いのですが、あなたの事は弟が寄越す文によく書かれたいましたので。一目見でリアス殿とあの方のご子息と分かりました」
「弟?ミズリ砦に弟さんがいるのですか?」
「ええ。砦にオストというやぶ医者がおりましょう。あれこそ我が愚弟です」
温厚な父専属の医師の顔を思い浮かべてまたしても驚いた。
「えー!オスト先生のお兄さん?」
「恐れながら仰る通りです。不出来な弟がいつも迷惑をお掛けしております」
「いやいやそんな……いつもよくしてもらってますよ」
「小さな身体で自分の背丈以上の者を軽々と投げ飛ばしリアス殿と見劣りしない剛力の持ち主等、あなたの話は弟の文に毎度書かれており楽しく拝見させてもらっております。この度、当の本人にこうして会う事ができるのを首を長くしてお待ちしておりました」
「へえ……ちょっと買いかぶり過ぎだとは思うけど……」
何ともどこでだれが見ているか分かりゃしないな……。
「じゃあ、ロテインさんは父上や母上にも会った事があるの?オスト先生は戦時中に父上の部隊に配属されてそれ以来ずっと父上と一緒なんですよね?」
「弟はそうですね。リアス殿とは昔に王都やミズリの都で二度三度話した程度です。あなたの母君とは砦の再建時に一度お会いいたしました」
「へー……で、どんなだったんですか?」
これは何だか面白そうな話が聞けるかもしれないな……。
「どんなと申されましても、私はリアス殿とはそれ程接点があった訳ではありませんでしたので……ただ……あのお方は変わられました」
「変わった?」
「あの戦争を境にして……いえ、ひょっとしたら母君が亡くなってからでしょうか……」
「母上が……」
「リアス殿は騎士団入隊時からその……恐れながら問題児でありました。とにかく好戦的で負け知らず、中でも騎士団よりもその待遇が優遇されるギードを忌み嫌い何かに付けて魔法院の人間と喧嘩ばかり起こしておりました。話によると元々城内にあった魔法院を城外に設けさせたのもリアス殿に起因しているとかいないとか……」
これはおかしくて仕方ない。あの父が問題児で喧嘩好きだったとは。思い描くのも意外と容易い。しかも魔法院を城外へ追い出す程のギード嫌い。父のギード嫌いはここから来ていたのか。
「当時から体術には長けていて大人顔負けの優れた才能の持ち主だったとか。これは戦時中の話なのですが、オトレノーアの強力なギードをリアス殿は気合の一声で粉砕した等という話もある程です。そんなリアス殿でも手も足も出なかった相手が二人居たそうです」
思わずごくりと唾を飲んでしまう。
「当時の淵王と……あなたの母君です」
淵王はともかく母に手も足も出ないって……どれほど尻に敷かれていたんだ?あの父から想像もつかない。てっきり亭主関白なのかと思っていた。
「お察しの通り母君がリアス殿を凌ぐ強者だった訳ではございません。とても物静かで凝然とした方でした。真に残念ながらリアス殿との馴れ初めまでは存じませんが……」
「母上は強かった……?」
「……そうですね。見方を変えると当時のリアス殿より遥かに強かったのではないかと私は思います」
あの父よりも強いと評される母、その間に生まれた自分にとってはこれ程うれしい事はない。左腕の腕輪にそっと触れると何だかどこかで母が微笑んでこちらを見ている気がした。
「ミズリの都がザイドール要塞へ修築され始めて確か……あれは五年程経った頃だったと思います。ミズリ地方全域に原因不明の熱病が蔓延した時の事です。原因が不明だった為リアス殿の命でミズリ地方を事態が沈静化する迄一時的に隔離せよとの知らせが王都を含む各砦宛に出されました。その命に背き私を含む三人の治癒師がミズリへと入りました」
「治癒師というのは身体の治療を行なえるギードの事でしょうか?」
「ええそうです。よく勉強しておいでですね」
「って事は! ……ロテインさんギードな……んだ」
詳細は明かせない。とのハーレンゲーンさんの言葉を思い出し二人以外だれも居ない部屋にもかかわらずきょろきょろとして思わず人目を気にして声も落としてしまう。すんなり詳細を明かしているこの人は大丈夫なのだろうか?
「察するにどうやらハーン殿から何か言われたのですね。確かに秘匿事項には当たりはしますが、あの方の言うそれとはもっと奥深い意味でありますのでご安心を。私自身仰る通り脆弱ではありますがギードの端くれですがギードに関しては知らぬ事の方が未だ多いです。ハーン殿が言われるのはそれらを指すのでしょう」
「……そうなのですか……それから?」
それ以上に何が口外できないのかさっぱり想像が及ばなかったが、聞けば聞く程知らない事がぼろぼろと出て来て思わず話の腰を折ってしまう。……しかし、この老人がギードとは……意外だ……
「ええ、それから四人の治癒師が四散して熱病患者の治療とその原因の究明に当たりました」
「えーっと、それじゃ元々ミズリに治癒師が一人居たんでしょうか?」
「はい。私の弟も同様に治癒師です。お恥ずかしい話弟の方が私に比べて優秀でしたが……」
「ええっ!オスト先生もギードなんですか?」
驚きの連続で頭が混乱して来そうだ。あの人がギードだったなんて……まったくそんな素振りなかったのに……
「そうです。やはり弟は言ってませんでしたか。しかしそれがギードと言うものです。ギードたる者ギードと見抜かれないのもギードの一つの常套手段です。でもこれではいけませんね。色々な意味で弟に叱られてしまいますね……」
やれやれといった様子でちょっぴりしょんぼりするロテインさん。
「あ、その……すみません……です……でも驚きました……」
「いえいえとんでもありません私が勝手に喋っているだけなのですから……でもこれは弟には内密に……程なくして治癒師の一人が井戸に毒物らしき物が混入していた痕跡を発見したのです。元々飲み水等は湯煎して使用するのが当たり前だったのに関らず一部の者がそれを怠ったのも原因の一つだった様です。――事実その毒物も湯煎する事により浄化される事が後で分かりました。ですがその毒は体内では浄化され難く抵抗力の弱い者は熱病に侵され、早い者で三~四日で死に至るという恐ろしいものでした」
確かに料理やその他水を用いる大抵の事にはかならず一度沸騰させてから使用する様にと厳しく教えられた。
「そしてとうとうあの日がやって来たのです。私はその時都からは遠方の部落へ患者を探し歩いていたのであの方を見届ける事すら叶いませんでした。治癒師の力で毒を浄化される作業が日夜続き、根絶する兆しが見えた時にあなたの母君が倒れられたのです……」
母は病気で死んだ……この事だったのか……。
「意識を保つのも困難だったはずなのに……あの方は最後の最後まで私達治癒師に毅然たる態度で民を救ってくれ頼んだぞと……どんな小さな命も意味があるのだ……と」
……そうだったのか。そんな事が……僕は……僕はその時一体何をしていたんだ? 小さかったとはいえ首長の息子なのに……何もせずただ物陰にでも隠れていたのか?
「やはり思い返すとあの時からリアス殿は変わられたと改めて思います。民在っての王であり王在っての民、民が在ればこそ王も在もあるのだ。後のリアス殿がミズリの民に向けた言葉です。当時私の記憶にあった好戦的で傲慢な青年の姿は微塵も消え失せてました……」
俯いて語ったロテインさんに僕は席を立って深々と一礼をしてた。なぜ? 父の厳命を振り切りミズリの地へ渡り母の切願に答えてミズリの民を救う為に奮闘してくれたから? いや違う。この人は……この人達は母に言われるまでもなくそうしただろう。じゃあなぜ? ……分からない。でも僕の身体が動いたならそうするべきなのだろう。一つ言えるのは僕はこの人達に感謝しなければならないという事だ。
面を上げると目前の老人も同様に僕に向かって深々と頭を下げていた。僕は目の前のこれを糧として間違いなく心刻み込んだ。
ぱっと目を見開いたリーシュの目には燦々《さんさん》と輝く太陽と気持ちい青空が広がっていた。風も穏やかでいい日だ。でも庭園は強風に見舞われているのだろうか? 等と今の置かれた立場にはまったくそぐわない暢気な思考を過ぎるらせた。
「おい!目を覚ましたぞ」
「何んだって?」
「あれは普通死ぬだろ!」
「そんな馬鹿な……!」
大男が小さな子供を殴り飛ばして沸き返る程逸脱した常識の持ち主ではないらしい群衆はリーシュが吹き飛ばされた瞬間はさすがに波を打った様にしんと静まり返った。中には「やり過ぎた」とセミサスを非難する声も一つ二つ上がった程だったが当のリーシュが目を開いたのに気がついた者が叫んで皆の注意を引くと一同考えられないといった風にどよめき出した。司会役も仰天して解説もそっちのけでリーシュを凝視している。
頭をむくりと上げて平然と立ち上がり着衣の乱れを直し埃を払うリーシュ。
群集のどよめきに何事かと両手で目を覆っていたスーも恐る恐る地面に転がってしまったリーシュを見るとそこにはついさっきまでと変わらぬ彼の姿があった。
「あ、あ……リ、リーシュさんよかった……生きてた……」
半泣き状態のまま安堵して胸を撫で下ろすスー。反面倒したはずの相手が起き上がったのを目の当たりしたセミサスはこれにはさすがに仰天したのか口をぱっくり開け違う意味で目玉が落ちそうな程に目を剥いている。だが彼の場合は相手を威嚇する様と驚く様から違いを見つけるのは困難だ。分かるのは止まっているか動いているか位だろう。
「こ、これは……! やった! よかった! ……何という事でしょう! 新米少年立ち上がりましたっ! セミサスの凶拳をまともに食らった少年が立ち上がりましたあっ!」
ようやく息を吹き返した司会役は子供の殺害を誘導した廉で騎士団に連行される自分を幻視していたのか、出だしにどこか安堵の言葉が混じっていたのには誰も気付かなかった。
てくてくと中央へ戻ったリーシュは右手を腰に左手をセミサスに突き出しかかってこいと不敵の笑みを滲ませながら挑発して見せた。
「こ、これは何と! 少年がセミサスを挑発しているー? おもしろい芸当だ。もう一度やってみろ。と言わんばかりだっー!」
さすがに当のリーシュはそうは思っていないがその場に漂う異様な空気を察知した司会役が何とかしようとその語勢を強めて勇敢にも試みるが、リーシュ吹き飛ばして以来舞い降りたこの空気を打ち破る事は叶わなかった。
しかし、たった一人その声で目覚めた者が居た。巨体のセミサスだ。群集や司会役以上に驚嘆した怒れる巨人がいち早くそこへ意識を舞い戻らせ挑発して見せるリーシュに向かって必殺の拳を繰り出す構えを取った。
照りつける太陽の日差しの音までも聞こえて来そうな程辺りが深閑する。その帳を遠く嘶きが引き裂く。――刹那、大小の影が交差した。
突き出るセミサスの拳を腰を落として避けたリーシュは頭上を通過する手首に両手を添えつつセミサスの懐深く侵入し間髪入れずに足を払いばねを利かせてぐんと背筋を伸ばし手首に添えた両手を胸元に引き寄せ、ぐるんと巨人を投げ倒した。
どすんっと鍛え上げられた筋肉の塊が地面に叩きつけられた。リーシュの手が添えられたままのセミサスの開かれた拳から小石が一つ寂しげな音を立ててこぼれ落ちた。リーシュはその小石をひょいと拾い上げ群集に見える様に高々と掲げて言った。
「これを旅団の恥って言うんじゃないんですかー? おじさん達腕に自信があるなら正々堂々とね? それと……」
続いてリーシュは群集に目を巡らし目当ての人物を見つけて指差して言った。
「あの子に何か言いたい事があるんなら今言ってよね?」
指差されたスーを含めしんと息をするのも忘れたかの様に静まり返る一同。唯一動きがあるすればスーの付近に居た者達だろう。スーから半歩退く。
「無い……みたいです……ね?……それじゃあ……」
固まっている司会役に近づいたリーシュはその手にぽんと小石を乗せると失礼しますとも言た気なあいさつをぺこりとすると足早にスーの所に駆け寄った。
「お待たせスー。さ、いこ」
やって来たリーシュを目の前にしても目だけはリーシュを追うものの呆気に取られた表情を崩さないスーだったが中央の変化に気がついてあっとぼそりと口にして弱々しくリーシュの背後を指差した。
その先にはあの巨人が立っていた。セミサスには先程までの気迫ある闘争心はすっかり鳴りを潜め穏やかさすら感じられた。再び彼に胸を向けたリーシュにセミサスは深々と一礼した。それにリーシュもにっこり微笑んで一礼で答える。
「勝者! 第十五番旅団ーっ! 新米少年達に旅の神の加護が有らんことを!」
「旅の神の加護が有らんことを!」
司会役のあいさつに息を吹き込まれた群集が続けて叫び出しその場は拍手喝采欣喜雀躍の乱舞するところとなった。
「さ、終わったよスー。僕お腹減っちゃった」
「は、はい。そうですね!」
ようやくその場を退散する運びとなった二人にもう立ち塞がる者は居なかった。
「ロテインさん……僕は……僕もあなたの様なギードになれるでしょうか?」
「どうでしょう……未だ私もその答えを探しております……」
「後悔していますか?……ギードになった事を」
「ええ、随分後悔いたしましたよ。……数ある選択肢の中から一つを選べば大抵後悔は付きまとうでしょう。後悔は無い等とは言いますが私はその言葉が好きにはなれません。決断すればその結果後悔し傷つくでしょう。時には他者をも巻き込んで……後悔しない物事等おそらく存在しないのではないでしょうか? リーシュ殿、怖いのですか?」
「……はい、とても恐ろしいです……」
「それでいいのです……それで。しかし、酷ですが決断しなくてはいけない時はいずれ訪れます。その時までにあなたにとっての本当に大切な何かが掴めるといいですね」
「大切な……何か……」
僕にとって大切な物は両手からこぼれる程あるけれど、それら全部を掴んで放さないなんてできるんだろうか?




