97,神なる物
両親の所で夕飯を食べた麻里は搬入門に向かったが、入り口の鍵は開いていなかった。
「開けておくように言いましたのに」
麻里は右手を前に出すと、バリッ、と青い電光を放った。頑丈な錠前がバチンと火花を噴き、白い煙を上げた。
「ちゃんと開けておかないのが悪いんですわよ」
ガラガラと鉄の扉を開き、懐中電灯で先を照らした。階段が下りている。コンクリートで壁が補強され、こちらは割合最近改修された通路なのだ。
「メイコさんはわたくしの言いつけを守ってちゃんと準備しておいたかしら?」
麻里の能力ならちょっと意識を集中して調べれば分かるのだが、行ってみてのお楽しみとやめておいた。
「さあ紅倉美姫さん。ちゃんと時間通り来ているかしら? 急がないと……、男どもはすっかり盛って我慢が出来ないようですわよ?」
お人形のような顔に年に似ぬ淫靡な笑いを不気味に浮かべ、麻里は通路を進んでいった。
麻里が井戸を縄ばしごで下り、水槽に下りると、そこに神はいた。麻里は、
「お父さま。メイコさんを食べちゃったりしてないでしょうね?」
と笑って尋ねた。
神、とはなんなのだろう?
ミズキは神は不死の存在で、この村の成立からずっと生き続けていると言っていた。
村長は鬼木の婆と神さんが死ぬようなことがあってはならないぞと話していた。死ぬことを心配するようにやはり命を持った生き物であるようだ。
今麻里は神に「お父さま」と呼びかけた。しかし彼女はついさっき両親の家で夕飯を食べてきたところで、ちゃんと人間の両親がいる。しかし彼女の母はこの神に犯されて麻里を産んだという。麻里のタネがその時すでに肉体関係を持っていた当時の恋人であるところの父親の物なのか、この神の物なのか、誰も分からない。人間の父親のタネで受精した卵に、神の淫乱の霊気が注入されて麻里が出来上がった、というのが鬼木の婆あたりの見立てではないだろうか? 麻里自身、この神を愛しく思っているようでもあり、下等生物……バケモノとして、馬鹿にしているようでもある。
彼女に人や、何かを、愛する心があるのかもはなはだ疑問であるが。
今、ここにいる神は、元不良青年であった半分水死体を、この麻里がぐちゃぐちゃに踏みつぶし、改めて強力な霊力でまとめて肉団子にした代物だ。人間一人分の肉体とはこれくらいか?とちょっと小さく思うくらいの、ぶよぶよした白い球体で、水に3分の1頭を浮かせている。
しかし、どうやらそれは神の体の一部であるようだ。
肉団子にくっついて、水の中に、長ーい、白い、ナマズがひっくり返って腹を見せているような物がずうっと続いている。
神は、人間の数倍ある巨大な体の持ち主なのだ。しかし、こうして懐中電灯の明かりで照らしてみても、これがどういう「生き物」なのか、さっぱり分からない。神は、「神」という種類の生き物なのだろうか?
「さあ、行きますわよ。ああ、お父さま、わたくしが紅倉を倒しても食べちゃいけませんわよ? 後で、男たちの体を使ってたっぷり楽しんでから、ご賞味くださいませ」
綺麗な顔で悪魔のようなことを平気で言う麻里は、神の長い体を追い越して、水路の先へ進んだ。
神の白い体が青い電気を帯びて動いた。長い体をUターンさせて、肉団子の頭を先に、麻里の後を付いて泳ぎだした。ぬらっとした表面で、水死体と変わらずぶよぶよした体は、泳ぐような推進器官や筋肉を備えているようには見えない。青く光る電気=霊力で、動いているようだ。話が本当なら何百年、いや、千年以上生きているはずのこの生き物は、すでにオリジナルの形を無くし、半分以上霊的な存在になってしまっているのだろう。
麻里は神を伴い進んでいく。水路を曲がりながらずうっと進んでいくと、真っ暗な先に、ろうそくの明かりのようなオレンジ色が見えてきた。
「門」に出た麻里は、
「ああ、メイコさん、ちゃんと言いつけを守ったのですね。後で褒めてさしあげねば」
と満足そうに言った。
「紅倉お姉さまの苦悶の顔をしっかりこの目で見てやりたいですからねえ」
立方体の空間に、水路の両岸に8基、室で使うLED電球のランタン型ランプが置かれている。色は暖色系に傾け、光量は低く抑えて、ちょうど夕暮れのように薄暗い。神は強い光を嫌うのだ。
そして。
古い社の鳥居の所に、紅倉美姫が膝を抱えて座っていた。
「あら、待たせてしまいましたか? 申し訳ございませんでした」
麻里は浅いプールをザバザバ歩いてくると、紅倉と反対の岸に「よいしょ」と這い上がり、紅倉の正面に向かい合った。
「別に。わたしもついさっき来たところ」
紅倉もよいしょと立ち上がった。
麻里はニイッと笑った。
神は肉団子の頭を少し覗かせて、本体は水路の中に隠していた。ここでこの紅倉にひどい目に遭わされて、ナーバスになっているようだ。麻里が言う。
「お父さまはどうぞそこから見物していてくださいまし。お父さまをひどい目に遭わせたこの女を、今わたくしがひどい目に遭わせてさしあげますからね? おやつに腕と脚を食べさせて上げますから、よだれをたらして待っていてくださいね?」
神は、喜んでいるのか、ブシュウと臭い霧を吐いた。
紅倉は首を傾け、
「あの醜いバケモノは、何?」
と訊いた。麻里は余裕の笑みを変えず、
「こら、畏れ多い。神に向かってなんて口をきくの?」
と叱った。
「グロテスクう〜〜」
紅倉は口を尖らせて馬鹿にした。
「わたしも口の悪い霊能者仲間に『死体袋』って陰口を言われていたけれど、アレなんか、まさにそうじゃない?」
「まあ。わたくしを怒らせていっそひと思いに殺してほしいって作戦かしら? 残念ながら、ひと思いに楽に死なせてなんかあげませんわよ? お願い、もう殺して、って、泣きながら哀願する顔を見てやりますわ」
「あなた、悪趣味なバイオレンス小説の読み過ぎなんじゃない? わたしはそんな悪趣味なことをしないで、この場で徹底的にあなたをやっつけてやるから安心しなさい」
「ふっ。神の聖地でよく減らず口を言う」
「あいにくと不信心者なものでして」
二人は互いに攻撃的なオーラを膨らませていった。
「とりあえず、半分死ね」
バリバリッ、と図太く青い電光が空間を走った。