96,甘い夢の終わり
紅倉はカウンセラーの易木寛子が来ていることを「虫の知らせ」と評した。
その虫が知らせたのか、易木は離れたところに車を置き、ペンションの近くまで様子を見に来ていた。芙蓉と打ち合わせの時間にはまだ時間があったが、いても立ってもいられなかったのだ。
木の陰から様子を窺っていると何やら金切り声が聞こえ、パンッ!、と銃声が上がり、ぎゅっと心臓に痛みが走った。何が起こったのだろうと思っていると、ペンションの親子が駆け出してきて、慌てた様子で車に乗り込み、エンジンを掛けた。親子と一緒に平中がいる。ということは、自力で脱出に成功したのだろうか?、と、じりじりして陰から表へ一歩出ると、玄関から手に手を取って木場田と相原が出てきた。ああそうなのだわ、木場田が救いに来て、脱出できたのだわ、と嬉しく思った。木場田は相原を母親と娘の乗る後部座席に向かわせ、自分は窮屈な自動車後部に乗り込もうとしている。易木は出ていって「車ならわたしのがあるわよ!」と教えてやろうとした。が。
「団長。どこにお出掛けだい?」
坂を3人の青年団員が上がってきた。木場田はバックドアを上げたところで固まった。恋人相原は「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて両手で口を覆った。
木場田は3人を確認した。暗くてはっきり分からないがシルエットとオーラで分かる、宝木、堀木、乗木の二十代トリオだ。木場田は努めて事務的な口調で言った。
「芙蓉が襲ってくるかも知れない。今の内に人質を移動しておく」
「なるほど。あの女もおっかねえからな。ところで、信木さんの奥さんはどこだ?」
「奥さんは…、中で信木さんと電話してる」
「そうか。……奥さーーん!」
「こら。電話の邪魔するな」
「へへ、すんません。どこに行くんです? 当然村の……、役場か村長宅ですよね? 芙蓉が襲ってきたら怖ええから俺らが護衛しますよ」
そう言いながら三人はじっとり粘っこい視線でドアを前に固まってしまっている相原と、助手席で緊張して振り返っている平中を眺めた。
車はバックを道路側に向けて駐車している。
並んで立っていた三人がこちらに向かって動き出した。
「海老原さあーん。あんたは下りてくれ。俺が運転するよ。女は乗ってくれよ? レディーファーストだ、へへへ」
ポン、と宝木が木場田の肩を叩いた。
「団長さんも乗ってってくださいよ? こんな所に乗らなくたって、女の子はパパと散歩していきゃいい……それとも、奥さんと夫婦水入らずがいいかな?」
運転席のドアが開いた。どす黒い怒りを顔に集めた海老原が降り立った。手には猟銃を。
「ねえーー! ちょっとーーー!!」
中年女の声になんだ?と皆振り向いた。
暗い道を、手を振りながら、易木カウンセラーが急ぎ足でやってきた。
宝木たちは顔を見合わせた。
「易木カウンセラーじゃないすか? なんでこんな所に?」
「なんでって……」
宝木の近くにやってきた易木は膝に手を置き、小太りの肩をはあはあ上下させて、つばを飲み込み、言った。
「紅倉さんを説得するよう村長に頼まれて急いでやってきたのよお。そしたら……、坂の下でパンクしちゃって、もうー、もう少しだっていうのにねえ? 悪いんだけど修理してくれないかしら? なに?村長の家に行くの? じゃあわたしも乗せてってね? もちろんいいわよねえ?」
カウンセラーは「手のぬくもり会」の重要なポストだ。男たちは顔を見合わせ、嫌々ながら承知した。
「いいっすよ。じゃあお送りして、誰か得意な奴を修理に呼びますよ」
「そう、ありがとうね……」
上気した笑顔を上げた易木は、一瞬表情を消し、腕を振り上げた。
易木は、櫛に模した折り畳み式のナイフを持っていた。床屋で男のひげをあたる肉厚のかみそりに似ている。
「よくも」
振り下ろす。手応えが、あの時と重なる。
「よくも」
サッと反対から振り下ろす。感触を、覚えている。
「よくも」
真一文字に切り裂く。鮮血が迸り、顔を、生暖かく濡らす。
一瞬の早業で誰も何が起こったのか分からなかった。
「・・・・・・・・」
宝木がうずくまりながら、力を放った。ナイフを握った易木の腕がねじ曲がり、刃が、男の血に濡れた頬をざっくりえぐった。
「ひいいいい」
易木は悲鳴を上げながら、左手で右手を押さえ、下に向けると、宝木の力を放つ右手の平にグサッと突き刺した。
「・・・・・・・・」
左手で顔面を押さえる宝木は堪らず右手を引き、抜けたナイフを易木は、自分を恐怖の色で覗く宝木の目玉に突き刺した。
「うぎゃあああああああっ」
叫んだ宝木の両頬から大量の血が噴き出し、あごがガクンと垂れ下がった。
「アガ・アガ・アグガガガガガ・・・・」
怒りを込めて、力を爆発させた。
「ぶげえっ・・」
動物のような悲鳴を上げ、易木の太った腹部が破裂し、中身を飛び散らせながら後ろにひっくり返った。
素早い展開に隣で呆気にとられていた木場田は、力を込めて拳を宝木の開いたまま閉まらないあごに叩き込んだ。
「ぐえわっ・・・」
これまた空気の抜けたような呻きを上げて、宝木の気道が膨れ上がり、中から肋骨を砕いて飛び出させ、血をブシュッと溢れさせて、絶命した。
凄まじいバイオレンスに固まった空気を、
「きゃああああああっ!!!!」
相原の甲高い悲鳴が震わせ、
「うわあああああああっ!!」
猟銃を構えた海老原の叫び声が突き破った。
「「 くそっ 」」
堀木と乗木は動きをシンクロさせて飛びすさり、力を同時に放った。
車がグルッと大きく回転し、堀木乗木の側の相原と、向こう側の海老原を跳ね飛ばした。
「きゃあっ」
「うわっ、くそっ!」
「おのれ!」
木場田は宝木の胸から引き抜いた血塗れの右手を二人に向け、
海老原は跳ね飛ばされた地面から起き上がって慌てて猟銃を構え直し、
「くそっ」
「くそっ」
堀木と乗木はそれぞれ力を放った。
力と力がぶつかり合い、運命をねじ曲げた。
「バアアンッッッッッッ」
「……………きゃあああああああ、きゃあああああああっ、きゃああああああああっ!!!!!!」
相原はありったけの悲鳴を腹から吐き出した。
能力者たちの力と力がぶつかり合い、誰にも予想できない力の軌道は、銃の引き金に指を掛けた海老原の腕をぐりっと動かし、横を向かせ、
「バアンッ」
と発射された散弾は、もろに木場田の側面を撃った。バババババババババッ、と一斉に襲った小さな鉛の弾たちは、木場田の肉体をぐさぐさに破壊した。
木場田は真っ赤に染まってドサッと倒れ、相原は悲鳴を上げ、海老原は自分の引き起こした惨劇に呆然とした。人を殺すという行為を、図らずも、体験してしまった。
ギリリリギュアアアアアッ、
タイヤを軋ませて車が急発進し、
ガンッ!
「げっ、」
「ぐえっ、」
堀木と乗木を思い切り跳ね飛ばした。森まで飛んだ二人は、凸凹の地面に変なかっこうで転がり、幹に頭を打ち付け、倒れると、動かなかった。
「相原さん! 海老原さん! 早く乗って!!!」
開いたドアから平中が金切り声で叫んだ。人を轢いて、もしかしてひき殺して、興奮状態になっている。
海老原は「あなた!」と必死に呼ぶ妻の声に我に返り、急いで娘の隣に乗り込み、親子三人ひっしと抱き合った。
「相原さん!!!」
平中が怒鳴ると、相原は恐ろしく目を見開き思考の飛んでしまった顔で這うようにして助手席に乗り込んだ。
「ドア閉めて!」
平中は怒鳴り、ギアを切り替え、バックし、方向を道に、村から出る方に向け、発進した。
目を見開き恐ろしい顔をしていた相原が、
「あ、」
と窓に張り付いた。
腹部の破裂した易木の凄まじい悲鳴を叫んだ、死体を、通り過ぎた。
相原は実の親ではない両親の元に養子に入り、育ててもらった。実の母親が何故自分を養子に出したのか、育ての親からも教えてもらっていない。実の母親がどこの誰かも。
虫の知らせ、というものを相原は一瞬感じた。
もしかしてあの人が……
そう思ったが、それを当人はもう答えてくれない。
ほんのつかの間の邂逅の後、最期の姿が、あまりにも凄まじい。
相原は両手で肩を抱いて震え、しばらくして恋人を思いだし、激しく嗚咽した。
平中も心臓が飛び出そうな興奮状態で気持ち悪くなりながらギスギスした目で道路を見つめハンドルを握っている。
後ろの親子は、ただただ恐ろしく、小心に、この地獄から抜け出すことをひっしと抱き合って望んでいた。海老原は猟銃を放り投げてきていた。
底抜けに暗く重い車内で激しく嗚咽する相原は恋人が望んだように彼の死を悲しんで声を上げ泣いているのか、それともただただ起きたことが恐ろしくて感情の線が切れてしまっただけなのか、本人にも分からず、ただただ、こみ上げてくる物に急かされて泣き続けた。
車は易木の残していった車を通り越し、坂を下って町への長い暗い道に消えていき。
夜空に響く銃声に慌てた芙蓉が駆けつけた時、そこには無惨に破壊された易木と木場田の死骸と、名も知らぬ青年団の能力者の死骸と、森にあと二人の能力者が気絶しているばかりだった。
ペンションの中にも誰もいなかった。