91,麻里出陣
会談の成りゆきに日本太郎は大喜びして拍手した。
「いやいやどうして、あなた、保安官殿。あんたはいい。あんたなら我々公安部隊の隊長を任せてもいい」
「どうも、お褒めに与りまして」
信木はすっかり英国紳士の端正な余裕ある顔に戻って会釈した。
「では、我々がそちらと手を結ぶ場合、我々村民の身分は?」
「オーケー。信頼には信頼を。良い待遇を用意させますよ」
「そうした話は、具体的には誰と出来るのかな?」
「はっはっは。抜かりありませんな。それは、ことが落ち着き次第すぐに」
スッと障子が開いた。
「難しい話は終わりましたの?」
麻里が赤ん坊を抱いて立っていた。緋袴の巫女の装束に学校の紺のコートを羽織っている。
「この子をわたくしの妹にしてかわいがってあげることにしましたわ。ほら、かわいいでしょう?」
ピンクのネルにくるまれて小さな顔を覗かせた赤ん坊は、ようやく肌が張って赤ちゃんらしいかわいらしさを発揮してきたところだが、きょとんと丸く目を見開いて、泣き声も上げず、なんだかひどく怯えているように見えてしまう。
うふふ、と麻里はお姉さんらしく赤ん坊を揺すり上げて微笑んだ。
「ああ、麻里ちゃん。こんにちは」
「広岡のおじさま。こんばんは」
麻里は優しい笑顔のままちょこんと膝を曲げて挨拶した。
「ご機嫌だねえ? 今晩はこのまま赤ちゃんたちの面倒を見ているかい?」
「いえ。妹にするのはこの子だけ。あっちはこの子の肥やしよ」
上機嫌の悪魔が、双子の未来に何を企んでいることか。
「この子もわたくしの妹にするのはまだ先よ。殺してしまってはもったいないもの」
麻里は部屋に入ってくると、
「はい、おじいちゃん」
と、すっかりおろおろを通り越して泥のように覇気を無くしてしまっている助役に赤ん坊を押し付けた。兄に押し付けられた赤ん坊を、小学校校長の弟の方がまだ元気に指で頬をつついて笑った。
麻里は凝った腕を振ってふんぞり返り、自分の下部のように見下ろして木場田に言った。
「夜祭りはいつ始まりますの? そうだわ、この子たちにも妹を作ってあげましょう。ケイママに五つ子でも産んでもらおうかしら? 5人別々の父親の方が楽しいわねえ?」
木場田は思いっきり眉をひそめ、険悪さを制して信木が言った。
「麻里ちゃん。夜祭りはないよ」
「あら? なんでですの?」
麻里は思い切り不興に信木も睨んだ。麻里の睨みに信木だけは平気で、子どもの我が儘をいさめるように言い聞かせた。
「麻里ちゃん。この村はもうそういうことをするのをやめにしたんだ。君も、女の子らしく普通に恋して、普通に男の子とエッチしてもいいんだよ?」
麻里は思い切り馬鹿にして笑った。
「わたくし、他の女どものように男欲しさに盛ったりしませんの。…もっと、楽しいことはいくらでもありますから……、男の体を使うにしてもね」
麻里の女子高生らしからぬサディスティックな恍惚の表情に信木もさすがに不愉快そうにした。
「ま、ほどほどにしておきなさいよ? とにかく、今夜の秘祭は無しだ。いいですね?」
「よくありませんわ」
麻里は真顔でぴりぴり怒りをこめかみに震わせて睨んだ。
「わたくし、ケイ姉さんがなぶり者にされるのを楽しみにしていますのよ? 神もすっかりその気です」
「……こういう奴が捧げ物にされるんだろう?…」
「はあ? 何かおっしゃいました?」
木場田のボソッとした悪態を聞きとがめて麻里は睨み付けた。木場田は顔を背けて黙り込んだ。麻里はフンとあざけり、何か言おうと信木に顔を向けた。
「秘祭を行いたければ、紅倉美姫を倒したまえ」
麻里が眉をつり上げた。
「そう!、紅倉美姫。あの人も是非秘祭に参加させたいのですわ。ええ、もちろん、やっつけるつもりでおりますわよ、殺さず、半殺し程度で」
信木は静かに麻里を見つめ、フッ、と馬鹿にするように笑った。麻里の癇にカチンとさわった。
「広岡のおじさま。ちょっと、ムカつきますわよ?」
「紅倉と闘うなら殺す気で掛かりたまえ。ケイ君は、そうやって彼女を舐めて、敗北したのだろう?」
麻里は笑った。
「ケイ姉さんとわたくしをいっしょにしないでいただきたいわ」
「そうかね。わたしは、紅倉美姫に新しい神になってもらいたいと思っているんだがね?」
一同は驚き、麻里は目を吊り上げて恐ろしい顔になった。
「なんですって?」
信木は、麻里や村長から見れば不遜な態度で、言った。
「どうも我が神様は扱いづらい。紅倉はクリーンで、男神のように淫らな性癖もない。この際だ、神も新旧交代でいいと思うが?」
「紅倉が呪いの神の役割なんて引き受けるものですか」
「それは条件次第だと思うねえ? 彼女も、基本的には我々と近い考え方をしている。神の理念から離れているのは、むしろ、この村の方だと思うがねえ?」
村長が、何を今さら、と言う顔をしたが、信木は目で制した。
麻里はキイイーーッとヒステリーを起こす顔になった。
「紅倉が・・」
「力においても、
……紅倉は我が神に匹敵するんじゃないかね?」
麻里はあざ笑った。
「馬鹿を……。
いいわよ、見てらっしゃい、紅倉を祭壇に引きずり上げてやるわ。重くて運ぶのが面倒だから手足を引きちぎって、芋虫みたいにしてね! そういう方が喜ぶ男もいるでしょう?」
信木はのんきに腕時計を見た。
「8時に、同じ場所で決闘を申し込むそうだ。『門』のことかな? 向こうは君をこてんぱんにやっつける気満々だよ?」
「8時ね」
麻里はカッチカッチと振り子を鳴らす年代物の掛け時計を見た。現在6時40分。
「まだあるじゃない……。いいわ、ママの所に行って軽くお夕飯をいただいてくるわ。搬入門から行くから鍵開けておいてくださいませね?」
搬入門とは、木材加工場の裏の炭窯の下のトンネルのことだ。神の水槽へ縄梯子で下りなければならないが、そこまでの道は一番広くてきれいだ。
「了解した」
信木が請け負い、麻里はツンとした顔で出ていった。玄関の戸が閉まった途端、助役に抱かれていた赤ん坊が火のついたように泣き出し、呼応するように離れからも激しい泣き声が上がった。助役は驚き、慌ててよしよしとあやし、「兄さん、お貸しなさい」と校長が受け取り、「おー、よしよし」と笑顔を作ってあやした。べろべろばあーという顔を真っ黒な瞳で見ながら赤ん坊はぎゃーぎゃーと激しく泣き続けた。
「いやはや……」
日本太郎が呆れたように言った。ぎゃーぎゃー耳に突き刺さる赤ん坊の声が高い天井に響き渡る中、赤ん坊をあやす校長以外大人たちはしーんと静まり返っていた。
「訊くがね」
「なんですかな?」
信木が応えた。
「紅倉を新しい神に、ってのは、本気かね?」
「ええ。わたしはそうしたいと思ってますよ?」
「そうかい…。ま、それはあんたらが専門だ。俺は分からん。で? どうなんだ?
紅倉とあの麻里って女子高生、どっちが強いんだ?」
村長が断固とした口調で言った。
「少なくともこの村の中で、麻里が敗北するわけがない!」
「ほう、そうかい? じゃあ紅倉は負けるか?」
日本太郎はそれはそれで面白いかと感慨深い顔をした。
「万が一、万が一にもだ、
紅倉が勝つようなことがあれば……………」
「勝つようなことがあれば?」
日本太郎が水を向けると、村長は恐ろしい顔で言った。
「 あの女は、神だと、いうことだ。 」
「ほおー、紅倉は、神、か」
日本太郎は面白そうに言い、村長がギロリと大きな目玉を向けると信木は、日本太郎と同じような笑みを浮かべていた。
「どちらが新しい神にふさわしいか、見物ですね」