82,リベンジ
芙蓉は細い山道を駆け上がっていき、裏の隠された道へ出るため岩に取り付いた。帰り道に狙撃に遭った場所だ。一瞬慎重になった芙蓉を追い越しジョンが飛び上がった。
瞬間、芙蓉はジョンの体が血を飛び散らせて宙を跳ね上がるイメージを見た。
「ジョン!」
芙蓉は叫んだが、間に合わなかった。声を上げた瞬間に身体の内部がヒリリとするあの独特の感覚がフラッシュした。狙撃者は向こうの山から狙っているのではない、裏の道を下った先から獲物が現れるのを待ち伏せていたのだ。
間に合わない、
と思った瞬間芙蓉の脳波が天井知らずに飛び上がり、芙蓉のセンスが時間と空間をワープした。
現れたのが犬と知って狙撃者の判断が一瞬だけ躊躇した。ほんのひらめき程度の瞬間の後、
『シュート』
と訓練で培った反射神経が命じ、スナイパーは構えたピストルの引き金を引いた。芙蓉の見たジョンの体が宙に跳ね上がる瞬間、
「 バキヒインンンンッ、 」
激しい爆発音が上がり、
「ぎゃっ」
スナイパーは腕を跳ね上げた。ピストルがバキイインと金属の割れる音をさせ、手の中で弾け、火を噴いた。公安の顔を金属片が襲い、人差し指と親指が吹っ飛んだ。
「うっ、く、くそっ………」
スナイパーは肉と骨と神経の引きちぎれた激痛を手首を固く握り締めて堪えた。針のように尖った金属片が眼球の底部に突き刺さり、右目が内部から真っ赤に濡れた。
「くっ、くっ、くそおっ!!!!」
わめいて、眼球の弾け飛びそうな激痛を吐き出そうとした。
「殺す…………」
血の涙が溢れてきて流れ落ち、スナイパーはぎりぎりと野獣の顔になった。
スナイパーの後方で、
「なんだよ、旦那、やられちまったじゃねえか?」
スナイパーとやり合って木に縛り付けた「猿飛びサスケ」の青年団員が呆れた調子で言った。
「旦那があの女を殺りたいだろうと思ってわざわざ誘ってやったのによお?」
恩着せがましく言う猿にスナイパーは吠えた。
「やかましい!! 女は俺がぶっ殺す! 手え出すんじゃねえぞ!!」
青年団員はひひひと笑った。
「さあてそいつはちっと聞けねえなあ。今度は殺していいって指令が出てるんでねえ、旦那の趣味に付き合う義理はねえんで」
ジョンは撃たれることなく着地し、激しい爆発音に驚き、敵を察知してううと唸った。
「ジョン、いい、おまえは行って。先生を頼むわよ」
幹の裏に隠れて敵の出方を見ながら芙蓉が命じ、ジョンは判断するとさっと道を外れて斜面へ駆け下り、木から木へ、岩から岩へ、野生動物の運動センスで飛び跳ねていった。
芙蓉はジョンを見送り、忌々しそうに2人の敵を睨んだ。
「急いでいるのよ、まったく」
敵に飛び道具はないようだ。芙蓉は自分から仕掛けることにした。
芙蓉は道に飛び出ると二人に向かって走った。
「殺す!」
スナイパーは左手に腰からナイフを取り、走ってくる芙蓉にこちらからも突進した。
「シェイッ」
間合いを計る余裕を与えず突き出し、横に逃げられると、体の前にグッと握った右手を軸に素早い足の動きで体を回転させ、
「シェイッ」
直線でナイフを突き出し、同じく体を回転させ、足を伸ばして土を蹴り、一気に間合いを詰めて突いた。芙蓉の格闘スタイルは合気道だ。回転の動きに絡め取られないように一突きごと芯をまっすぐに鋭く突く。利き腕は右だったが、左手でも80パーセントの戦闘力は確保している。芙蓉は避けながら反撃の隙を狙っているだろう。スナイパーはその隙を与えない。芙蓉のひらりひらりとしたドレスがナイフに切り刻まれていく。芙蓉はすっすっとナイフを避けながら鋭い目つきでじっとスナイパーの目を見ている。
「ステージを間違えたようだな、ええ、お嬢さん!?」
スナイパーは額に運動の汗を浮かべて笑った。戦闘に集中し痛みを切り捨てている。すっかり冷静さを取り戻していた。突き出したナイフを引くとき、手首を返し刃を横に向けていた。未だ芙蓉の肉体に傷を負わせてはいないが、袖は幾筋も切り裂き、だらだらとぶら下がって、いかにも動きづらそうだ。この服装はなるほど素手相手の格闘ならいくらか意味もあるのかも知れないが、刃物相手では完全に誤った選択だ。スナイパーは狭い小屋に追いつめたウサギをいたぶるような残酷な心持ちで芙蓉の白い衣を切り裂くのを楽しんでいた。
「シェイッ」
さっと鋭く突き出したナイフが芙蓉の腕をかすめ、腕と胴の間に入った。芙蓉の緊張した(スナイパーの目にはぎりぎりに追いつめられた)目を見てスナイパーは笑った。手首の返しを大きくして切っ先を胴を撫でるように引いた。
わずかばかり、引く腕が胴側に寄って、引く軌道が斜めにぶれた。
二人の間に自然と格闘の呼吸が生まれていたが、芙蓉は一呼吸もなく素早く大きく身を引いた。リズムを崩されスナイパーはハッとしたが、慌てて引く腕にナイフが切り刻んでぶら下がった袖の布が絡みついた。しまった、と思ったときには芙蓉の拳が目の前に迫り、スナイパーの鼻骨を砕いた。
「・・・・・・」
ツンとしたきな臭さが激痛と共に爆発し、鼻血が噴き出した。
再び袖を切り裂いてナイフはスナイパーの手に握られていた。
「くっ、・・くっそおおおお・・・・・・」
スナイパーはジンジンと燃え上がる痛みに顔を真っ赤に染めてナイフを構えた。芙蓉は憎たらしく空手の直線的な構えを解いて両腕を軽く下に下ろした柔らかな合気道のフォームに戻っている。
「訊くけど」
芙蓉が言った。
「わたしをぶっ殺すつもりなら、当然自分がわたしに殺される覚悟もあるんでしょうね?」
スナイパーは血に濡れた歯を剥き出して恐ろしく笑った。
「お嬢様武道が調子に乗るなよ? センスは褒めてやる。だが、おまえの武道で人は殺せんよ」
「どうかしらね?」
「そうさ!」
スナイパーはダッとジャンプするように踏み出すと、
「キエエエイッ、エエエエイッ、エエーーーーッ」
凄まじい気合いでナイフを次々くり出してきた。勢いだけでむちゃくちゃに突き、振り回しているようだが、芙蓉との間合いを計り、ナイフがちょうど肉体に到達する距離を測っている。凄まじい攻撃をくり出すスナイパーに芙蓉は狭く凸凹のある足場で必死に体を踊らせて避け続けた。芙蓉もぎりぎりナイフの届かない間合いを測って避けている。スナイパーは高速で身体を運動させて芙蓉の柔らかな動きの間合いに突き進んでいく。ふわりふわりと避ける芙蓉は円形、もしくは8の字にステップを踏んでいるが、スナイパーはその流れを直線で縮めて切り込んでくる。
「いつまでお遊戯が続けられる!?」
スナイパーの気迫に圧されたか、芙蓉の足が地面を踏み込み、体がぐらりと下へ沈んだ。スナイパーは歓喜の顔でナイフを突き出した。
「シェイッ」
どっと倒れ込む芙蓉を追ってナイフを突き出すスナイパーの腰に、地面から跳ね上がった枯れ枝の折れ口が突き刺さった。
「ぐっ」
スナイパーは眼を剥き、芙蓉は素早く転げて後ろへすっ飛び、立ち上がった。
スナイパーは腰を触った。枝はジャケットの固い繊維に遮られて突き刺さりはしなかった。
スナイパーはギロッと芙蓉を睨んだ。
「狙ったか。大した女だ」
「旦那」
上の斜面から見物していた青年団員が飽き飽きしたように声を掛けた。
「そろそろ代わっていただきやすぜ?」
「やかましいっ! 大人しく見てろ!」
「へへっ、不満なら後でまたお相手してさしあげますぜ?」
青年団員はふざけた表情から真顔になって両手を前に突き出し、スウッと息を吸い、
「ハアアアッ!!!!」
大きく固い気弾を芙蓉めがけて放った。
芙蓉はスッと手を横に払った。
「ぎゃあああっ」
気弾の軌道が「グイッ」と逸れ、スナイパーの横っ腹に打ち込まれ、スナイパーは堪らず悲鳴を上げて斜面に放り出され、ドサッ、ドサッ、と音を立てながら落下していった。
「なにいっ!?」
青年団の能力者は呆気にとられ、芙蓉が突進してくる姿に思わず両手から力を放った。
「悪いわね」
芙蓉が待っていたように腕を後ろにはね除けると、
「うぎゃあああーーーーーっ」
能力者は見えない手に投げ飛ばされるように宙に飛び上がり、大きく飛んで、スナイパーの落ちていった斜面の下へまっすぐ落ちていった。
芙蓉は冷たい目で見送り、
「死んじゃっても恨まないでね」
と、もう興味を失って先を急いで駆けだした。
冷静なような芙蓉だが。
内心はそうでもなかった。
強いオーラを持つ者ならこうしてそれを利用して倒すことは可能だと小学校で分かった。だが金属の固まりであるピストルを暴発させて破壊するなど、オカルトではなくSFの分野で畑違いだ。しかも反応が異様に速かった。この村に異様に霊媒物質が濃く、地下から「神」のオーラが放出され、霊的エネルギーが飽和状態に近く充満しているせいだ。芙蓉は自分までその力に使われているような嫌な気分がした。
先生の状態も気になった。
力の出所は村からばかりでなく、指輪のリンクを通した先生からでもあった。その力の輪郭が崩れ、力その物が生で芙蓉に注ぎ込まれてきている感じがする。先生の霊体が剥き出しになり、体がひどく衰弱しているのを感じる。
芙蓉は自分の強さを知っていたが、常にその限界を命がけの緊張感で意識していた。常にその限界を引き上げる努力をしているが、けっして自分の力を過大評価はしなかった。全ては紅倉を守るという目的のためだ。自分の敗北、死は、紅倉の危機、死につながると覚悟している。自分は決して敵に負けてはならない。頑張れば何とかなる、などという甘い考えを芙蓉は持っていなかった。
『頑張ってください、先生。今行きますからね』
芙蓉はリンクから逆に自分の霊力を紅倉に送るようにしながら道を急いだ。