77,手の中の運命
末木とミズキは走り続けた。
一瞬凄まじく鉄錆び臭い空気を嗅いで、黒木の死を悟った。
「所詮これが俺たち村に生まれた人間の運命さ」
末木がクールに、悔しさを振り切るように言った。
「ミズキ。敵が現れたら俺を踏み台にしても先へ進め。俺たちにはおまえとケイが全てなんだ。分かるな?」
ミズキは無言でうなずいた。実の弟のように接してくれた末木たちには感謝しかない。ミズキには分からないが、村の人間である彼らには何か根元的に村から離れられない事情があるのだろう。彼らが自分たちに望みを懸け、「生きろ」と言うなら生き延びるのが自分の責務だ。そしてミズキ自身、
『死んでもケイは俺が守る』
という、自分の生きる意味全てを懸けた思いがある。
山の坂道を目前に、新たな能力者が現れた。
「上手く避けろよ」
末木は走るスピードを上げて突っ込んでいった。
能力者が手から気弾を放った。末木は右に避け、ミズキは左に避けた。気弾のチャージに時間が掛かるのは斎木と黒木が身を以て教えてくれた。能力者はケイを背負ったミズキに腕を向けた。
「どこ見てやがるっ!!」
末木が大声で怒鳴り、体をひねってだらんと伸びた腕を振り回し、ナイフを放った。ナイフは見事能力者の喉笛に突き刺さった。
「おぐうっ…」
能力者は苦しそうに顔を真っ赤にしながら力を末木に向けた。
「死ねやあっ」
末木は飛び上がって喉笛に突き刺さったナイフを蹴り上げ、ガクンと頭が後ろに折れ曲がった能力者は膝をついてドッと倒れた。
「行けえっ! 走れえっ!」
ケイを背負ったミズキはどうしても足が遅い。細身の女とはいえ成人女性をずっと背負って走り続け、相当膝に負担が掛かり、体力も落ちているはずだ。
「走れえっ! 走れえっ!」
末木はクールなキャラに似合わぬ必死の大声で叱咤し、自分も腕をだらんとぶら下げながら必死に走った。
坂道に掛かった。村の、外の世界への道。
「あら、一人たどり着いちゃったわね。うふふ、あなたは、残念賞」
神の穴の中で、麻里はセーラー服のスカートのポケットから末木が母親の胎内から誕生したときのへその緒を取り出し、しわくちゃのそれの両端を掴むと、ブチッと、引きちぎった。
「あ・・・・・・」
末木は突然立ち止まった。
異変を感じてミズキは振り返った。
「末木さん?」
末木はポカンとした顔で、
「う、運命…………」
とつぶやくように言い、全身の筋肉が弛緩し、後ろ向きに坂道に転がった。
「す…、末木さん………」
末木に何が起こったか分からない。しかし黒木が「おまえはよそ者だから」と自分に希望を託したのはこのことなのだろうと思った。
ミズキは前を向いて走り出した。ぶら下がるケイの体が重い。ももが腕からすぐ滑り降りようとし、お尻が垂れ下がっていく。走るタイミングでケイを前に放り上げるようにして背負い直す。
走りながらミズキは真っ赤に、鬼のような形相になっていった。鬼のミズキは、涙を流していた。みんな知っていたのだ、どうせ自分たちがこの村から外へ逃げられないことを。それでも、絶対にケイを見捨てられない自分を、こうして外へ逃がすために命を懸けてくれたのだ。
ミズキはこれまで正義を信じ、仲間を信じ、村を信じて「悪」と見なされる所業に手を染めてきた。ミズキはそれを正義と信じて疑わない。しかし、村にとって「正義」の捉え方は違うようだ。ミズキにとっての正義は純粋に絶対の物だ。村の子どもたちが年寄りに「悪いことをした奴は地獄に落とされるんだぞお」と聞かされる、純粋な正義を信じていた。しかしそれなら、何故自分たちが村から狩られる? 何故ケイに必要でもない紅倉を殺させるようなことを命じ、仲間を救おうとする自分たちを「裏切り者」として殺す?
彼らの正義は純粋ではない。
彼らは外の俗世間と同じように自分たちの都合で正義をねじ曲げ、自分たちの保身を計っている。
天誅を、
いつか奴らに食らわせてやる。
燃えたぎる復讐心を胸に、ミズキは坂を駆け上がり、やがて、峠の向こうの暗い木陰に入った。ハアハアとびっしょり汗をかいて湯気を立ち上らせ、ミズキはケイを背負い直した。まだ全然終わりじゃない。一本道を車で追ってこられればすぐに捕まる。追っ手の追いつく前に、山中のどの地点に有利な足場を確保できるかだ。車で追ってきてくれるならありがたい、運転手を殺して、いただくまでだ。
走るミズキは、前方を見てハッとした。道の両脇の木を結んでツタ植物が蜘蛛の巣のように網を張っている。
そういう能力者もいると聞いた。
どこだ?と神経を研ぎ澄まし、ギラッと後方の木の上を見た。
シュルッと生木のロープにぶら下がって能力者が下りてきた。
「ケイをいただこうか」
気が付くと道にスルスルとツタ植物が伸びてきていくつも輪を描いている。きっとそこに踏み込めば足首を絞め上げるのだろう。
「ケイをよこせとはどういうことだ? 殺せと言われているんじゃないのか?」
「ケイは罪人だ。今夜の秘祭の神への捧げ物にする」
「なにいっ!?」
カアッとミズキの怒りが最大限に燃え上がった。
ミズキの中で、今はっきりと村への憎しみが形を為した。
「おまえもその秘祭に参加するのか?」
「さあな。だがそれまで傷物にするなというお達しだ。大人しくケイをよこせ」
「おまえは殺す」
「出来るか」
ミズキはケイを下ろし、そのまま腰をかがめ、体をひねって背後に腕を隠すと、手に持った物を投げつけた。それは細身の懐中電灯だったが。
懐中電灯は能力者の手前で地面に着いて足下へ転がった。
「くだらん、フェイントか」
「そうだ」
上空高く飛んだ小型ナイフが下りてきて、ドスッと能力者の肩に突き立った。
「イテッ!、くそっ」
能力者がうろたえた隙にミズキはダッシュした。
「甘い!」
能力者が網を引っ張るように握った手を引くと、道を覆ったツタがシュルッ、シュルッ、と絞まった。ミズキは足を取られて転がったが、転がりながらアーミーナイフで素早くツタを切り、能力者に走り寄った。迫るミズキの鋭い殺気に能力者は恐怖に怖じけた。バッと手を突き出し力を放ったが、
「生ぬるい」
ミズキは物ともせず突進した。
「ひいっ、やめ……」
能力者はついに両手で自分をかばったが、ミズキは躊躇なく突きの構えからナイフをくり出そうとした。
パンッ、と乾いた破裂音が響き、ミズキは反射的に横にのき、能力者の後ろに駆け去り、木の幹に身を隠そうとした。
パンッ。再びピストルの音が響き、ビシッとミズキの駆け込もうとした木の幹に穴が開いた。
「動くなっ!」
鋭い声が命令し、ミズキは立ち止まり、声の主を睨んだ。
森の中に黒いコートを着た男が立ち、ピストルを構えながらゆっくりこちらに出てきた。
公安の、日本太郎である。
男の射撃の腕は確かだ。
5メートル、4メートル、3メートル。まっすぐ銃口を向けられ、ミズキは思った。これが体の中に穴が開く感覚かと。だが、ミズキには芙蓉のようにその銃弾を避ける自信はなかった。ただ、
こいつを殺してケイを逃れさせる、
それだけを思って敵を睨み付けた。