72,倒壊
芙蓉たちが地震に遭ったのはスナイパーの銃撃を逃れて峠を下り、ちょうど村に入ったときだった。
揺れが来る前に芙蓉もキイイン……と頭を突き抜ける悲鳴のような大きな霊波の乱れを感じた。芙蓉はハッと目を見開いた。
「先生!……」
その後揺れが襲ってきて、揺れはそれ自体が生き物のように不規則に突き上げる縦揺れ、咆哮するような長波の横揺れが入れ替わりながら長く続いた。先を急ごうとすると宙に浮いて放り出されるような激しい揺れだった。
ようやく揺れが収まり、
「急ぎましょう!」
芙蓉はミズキとジョンを引き連れ鬼木の婆の家へ向かって走った。
地震が起きる前に広がった悲鳴のような霊波。
それは巨大な、おぞましい存在の上げたものだったが、その中にわずかに紅倉の苦しんでいる思念が感じられた。それはとてもか細く、今にも消え入りそうで、芙蓉は紅倉のかつて無い窮地を思い、恐ろしい不安に胸を痛くしながら走った。
広場に入ると、昼の祭はもうお開きになったようで気味悪い年神様のわら小屋の他餅や雑煮の鍋などは片づけられ、ぽつりぽつりと老人たちが地震に不安な顔をして立っていた。
村長の家の玄関にも村人がいて、石階段から中の様子を窺っていた村人たちが血相変えて走ってくる芙蓉たちを何ごとかと見た。裏手に向かうと、そこにも20人ほどの村人たちが集まっていたが、彼らが見ている先、鬼木の婆の家は倒壊していた。小さな木造の2階屋だが、屋根が噴き上げられ、残った四角の木枠がスナック菓子の袋の口をぎゅっと締めたみたいにねじれて内側に倒れ込んでいた。まるでガスが大量に噴き上がって真空状態になった筒に外の空気が殺到したようだ。
芙蓉はカアッと頭に熱を発し、
「地下への入り口はどこ!?」
とミズキに訊いたが、ミズキは知らず、
「ジョン!」
と訊くと、ジョンは鼻をくんくん巡らせ、後ろへ回り、壁ごと倒れた裏口のドアをガリガリ掻いた。
「こっちね?」
芙蓉は斜めにねじれてバリバリ板の裂けたドアをミシミシ音を立てて引き破り、蹴って枠から外した。中を覗くと柱や壁板が割れて折り重なり、ぼろぼろに砕けた壁土が白く降り積もっている。すぐ左に奥の廊下に続くドアがあるが、倒れた柱に引っかかって動かすのはたいへんそうだ。芙蓉はじっと意識で先を探り、立ち上がると、左へ歩き、
「ここ、開けて」
と、ミズキと村人たちに壁を指して命じた。ミズキが、
「何か道具を持ってきてください」
と村人に頼み、芙蓉の示した壁を調べた。窓も何もない所で、手がかりが無くやっかいそうだ。とりあえず村長の家の庭からスコップを拝借して壁の破壊作業に取りかかった。
役場の裏の物置につるはしを取りに行った村人が「あっちも同じように倒壊してる」と騒いだ。芙蓉はそっちは特に関心がない顔をしながら、ミズキに
「急いで!」
と鋭く催促した。ミズキはスコップを折れ曲げそうに乱暴に扱い、板をバリバリ剥いでいった。村人たちに「神様のお宮」という声が囁かれ、芙蓉は自分たちに不審の目が向けられているのを感じた。ミズキがスコップを置いて手で直接板を掴んで力任せにバリバリ剥いでいくと、ぬっと白く粉を被った斎木の顔が現れ、ミズキも思わずビクッと体を震わせた。
「斎木さん!?」
「おっ、ミズキ! 戻ったか!」
斎木は白い顔で妖怪のように笑い、
「手伝え! ケイを上げる!」
と、いったん引っ込み、「ケイ!?」とやきもきしているミズキの前に目を閉じて眠ったケイの顔が突き出されてきた。
「引っ張り上げろ!」
奥から斎木が言い、ミズキは壁の下に腕を差し入れ、ケイの脇の下を掴んでケイの顔を割れた板にこすらないように気を付けながら引っ張り上げた。ミズキがケイを外に連れ出すと、
「ミズキ! 手伝え!」
とまた呼ばれ、ミズキはケイを芙蓉に預けて壁の穴に戻った。
芙蓉は受け取ったケイを離れた安全な場所に枯れた草を枕に寝かせてやった。ジョンが心配そうに顔を寄せてくんくん鼻を鳴らした。ケイは目を閉じているが、その左右と鼻の上に、ピンク色の薄い皮の盛り上がった大きな傷が痛々しく走っていた。
「クロさんっ!?」
ミズキが大声を上げた。腕を差し入れ、足を踏ん張って大の男を引っ張り上げた。周りで不審の目を向け見守っていた村人たちも現れた黒木の顔を見て「わっ」と驚いた。血だらけで、皮膚がぐさぐさに破けている。ミズキは抱きかかえて黒木を外に連れだした。斎木が這い出してきて、「頑張れよお!」と励ましてうめき声を上げる末木を引っ張り上げた。
「クロさん! いったい何があった!?」
あまりの重症ぶりにミズキがうろたえて問い、黒木はなんとか自分で立ち、ミズキを退けるような仕草をした。芙蓉が強い調子で言った。
「ケイさんは安藤さんを連れ帰るために『ガス穴』に入った先生をサポートするために神とコンタクトを取った。でも事故が起こり、ここで控えていたあなたたちが急いで救出に入ったけれど、地震で閉じこめられてしまった。そうね?」
黒木が
「そうだ」
と血を吐きながら答えた。村人から
「鬼木の婆さまと巫女たちはおらんのか?」
と質問され、黒木は
「悪鬼が現れて殺された」
と答えた。村人たちに「婆さまが殺されたじゃとう?」と動揺が走り、
「それじゃあ、か、神様はどうされとるんじゃ!?」
と質問された。黒木は首を振り、
「分からん。麻里と木場田さんが事後策を講じているはずだ」
と答えた。
「青年団長じゃと? なんで青年団長まで? 神の宮は男子禁制じゃろうが? なんでおまえらが?」
と、村の年輩者たちの不審は更に高まり、責めるような雰囲気が強まった。芙蓉が言った。
「だから、非常事態でしょ? 村長とわたしたちで契約があったのよ。さっさと村長に報告して確かめてきなさい」
「それもそうじゃ。急ぎ村長に報告じゃ!」
村人が数人走り、猶予はない、と芙蓉は黒木を睨んだ。黒木はうなずき、
「すまんが、診療所へ運んでくれないか? 見ての通りの有様だ」
と、弱々しく笑った。手を差し伸べようとするミズキを、
「おまえはケイを」
と断った。代わりに斎木が黒木の肩を支えた。末木も怪我をしているらしくジャンパーの胸が真っ赤に濡れているが、黒木ほどではない。ミズキはハーフコートを脱ぎ、芙蓉に持ってもらうと、ケイを負ぶった。その上にコートを掛けてもらい、袖を自分の首の前で結んでもらった。芙蓉は、
「急いで!!」
と、さも怪我人を気遣っているようにせき立てた。早足で歩いていく背中で村人たちの不審の目と何ごとか相談し合う気配をひしひしと感じながら。