71,娘の憤慨
神の住みかの水槽で。
麻里が不良青年のぶくぶく膨れた水死体を踏みにじっていた。
ふわふわに水膨れした肉体は女子高生の蹴りで簡単に潰れ、引きちぎられた。柔らかな腹を蹴り破り、心臓を蹴り抜いたらぶしゅっときったない汁をいっぱい吐き出したのでムカついて腕を蹴り飛ばし、手を踏みにじり、蹴り飛ばした。縮こまったぶよぶよに皮の膨らんだ陰部がことさら醜悪で、ぐちゃぐちゃに踏みにじり、両脚を蹴り飛ばした。幽霊がもがき苦しんでいるのが鬱陶しく、顔を踏みにじって完全に黙らせてやった。
バラバラになった死体を眺めて、
「まあ醜い」
麻里はいつもの人を小馬鹿にしたお上品な口調で言ったが、
「こんなくっだらない下衆野郎にまで。ムカつくったらありませんわ」
キイイと歯ぎしりしたくなるヒステリーが小さな胸の中で激しく波立っているのだった。
ジロッと陰険な目を水路の先へ向けて、
「お婆は死にましたか。ま、十分生きたからもうよいでしょう。どうぞご冥福を」
まるで心にもなく言い、
「さて。こちらのネズミどもにも罰を与えてやらなくてはなりませんわね。とりあえずメイコお姉さまだけ返していただかなくてはさすがに手が足りませんわね」
ギラッと物凄く怖い目で睨み付けた。
「ヒイイイイイイッ」
階段の途中でメイコは木場田の手を振り払い、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「ヒイイ〜、ヒイイ〜、麻里、わたしが悪いんじゃない、わたしのせいじゃないんだよお〜〜、許しておくれよお、ヒイイ〜〜、ヒイイイ〜〜〜〜」
「おいっ、しっかりしろ!」
木場田が怒って肩を掴んで揺さぶったが、メイコはひいひいわめいて頭を抱えて目を剥き、もうその場から動こうとしなかった。木場田は頭を抱える腕を一本無理やり引き離すと、
「しっかりしろ!」
バシンと頬を平手で打った。メイコは口を歪めて恐ろしく恨めしい目で木場田を睨んだ。すっかり病的に険が立って、後ろにまとめた髪が血を被ってごわごわにそそけて、まるっきり幽霊だ。
「おい、あんたは本当に『へその緒』の保管場所を知らないんだな?」
メイコはこうなったのも全部おまえたちのせいだと恨めしく歪めた口を動かしてようやく言った。
「知らないよ」
木場田は怖い顔を自分で照らして問いつめた。
「だが、それを知っていたお婆もヨシ婆あも死んだ。もうへその緒は使えない。そうだな?」
メイコはニタア〜っと、ざまあみろというように言った。
「麻里は知っているさ。あの子は秘密を嗅ぎ回るのが大好きな子だからねえ」
くそっ、と視線を外し、木場田は苛々考えた。メイコに向き直って説得を試みる。
「なああんた、メイコさん。俺は本当に村のみんなのために村を正常な状態にしたいだけなんだ。あんただって、まだ若いんだ、巫女の掟から解放されたいと思うだろう? なあ、なんとか協力してくれないか?」
メイコは四十半ばだ。女性として若いと言えるかどうか微妙なところだ。メイコはへらっと病的に笑った。
「今さら、誰がわたしなんか『女』と見てくれる?」
木場田はうんざりした気分で、たしかにな、と思った。木場田はメイコを見限った。そこへ、
「木場田さん!」
こちらも思い切り恨めしく非難を含んで斎木が呼びかけた。ケイを背負った斎木の後から互いをかばい合うように肩を支え合って大けがをした黒木と末木が上ってきている。木場田は、
「すまん」
と素直に頭を下げた。
「あの場では、俺にはどうにも出来なかった」
斎木が敵意剥き出しにじいっと睨み、追いついた黒木がほとんど表情の分からない顔で、
「それはいい。だが、まだあんたを信じていいのか?」
と訊いた。木場田は、
「俺は村のみんなを救いたいんだ。君たちだって、可能な限り助けたいと思っている」
と主張した。
「村人が自由になるためには、どうしても『へその緒』が要る。どうやらそれは麻里に握られているらしい」
メイコが
「もうすぐ来るよ」
とへらへら笑いながら言った。木場田は汚い物を見るように横目で睨み、黒木たちに、
「俺が麻里を説得する」
と言った。
「麻里を、説得できるか?」
「説得できなければ、もはや神を使えるのは麻里だけだ、神が復活したら、コントロールできるのも麻里だけだ」
と、忌々しく役立たずのメイコを睨んだ。
「なんとか『へその緒』を返してもらえるよう頼んでみる。俺たちの自由のために、どうしても必要なんだ」
「分かった」
黒木はうなずいた。
「俺たちはケイのために行く。せめてケイの自由を確保するまで、時間稼ぎしてくれ」
「分かった。最善を尽くそう」
「じゃあな」
斎木に邪魔にされて木場田は端に寄り、末木と黒木もすれ違って上っていった。
「死ぬなよ」
木場田の激励に振り返ることをしないで男たちは黙々と外の世界目指して上っていった。
麻里が来た。
「麻里! おお麻里! た、助けておくれ」
メイコがさも木場田から逃げるように大仰に腕を伸ばして麻里の元へ階段を駆け下りた。
「メイコ姉さま、汚らしいですわ。触らないでくださいまし」
麻里はメイコに冷たい一瞥をくれ、階段の上の木場田と睨み合った。
「君と交渉したい」
「あら。反逆者が今さら交渉の余地などお持ちだとお思いですの?」
「君が神を独り占めすればいいさ」
これには麻里も驚き、メイコもギョッと目を剥いてまじまじ木場田を見た。
「どうだ? 君なら神を自由に操れるんだろう?」
「まあ、できなくもありませんわ」
「俺が村をまとめて、神を君に譲り渡す。公安……国が神の力を欲しがっているようだから、なんならそっちの交渉を受け持ってやってもいい」
「ふうん。あなたにそれだけの力がありますかしらねえ?」
「神を君に譲るから、そうしたら、……『へその緒』を返して、村人を神から解放してほしい。そういうことなら、若い連中は必ず俺に付く」
「なるほど、『へその緒』ですか。まあ考えてあげてもよいでしょう。ではわたくしからの条件」
「その条件でも不足か?」
「村の結束力と覚悟のほどを見せていただきたいですわ。ケイ姉さまの体を奪い返してきなさい。お仲間が邪魔をするでしょうから、全員殺してくださいませ」
木場田は顔をしかめ、言った。
「必要ないだろう? 紅倉はどうした? 君が仕留めて来たんじゃないのか? ケイの魂は紅倉に吸収されていたんじゃないのか?」
「ああ、そうでした、紅倉美姫。彼女はまだ生かしておきましたわ、夜祭りの捧げ物に。ケイ姉さまもいっしょに供物にしましょう。そうそう、もう一人若い女の連れがいるんでしたわね? 彼女もついでに。神は、たいへんお喜びになるでしょう」
「そうか…」
木場田は少女の皮を被った悪魔の悪趣味さに反吐の出る思いがしたが、顔には出さず、思い切った。
「分かった。ケイを取り戻す。それで、こちらの条件はのんでもらえるんだな?」
木場田の物わかりの良さにふうんと麻里は考え、
「ま、よろしいでしょう」
と言った。
「青年団に黒木チームを狩らせなさい。外に逃げられるようなら公安の皆さんにもご協力お願いしなさい。くれぐれも抜かりないように」
「分かった」
木場田は重々しくうなずき、上を向いて歩き出した。
『黒木君。すまんな』
と謝りながらも心を鬼にして。
血みどろの死闘が、始まる。