67,水槽
また時間をさかのぼる。
地震が起きたとき斎木と末木は役場裏の道具置き場に隠された階段を下って神の住みかの入り口付近に潜んでいた。
「運が良ければ」訪れるタイミングをじっと待ち、それがいつどのように訪れるのか、本当にあるのか、分からなかったが、二人は『きっとある』と信じていた。ここは神の地、心から願えば、きっとかなうのだ。
地震が起きた。かなり激しい早い揺れだ。
確信はなかったが、今だ!、と二人はドアを開け、ドーム型の水槽に飛び込んだ。
ここの水深は腿の辺りまで。懐中電灯で中の様子を照らし出した二人は、そこに浮かぶ物を見てさすがに総毛立った。
水死体、としか思えない、自分たちが狩ってきた不良青年の哀れななれの果てだ。今さらこの男に対し罪悪感もないが、単純に生理的な嫌悪感を感じた。
「どうやら神様はいないようだな」
水の流れを見て、
「こっちだろう」
大の男にはちょっと狭い水路へ腰をかがめて入っていった。まだ揺れは続いていて古い石積みの通路は石同士の擦れ合うギシギシキュイーンと言う不穏な軋み音に不安を感じつつ、それを押しのけてひたすら急いだ。ここはもっと恐ろしい化け物の巣窟なのだ。
水は甘く、べとつきがあった。やがてそこにぷーんと、かなり濃いもったいなくも高級なアルコールの匂いが充満した。
「いったい何してやがるんだ?」
匂いだけで酔っぱらいそうな濃厚なアルコールに思わずつぶやきながら斎木が先にひたすら進んだ。
水路が分かれた。Yの字に分かれて、どちらからも水の流れがある。
「くそ、どっちだ?」
揺れが急速に収まっていき、止まった。
「急げ!」
後ろから末木に急かされ、
「ええーい、こっちだ!」
勘で選んで右へ進み、どんどん先へ急いだ。途中途中支流らしき流れが合流してきて、いくつか角に行き当たり、曲がって進むと、通路の途中で奥の部屋に分岐する枝道があった。斎木は喜び勇んで進もうとしたが、
「待て」
後ろから末木が待ったをかけた。
「ずいぶん来てしまったぞ? 本流をぐるっとさかのぼって来ているんだ。俺の勘じゃあここはもう村の外れの方だ」
「でも部屋があるみたいだぜ?」
斎木はグズグズせずに早く入って確かめたがったが、
「いや、止せ。ここはなんだかひどく嫌な感じがする」
末木は反対した。
「なんだよ、おまえ霊感なんてないだろう?」
「ないが、おまえは鈍感すぎるんだよ」
斎木は不満そうに口を尖らせたが、
「最初で間違えたんだ。急いで戻るぞ」
末木は未練も見せずにさっさと戻り始めた。斎木は未練たらたらに
「なんだよお、臆病者」
と穴の奥を振り返ったが、
ユラッ、ユラッ、と、
りんの青い炎が揺らめき、それが恨めしげな男の顔に見えて……
「なんだ、外れか」
斎木も間違いに納得してずいぶん先を行ってしまっている末木を急いで追いかけた。
結局最初のYの字の分岐まで戻り。
「やっぱりここだ。ケイは支流に入って神を待ち受けたんだ」
末木は分岐点で左に弁があって開いているのを見て確信した。
「行くぞ」
末木が進み、斎木も続いた。
やがて、広い所に出て、支柱が並んで立ち、床下のようだ。水深も浅くなって、懐中電灯で照らした末木は、
「いた! ケイだ!!」
水に濡れて横たわるケイの体を見つけた。低い天井に身をかがめ猿のように床を手で叩きつつ駆け寄り、
「ケイ! ケイ!」
小さく鋭く呼びかけ、様子を見ながら薄着の肩を揺すった。ケイの首はぶらんぶらん揺れ、まるで意識の反応はない。
「やはり魂は戻っていないようだな」
「このままここに置いておかないと拙いのかな?」
「……いや、救い出せるチャンスはこれっきりだろう。とにかく確保だ」
末木はケイを照らしていた光線を上に向け、床の穴から立ち上がって上の室内を照らし、誰もいないのを見ると這い上がった。
「ケイをよこせ」
斎木の懐中電灯を受け取って照らしてやり、斎木が抱き上げて立ち上がったのを受け取って床に寝かせた。斎木が這い上がってくる間に末木は外の通路を照らして様子を探り、
「だいじょうぶだ。ケイを負ぶってついてこい」
斎木がケイを負ぶって来るのを待って通路を進んだ。
「ケイが冷たいよ」
裸に薄物を一枚まとっただけでぐっしょり濡れたケイを背中に抱いて、斎木が言った。
「早く温めてやらないとな」
末木はエレベーターを見つけてボタンを押してみた。ランプはつくのだが、しばらくして消えてしまう。もう一度やっても同じだった。
「さっきの地震で安全装置が働いたか……そんな物無くてただの故障か」
「階段がある」
「行こう」
二人は階段を上がり、上の通路の様子を見て破壊された防御壁を見つけた。末木が先になって狭い穴をくぐり抜け、
「様子を見てくる。おまえはケイと階段のところで待っていてくれ」
と、一人先へ進んだ。そこに黒木と木場田が向かった巫女たちの詰める「室」がある。
再び末木と斎木の後方へ戻る。
井戸の底の神の住みかである。
二人が汚い物を見下す一瞥をくれて水路に消えていった後、見下されて軽蔑されたそれに変化が現れた。
ゴゴゴゴ、と揺れは続き、水は丸い波紋を往復させぶつかり合ってバシャバシャ跳ねた。
不良青年を載せた板は左右にぐらぐら揺れ、やがて地震は静まっていったが、そうすると揺れの収まってきた板の上で白く水膨れした青年の体が苦しそうにじたばたと動き出した。左右から板に固定された頭を一生懸命動かそうとし、鼻と口を覆った粘膜をブフーーブフーーと懸命に膨らませ、ロープにくくられ、ケイに腱を切られて動かない手足を重そうにして必死に胴体をくねらせ、苦悶の痙攣を続け、やがて、ブルブル最後の震えを終え動かなくなった。それまで神の肉体にくるまれどういう風にしてか生きながらえていた傷だらけの肉体が、神が眠って生命維持機構がダウンし、ついに死に絶えたのだ。死に物狂いの苦しい臨終だったが、苦しみを感じる意識は持たなかったはずだ。ところが。
暗闇の中で、腐乱したような肉体を覆っていたゼリー状の物が、白く変化し、もやもやと、屋台の綿菓子が時間が逆転してほどけていくように細い糸になってゆらゆらと体から漂い始めた。それはうんと伸びると、やがて宙で一つにまとまっていき、何か形作っていった。人の形になっていき……、その顔の部分に、たった今死んだところの不良青年の顔が浮き上がった。
不良青年は起きたての寝ぼけた眼で、とてつもなく不機嫌な、凶相をしていた。
「・・ち・く・しょ・う・・・・」
驚いたことに不良青年の幽霊?ははっきりと耳に聞こえる言葉を発した。
「なんだろうなあ〜〜……、ものすげえーー……、
人をぶっ殺してえ気分だぜええ〜〜〜〜〜………」
くわっと目玉を剥き、ニイイッ…と歯を剥き出し、凶暴な面相でギョロリ、ギョロリ、と「ぶっ殺す」相手を捜した。
「そこに、いやがるなああ〜〜〜………」