60,小競り合い
ミズキは芙蓉の見ているらしい隣の電波山の中腹の狙撃地点をそうっと覗き見て、芙蓉を見た。
「あそこからか? あんな距離からの銃弾を、どうやって避けた?」
距離は120メートルくらい。一般的なライフル銃の弾速は秒速700メートルから900メートル。スーパーマンでもあるまいし、飛んでくる、弾丸を避けるなど不可能で、撃ったと気づいた瞬間には打ち抜かれている。破片の飛んだ岩肌の位置からしてスナイパーの狙いは完璧だったはずだ。相手の姿が見えないこの位置で撃とうとしているアクションを目視して避けたとは考えられない。
「どうやった?」
幹の根元に張り付いてじいっと向こうの気配を探るようにしている芙蓉はうるさそうにジロリとミズキを睨むと、すぐに視線を戻し、集中を切らさないように言った。
「あなた、銃で狙われたことある?」
ミズキはいささか顔色を無くして答えた。
「いや……」
「今の仕事から転職する気がないなら一度狙われてみることね。体の中にね、ヒヤリと透き間が空いたような感覚がするのよ。その嫌あな感じをね、体が覚えているのよ」
ミズキは経験のなさを馬鹿にされたようで面白くなく言った。
「だからって、普通の人間に弾が避けられるか」
「まだ狙っている」
芙蓉はじいっと集中し、ミズキもジョンの背を押さえて地面に張り付き、何か感じられないか必死に探ったが、ミズキには無理だった。じいっとしていた芙蓉の緊張が、ふっと解けた。ミズキを見てフフッと笑い、
「穴がふさがったわ」
と自分の心臓を指で突いた。
「とりあえず狙撃は諦めたようだけど、まだスコープを覗いているわ。でも……、ちょっと面白いことになりそうよ?」
怪訝そうなミズキに芙蓉は謎の笑みを浮かべた。
狙撃手は隣の山の芙蓉たちより少し高い位置で岩のくぼみに腰を預け、木の幹と枯れた灌木を盾に身を潜め、立てた左膝に左肘を載せ、左手と右肩で銃身を支えてスコープを覗いていた。ライフルにはサプレッサー(銃声低減装置)が装着されている。秋枯れの山に合わせたカーキ色のジャケットを着て、薄いスモッグのサングラスを掛けている。日本太郎とは別の公安隊員だ。じいっと意識を集中してスコープを覗いていたスナイパーは、
「…見えてるのか……」
とつぶやき、凝った首をほぐすように軽く頭を振った。
一撃必殺がスナイパーの必須だ。
狙いは完璧だった。まれに超感覚の人間が気配に気づいてこちらを向くということがあるが次の瞬間には額を撃ち抜かれている。その点も相手が霊能力者ということに十分留意し、超一流の彼は自然の呼吸で極めてスムーズに引き金を引き、無心に「的」を撃つ訓練が出来ている。実施の経験も積んでいる。
女の動きは意識したものではなく、無意識の反射だった。
「こいつも化け物ということか」
悔しさより面白い物を見つけた好奇心でスコープを覗いた。丸い視界に岩場の浅い土から盛り上がるドングリの木の根が映っている。男の頭がチラチラ覗いて笑わせるが、女は、ひょっとしてどこかに移動したかと思わせるほど完璧に隠れていた。単なる臆病ではなくこちらの位置を完璧に把握しているのだろう。
フフッ、と男は笑った。
「面白れえ」
ギラッと、サングラスの中で男の目が動いた。
「おっと。公安の旦那。動いちゃ駄目ですぜ」
背後の高い位置から男の声が降ってきた。
公安はびくつく風もなく笑った。
「やっと出てきたか。そっちもいい加減隠れん坊は飽きただろう?」
背後の男も笑いを含んだ余裕のある声で応じた。
「今しばらく大人しくしていてもらわなくちゃ困りますよ? 紅倉の死を確認するまであの女には手を出さんでください」
「紅倉の姿はないぞ? そっちで片づけてくれたんじゃないのかい?」
「その予定なんですがね。ですからもうちょっと辛抱してくれなくちゃ」
「面白い的だ。他に譲りたくはないな」
公安は再びターゲットを狙うポーズを取った。
「旦那。言うことを聞いていただけないんで?」
「だったらどうする? ど田舎とは思ったが、まさか竹槍が得物とはな」
「・・・・」
相手の驚きを察して公安は笑った。
「頭に目は付いちゃいねえよ。バックミラーで見てるだけさ」
公安の足元には何かの蓋みたいな黒い四角のプラスチックが立てかけられていた。真っ黒で光の反射はなく、とても何か映りそうには見えないが?
「グラスとセットでな、俺の目には見えてるんだよ。あんた、猿飛びサスケの子孫か?」
次の瞬間公安はざっと横へライフルを抱いて転げ、そこへ竹槍を突き刺す形で小柄な男が降ってきて、横へ転げた公安を追ってビュッと竹槍を振った。しかし公安は更にひょいひょいと木の根元を蹴って斜面を駆け下り、
「動くな」
広い足場に下りたって体を反転するとライフルを構えてまっすぐ村の男に狙いを定めた。男は槍投げの間抜けなポーズで固まり、じっとり脂汗を滲ませた。
「フフッ。形勢逆転、てとこだな。まあ、そういきり立つな」
公安はライフルを下ろし、そこにあった細長いプスチック製のケースにしまった。いざという時の脱出ルートも計算してあったのだ。
「高い道具なんでね。傷つけたくないんだ」
公安はニヤニヤ男を眺めた。灰色の野良着に地下足袋を履き、公安と同じような茶色の上っ張りを着て、確かに現代の田舎の忍者っぽい。小さな丸顔で、猿っぽくもある。公安隊員の油断ならなさを思い知らされながら、コケにされてカッカと怒っている。
公安は腰からアーミーナイフを抜き、言った。
「来いよ。いっちょ揉んでやる」
「舐めるな!」
猿男はカンフー映画みたいに背中に槍を隠して3メートル飛び降り、体をひねってビュッと槍を突きだした。
「面白れえ」
公安は右手にナイフを逆手に持ち、左手で体をかばうようにして槍の突きを避け、
「イヤアッ」
とくり出される蹴りも避け、ブンと槍を振り回す間合いに走り込み、必死の形相の猿男の胸に「ドン!」とナイフの柄を突き入れた。猿男は後ろによろめき苦しそうに胸を押さえた。公安は油断無く構えながら仕掛けず、次の攻撃を誘っている。格闘の実力は明らかに公安が上だ。猿男は歯を食いしばり、
「舐めるなと…、言っただろう!」
左手を開いて突き出し、バトルアニメみたいに
「ハアッ!」
と気合いを発した。すると、公安の足元からザッと枯れ葉が吹き上がり、公安の顔を襲った。
「うっ、くそっ」
サングラスの隙間から細かいちりが入り込み、痛みを感じて公安は思わず目を閉じて後退した。猿男はすかさず槍をくり出し、痛みに耐える怖い顔で薄目を開けた公安は間一髪避けると槍を左脇に抱き込み、ナイフを円を描いて振り上げ、猿男の腕を切り裂いた。鋭い痛みに手が槍を放し、パッと袖に赤い色を滲ませながら
「うおおおっ」
猿男は気合いを発して公安に組みつき、
「うおおおおおおおおおおおっ!!!」
ドドドッ、と農作業の馬力で公安を押しやり、ドン!と木の幹に押し付けた。
「気色悪りいな」
公安は腕を羽交い締めにされながら手首を返しナイフの刃で猿男の太ももをえぐった。
「ぐおっ、」
猿男は飛びのき、負傷した脚をかばって斜めに姿勢を崩し、憎々しげに公安を睨んだ。
「フフフ。まあそう怒るな。こっちはこれで飯を食ってるんでな。おっと、そっちもそうだったかな?」
ニヤニヤ笑う公安を、猿男は、ニヤニヤ笑い返した。公安が怪訝に不快な顔をして、ふと、足下に目をやった。驚きが表れ。
「なんだこれは?」
足を動かそうとしたが、動かない。太いツタ植物が足首から太ももまで絡みついている。公安はそういう場所に追いやられたのかと思い、ナイフでがっちり腿を締め付ける太い繊維を切断しようとした。その手にシュルシュル蔓が伸びて来て巻き付き、公安はギョッと驚き、巻き付かれた腕はぐうっと強い力で引っ張られ、気づくと左腕も、両腕を後ろに引っ張られ、背中を幹に押しつけられ、木に縛り付けられてしまった。
「くっ、くそっ、な、なんなんだこれは!?」
予想外の出来事に公安はすっかり余裕を失いわめいた。ハッと、初めて恐怖の目で村の男を睨んだ。
村の、青年団の団員は、形勢逆転にニヤニヤ面白そうに公安を眺め、言った。
「遊び相手を間違えたな。ここは神のテリトリーの中だ。ここで、俺たち相手には勝てんよ。ま、そこでゆっくり頭を冷やすんだな。ここの夜は、冷えるぞ?」
笑いながら、ライフルをしまったケースを取り上げ、
「質草にはならねえなあ?」
とうそぶき、笑いながらどこぞに立ち去った。公安は
「てめえこそ、ここで遊んだことを後悔するぞ」
と怒り心頭である。
公安と青年団が対決している間に芙蓉たちはとうに山を下って村に入っている。