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48,見えない少女

 芙蓉は固まったまま口が利けなかった。

 確かに洞窟の奥から歩み出てきた少女は、お誕生会にでも着るようなおしゃれな白いスーツとスカートをはき、白いエナメルの靴を履いた、十歳くらいの可愛らしい少女だった。ただ、髪の毛まで真っ白だった。眉毛も白く、唇の色も薄く、瞳だけ黒かった。

 あり得ない場所に突如出現した少女を、芙蓉は幽霊だろうと思ったが、輪郭がはっきりし、足や髪の毛に向こうの景色が透けて見えることもなく、芙蓉の目にはどう見ても現実の女の子としか見えなかった。

「あ・・、あの、先生、お・・、女の子………」

 芙蓉はようやくあごを震わせながら言い、懐中電灯と反対の手で指さした。

「うん?」

 紅倉は振り返ったが、

「どこに?」

 と首をかしげた。芙蓉は驚いた。

「先生。いるじゃないですか、そこに、白い服の……女の子が」

「白い服の女の子お〜〜?……」

 紅倉はう〜〜んと目を細めて透かし見たが、

「どこ?」

 と見えないようだ。しかし肉眼に見えなくても、紅倉の目なら、生きていようと死んでいようと、人の気配が見えないわけはないのだ。すると…。

『すると、これは、わたしの頭が作り出したイメージ?』

 と芙蓉は怪しんだ。そういえば少女は毛の色以外純日本人的だが、顔立ちは紅倉先生によく似ている。

 紅倉美姫によく似た十歳の少女は穴の前に立って芙蓉を安心させるようにニッコリ笑った。芙蓉は。

「先生。どうやらわたしの頭が幻を見ているようです。恐怖に負けようとする心を守るために自衛装置が働いたようです」

 と、冷静になって説明した。それがどうして紅倉の少女の姿をしているのか分からないが。

 紅倉は芙蓉が見ているらしい所を眺めて、

「ふうーーん。面白いわね? 確かに、わたしになにも見えないんだから、そういうことなのかしらねえ?」

 と、一応納得したように言った。

「美貴ちゃん、大丈夫?」

 芙蓉はしっかりうなずいた。

「失礼しました。大丈夫です。行けます」

「そう?」

 紅倉は心配そうにしたが、芙蓉のオーラが健康的な色を取り戻したのを視て

「じゃあ行きましょうか。でも、無理はしないでね?」

 と歩き出した。芙蓉は紅倉について歩いていき、少女に近づきながらドキドキした。頭の中のイメージだと思うのだが、そこに居て、リアルだ。少女はニコニコしながら紅倉をよけ、芙蓉が隣に来ると、手を伸ばして腰に触れた。

 芙蓉ははっきりと触られる感触と熱を感じた。

 少女の背は芙蓉の胸の辺りで、少女は芙蓉の腰に手を当てながらニコニコ芙蓉を見上げた。

 どうやら芙蓉の脳はどうでも少女の幻を「本物」と思い込ませたいらしい。芙蓉はこんな場所にいる少女に不気味だとか怖いだとかいうネガティブな感情をまるで抱かなかった。本能的に自分の味方であるというのは間違いなく感じる。たしかに、こんな思い切り自分の好みの少女に一緒にいられたら、怖いなんて後込みしていられない。

 枯れ枝を燃やした跡があった。白い灰が積もり、数本の黒焦げた枝が載っている。

「ここで煙を焚いて、穴の中をいぶして安藤さんを奥へ追いやったようですね」

「ふうん、木場田さんの話からするとそうなんでしょうねえ」

 芙蓉もまだこれが先生を誘い込むための罠ではないかとの疑いを捨てていない。

 入り口前に立つ鳥居が十三個目だった。

 芙蓉は紅倉を追い越して最後の真っ黒な鳥居をくぐり、

 懐中電灯をつけ、中を照らし、入り口をくぐった。

 木の柱と梁が連続し、地面も丸太の横木を並べた上に板を4枚縦に並べて差し渡し、ずっとそのまま続いているようだ。壁にノミだかつるはしだかの当てられた跡が見え、洞穴と言うより坑道、簡易なトンネルのようだ。

 人工の物ならなんの目的で作られた物なのだろう?

 人が作ったからには最初から人の立ち入れぬ呪われた所ではなかっただろう。

 木組みはかなり古そうで、何故かこれら木材は鳥居や表の変形した木々のような禍々しい変質はしておらず、代わりに天井を支える梁に大きなひび割れが走っていたり、足場の板が普通に腐って足が踏み抜きそうになったりして、純粋に落盤事故の危険が感じられた。

「先生、足元に気を付けてくださいね?」

 すっかりいつもの調子を取り戻して芙蓉は先に立って歩いた。その後ろを少女が腰を掴んでぴったりくっついてくるのがくすぐったいようで変な感じだが。

 トンネルは緩やかに下っている。

 奥から嫌あな空気が上ってきている。血に脂肪が混じって腐った、きつい悪臭だ。ペンションに帰ったら今晩は大量に入浴剤をぶち込んだ風呂に2時間は浸からなくてならない。

 トンネルは左右のぶれはなく、山をグルッと回ってきてはっきりとは言えないが村に向かって伸びている。ただかなり山を下ってきたから、更に下っていくとなると完全に村の地下に潜っていくことになるに思う。

 少女のおかげで立ち直った芙蓉はこのまま行けると自信を持った。


 しかし。


 歩きながら、芙蓉は得体の知れないめまいを起こし、頭がガンガンに痛くなってきた。胸が気持ち悪くて、まあやったことはないが安い酒に悪酔いしたみたいに、吐き気がしてしょうがない。なんとか堪えながら歩き続けたが、めまいがひどくなり、突如平衡感覚を失ってドドッと床に倒れ込み、危うく岩の壁に頭を打ち付けそうになった。

「す、すみません……」

 懐中電灯の黄色い灯りで足元を確かめ立ち上がろうとするのだが、頭の中身がぐらっと傾いて、意志と反対方向にドオッと転げ落ちてしまった。

「くっ……」

 芙蓉は板の上をゴロゴロ転げ、両手で掻いて、必死に立ち上がろうとしたが、めまいがひどく、視界がぐうーーーーっと回転して、気持ち悪くてならない。芙蓉はまたすっかり自分の頭がどうかしてしまった恐怖を感じた。


 紅倉が、


「ああーー……、これは美貴ちゃんには無理だわ」

 と言った。

「先生?……」

 自分の何が駄目なのか? 芙蓉は悔しくも胸が気持ち悪く、すがるように紅倉に訊いた。

 紅倉は平気なように、斜めに立ち、言った。

「視覚の罠が施されているのよ。これは自然に出来たものじゃなくて、意図的に仕組まれたものね」

「どんな……罠なんです?……」

 芙蓉はその仕組みから抜け出せずに苦しみながら訊いた。紅倉は相変わらず平気な様子で。

「この道、ううん、この道と柱のユニット、水平に続いているように見えて、実は少しずつ斜めになっていって、ご覧の通り、けっこうな傾きになっているのよ」

 と、斜めに立った紅倉は手を左右に開いて平均台に乗ってバランスを取っているように体を揺らした。

「傾いている?……」

 芙蓉は確かめるように懐中電灯の光を前方に向けたが……、それが罠なのだ。床板と柱、天井の梁は直角を保ち、水平だと思い込んでいる脳は、耳の三半規管の斜め信号を誤りとして受け止め、無理やり補正しようとして、まんまと、斜め地獄の罠に陥り、視界が回転し、無様に転げ落ちる醜態を晒してしまっているのだ。

 ケイが

「自分たちのような人間はかえって平気なんだけど」

 と言った仕掛けの正体がこれだ。視覚に頼る健常者にはここは感覚の狂った地獄の廊下だ。

 理屈は分かっても、日常的に擦り込まれた感覚のズレを修正するのは難しく、どんなにこうだと感覚に命令しても言うことを聞かず、脳の酩酊状態は収まらない。

「ああ、無理しない。目を閉じて、水の中にでもいるように考えて。耳の平衡感覚に素直になって」

 芙蓉は壁に寄りかかり、素直に目を閉じた。ボディーガードのつもりがまったく足手まといだ。目を閉じていると段々気持ち悪さが収まってきた。しかし困った、これでは先へ進めない。

「美貴ちゃん、役立たず〜〜」

 紅倉が意地悪を言って笑った。

「わたしが前を歩くから、しばらく灯りを消して、わたしに掴まってついてきなさい」

 芙蓉はまったく無様で情けないったらないが、

「はあーい。よろしくお願いしまあーす」

 と、紅倉の肩に掴まらせてもらった。懐中電灯は紅倉が預かった。芙蓉は紅倉の両肩に掴まらせてもらって、まるで幼児の電車ごっこだ。紅倉が運転手、芙蓉が車掌、謎の白い女の子が芙蓉の腰に掴まってお客さんだ。


 歩きながら、芙蓉は出来るだけ何も考えないようにした。視覚をイメージするとどうしてもまためまいに襲われる。本当に、何をしに付いてきたのか分からない。

 が。

 突然、ザワッと全身の肌が泡立つ感じがして、これまでと比べ物にならない凄まじく強い危険を感じた。

 はっきりと、凄まじい敵意を持った存在が、そこに、居る。

「美貴ちゃん」

 紅倉が言って、カチッと懐中電灯のスイッチを入れて、前方を照らした。

 またも鳥居の連続があった。

 しかしおかしな眺めだった。

 真っ黒な鳥居が、

 足元に小さな、靴の先が入るかどうかというミニチュアの鳥居が立ち、

 徐々に大きくなって、八つ目で、天井近くの高さになった。鳥居と鳥居の間は1メートルくらい。中間地点でよけるのとくぐるのと面倒そうだ。

 しかし。

 そんなことを考える余裕は芙蓉にはなかった。

 八つ目の鳥居の向こうに、鉄格子のドアがある。

 その鉄格子の向こうに、

 真っ赤な人間が、

 手足を鎖につながれ、中途半端な姿勢でぶらさがっていた。

 うなだれていた首がグルッと動いて顔を上向かせた。




   「あああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」




 その口の発した声を聞いて、芙蓉は体が震え、今すぐ走って逃げ帰りたい衝動を感じた。

 生ある体の本能が、最大限の危険信号を発していた。

 赤さびた鉄板を爪で掻きむしるような不快な声は、これ以上なく危険な、死、そのもののように思えてならなかった。

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