44,祭の裏で
「みい〜〜やあ〜〜びきのお〜〜、おみぎりいはあ〜〜〜、はやしだてえ〜〜〜、せみはらいい〜〜〜」
舌っ足らずな言葉で意味も分からず子どもたちが歌い、神楽の真似事のような踊りを踊った。
ちょっと気味の悪いわら人形の2体上下に座ったわらの小屋の前で、衣装を着てお化粧した愛美ちゃんもいっしょに踊り、海老原氏は一人だけ忙しくカメラのシャッターを切っていた。
祭が自分たちをとどめるために用意されたという疑いを抱く芙蓉だが、子どもたちの一生懸命の歌と踊りを見る限り昨日今日の付け焼き刃ではないだろう。もっとも愛美ちゃんはまだ恥ずかしさと練習不足でぎこちなく、他の子たちは毎年踊っているのだろうが。
芙蓉はニコニコ子どもたちのパフォーマンスを眺めているジャージの相原先生に近づいていき、訊いた。
「すみません、旅行者なんですが」
「はいっ?」
相原先生は目をクリッとさせて笑顔で芙蓉を見た。
「このお祭は最初から今日行うことが決まっていたんですか?」
「ええ」
相原先生は不思議そうにして言った。
「4月の年間行事で参加が決まっていました。こんな小さな所ですから、地域の文化は大切にして、積極的に参加していかなくては」
ね?と相原先生は子どもたちの教育者らしくチャーミングに笑った。子どもたちの舞まで疑惑の目で見ていた芙蓉は自分がなんだか都会の嫌な大人のような気がして恥ずかしくなった。
どうやら祭は最初からこの日に決まっていて、自分たちがこのタイミングで来たのは偶然で、ひょっとしたら、村人の方こそこのタイミングの訪問をひどく迷惑に感じているのかも知れない。
反省反省、と思いながら、出来るだけ清い心で子どもたちの神楽舞を鑑賞した。
舞が終わり子どもたちが揃ってお辞儀すると村人たちは拍手をし、
「はいはい、ご苦労様。ジュースを飲んで、この後はお待ちかね、餅つき大会だよー?」
助役の賢木氏が平たい顔に人のいいニコニコ笑いを浮かべて子どもたちをねぎらった。賢木氏と、実行委員らしい数人が子どもたちと同じ深緑の半纏を着ている。半纏を着ているのは若い……と言ってもせいぜい二十代後半から三十代、四十代が中心の10人ほどの男女で、その他村人は老人を中心に5、60名ほどいるだろうか。一方で餅つきの臼と杵を用意し、一方で大きな鍋に湯を沸かし汁物の調理にかかっている。
芙蓉は紅倉の所に戻り、勝手にうろうろして迷子にならないよう手をつないだ。
表で祭が賑わっている裏で。
村長宅。
例の居間で村長はテーブルを挟んで今度はケイの仲間の「クロさん」ともう一人の仲間と向かい合っていた。
「今村に公安の連中が入っているのは聞いているな?」
村長に公安や紅倉たちに対して見せたようなおどおどした所は微塵もなく、達磨大師のいかめしい面相に太い筆致の気迫を感じさせる怖い睨みを露わにしている。
「はい」
クロも正座をしてかしこまって答えた。
「2人山の中に確認しているが、おそらく、もう2、3人はいるだろう」
「はい」
「ここに訪ねてきた奴がな、こんな物を置いていった」
村長は公安「日本太郎」に渡された写真をクロともう一人の前に滑らせた。写真を見た二人はギョッとした。
「手落ちだの」
村長に不愉快そうに言われて二人は顔を強張らせた。見せられた事実のショックが顔にありありと残っている。
「公安め、このわしをこれで強請りおった」
村長は不愉快そうにも年の割に厚い皮膚をめくり上がらせてふてぶてしく笑った。クロは
「落とし前は付けます」
と決意を込めて答えたが、村長はうるさそうに手を振った。
「公安はええ。手は打ってある。おまえが考えねばならんのは、………分かるな?」
クロは顔を苦しそうにヒクリと引きつらせ、重い口調で、
「……ケイ…………ですか……」
と答えた。村長は無慈悲に言った。
「そうだ。……フン、
いささか、調子に乗りすぎておるようだの?
黒木。おまえも持て余しておるのじゃろう?」
クロ、本名=黒木は、
「いえ。そのようなことは」
とケイをかばった。村長は仏頂面に「フン」と鼻息を漏らし。
「ええわい。…………
あれはよう働いてくれとる。感謝しとるよ。だが。
あれは個人の恨みが強すぎる。恨みが強すぎて、精神がコントロールできず、与えられた力を過信しとる。己自身の弱さがまるで解っておらん。それは、危険だ。分かるな?」
「…………………」
黒木は無言で苦しそうにうつむいている。
「あれはかわいそうな女だ。だが、甘やかすわけにはいかん。ここの存在する意味を、もう一度、きちんと理解させねばならぬ。しばらく村にとどめ置き、鬼婆の仕事を手伝わせよう。それで良いな?」
「はい」
黒木は正座の腿に両手を揃え、背筋をまっすぐ伸ばしたまま頭を下げた。
「うん。………
神の力を身につけた者は貴重だ。無駄にすることはしたくない。鬼婆の言うことを聞いて大人しくなればええが、もし、鬼婆の言うことも聞けんと我が儘言うようじゃったら、
黒木、
そん時は、ええなあ?」
村長の声が大きくなり、黒木は下げた顔にじっとり脂汗を浮かべた。
「もったいないが処分せんにゃいかん。あれを始末するとなるとこちらも相当の覚悟をせんにゃならんが、ええなあ?黒木い?、覚悟してかかれやあ?」
「はいっ」
黒木は今一度しっかり頭を下げ、静止した。村長は声を和らげ。
「顔を上げなや。…ま、そうならんようにな、婆様に骨折ってもらおう。なあ。」
子どもをあやすような声に黒木は固く苦悩した顔を上げた。もう一人隣の男はガチガチに緊張して悲愴な顔でずっと下を見ている。
「この村は大事だで、何を犠牲にしても守らねばならん。のう、黒木。おまえは、解っておるよなあ?」
「はい」
再びかしこまる黒木にまあまあと村長は手を振った。
「分かっておればええ。黒木。斎木も」
もう一人は斎木というのだった。
「ケイもじゃ。みんな村を守る大事な仲間だ。誰も、犠牲になんぞしとうない。ええなあ? わしらには、天に与えられた大事な使命がある。くれぐれも、それを忘れてはいかん。ケイも、ちゃあんと、分かってくれるだろう。のう?」
黒木はさっとうなずき、斎木はこわごわ首をコクンとうなずかせた。
「ええよ。お行き。お祭を楽しんでおいでな。ケイには、後でな、落ち着いたら話すで、おまえたちが心配せんでもええよ。さ、お行き」
黒木はスッと立ち上がり、きちんと礼をして、斎木の後ろを回って障子を開けて出ていった。斎木は無様にお辞儀して慌てて黒木を追い、慌てて障子を閉めていった。
スッと、
吹き抜けの2階の障子が開き、老婆がしわくちゃの顔を覗かせた。
「なんじゃ婆様、そこにおったんかいな?」
屋敷に住み着く妖怪の神出鬼没ぶりに村長は情けない渋面を作った。子分どもに睨みを利かせた大親分の厳めしさは消えている。
「紅倉に続いてケイまでかいな? ほんに難儀なこっちゃな」
「うむ、頭が痛いわい。
というわけでな、婆様や、ケイを預かって、仕付け直してくだされや」
村長は手を合わせて拝むかっこうをした。
「よせやい、縁起でもねえ。わしゃまだ拝まれる身になりとうないわ。
ケイか……。あれは難しい女じゃぞ? 必ず、わしの言うことなんぞ聞かんで、やり過ぎるぞ?」
「目でも耳でも使えんか?」
「そこにとどまってはおらんじゃろう。………
あの女の魂は、血に飢えておる。
神を、荒ぶる物にしてしまうぞ? 特に、一度交わっておるからの、自分の立場を勘違いしておる。
巫女として使うのは危険じゃ」
「うーーーーーーむ…………………」
村長は腕を組んで首をひねり、渋面で心底困ったようにうなった。さんざん考え。
「いっそ…………………
紅倉にぶつけるか?」
老婆もぶ然とした真顔になって言った。
「神の中でか? 危険じゃぞ?」
村長は腹の決まった静かな目で老婆を見上げて言った。
「仕方なかろう。紅倉を仕留めるなら神の中でやらねばならぬ。魂を逃して、本当に村を祟られたら堪ったものではないわ。
巫女たちを使って見張ってくれ。神のコントロールを失わんようにな」
「解った……。しかしそうなると、紅倉とケイ、両方いっぺんに失うことになるかも知れんぞ? それで、後のことはええんかい?」
「紅倉が死ねば公安との話は付く。ケイが消えれば、強請のネタもなくなる。いずれも村は安泰じゃ。
のう、婆さんや。これもみな村のため、使命のためじゃ。わしら年寄りは、辛抱せねばのう………」
悲しそうに目をしょぼつかせた。老婆も。
「しょうがねえわ。わしら先祖代々、ずうーっと、そうして生きてきたんじゃからな。これがこの村の血の運命じゃわ」
すっかりあきらめた様子で黙り込んだが、ふと、別の疑念に顔をしかめて言った。
「嫌な卦(け)が向いておるのう? どうも不吉の運気が流れておるような嫌な気がしてならんのう?」
「紅倉じゃろう」
村長は苦虫をかみつぶしたように答えた。
「やっかいな女が来てしまったものだ。なんとしても調伏(ちょうぶく)して神の血肉にせんとのう」
再び厳めしい顔になって決意を固めた。
彼らに、
地の底に潜む黒い陰陽師の情報は伝わっていない。