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42,前夜

 村長宅。

 村長が紅倉芙蓉と対話した部屋で紐閉じの古い書物を難しい顔で読んでいると、障子を開けて腰を90度曲げた老婆が入ってきた。この部屋の灯りは奥の角に立った円筒のシェードの電気スタンドだ。

「村長。こたつを出さんか。寒いわ」

 文句を言って火鉢の隣に座ってしわだらけの両手をかざした。

「なんじゃい、今更教科書で復習かいな?」

「万葉集じゃ」

 なんじゃい、と老婆は呆れた顔をした。村長は大きな目玉でジロッと老婆を見た。

「もののあわれを思いながら心を落ち着けておったんじゃ。で、」

 本を置いて体を老婆に向けた。

「腸の状態はどうじゃ?」

「ちいと便秘気味じゃな」

 老婆はしわだらけの顔をゴムみたいにしかめて答えた。

「奥の方で固いもんが詰まってゴロゴロ気持ち悪いわ」

「そうか。目はどうじゃ? 見えとるんか?」

 老婆は色の薄い瞳にゆっくりまぶたを上下させた。

「ああ、ええ案配ぞ。祭に間に合って良かったわい」

「耳も聞こえるか?」

「おお、おお、遠くの方までよう聞こえるとも。……かえって近くの雑音はよう聞こえんでイライラするがの」

「しょうがなかろ、耳っちゅうんは自分には向いておらんからな。若衆に見張らせておるで。…………

 舌は、

 ……どうじゃ?」

 老婆はおどけてぬらっと歯欠けの歯茎にべろんと白い舌を出して妖怪みたいに笑った。

「ああ、ようけ(余計)涎が出て、食欲は旺盛じゃわ」

 村長は難しい顔で鼻息を漏らした。

「そりゃけっこうじゃが、あんまり胃液が出るようじゃったら薬を処方せにゃならんぞ?」

「ええじゃろが?」

 老婆はやんちゃに顔をしかめて言った。

「食いたいの我慢しとったら健康に悪いぞな。食い物に困っとりゃせんじゃろが?」

 老婆はいぎたなく笑い、村長は

「ふうむ」

 と難しそうに腕を組んだ。

「ま、せいぜいよく診とってくれ」

「ああ、任せておけや」

 老婆はニタアあ…………と嫌らしく、意地悪な目つきで笑った。先ほどから年寄りの体を気遣うような会話をしているが、それはどうやらこの老婆自身の体を言っているのではないらしい。


「紅倉をケツの穴に入れるんか?」

「これこれ」

 村長は眉をひそめて老婆の下品な口をたしなめた。老婆はけけけと笑った。

「あない臭っせえ所に、酔狂なこっちゃ」

 嫌らしく笑い……、ふと表情をなくして陰湿な目つきで村長を見て言った。

「死ぬぞ? あの女。それでええんかい?」

 村長は腕を組んだまま仏頂面で言った。

「死ぬか。婆さんはそう思うか?」

 老婆はちょっと驚いた顔をした。

「おまえさん、紅倉が生きて帰ってくると思っておるんか?」

 村長は腕を解き、ちょっとばつの悪いような顔をした。

「まあ……………、それもなかろうとは思うが……………。もしや、とな……………」

 老婆は半眼で、面白くなさそうに口の端を笑わせた。

「そう期待しておるんか?」

 村長はチラッと、嫉妬している老婆を決まり悪そうに見た。

「いや、ええさ。それで公安との約束は果たしたことになる。……じゃが…………。

 中で紅倉が死んだとしたら、どうなる? 何が起こる?」

 老婆はヒクリと、あまり考えたくもなかった問題に曲がった背を少し跳ねさせた。

「…………何も……。消化されて神さんの肉になるまでよ………………」

「そうか」

 村長は半分尋ねるようにうなずき、

「まあ、とにかく頼むぞ。万が一にも神さんに死なれるようなことがあってはならねえぞ?」

「あるかい、そないなことが」

 老婆は怒って言い、逆に尋ねた。

「もし……、もしもじゃ、……紅倉が生きて、あの男を連れて戻ったら…………、どうするんじゃ?………」

 村長はあらかじめその答えを用意していたようで、答えた。

「その時はなんとしてもこちらに味方してもらって公安を始末してもらう」

「断られるじゃろ?」

「協力してもらうよう、準備はしておく」

 決意を固めている村長をニヒルに笑って、老婆は訊いた。

「公安をやっちまって、大丈夫なんか?」

「ええじゃろ。おそらく今回の件は公安の独断じゃろう。おそらく、政府は何も知らされておらんじゃろう。嫌われておるようじゃからな」

 村長は馬鹿にして哀れに笑い。

「その方がありがたい。政府に交渉して今後一切われらへの手出しは無用と改めてお墨付きを出してもらうわ」

「そう上手く行くかのう?」

 老婆は渋い顔で心配して言った。

「今の政府は学生気分で変に潔癖なところがあるじゃろ? われらのような存在は、疎ましく思われ、悪い場合には、政府が潰しにかかってくるんじゃあるまいか?」

「それも、心配する必要はない」

 村長は断言した。

「顔も名前もはっきり分かっておる人間はわれらの脅威にはなりえん。本人はもとより家族、一族郎党の命を人質に、正当な要求をはねつけられる者などこの世におるものか」

「そうじゃったのう」

 老婆はほっとしたようにうなずき、村長は力強く言った。


「神は力なり、じゃよ」


 村長の言葉に呼応するように、

「おぎゃー、おぎゃー」

  「おぎゃー、おぎゃー」

 と、離れの双子が泣き出した。

「おお、うるせえのう、こっちまで眠れんわ」

 老婆は顔をしかめたが、

「なに言うちょるか」

 と村長は老婆を叱るように顔をしかめてみせた。

「赤子が泣くんは自然なこっちゃ。子どもの声が聞けるんちゅうは、幸せなこっちゃろが?」

 へっ、と老婆は顔をしかめた。

「きんきんと癇にさわるわ」

 すっかりご機嫌斜めの老婆を優しい苦笑で眺め、村長は言った。

「我が村の未来は安泰ということじゃ」




 ペンションもみじ。

 いっしょにお風呂を使い、歯磨きをした芙蓉は、紅倉のベッドにやってきて床にお尻をつき、端に頬杖付いて寝転がる紅倉の横顔を眺めた。

「なに?」

 紅倉が顔を向けると芙蓉はニコニコ笑って言った。

「そんなに似てるかなあ〜?って思って」

「まだ言ってるの?」

 紅倉は呆れた目をしたが、芙蓉は紅倉に合わせて顔を横にしてますますじっと見つめた。

「綺麗な顔……」

 触れたくてたまらないような目つきをしている。この頃すっかり忘れ去られているようだが芙蓉自身もキリッとした(この点最近特に怪しいが)トップモデル並の超美形美女なのであるが、紅倉はその芙蓉の目から見ても特別に綺麗で美麗だ。純粋な日本人の目にやはり欧州白人の色は特別だ。葡萄の実のような神秘的な瞳、それこそもみじが雪化粧したような真っ白で頬にほんのりピンクの透けた肌、赤い唇、銀色の輝くサラサラした髪の毛。欧州人の彫りの深いきつい目鼻立ちに島国日本人はどうしても苦手意識を抱かせられるが、日本人ハーフの血がほどよく輪郭を柔らかくしている。

 ああ、なんて綺麗で可愛らしいのかしら……

 と、同性愛嗜好の強い芙蓉はうっとり見惚れてしまう。

「ほらほら、さっさと自分のベッドに入って寝ちゃいなさい。明日はいろいろたいへんよ?」

 いつもと反対に寝床に追いやられて、

「はあ〜い」

 とふやけた返事をしつつ立ち上がった芙蓉は、

「お休みなさい」

 と、天井の電灯を消し、ベッドのフットライトだけにした。

 紅倉美姫がただのお人形のような美女でないのは芙蓉は今も十分感じている。

 こうして普段通り安心していられるのが、この地では異常なことなのだ。

 表で数人の若い男性がこちらを見張っているようだが、恐れと緊張だけで、殺意はない。

 心霊ではない物理的な脅威から紅倉を守るのが芙蓉の使命だが、どうやら今夜はその危険はないようだ。

 村長宅から帰ってきて、紅倉は適当な石を拾い、念を込め、建物の4角に置いてペンションに結界を張った。

 この巨大な吐き気を催すような悪意の強い思い切り濃度の重い結界の内部で、この清浄きわまりない空間を作りだしている結界を新たに作ることがどれほどすごいことか。紅倉美姫のとんでもない、強い、霊能力の証明だ。

 先生は人類の宝だ。

 という考えを芙蓉は自分で打ち消した。

 先生はわたしの宝だ。わたしだけの、掛け替えのない人だ。

 薄暗い中に浮かぶシルエットを眺め、

 おやすみなさい、

 と芙蓉も自分のベッドに入った。

 明日は、何が起こるか、分からない。

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