03,プロローグ〜裁判員候補の熱弁
2009年5月に施行された裁判員裁判も件数を重ね、中には重大な、死刑求刑が想定される事件も扱われ始めた。
ここにも一つ、とある地方裁判所において、2名を殺害し死刑求刑が予想される事件が市民裁判員参加の下、裁判に掛けられようとしていた。
くじ引きに当選された者の中から辞退理由に当たらない者20数名が当日裁判所に召集され、更に6名の裁判員と補充裁判員を決める前に、裁判長より資格の有無の最終的な質問がされた。
集められた裁判員候補者の中に、一人、特に目立つ女性がいた。銀色の髪をした、彫りの深い顔立ちの、24、5歳のハーフらしき美人である。質問の順番が回ってくると、目がひどく悪いらしいその美人は係員に手で案内されて部屋に入った。
美人が席に着くと、50代の男性裁判長は『おや?』という目つきをしたが、平静を保ち、質問した。
「今回扱われる事件はひどく残虐な手口による殺人事件で、証拠閲覧の際にはひどく生々しい写真や、血の付着した証拠品などを見なければなりませんが、あなたはそうした物に耐えられますか?」
美人は緊張してかすれた声で
「だいじょうぶです」
と答えた。
「あなたはこの裁判員制度をどのようにお考えですか?」
美人は義務感から張り切って答えた。
「一般市民が犯罪事件を我が事として正しい心で裁く、たいへん素晴らしい制度だと思います」
「今回の事件は被告に対し検察から死刑の求刑が為される可能性があります。あなたは死刑というものについてどうお考えですか?」
美人は義務感に高揚した顔で張り切って答えた。
「殺人に対し死刑という罰は当然のことです。罪を償うために等価の罰が科せられるのが基本であり、人殺しの罪は自分が殺されてあがなうのが基本です。被告の更生の可能性なんて言われますけど、馬鹿馬鹿しい。犯罪の審判は被害者の立場に立って救済のために行われるべきものです。基本的にその被害者を殺してしまったら救済のしようもなく、自分も殺されて罪を償うのが当然の義務です。被告は十分反省しています、なんて言いますけど、ケッ、くっだらない。自分が捕まって今度は自分が殺される側になって、ああ失敗した、こんなことなら殺すんじゃなかった、と、身勝手に反省するのなんて当然じゃないですか? そんなのは反省なんて言わないんです、ただの後悔です。人に暴力を振るって殺して、殺される側になんの殺されるべき理由もなければ、殺した人間が死刑になるのは当然です。犯罪の処罰は被害者を救うために行われるのが本分です。無惨に殺された者が、自分を殺した人間の更生なんて望みますか? 自分を殺した極悪人が、真人間に更生して、残りの人生を立派な社会人として正しく暮らしていくことなんて、自分の未来を無惨に奪われた者が望みますか? 殺人者は更生なんてしなくていいんです、極悪人のまま殺されるべきなんです! そうでなければこの世の正義が守られません! 直接の被害者ばかりじゃありません、愛する者を殺された遺族だって、自分の愛する者は理不尽な暴力で殺され、その未来を奪われたのに、殺した者にその未来が与えられ、生き続けるなんて、耐えられますか? 犯人を殺したって愛する者を失った悲しみが消える訳じゃないって、馬っ鹿じゃないの?、んなもんあったりまえじゃないの?! 犯人が死刑にされて、あ〜すっきりした!、なーんて思う遺族がいるわけないでしょうが! 馬鹿め! そうじゃないでしょう? 自分の愛する者を殺した相手が殺されて、この世から消えて、ようやく憎しみを捨てて、失った愛する者への悲しみと、愛しさを、ようやく温かい心で受け止めることができるんでしょう? 愛する者を失った悲しみなんて一生消えるもんですか。でも、憎しみが消えなければ、その悲しみさえ素直に受け止めることができないんです! その憎い犯人が同じく命を奪われることを許されるなら、その差し引きは、殺された自分の愛する者が悪かったってことになるじゃないですか? そんな理不尽が耐えられますか? 遺族は犯人が生き続けている限り、一生、憎しみの心から逃れることはできません。これは、拷問に等しいじゃないですか? そんなことが許されるのなら、犯罪の被害者は、社会なんて信じられなくなってしまうじゃないですか? なんで不幸な被害者が苦痛と不利益を被り続けなければならないんですか!? それでは社会が成り立ちません! 社会は正義であるべきです! 人殺しは、死刑にならなければならないんですう!!!」
美人は一気にまくし立てると肩でハアハア息をついた。裁判長は落ち着いた様子でうなずくと言った。
「質問は以上です。ありがとうございました。それでは控え室で結果をお待ちください」
職員に案内されて美人は部屋を出ていった。
裁判長は手元の審査書類の「不適格」に丸を付け、備考欄に「思想的に著しい偏りが見られる」と書き込んだ。
裁判長は思わず鼻から息を吐き出して首を振り、ふと書記官と目が合って、言った。
「そもそも彼女はなんでここにいるんだね? いろいろその……、拙いだろう?」
書記官は仕方なく曖昧に苦笑いし、裁判長はまた頭を振り、
「次の方をお呼びして」
と言った。
紅倉美姫は裁判員の選に漏れた。選ばれる気満々でいた彼女はショックを受け、ぶ〜〜と口を尖らせた。
「ちっくしょおー、インチキしてでも選ばせるんだったわ」
「裁判員に選ばれなかった方はご苦労様でした。こちらより退出してください」
職員に促され、ほっと安堵した人の多い中、紅倉は選ばれた6人をうらやましそうにしながらふくれっ面で裁判所を退出した。
裁判所の敷地を出たところで紅倉は一人の女性から声をかけられた。紅倉は待っていたパートナーの芙蓉美貴といっしょである。
「紅倉美姫さんですね?」
声をかけた女性は着古した感じのあるスーツ姿の、紅倉より少し年上の人物だった。
「この裁判の裁判員候補として呼ばれていたんですね?」
芙蓉は紅倉を守るようにあからさまに警戒して言った。
「裁判員への個別の取材はご遠慮願えますか?」
女性は頭のよさそうな皮肉な笑みを芙蓉に向け、紅倉に言った。
「紅倉先生に是非お願いしたい調査があるのですが、お話を聞いてはいただけませんか?」