34,村のアウトライン
ペンションのオーナーは、
海老原啓太(えびはらけいた)、30過ぎの、見るからに人は良さそうだがちょっと抜けた感じのある、若い頃は野球やサッカーというメジャーなスポーツより水球なんかをやっていたような、真面目なのだが一流になりきれないような、と勝手な想像をさせてしまうようなまあ好人物と言っていい。
奥さんは
里桜(りお)さん、小柄な可愛らしい人で、明るいところへ近づいてくるとそれなりの年齢が目尻に見受けられるが、印象はたいへん良い。ちょっと苦労人っぽい感じが漂い、抜けた亭主のフォローが忍ばれる。
娘さんは
愛美(まなみ)ちゃん、小学2年生。髪を左右二つに結んで子どもらしいが、こんな田舎に暮らしているせいか人見知りが激しいようで、お母さんにひっついて後ろに隠れたがろうとする。
奥さんにダメ出しされて主人海老原氏は慌てて、
「ああすみません、どうぞどうぞお上がりください」
と3人分のスリッパを出した。それぞれ自分の物と分かるように色と柄が別々で、この心配りは良し。
2階3室が客室で、1階に食堂、居間、男性用女性用の風呂が1つずつあり、オーナー家族の居室があった。
2階の3室とも斜面の方を向き、村を見渡せ、雨上がりにキラキラ日を反射させて、窓から景色として味わうとなるほど箱庭のようで美しく思える。案内してきたオーナーに
「いいところでしょう?」
と重ねて言われ、芙蓉も素直に
「そうですね」
と答えてやった。
「この村、もみじの形をしているんですよ。大字村って言うのも『大』の字の形っていうところから来てるんじゃないですかねえ?」
「あ、そういうことなの」
芙蓉はドライブしてきた斜面の大きなギザギザを思い返し、ああなるほどそうだったわねと納得した。
「おおあざって、集落を表す単位でしょう? ド田舎の村って意味だとばっかり思っていたわ」
「まあそれも言えてますけどね」
オーナーはお客の口の悪さに苦笑しながらもそんな田舎の風景を愛しそうに眺めて言った。
「わたしねえ、こう見えて以前は都会の商社でバリバリに働く企業戦士でしてね、その当時は組織の中で上を目指すことしか考えてなくて、家庭の事なんて二の次三の次……まったく省みることもしませんでした……。娘……、愛美が学校でちょっと問題に巻き込まれまして…………、妻には前から言われていたんですけれど、問題が深刻化するまでまるで考えようともしないで、妻に泣かれてようやく事の重大さに気づいたときにはどうにも手遅れになっていまして……。それでこれまでの生き方を反省しまして、娘のためにこの田舎に引っ越してきたんです」
「そうだったんですか」
芙蓉はお母さんの後ろに隠れたがろうとする愛美の姿を思い出して胸を痛めた。
「愛美ちゃん、こちらで学校は?」
「ああ」
オーナーは笑顔になって答えた。
「今日明日はそのお祭りで小学校はお休みなんですよ。中学校からは一良町に出なくちゃなりませんけど小学校は村に小さな木造の学校があるんですよ。生徒はたったの5人しかいませんが、みんな仲良くしてくれて、先生方もいい人たちで、喜んで通ってますよ」
「そうですか。それはなにより」
芙蓉は朗らかに微笑みながら心の中では『大字村=手のぬくもり会というわけではなさそうね』と考えていた。
「ご主人はどうしてここにペンションを? こちらの出身なんですか?」
「いえ。わたしは東北の出で妻は東京の人間です。
……まったく知らない土地に来たかったんでしょうねえ…………。あの頃は、家族は最悪の状態でしたから……、まるで一家心中する場所を求めてドライブしてるみたいにめちゃくちゃに山の中に入っていきましてね……」
オーナーは恥ずかしそうに頬を掻きながら笑った。
「実のところ皆さんの通った道に迷い込んでしまって、で、出たのがこの谷間の村だったわけです。ちょうど紅葉の真っ盛りの時でしてね、本当に、我々にはこの世でないような、天国か、でなければテレビのミステリードラマにあるような平和な昔の理想郷にタイムスリップしたような、奇跡に感じられましたよ。
……ここで、ちゃんと家族三人揃って生きていきたいなと、そう思いましてね」
オーナーはそのドラマに出演している俳優のようにノスタルジックに微笑んだ。芙蓉はせっかくの感傷に水を差すように訊いた。
「でもちゃんと商売になっているんですか? とてもお客が多そうには思えないけれど」
「いや参りましたねえ」
オーナーは今度はアフロの崩れた頭を掻いて笑った。
「確かに多くはないです、はい。でもまあ、こうしてたまに迷っていらっしゃるお客さんもいますし」
芙蓉に睨まれておどけた顔をした。
「ちゃんと予約して来てくださるお客さんもまあいらっしゃるんですよ? 隠れた紅葉の穴場として知る人ぞ知るって所でして」
芙蓉はいったい何度紅葉と聞いただろうかと思った。結局のところそれしか売りはないようだ。
「桜だってあるんですよ? ソメイヨシノじゃなく山桜ですが。これも綺麗なものですよ? 夏は涼しく……冬は雪に埋もれて出入りできなくなっちゃいますけどね…。今が最後の書き入れ時で。そうですねえ、娘が中学に上がったら、冬の間だけでも出稼ぎに出なくちゃならないかもしれませんねえ……」
やはり経済的にはたいへんそうだが、家族の生活は満たされているようだ。
「そもそも村はどうなんです? 村の人たちはどうやって生計を立てているんでしょう?」
「そうですねえーー……」
オーナーもうーーん…と上を向いて考えた。
「やっぱり農業と林業でしょう……ねえ? 村に一つ家具の工場がありますよ。でもまあ見ての通り決して豊かではないですね。やっぱり外に働きに出ている人が多いんじゃないですかねえ?……」
「外へはやっぱりこの前の道を通るの?」
「ええ。あともう一本、このちょうど反対の道がありますが、そっちは山の中をずうっと通っていきますからね、やっぱり外との出入りはこの道ですね。山の中ですからね、大きな4WDがちょくちょく出入りしてますよ」
「ふうーーん……」
芙蓉はそれが「手のぬくもり会」の構成員たちだろうと思った。オーナーは、
「だからねえ、こんなにいい所なんだから、観光開発に力を入れて、外からお客さんをじゃんじゃん呼んだらいいんですよお。『癒しの里』ってね。今都会人はみんな疲れて、こうしてほっと出来る安らぎの場所に餓えているんですから。ねえ?」
と芙蓉に同意を求めた。芙蓉はそれには曖昧にうなずいて、改めて外の景色を眺めた。確かに、「人を呪い殺す村」という偏見を持たずに見れば、綺麗な山里のたたずまいだが、結局のところ人は皆忙しいアミューズメントパークの方がお好みで、静かにゆったりと時の流れを楽しむという時間の使い方は苦手だろう。時間がもったいない!と観光地を梯子して歩くのが現代人の観光の仕方だ。この村に多くのお金を落としていってくれるのは難しいのではないだろうか? 下手に観光開発などすればこの箱庭の美しさもまさに人工の安っぽいテーマパークに堕してしまうのではないだろうか? 今こうした小さな村はどこでも過疎化に悩み、こんな不便な所にあればなおさら廃村の瀬戸際にあると言っても過言ではないのではないだろうか?
「村はやっぱりお年寄りが多いんですか?」
「いや」
オーナーもはたと不思議そうに言った。
「そうでもないんですよ。まあ確かにお年寄りが多いですが、若い人たちもけっこういるんですよね? ですからねえー、なおさらねえーー……」
と、腕を組んで考え込んでしまった。芙蓉はそれはケイやミズキのような若い構成員に違いないと思った。外に出て活動するばかりでなく村の中にも相当数存在し、今、きっと、自分たちの動向をじっと見守っているに違いない。
「村に青年会のようなものはないんですか?」
「ああいや……」
オーナーはまたも困って途方に暮れた顔をした。
「あるようなんですけれどね、わたしはその……よそ者と言うことで仲間に入れてくれないんですよ」
「あら、それはひどいわねえ?」
「残念ですよねえ。排他的なのがこの村の悪いところで。何しろ平家の末裔ですからねえー」
平家の落ち人かどうかはともかく、かなり古くからここにある集団なのだろうと芙蓉は感じた。ここは新しい新興宗教なんかではなく、伝統的な、確固たる実力を持った呪術集団の村なのだ。
「この土地は? どこから購入したんです?」
「ここは……」
答えようとして、オーナーはふと口をつぐんで芙蓉をまじまじと見た。
「お客さん、ずいぶん色々訊きますね? ここへ、何かの調査で来たんですか?」
「ミシュランガイド」
ドキッとしてパッと顔の紅潮したオーナーに、
「冗談よ。ま、ちょっと訳ありでね」
悪いことをしたなあとちょっと反省した。
村の大まかな概容は分かってきた。
芙蓉はここで安藤のことを訊くかどうか迷った。平中はガラス戸を開けた窓枠に手を掛けて外の景色を眺めながらじっと聞き耳を立て、紅倉は部屋の中をうろうろさまよっている。
平中が、
「芙蓉さん」
と顔を向けて外を指さした。
「ああ、あちら」
オーナーが笑顔で言い、手を振った。窓に寄った芙蓉と平中も軽く会釈した。
「うちにお泊まりの広岡さんご夫妻です」
山靴を履いた英国紳士風の50年輩の男性とその奥さんがにこやかに手を振り返しながら坂道を上ってきた。