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33,ペンションもみじ

 格子窓の西洋風のドアを開けると、カラカラーンと軽い金属の鈴が鳴って、「はあーーい」と廊下の奥から声がした。

「はいはいはい。お帰りなさーい」

 揉み手をするような感じでアフロが崩れたようなパーマ頭の30代の男性がにこやかに出てきて、芙蓉たちを見て驚いた。

「おや! えーーと……、ヒロオカさん……ではありません…よね?」

 首をかしげ、申し訳なさそうな愛想笑いで尋ねた。

「えーーと、村の方……でしょうか?……」

 芙蓉は愛想笑いの中にじっとり脂汗を浮かべるような困惑があるのを敏感に感じた。

「いえ。わたしたち県外からの旅行者なんですけれど、こちら、3名、泊まれる部屋はありますかしら?」

「あっ、お泊まりですか!」

 ペンションのオーナーらしき男性は手を打って喜び、

「えーっと、3名様。えーっと、相部屋でもよろしいでしょうか? 2部屋ならご用意できるんですが?」

 と期待するように尋ねた。

「ええ。では2部屋お願いします」

「ありがとうございます! お泊まりは…、どれほど…?」

 芙蓉は後ろを振り返り紅倉に訊いた。

「先生、どうしましょう?」

「そうねえ、とりあえず3日ってことにしましょう」

「だそうです。3日間、よろしいですか?」

「けっこうです、ハイ! ええもう、よろしいですとも!」

 男性はひどく嬉しそうで、芙蓉はよっぽど暇なんだろうなあと実感した。男性は高い一本脚の丸い小テーブルを芙蓉の前に運び、あっ、と思い出した顔をして。

「一泊2食付きでお一人様1万2千円になりますが、よろしいでしょうか?……………」

「1万2千円。ふうーん、相部屋も同額?」

「あいすみませんです」

「ま、いいでしょう。お願いします」

「ありがとうございますう。では宿帳の方にご記入をお願いいたしますです」

 芙蓉は万年筆で自分の名前と住所電話番号を記入し、代表して紅倉と平中の名前も書き込んだ。

 宿帳は昔ながらの行を連ねて書いていく物ではなく、お客ごと1ページを使って書くタイプだった。芙蓉はその前のページを覗きたいような仕草を見せて訊いた。

「ヒロオカさんという方が泊まってらっしゃるの?」

「ええ。今夜からお泊まりで、ただいま村の方へ見学に行ってらっしゃいます」

「見学? 村に何かあるんですか?」

「祭の準備をしてるんじゃないかと思います。ヒロオカさんはそれをご覧に来られたんだそうです」

「今頃お祭りがあるの?」

「ええ。年神様をお迎えするための下準備のようなお祭りらしいですよ? すみません、わたしあんまり詳しくなくて、お客さんのヒロオカさんに教えられて知ったような有様でして、ハイ。なんでしたら、ヒロオカさんが戻られたらお聞きになってみては?」

「そう。どんな方?」

「ええ、とても気さくな良い方ですよ?」

「ふうん。ところで…、失礼ですがここってお客あるんですか? いえ、こちらのペンションにではなく、そもそもこんな山奥に観光客なんてあるんですか?」

「ああ…、ハイ…、ええ〜〜〜……」

 オーナーは参ったなあと言うように頭を掻いた。

「いやあ〜……、実はあまり……。いえ、とてもいい所……だと思うんですよ? 村はご覧になりました?」

「ええ。上から眺めただけですけど」

「綺麗な所でしょう?」

「まあ……そうかしらねえ?」

 オーナーは芙蓉の反応の乏しさにがっかりしたように顔を曇らせたが、ここは頑張り所と張り切って村の観光ガイドを始めた。

「お客さんたちも後2週間早くいらっしゃっていたらこの谷の紅葉の美しさに目を見張ったことでしょう! 岐阜で紅葉の名所と言えば金華山、揖斐峡、大矢田もみじ谷、恵那峡とあってどこも見事な物ですが、ここの紅葉は特別です! 赤も黄色も輝くようで、葉の一枚一枚の輝きが違います! ここはぜひ大字村なんて地味な名前じゃなく『もみじ村』と改名した方がいいです! 規模は小さいですがぐるっと村を取り囲んだ様子は、まるでこの世ではないほどの宝石のような美しさですよ!」

「2週間前ねえ」

 芙蓉は皮肉な調子で言い、紅倉の後ろの平中を気にした。オーナーの熱弁は続く。

「ああ残念ながら紅葉は終わってしまいましたが、水路と水車の巡る昔ながらの田園風景は世界遺産に登録されたってぜんぜん不思議じゃない美しさでしょう? 実はですね、ここは平家の落ち人が開いたって言う伝説があるんですよお?」

 オーナーはいかにも自慢そうにウインクしたが、

「世界遺産も平家の隠里もここに来る道すがら眺めてきましたからねえ」

 と言う芙蓉のすれた旅行者の弁にまたがっかりさせられた。

「いやあほんといい所なんですよお? これで温泉でも出れば完璧なんですけれどねえ」

「温泉は出ないんですか?」

「出ないんですよ、綺麗な水は豊富に流れているんですけれどね。いやでもねえ、これでも十分、もっと積極的に売り出せばきっと評判になって人気の観光スポットになると思うんですよ? ここの人たちは……何せ平家の落ち人の子孫だから、どうもよそ者を寄せ付けないで、積極的に外に打って出よう!っていう気がまるでないんですよねえー。まったく、宝の持ち腐れですよ。ハアー…、もったいない」

 オーナーはいかにも惜しいというように頭を振ってため息をついた。芙蓉はそうかしら?と思いながら言った。

「こんな山奥の不便な所じゃ観光客の押し掛けてくる余裕もないでしょう? ずうっと先から交通誘導員が立ってなきゃすぐに詰まってケンカになっちゃうでしょう?」

「あ、いや」

 オーナーは不思議そうな顔で芙蓉を眺めて訊いた。

「お客さんたち、この前の道を上ってきたんじゃ?…」

「いえ。わたしたちは向こうの方から来たんだけど」

 芙蓉が指さす方を向いてオーナーはびっくりした顔になった。

「お客さんたち、蜂万町の方からそのまま来たの?」

「ええ…」

「あの道を? よく来られたねえ? ひょっとして迷ってここに出ちゃったの?」

 オーナーの呆れたような言い方に芙蓉は少々ムッとして言った。

「いいえ。ちゃんと、ここ、大字村を目指して来たんです!」

「あ、じゃあこの村のこと知ってて来たんですか? いやあそりゃ嬉しいですが…、あの、道は……、知らなかったんですか?」

「まともな道なんてあったんですか?」

「あったんですよ。この前の道、その、蜂万町から美山を通ってきて、そのまま一良町まで出ちゃって、市街地を北に抜けると、この前の道につながる道があって、そっちの方は整備されたきれいな一本道で、そのままここに来られるんですよ? まあ距離はぐるっと遠回りになるけど……、美山からの道を辿ってくるお客さんなんてめったにいないなあー……」

 オーナーは呆れるのを通り越し感心してニコニコした。芙蓉はすっかりむっつりしている。

「あの坊や…、そんなことおくびにも出さないでえー。せんせえ〜」

 芙蓉はジロッと紅倉を睨んで言った。

「ですってえー。ナビゲーションはバッチリだったんじゃなかったんですかあ〜?」

 紅倉は怒られたときにお得意のペコちゃんの顔真似をして、

「だって、わたしが見たのは霊波の通り道だもーん。そんな普通の道、知らないもーん」

 ととぼけた。オーナーは会話の内容が分からないながら

「災難だったねえ?」

 とニコニコし、芙蓉はムッツリして訊いた。

「ご主人は、話を聞いていると、この村の出身ではないんですか?」

「ええ。わたしは……」

 オーナーは芙蓉の視線に後ろを振り向いた。嬉しそうな笑顔で、

「ああ、おまえ。マナちゃん。お客様だよ。3日間滞在予定の、芙蓉様と紅倉様だ」

 廊下の奥で、キッチンから出てきたのか、エプロン姿のかわいいらしい感じの婦人と、婦人の前に婦人に肩を押さえられ7、8歳くらいの女の子が立っていた。

「まあ、よくおいでくださいました」

 婦人はとても嬉しそうにニコニコ笑って挨拶し、女の子は人見知りしてはにかみながらちょこんとお辞儀した。

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