30,黒い訪問者
かなり年季の入った柱と畳の部屋に老人は戻ってきた。
「失礼しました。どうもお待たせしまして」
「いえ」
と、待たされていた男性は軽く微笑んであいさつした。テーブルの対面、床の間を背に座りながら老人は訊いた。
「政府関係の方とか? 具体的にはどこの?」
男は人が良さそうに微笑みながら、名刺入れから名刺を一枚取り出し、スッとテーブルの上に差し出して言った。
「こんにちは。皆様の公安です」
老人は不機嫌そうに鼻をうごめかせて名刺を取り上げて見た。
「警察庁 公安課 日本太郎(にっぽんたろう)」
と簡潔に印刷されている。電話番号等の記載はない。
老人は不愉快きわまりなくおもちゃみたいな名刺をテーブルの上に投げ捨てた。
向かいの男を見る。
年は45くらい。光を全く反射しない黒のシンプルなシルエットのコートを着ている。中肉中背。これと言った特徴のない、にやけた、柔らかい顔立ちをしている。
「公安なんて物騒なところの方がこんな田舎の村になんのご用かな?」
「これから来る客のことなんですがね」
公安はいかにも人当たりの良さそうな猫のような声をしている。村長は虫ずの走るような顔で言った。
「まだあんたの仲間が来るのか?」
「またまた、おとぼけになって。有名人が来るんでしょう? ま、過去の、ですかねえ?」
公安は哀れむように笑った。村長は警戒の目でじっと見つめている。公安は弓なりに笑わせた目の白目を強くしてじっと奥から村長を見つめた。
「ま、回りくどい言い方も止しますか。
紅倉美姫が来るのでしょう? お電話はその業務連絡ではありませんでしたか?」
村長はいったんこの男を応接間に案内した後、電話があり中座していたのだった。
村長は重い口で言った。
「紅倉美姫さんが、あんたらとなんの関係がある?」
「関係なんてありゃしないよ。我々が懸念しているのはあんたらのことさ」
「我々の? こんな田舎の村の、どこに公安の懸念がある?」
「回りくどい言い方はやめようと言っただろう? まあいいさ。……ここは、どこだね?」
村長は公安のいわんとする事に眉をひそめ首をかしげた。公安が言う。
「岐阜県大字(おおあざ)村。それだけだ。平成の市町村大合併を経ても群上市の中にあってここだけ独立した村を保っている。と言うより、岐阜県民でさえ誰も『大字村』なんて名前も存在も知りもしない。どうしてそんな我が儘が許されている?」
「我が儘も何も、こんな何もないへんぴな村、周りからさえ忘れ去られているだけじゃよ」
「県では認識しているぜ? その上でだ、この村には余計な手出しはいっさい無用と、国からお達しが行っている。この地は、中世以来日本の歴史のブラックホールというわけだ。何故だ?」
怖い顔で黙り込む村長に公安は畳み込んだ。
「あんたらがその昔から神に通じて呪殺なんておっかねえ商売をしている集団だったからだ」
じっと睨んでいた村長が、フッ、とバカにしたように笑った。
「何を言うかと思ったら、子どものおとぎ話じゃあるまいに」
「してないと言うかね?」
「ああ。馬鹿馬鹿しい」
「そうか。じゃあ、この女を引き渡してもらおうか?」
公安はコートの胸から一枚の写真を取り出して村長につと差し出した。下に目を向けた村長はギョッと目を剥いてじわっと脂汗を噴き出した。コンコンとテーブルを指で叩いて公安は言った。
「いつまでもおとぎの世界に住んでるんじゃないよ、ええ?こら!、現代社会を舐めてんじゃねえや!」
それまで弓なりに笑っていた目を開くとこんなに大きかったのかと驚くほどギョロリと目玉を剥き出して、凶悪な面相で村長を脅すように言った。
「俺たち警察機構がてめえらの無法を『法で裁けぬ悪を懲らしめる闇の仕置き人』とでも思ってお目こぼししてやってると思ってたか?このおめでたいファンタジーの住人どもが。勘違いするなよ?国のために役に立つと思うから生かしておいてやってるんだ。あんまり国を舐めて好き勝手やってると、ぶっつぶすぞおっ!」
公安は肌をどす黒く鬱屈させ額に青筋を立てて村長を睨み付けた。村長はグッと唇を引き締め、今一度写真を手に取りしっかり見た。写真は夜の、どこかの駐車場で、黒いコートを着た女性……ケイが、チャラチャラした服装で地面に膝をついて上半身をのけぞらせた男の喉笛に視覚障害者用の杖を突きつけている決定的なシーンを捉えていた。
公安はギョロッとした目を奥に引っ込ませるようにまた弓なりに笑わせたが、最初のような人当たりの良さは微塵もなく、声だけ猫なで声で気持ち悪く笑って言った。
「うかつだねえ? 現代社会の日進月歩の防犯テクノロジーを甘く見てもらっちゃ困るよ? 現場ばかりじゃなく、うんと遠くでも、角度さえ合っていれば、デジタル解析でこれだけはっきり映像があぶり出されてしまうんだよ? 若い連中にもっと気を付けるように注意しておいてくれたまえよ?」
公安は、
「はっはっはっ」
と喉の奥で笑った。
「証拠改竄もデジタル相手なら楽なものだが、人相手となるとちょっとばかし面倒でね、ま、あまり自分たちの評判を落としたくはないんだが、強面の公安様がにらみを利かせて跳ねっ返りの正義の味方を潰す、てな悪い役回りも引き受けなくちゃならない。守られてるんだよ、あんたらはね、この、俺たちに」
恩着せがましく言う公安を村長は脂汗でびっしょりの顔で白い眉の下から見上げて訊いた。
「我々に何をしろと?」
公安はそれには答えず、ふむ?とちょっと興味がわいたように尋ねた。
「あんたら悪人は呪い殺すんだろう? なんでこんなちんぴら狩りみたいなことをさせてるんだ?」
村長は公安を睨んだまま怒った声で
「企業秘密だ」
と言った。公安はニコニコ笑い、
「あんたらの仕事に必要なことならまあいいよ」
と言い、白目を光らせて陰険に言った。
「ただし、認識はしてもらいたいね?我々のお目こぼしを受けて守られているんだと。
いいんだよ、君たちは、このままで。
法で裁けぬ悪に天誅を下し懲らしめる。大いにけっこう! 社会の精神バランスをそうして保ってくれたまえな!
同じく、
この国を危険に晒すような大馬鹿者が現れて、それが、日本国を動かすような権力を持ってしまい、日本国を危うい状態に陥れようとしたその時には、
同じように、
その馬鹿者に天誅を下してくれたまえ。
君たちはその正義のために、我々によって、独立した自由を守られているのだよ」
村長は眉を険しくして苦しそうに公安を睨んだ。
「我々にその裁きをせよと?」
「いや」
公安は冷たい目で村長を見やって言葉を突きつけた。
「裁きは我々が下す。君らはただ、実行してくれればいいのだよ、決して法に触れないやり方で、我が日本国の危機を排除してくれたまえ」
「その道具として子飼いにしていると……。その君たちには、いったい誰が命令を下すんだ? 我々の存在は、歴代為政者にして不可侵の約束だったはずだが?」
公安は呆れたように言った。
「それはいったい何百年前の約束だね? 我々に命令を下すもの、それは、
国家の意思
だよ」
公安はニヤリと笑い、また目を猫のように笑わせた。