29,保険
「呼ばれてここに来たような気がする」
と思った根拠を紅倉は、
「ま、そんな気がするのよ」
と誤魔化したが、「う〜〜〜ん……」と腕を組んで難しい顔をした。
「自分の専門分野の陰陽師はまあいいとして。……公安ねえ……。なんだか、ずいぶん怒っているみたいね?」
芙蓉は呆れて言った。
「今更なんです? 自分でまいた種でしょう?」
「だってえ〜〜、向こうが悪いんじゃ〜〜ん」
と紅倉は口を尖らせ、芙蓉は
「他にやり方もあったでしょうに」
と言ったが、まあ今更「ごめんね」で済む話ではない。芙蓉は真剣な顔になって言った。
「『手のぬくもり会』と公安の関係は分かりませんが、彼らが手を組んでいるとしたら村に入った途端、ズドン、と撃ち殺される危険もありますね? このまま応援なしに村に入るのは無謀だと思いますが?」
「応援かあ…。これ以上他人を危険に巻き込みたくはないわね。よしっ! 保険を用意していきましょう」
紅倉はなにやら張り切り、芙蓉はなんです?と首をかしげた。
「蜂万町って名前、蜂万神社から来てるんでしょう? 大きな蜂万神社があるのよね?」
「ありますが」
「そこでお参りして、願掛けしていきましょう」
「なんて?」
「公安にぶち殺されたら祟り神になって日本をめちゃくちゃにしてやる〜〜って」
芙蓉は呆れた。
「神様がそんなお願い聞いてくれるとは思えませんけどね?」
「いいからいいから。レッツゴー!」
と、せっかく苦労して上ってきた山道を始点の先まで逆戻りすることになるが、もともと距離的には全然大したことはない。車に乗る前に芙蓉は訊いた。
「先生。村の位置はもう分かっているんですか?」
「もち。あれだけ派手に霊力を使ってくれれば、空から見下ろしているみたいに楽勝よ」
群上蜂万神社は長良川に面し、神社仏閣の多い町にあっても鬼門を守る重要な位置にあり、緑の中に整然と平安調の社殿が並ぶ上品なたたずまいで、菅原道真公を祀る天満宮があった。
「菅原道真! 祟り神オッケー!」
と紅倉はガッツポーズを取り、芙蓉は罰当たりだなあと苦笑した。
菅原道真公をお祀りした神社は全国に数多くあるが、「小野自在天満宮」と称するここはちょっと特別で、「自在」つまり「菅原道真公がお姿を現しになった石」がご神体になっていて、高さ1メートルほどの白い石に梅の一枝を持った横向きの姿が黒くはっきりと現れている。シーズンには多くの受験生たちがお参りに訪れるそうだ。
紅倉はパンパンと柏手を打ち、豪勢に万札をお賽銭に上げ、お参りが終わると家内安全のお札を始め破魔矢やらお守りやらを買いあさった。神社のグッズは一々高く、芙蓉はとんだ散財に思いっきり渋い顔をした。
紅倉は罰当たりにお札を開いて、裏に赤ペンの下っ手くそな字で
「公安に殺されたらきっと日本政府を祟ります」
と書き、顔を青くしかめながらビクビク安全ピンで右手の人差し指を突いて、赤い血の玉を膨らませると血判を押した。
もう一度天満宮で派手に柏手を打ち、玉串のようにお札を掲げて
「ご助力、よろしくお願いしまーーす」
と、恥ずかしいほどの大声で言い、パンパン柏手を打ち、二礼して締めた。
「さて、これでオッケー。心おきなく敵の本拠地に侵入できるわよ!」
どうだろう?と首をかしげて芙蓉は言った。
「公安が『迷信』なんか気にしないと思いますけど? だいたいここで願掛けした事なんて知らないんじゃないですか?」
「そうかな?」
紅倉は境内をじいーーっと見渡して怪しい人物を捜したが、かえって授与所の巫女さんに不審の目で見られてしまった。自分たちの他に怪しそうな人物は見当たらない。
「そっかー。もう監視されているのかなあと思ったけど、公安も大したことないわね。それじゃしょうがない、教えてあげなくちゃ。
美貴ちゃん、易木さんに電話して」
芙蓉は携帯電話を出し、登録しておいた易木の電話にかけた。すぐに易木が出て、
「もしもし。芙蓉です。今先生に代わります」
と、紅倉に電話を渡した。
「もしもーし。紅倉です」
易木のがっかりした声が答えた。
『紅倉先生……。けっきょくそちらへ向かわれたんですね?』
「はい。残念ながら。ま、しょうがないでしょ?」
『ええ…。こちらとしましては精一杯の誠意をお見せしたつもりなんですが……』
「それについてはもう議論するつもりはありません。あなたに一つ、村に連絡してほしいことがあるんですが?」
『なんでしょう?』
「村はあなたのお仲間さんたちで出入りする人間をチェックしているんでしょうね?」
『いえ、村はいたってふつうに生活しておりますから』
「今更しらばっくれなくていいわよ。村から公安の人に伝えてほしいんだけど」
『公安の方ですか?』
「あなたは報されないかもしれないけれど、そうなのよ。多分もう村に入っていると思うから、しかるべき人に伝えて、彼らに忠告してほしいんだけど…、わたし今蜂万神社にいるの。天満宮に願掛けしてね、
……もし公安がわたしを殺したらきっと祟り神となって日本をめちゃくちゃにしてやります、
ってね」
『まあ………』
「わたしが本気かどうかは、そっちに専門家がいるんでしょ?どうぞ調べてくださいな? でも、じっくり調べる前にさっさと公安に伝えるように。わたしたち、これから村に向かいますからね?」
『分かりました。直ちに伝えます』
「よろしく。……易木さん」
『はい?』
「わたしもこういうことになってしまってとっても残念です」
『……はい。それも含めて、しかるべき者にお伝えします』
「よろしく。じゃ」
紅倉は電話を芙蓉に渡し、芙蓉はまだつながっている通話をピッと切った。
「さて」
紅倉が晴れ晴れした顔で言った。
「では呪殺村に参りましょうか!」