28,おせっかい
「美山鍾乳洞」は石灰岩の三角山の中に螺旋状の鍾乳洞窟ができており、ふもとの入り口から山の中腹まで6つの階層を上っていく「立体迷路式鍾乳洞」である。
案内の看板を見て芙蓉は、まあ確実に先生には無理だなと踏んだ。入場料大人800円。じきに雪が降れば冬期間は営業休止になる。
芙蓉と紅倉の愛車はすっかり泥に汚れていて芙蓉はため息をついた。
神経を使う運転に芙蓉の方が疲れてしまい、駐車場からしばらく先にある鍾乳洞入り口まで植物園の風情で造園されていて、しばらく休憩したくなった。
すると、最近はまっている「ザ・ヴェロニカズ」の「POP♪POP♪」というハモリが流れ出し、芙蓉はジャンパーのポケットから携帯電話を取り出した。知らない番号だが信用して良さそうに思って電話に出た。
「もしもし」
『よお、お久しぶり。その節は、どうも』
若い男の声で、相手が分かったがあえて冷たく訊いた。
「どちらさまでしょう」
『こらこらてめえ。わざわざ警告してやろうってのにツンデレ気取ってんじゃねえぞ』
「鶴の恩返し」
『誰がてめえらの世話になったよ? 分かってんじゃねえか、苅田弓弦(かりたゆづる)だ。覚えておきやがれ』
へっ、と芙蓉は唇の端を歪めた。日本の政財界を裏から操る関西の陰のドン、白鶴(はっかく)様と呼ばれる老人に飼われている陰陽師の青年だ。本人はイケてる美青年のつもりだが、レズの芙蓉にはただの間抜けなナルシストとしか思われていない。……昨年京都の病院で「L」の事件で関わった人物だ。芙蓉にとってはただの間抜けだが、陰陽道の修行を積んだ能力は確かだ。
「で、なんです? まだLの行方を追ってるんですか?」
『それはいずれな。まあおまえらが生きてそこから帰ってこられたらだ』
「どういうことです?」
芙蓉はうろちょろしている紅倉を手で呼び、平中が気づいて連れてきた。芙蓉は携帯電話を指さし、紅倉と耳をくっつけて聞いた。
『おまえら今こっちに来てるんだろう?』
「こっちってどっち?」
『しらばっくれるな。『呪殺村』を調べてるんだろう?』
おどろおどろしい名前を聞いて芙蓉は紅倉と近い目を見合わせた。
『村には手を出すな。殺されるぞ』
「そういう警告は先ほどたっぷり受けました」
『ああ、そうらしいな。だったらとっとと裏日本の漁村に帰れ』
「余計なお世話です」
『親切で言ってやってんだよ。素直に人の話を聞きやがれ』
声のトーンが真剣なものになって芙蓉も真剣に耳をすました。
『あそこは特別な存在なんだ。知ってる者にとっては公然の秘密でな』
「またあなたのご主人様が関わってるの?」
『と言うよりだな………』
芙蓉も暗く目を光らせて言った。
「国、なの?」
『まあ、な。もちろん表立っての政府じゃないが』
「国の黒い部分の人たち?」
『公安が紅倉を狙っている』
芙蓉も緊張して固いつばを飲んだ。
『京都では仲間を紅倉に殺されてるからな。気合い入ってるぞ?』
「わたしたちは何もしてないわよ」
『Lの仕業だってな? だがそれも紅倉がけしかけたんだろう?』
「………………」
事実なので芙蓉としては何とも言い返せない。
『とにかく連中は紅倉を殺れると思って喜々としているらしい。今度は去年のような手ぬるさはないぞ?』
「村と公安はつながってるの?」
『そう言う訳じゃないんだが……』
苅田は歯切れ悪そうに言った。
『とにかくだ、為政者にとって村は『無い物』という扱いを代々してきてるんだ。その意味するところは自分で考えろ。だから公安も直接関わることはなかった……今回の件までは、だ。分かるか?紅倉がそこに行くって事は、村にとっても、国にとっても、大迷惑なんだよ』
紅倉が口を出した。
「そう言われると嫌われ者としては引っかき回してやりたくなるわね」
『……紅倉か………』
苅田の声が一気に不機嫌になった。
『紅倉。行く気か、村に?』
「ええ。なんだか面白そうじゃない?」
『馬っ鹿やろう……。相変わらずねじ曲がった性格してやがんな? じゃあおまえを面白がらせるとっておきの情報を教えてやる。…………………公安に、
俺の兄弟子が協力している………』
苅田は具体的に明かしていないがさる密教の大寺院で陰陽道のエキスパートとしての厳しい修行を積んでいる。
「ふうーーん。兄弟仲悪いの?」
『ああ。最悪にな。あれはな、外道だ。だが、術のスキルもパワーも、俺の数十倍すげえぞ』
「へえー。ずいぶんご謙遜ね?」
『まあな。胸くそ悪いが、奴のバケモノじみた力は認めないわけにはいかねえ。紅倉。おまえの霊能力がすごいのは認めてやるが、おまえのは所詮才能だけだ。奴も力は同じか、劣るかもしれないが、術者としてのスキルがまるで違う。おまえは所詮才能だけの素人で、奴はその才能に英才教育を施した主席卒業のプロフェッショナルだ。おまえでも勝てないぞ、絶対にな』
「勉強だけできる人間バカは嫌いよ」
『そうだろうぜ。奴も人間なんて操り人形にしか思ってないさ。紅倉。しっぽを巻いてさっさと逃げ帰れ。おまえが村に手を出さないと意思表示すれば公安も手を引く。それで丸く収まるんだ。紅倉、大人になれ』
紅倉はむっつりして言った。
「公安とあなたのお兄さんの宣戦布告は承りました」
『紅倉っ!』
「わたしね、」
紅倉はムカムカしながら言った。
「偉そうに人を見下した人間って大嫌いなの。俺は頭がいいとか金があるとか腕力があるとかってえばってる人って、めためたに潰してやりたくなるのよ」
『紅倉! てめえ遊びでやってんじゃ…』
紅倉はもういいと電話を離れ、芙蓉が言った。
「情報提供ありがとうございます。田舎の漁村に帰ったらお礼に笹団子でもお送りしますわ。じゃ」
『こら、バカ…』
ピッと芙蓉は通話を切った。携帯電話をしまいながら、だが芙蓉は心配そうに紅倉を見た。紅倉はプンプン怒りながら、叱られた子どものように向こうを向いて顔を見せたがらなかった。
「先生。どうしました? 今度はやけに積極的ですね?」
紅倉は芙蓉に叱られるのを嫌がるようにしながらも顔を見せて言った。
「帰った方がいいんでしょうけどね。なんだか、ここで手を引いたらいずれ彼らを本気で敵にしなければならないような予感がするの」
「予感、ですか」
芙蓉は珍しく思った。紅倉は人の心を読んで行動を予想することはいつもするが、未来を予感するようなことはしない。紅倉は更に言う。
「それにね、どうもわたしは呼ばれてここに来たような気がするのよね。それがその悪徳陰陽師じゃなきゃいいんだけどね」