26,悪人の不運
※≪!!警告!!≫極めて残酷な描写があります。ご注意ください。
ずいぶん長く不良は車の中で揺られ続けた。手足をちぢ込めた不自然な姿勢が生理的時間を何十倍にも引き延ばしている。手足はロープで固く縛り上げられ、固い布できつく目隠しされ、猿ぐつわを咬まされている。車の中に転がされて、彼をこんな目に合わせている連中は何時間経とうが不良の健康や空腹を気遣ってくれる様子は全くない。不良はバンの後ろに大型の犬たちといっしょに積み込まれ、不良はこの犬たちも恐ろしくてならない。唯一自由な耳と鼻が、犬たちの不衛生な獣の臭いを嗅ぎ、息をするドオドオ響く音を間近に聞き、恐ろしくてならない。
どうせくっだらねえ世の中、くっだらねえしみったれた人生だ、
好き勝手に生きて、どうにもならなくなったら派手におっ死んでやるぜ!
なんて甘いことを考えて、悪い仲間たちと欲望のまま若い人生を生きてきた。
人の苦しみや痛みや哀しみや憎しみなど、鼻の先の笑いのタネにしか思ってこなかった。
今、恐ろしくてならない。
死んでやる!なんていう威勢のいい馬鹿な甘えはすっかり心から失われ、自分がどんなひどい目に合わされて、殺されるのか?
考えずにいられず、怖くて怖くて、堪らない。
皮の服を通しても染み込んでくる冷気に凍え、ガタガタ震え、恐ろしい考えに堪らず、尿を漏らした。
犬が不快そうに動き、不良の失禁に気づいた人間の男が
「バカヤロウ」
と腹を踏みつけた。不良は口に詰め込まれた布の中にくぐもった悲鳴を上げ、それから、おえつを漏らした。みっともなく、女みたいに、涙を流していた。
ああ、自分はどうなってしまうのだろう?
本当にあの時、自分の喉を掻き切って、死んでいた方がどれだけ楽だったろう……
喉を掻き切られあふれた血を気管に詰まらせて真紫に膨れ上がって窒息死した仲間の壮絶な表情が甦って震えた。あの時は自分が生き残ることしか考えていなかった。今ナイフを持っていたら、震える手で、自分の喉を掻き切ることをするだろうか?
ああそうだ、心臓を一突きの方が楽だろう。上手く肋骨をよけて突き刺すことが出来るだろうか?……
結局死ぬことを考えている自分の哀れさにまた泣けた。
子どもの頃が思い出された。
お、お父さん………
お母さん!…………………
恥ずかしげもなく父親母親を心の中で呼んだ。
小学6年生の時、父親が会社の若い女と不倫して、両親の離婚したのが彼の不良人生の始まりだった。
彼は母親と暮らしたが、自分たちを裏切った父親を、憎んでいたのか、愛していたのか、分からない。
父親の不倫相手のOLを重ねていたのか、初めて女を犯したとき、自分も父親と同じ汚い人間になったと感じた。
まともな恋をすれば違っていたのかと思う。自分を愛してくれる女の子がいたら自分は普通に幸せになれたのだろうかと思う。
自分の過去に、どのような将来があり得たのか、想った。
甘美な現実逃避は、
自分たちが欲望のままに人生を踏みにじった女たちの恨みのこもった目でうち砕かれた。
いや、ほとんどの女たちは男の暴力を恐れてこちらの顔を見ないように務めていた。
その哀れで青ざめた横顔に、いったいどれだけの悔しさ、憎しみがこもっていたことか。
時間を取り戻せるのなら、
過ちを取り消せるのなら、
その一人一人に土下座して謝りたいと思った。それこそ命がけで許しを請いたいと思った。
…………誤魔化しだ。
土下座している自分は、決して女の顔を見ようとしない。女の自分を見下ろす目が怖くてならないのだ。結局のところ自分に自分の罪をまともに見る意気地はない。
そうだ、暴力で屈服させ、傷を付けるぞ?と脅して蹂躙してきた女たちの不幸を、なんてことねえだろう?と鼻で笑ってきた自分は、結局のところ、まともに相手の顔を、心を、見ようとはしなかった。表面的に、
どうってことねえ、
と決め付け、深く考えようとせず、見ようとせず、結局のところ、
逃げていただけだ、
人との関係から。
安っぽい自分勝手な物の見方、考えから、
どうってことねえ、
と人の人生まで心まで決め付け、
自分の欲望をぶちまけて、笑いながら、いい気になりながら、実のところ、
人を深く見ようとすること、人と深く関わろうとすること、
から逃げていただけなのだ。とんだ臆病者の、誤魔化しだ。
まともな恋をすれば? 自分を愛してくれる女の子がいれば?
逃げたのではないか、自分が拒否され、傷つくことから。
結局自分は、なんだかんだ理屈をこねて、自分が傷つきたくないだけで、自分がかわいいだけで、そして、
人を傷つけてきたのだ。
みんな誤魔化しだ、と自分で分かっている。
こうして殊勝に人生を反省しているふりをして、本当は、自分が助かりたいだけなのだ。
慈悲を以て、自分の命を助けてほしい、自分を自由にしてほしい、
とねだりたいだけなのだ。もし万が一それがかなえられたのなら、
どうせ自分は元の己勝手の悪人に立ち返るに決まっているのだ。
いや、決してそんなことはない!、と慌てて否定する。
頼む、
俺は生まれ変わる!
もう決して人を傷つけたりしない!
もう決して誰も馬鹿にしたり、見下したりしない!
もう決して人を不幸にしたりしない、人の不幸を喜んだりしない!
だから!・・・
俺は最初から悪人だったわけじゃない、子どもの頃はあんなに素直な笑顔をしていたんだ!
俺は生まれ変わる、本来の、明るい、素直な、善い人間になる!
俺は何も命を奪った訳じゃない、彼女たちにだってやり直せる未来を残してやってるじゃないか?
だから、頼むっ、
俺に、一度だけでいい!、生まれ変わるチャンスをくれ!!!
お願いだ、この、通りだっ!!!!!!!・・・・・
不良は、必死で、
神に、
慈悲を願った。
上下左右に揺れる山道で不良はげえげえ吐いて、何度も窒息しかかった。
ようやくバンが止まり、グワアッ、と金属の音をさせてバックドアが開き、外の、夜の空気が流れ込んできた。
担架……というよりただの板……戸板に載せられて運ばれていき、不良は暴れようとした。だが、ロープに戒められ、腕脚の腱を盲目女の鋭利な細い槍で突かれた手足は動かすことが出来なかった。
不良を乗せた戸板は、階段を下り、どこか建物の中を運ばれていき、どこか下のがらんと開いた空間に差し渡され、ロープに吊られて、ジリ、ジリ、と下へ、下へ、下ろされていった。
不良は耳と鼻だけは利く。周囲の音の反響から、自分が固い壁のある程度の広さのある、井戸の底へ下ろされていっているのを感じ、鼻に、冷たく湿った、ドブの臭気が強く嗅がれた。不良は自分が吐いた物の酸っぱさを感じ、またひどく吐きそうになった。
音の反響から、がらんと開いた大きな空間……地下室に出たのが感じられ、何者かの手で吊されたロープが掴まれ、不良はビクンと身を震わせ、戸板は「ビチャッ」と濡れた地面に下ろされた。
「おい」
と言う男の声は不良に掛けられたものではなく、二人の人間に肩と脚を持ち上げられ、戸板から移動すると、戸板は上へ引き上げられていったようだ。ガタン、と音が響いてきて、ふたが閉められたようだ。
不良は新たな板に載せられ、それもどうやら木の板のようだった。
頬の肌にわずかばかり熱を感じ、灯りを向けられているらしい。
手足のロープが解かれた。
わずかばかりの自由への期待は、男たちの力強い手で肩と脚を板に押し当てられ一瞬でくじかれた。
こいつらは自分をここまで運んできた車の男たちとは別だろう。自分が何者なのか知っているのだろうか?
見ず知らずの人間にひどいことを平気でするような、そんな、無慈悲な連中なのだろうか?
「ううう、ううう、」
不良は必死で助けを求めた。助けてくれ! あいつらどうかしている、頭がおかしいんだ! 助けてくれ!警察に連絡してくれ!
手足にゴリゴリ言う摩擦があり、がっちりと、またロープで背中の板にくくりつけられている。
「ううう、うううううーーーうーーーっっっ!!!」
必死に振り立てる首を、がっちり押さえつけられ、左右から板を当てられ、「ガンガンガン」と金槌で釘が打たれた。
「ううううーーーーーー!!!!!」
耳に直に響く音に不良は発狂しそうなほど恐怖を感じた。釘は、自分に突き刺さってくることなく、どうやら左右に当てられたL字型の木材を下の板に固定しているようだ。
数本釘が打ち付けられて、音は止んだ。頭がガンガン痛み、がっちり固定されて首が動かなくなった。
「ふっ、ふっ、ふうっ、………」
不良は鼻の穴をめいっぱい開き、細切れに恐怖を吹き出した。
刃物の感触が当たり、皮のジャンパーと、ズボンと、フリースが引き裂かれていき、肌が空気に露出されていった。ズボンを剥かれた股間でパンツも切り取られ、男の一物が露わにされたが、固くしわだらけに縮こまっている。不良は恐怖を吹き出しながら身を刺すような冷たさに凍えた。
カチャンと金属の何かを金属のプレートから取り出す物音がして、腕に、痛みを感じたとき、不良の恐怖はピークに達した。
手首から内側を上へザクザクと切り裂かれていき、不良は全身を海老反らせて悲鳴を叫んだ。
切り開かれた腕に、ベチャリと、冷たい粥のようなものが載せられていき、激烈な痛みに失神しようとする意識が、末端神経から染み渡ってくるビリビリした痛みに腕が燃え上がりそうになり気が狂いそうになって覚醒させられた。神経の生きていることを、正気だったならば、不良は恨んだだろう。
不良は全身をあちこち切り開かれていき、得体の知れないゲル状の物を塗られていった。これも正気であったならば、自分が得体の知れない物に浸食されていく精神的な恐怖と不快感を味わったことだろう。
刃物が当てられ、目隠しが切り開かれた。白い眩しい光に不良は反射的に目を瞬かせた。影が差し、間近に現れたメスの切っ先になけなしの正気が悲鳴を上げた。メスは目の前から下へ下りていって、不良は鼻の下に鋭い激烈な痛みを感じた。メスは縦に上ってきて、気の狂う痛みと共に、不良の気管にスースー冷たい息が通った。そこへ、どろりと、青っ洟のようなどろどろの物がさじで塗りつけられた。
「・・・・・・・・・」
不良は息苦しさで胴体をバタバタ暴れさせた。苦しさで周囲が真っ青に鬱血した目に新たに大量の涙が溢れ出した。
その目にメスが迫っていき、
閉じようとするまぶたを手袋を付けた指で無理やり押し開かれ、まぶたをきわを細かく切っていった。ブツンと筋を切られたようでまぶたが閉じられなくなった。
どろどろが塗られていき、不良の視界は汚らしいブルーに染まっていった。目玉が破裂しそうな灼熱する痛みが何度も何度も膨れ上がってきた。
不良は、もはや自分が人間であることを忘れてしまったようだった。
それでも、
ガサゴソと、耳に何かこすれる音が響いてきて、ギョッと、自分の人間性を思い出してしまった。
……………そのまま忘れていればよかったものを。
両方から頭を固定した材木には、側面に穴が開けられていた。
そこにメスが伸ばされてきて、
耳の穴に傷を付けた。奥に差し込まれ、鼓膜を突き刺す激痛に最後の、ありったけの悲鳴を上げた。
耳にも、どろどろが塗り込められ、執拗に内耳へ押し込まれた。ごそごそという音が頭に響き、やがて、水の中にいるように外の音がぐわんぐわん反響して聞こえてきた。
『これでいいな?』
『いいだろう。お終いにしよう』
青く変色した視界に、今度は、ノミと小槌が現れた。
不良にもうそれがなんのために用意された物か考える思考はなかった。
ノミの先が額に当てられ、
「生きろよ? 死んだ方がましな苦痛を味わっても、死ぬのは許さないよ? せいぜい……、50人分くらいは保ってくれよ?」
ふいに峠であの盲目女の言った言葉が甦り、一瞬ハッとなった。
小槌が振り下ろされ、
不良の考える能力は奪われた。
その穴にどろどろを塗り込め、男たちは作業を完了した。
壁に掛けた工事用のランタンランプを取り、4人の男たちは階段を上へ上っていった。灯りが上へ遠ざかると、部屋は真っ暗になった。
しばらくして、遠くから、ドオオーーーン………、ゴゴゴゴゴオオオ………、と音が響いてきて、
床に水が溢れてきた。
冷たく、臭う水に浸されていき、少し前まで不良の人間であった肉体は、ブルブル震えて、没した。
その後で何かもぞもぞした動きがあったようだが、真っ暗で、人間の目では何も確認できない。