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21,女三人旅

 紅倉は車が苦手だった。と言うより、電車だろうと船だろうと飛行機だろうと乗り物全般が駄目だった。その中で唯一芙蓉の運転する国産高級ハイブリッドカーだけがましだった。それでも長時間の乗車は頭が痛くなってきて、げっそりして、芙蓉はルームミラーで様子を見て場所を見つけてはこまめに長めの休憩を取った。だから目的地への旅はなかなか進まない。それに今回は平中も同乗している。芙蓉はすっかり慣れてしまっているし以前に比べればずっとましになっていると思うのだが、狭い車中にいっしょに閉じこめられて紅倉の体から立ち上る死の臭いに当てられ、かなり気分が悪くなってしまっているようだ。だから紅倉は芙蓉の運転する車以外では出かけたがらないのだが、今回ばかりは仕方ない。平中は車を持っていなかったが免許は持っている。地方の取材ではレンタカーを利用することがあるそうだが、今回はいつ何が起こるか分からないのでいっしょに行動してもらう。平中が助手席に座り、紅倉が後部座席の平中の後ろに座っている。

 紅倉は海が好きなので日本海の海岸をまずは富山市めざし西に走った。

 ふつう3時間半もあれば着けるところを午前午後たっぷり使って夕方到着し、駐車場のあるビジネスホテルに宿を取った。以前は高級ホテルのスイートに泊まっていたものだが、芙蓉は安いAタイプのダブルルームを取った。平中は同じ階のシングルルームを取った。

「わたしたちレズですから」

 とすまして言う芙蓉に平中は

「根に持つわねえ」

 と苦笑し、

「先生はいいんですか?」

 と訊くと紅倉は

「ええ。わたしたちお風呂もいっしょですから」

 とこちらもすまして言い、平中は

「ラブラブですね」

 と言ってやった。

 エレベーターを上がって5Fで降りると、

「はい、富山名物と言えば?」

 芙蓉に指されて平中が頭の中のネット検索データを答えた。

「なんと言ってもメジャーなのは『ますの寿し』ね。『かぶら寿し』はにぎり寿司じゃなくて発酵食品ね。それと、富山県の味覚と言えばベースは昆布ね。お刺身を『昆布じめ』にして食べるのが代表的ね。かまぼこも美味しいわね。ホタルイカとしろえび。うどんとそばも美味しいわ。そうそう最近盛り上がってるB級グルメで『富山ブラック』っていう黒いスープのラーメンがあるわね」

「お刺身は駄目。酸味の強すぎるのもパス。『ますの寿し』は道の駅で売ってたわね。先生、美味しそうでしたよ? それにしましょう」

 紅倉はうんとうなずき、芙蓉は部屋のロックを開けて先に紅倉を入れると、

「じゃ、部屋に呼びに行くから」

 と手を振ってドアを閉めた。

 平中が自分の部屋で道具を広げているとドアがノックされ、芙蓉が一人で来た。

「それじゃあ買い物に行きましょう」

 平中はもったいないという顔をして言った。

「外で食べないの?」

「ええ。先生は外食は苦手です。わたしたちは買ってきて食べますから、平中さんはどうぞ美味しい店を見つけて『富山ブラック』でも食べてきてください」

 平中は『あの狭い部屋で二人きりでねえ…』と呆れた顔をした。廊下を歩きながら芙蓉はむしろ誇らしそうに言った。

「先生はああ見えてとても繊細な方なんです。先生が本当にリラックスできるのはわたしと二人きりの時だけなんです」

 堂々と言われて平中は笑ってしまった。

「まるで娘離れのできない母親かシスコンの兄貴みたいね? 自分で分かってる?あなたと紅倉先生、共依存になってるんじゃない?」

「なんです、きょう依存って?」

「例えばねえ、紅倉先生、視力がすごく弱いでしょう? それであなたの介助なしではなんにもできないで、あなたに頼りっきりになっている。一方のあなたも、紅倉先生に頼られて、ああ自分は先生の役に立っている価値のある人間なんだ、と、先生に頼られることによって自分の価値を確認しているってわけ。先生にとってあなたは頼らなくては生きていられない人だけど、頼られるあなたも実は精神的にべったり先生に頼っているってわけ」

 芙蓉はなーるほどと納得し、

「共依存。いいわね。わたしたちは死ぬまで運命と生活を共にしなければならない間柄なのね」

 と握り拳で小さくガッツポーズを取った。平中はますます笑ってしまった。

「喜んでどうすんのよ? 病気なのよ?精神的なね?」

「なんだってかまわないわよ。わたしは先生といっしょにいられればそれで幸せなんだから」

「あっそ。ぶれないわねえ。あなた本当に紅倉さんが好きなのね? どこがそんなにいいの?」

「美人」

「レズだものねえ」

「けっこう我が強くて威張りん坊のくせに、案外気が小さくて打たれ弱いのよね。すぐいじけるし。上がり性で人目を気にして緊張してすぐお腹こわすし。食べるのが下手ですぐに口の周りとか服とか汚すし。よく転ぶし物にぶつかるし、小さな怪我してばっかり。この頃じゃあわたしの言うことにもよく反抗するし、まあ憎たらしい」

「まるで小学校の低学年ね?」

「子どもなのよね、先生は。でも、

 先生はかっこいい正義の味方なのよ。闇の中でまぶしく輝くダイヤモンドみたいに、悪は絶対に許さないで、自分自身が悪に染まることは絶対になく、悪の闇が深ければ深いほどますます眩しく美しく輝きを増す、絶対的な存在なのよ」

 平中は芙蓉の横顔をまじまじと見つめて覗き込むように小首をかしげた。

「紅倉さんはあなたにとって神みたいなものなのね?」

 芙蓉はふふっと嬉しそうに笑った。

「そうね。強くて美しい女神様だわ。わたしはそのおみ足を洗う名誉を与えられて幸せだわ」

 芙蓉は平中を見返し、ふとすまなそうに眉を寄せた。

「ごめんなさいね、こんなのんびりしちゃって。早く敵の本拠地に乗り込みたいところでしょうけど…」

 ううんと平中は首を振った。

「紅倉先生に来てもらえてありがたいわ。正直言ってわたしも行くのが怖い気持ちもあるわ。もし、一人で行って安藤の死を目の当たりにしたら……、もう二度と立ち直れないかもしれない………」

 芙蓉も暗い目になって慰めて言った。

「まだ死んだと決まったわけではないわ。先生も分からないっておっしゃってるんだから。万事に備えて、その上で楽観的でいましょう?」

 平中も自分を納得させるようにうなずいて、笑顔を向けた。

「それでは、前向きに『富山ブラック』を味わいましょうか」


 二人はホテルを出て、すっかり暗くなって街灯のついた通りを歩き始めた。

 まず自分と紅倉の夕飯の「ますの寿し」の美味しい店を探して平中情報で駅とは反対側の美味しい店が集まる通りを目指しつつにぎやかな長いアーケード通りに入って歩いた。芙蓉にとってはすっかりお馴染みの地方都市の雰囲気にリラックスして歩いていると、買い物の主婦やら仕事帰りのOLやら学生やらが雑多に行き交っている中、黒のシックなコートタイプのジャケットを着た19歳くらいの男性とすれ違った。

 すれ違った芙蓉は立ち止まって振り返り、気づいた平中が男性の後ろ姿を見て言った。背はふつうで、女の子みたいな厚い猫っ毛をしている。

「芙蓉さんも女の子みたいにかわいい男の子はオーケーなの?」

 芙蓉はフンと肩をすくめてそしらぬ顔で向き直った。

「ちょっと知ってるような顔だと思っただけよ。ぜ〜〜んぜん、タイプなんかじゃないわ。

 さ、行くわよ!」

 と、芙蓉は平中を追い越し少し早足になった。

 相手が芙蓉を知っているのは感じた。それを気取られぬようにしていたことも。気配のコントロールでは芙蓉の方が上だ。だが、恐ろしく腕の立つ強敵であるのは芙蓉の合気道の達人であるハイレベルの武術センスから直感した。何より芙蓉を内心ゾッとさせたのは、ムッとした血の臭いだった。それは紅倉の体の発する霊的なものではなく、まさに、人を殺してきたばかりの生々しい臭いだった。殺気はなく、物珍しく眺めるような感触だったから今すぐ先生を急襲するつもりはないだろうと踏んだが、彼は、易木寛子のような営業の人間ではなく、明らかに敵の実行部隊の一人だ。霊的なものは感じなかったから、彼が呪殺を行う人間ではないだろう。するとこれから向かう敵の本拠地は彼のような人間が何人も待ちかまえているのかもしれない。

 芙蓉はこれまでとはまるでタイプの違う組織だった敵に戦慄する思いがした。


 結局芙蓉も平中といっしょに富山ブラックを賞味し、ますの寿しを3つ買ってホテルに帰ってきた。夜食用でも、朝食用でもいい。

 紅倉には街で出会った少年のことは言わなかった。どうせ先生にはお見通しだろう。代わりに、笹の皮を剥き、円形の押し寿司をケーキのように切り分けてやりながら、訊いた。

「車、平中さんがいっしょでお疲れになったでしょう?」

 紅倉が芙蓉の運転する自動車以外の乗り物を嫌うのは乗り物酔いするのもあるが、密室で自分の発する臭いが同乗者に嫌な思いをさせるのを十分すぎるほど分かってしまうからというのが大きい。それでも、紅倉は以前は香水と言えば薔薇と思い込んで、薔薇の原液を瓶ごと振りかけたみたいなすごい匂いをさせていたが、今はパフュームの専門家のアドバイスでフローラルとシトラスとムスクと、専用のオリジナルブレンドの香水を使用している。だからそんなに気にすることないのに、と芙蓉は思うのだが、芙蓉自身いつも先生の身近にいすぎて鼻が鈍感になっているかもしれない。緊張すればなおさら臭いのする汗をかくから女同士リラックスすればいいものを、紅倉にはとうていできない。でも自分と二人でいるときにはそれができるのだから、共依存と揶揄されようと、芙蓉は嬉しい。

「うん…、ちょっとね」

 と落ち込んだような顔で言う紅倉に、

「はい、センセ、サービス」

 と、ナイフに刺した押し寿司ケーキを「あーん」と食べさせてやった。

「どうです?」

 紅倉はお人形さんのような口をもぐもぐさせて、

「うん。あんまり酸っぱくなくて美味しい」

 と元気になって笑った。

「どれ」

 と芙蓉も紅倉のかじった跡を食べてみた。

「うん。お魚の甘みが出ていて美味しいですね」

「美貴ちゃん〜、自分の食べればいいじゃない〜?」

「どうせ先生残すでしょ?」

「全部食べるもん」

「あらそうですか? 失礼しました。じゃあこれを全部食べてまだ足りなかったらわたしの分を開けて食べてもいいですよ?」

 紅倉は向きになって食べたが、3分の2も食べると口を動かすスピードが目に見えて落ちた。

「美味しそうですね。その残りでいいから欲しいなあー」

 芙蓉が物欲しそうに言ってやると紅倉は黙って寿司の桶を差し出し、芙蓉は受け取って

「いただきまあーす」

 とニコニコ食べた。

「ありがとうございます。明日の朝また半分こして食べましょうね?」

「うん」

 とちょっぴり悔しそうに言う紅倉に芙蓉は『かわいいわ』と萌えるのだった。

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