17,猟犬と女ハンター
ガルルルルルル…………
うなり声がして、女を挟んだ二人の背後からそれぞれ牙を剥きだした大型犬がのっしのっしと歩いてきた。2頭とも首輪はしているが紐はつながれていなかった。
女はふふふふふふ…と忍び笑いを漏らし、可笑しそうに言った。
「この子らを散歩させるために夜中出歩いたらとんでもない物に出会ってしまった、なんちゃって」
男たちは迫ってくる凶暴そうな犬たちにびびって右往左往している。女はサングラスを元に戻すと硬い金属の声で言った。
「嘘だよ。あんたらみたいなクソ野郎どもを捜していたのさ。て言うか、あんたら? ここらを縄張りにグループで婦女暴行をくり返してるゲス野郎どもは?」
工場の壁に女性を押し付け様子を見ていたナイフ男はチッと舌打ちして、
「しょうがねえ、みんなバラしちまうか?」
と腹立たしげに言った。言われた仲間の男二人は一瞬ギョッとしたものの、状況を見て、自分たちも尻から折り畳みナイフを取り出して刃を出した。
サングラスの女は工場の方の男たちに視線を向け、ふふふふふ…、と忍び笑いした。
ガチャッと金網の揺れる音がして、工場の建物を回ってまた1匹大型犬がのしのし歩いてきた。更にマンションの石垣を駆け下りもう1匹。2匹は歯を剥き出してうなり声を上げ、鼻の上にしわを寄せて凶暴な目で男たちを睨んだ。
「くっ、くそっ、なんなんだこいつら……」
ナイフを構えた男どもも凶暴そうな大型犬たちに脂汗を流した。女性にナイフを突きつけた男がふと道路の盲目女を見て、その笑い顔を見て、女を挟む仲間たちに命令した。
「その女がボスだ! やっちまえ!」
男たちは女に掴みかかり、その細い首を締め付けようとした。だが、背後から犬が飛びかかり男たちを突き倒した。盲目の女はひょいと踊るような足裁きで倒れてくる二人をよけ、犬たちに命令した。
「黙らせろ!」
ひいと悲鳴を上げようとする男たちの首に犬たちは大きく口を開け、鋭い牙でガブリと喉に食らいついた。男たちは手足をバタバタさせて騒いだが、喉をがっちりくわえられて声が出ず、呼吸ができない苦しさにバタバタ暴れていたが、やがてブルブル痙攣し、動かなくなった。それでも犬たちはガッチリ首をくわえたまま主人の命令があるまで放そうとはしない。
工場の方で見ていた三人は青くなり、自分たちを狙ってうなっている2頭にひいっとすくみ上がった。
「や、や、や、やろう………」
追いつめられ、ナイフを女性の喉に押し当て怒鳴った。
「こ、この犬どもをどけやがれ! でねえとこの女の首かっ切るぞ!」
女性は目にいっぱい涙を浮かべ引きつけを起こしそうになったが、サングラスの女は
「はあ?」
と顔をしかめ、
「やりゃあいいじゃない?」
となんてことないように言った。
「わたしが殺しの目撃者を生かして帰すと思ってんの?」
女性は驚いていやいやとブルブル震え、ナイフを突きつけた男も目を丸くして、
「な、なんだと……」
といぶかしがり、ぐいと女性の喉元に当てたナイフに力を入れた。
「本当にぶっ殺すぞ!?」
「やれ」
女の言葉と共に2頭の犬がナイフを構えた男たちに躍りかかった。
「ヒ、くそっ」
男たちは必死にナイフを振ったが、一人はその手をかいくぐった犬にガブリと喉に食らいつかれてダン!と建物の壁に押し付けられ、ガウッと首をひねられ、ゴフッと潰れたうめき声を上げて白目を剥き、ダラッと全身の力をなくしてズルズルセメントの地面に座りこんだ。一人はナイフの手をガブリと噛みつかれ、「ギャ」と悲鳴を上げる口を……男にしてみればライオンのように図太い強力な手で……ぶん殴られ、悲鳴の代わりに鉄錆臭い血をビュッと吹き出した。「・・・」、喉に溢れ返る血を吐き出し思わず空いている手を持ってきたところ、ナイフの手を噛み千切られそうに振り回され、バシンと側頭部を強烈にパンチされて卒倒した。
一瞬にして仲間をみんなやられて孤立した最後の一人は、逃げ道を捜して、人質の女を放り捨てると無言でナイフを構えて道路の女目指して突進した。
女は男の方を向き、盲人用の杖を振り上げると、突進してくる男のこめかみを思い切り叩いた。男は顔をクッと斜めにしながら突進し、女はひらりと横に避けた。男はこめかみから血を流しながら怒りの形相を向け、ナイフで突こうとした。女は杖を振り上げ、ビュッビュッと振るい、男をバシバシ叩いた。しかし盲人が障害物を探るための杖は細く軽く、男は無言で叩かれながら振るわれる杖を掴もうと手を伸ばしたがスピードだけは速い杖はするりと握る手を滑り抜け、バシバシと無力なくせにうるさく男を叩き続けた。男はカッとしながらじっと無言で盲目の女にナイフを突き刺す隙を窺った。
女を刺すことに夢中の男は、背後に突然巨大な、異様な気配を感じてハッと振り向いた。
まるで熊のように仁王立ちした大きな犬が、鋭い爪を立てた手で男の顔面を叩き下ろした。肉をガリッと引き裂かれ、頭蓋にグワンと重い衝撃を受けた男はカアッと燃え上がる痛みと白熱するショックに意識を消し飛ばされ、どおっと倒れた。
アスファルトに倒れた男の背にドシンと大きな手を載せて第5の大型犬がグルルと凶暴にうなった。ラブラドール種のこの犬が5匹の中で一番巨大だった。
女は口元に笑みを浮かべ、
「待て」
と命じた。犬はうなるのをやめ、女の顔を見上げた。女は犬の頭をくしゅくしゅ撫でてやり
「お利口」
と褒めてやった。顔を上げ。
「みんなもご苦労様。後は人間のお兄さんたちに任せましょう」
道路を坂の反対側から黒い業務用を思わせる大型ワンボックスカーがゆっくり走ってきて、女と犬たちの前で止まった。
前のドアが開いて3人の黒服の男たちが下りてきて犬たちの足元の不良どもを調べた。女が男の一人に言った。
「抵抗されてちょっと出血させちゃったけど、どう?」
男は小型の懐中電灯をつけ、顔面を怪我した不良とアスファルトを調べ、別の一人が工場の敷地へ入っていき、身を縮こまらせて震える女性に「失礼」と声をかけ、倒れた不良たちと辺りを調べた。道路では、
「問題ないでしょう」
工場の方は
「こっちはコーラで誤魔化しましょう」
手の空いている一人が車に戻って缶のコーラを持って工場の方へ走った。プシュッとプルトップを立て、血の飛び散ったセメントにかけた。
「オーケーです」
「ありがと。じゃ、運んで」
男たちは倒れた不良どもを軽々担いで、バックドアをそっと開けると中に不良どもを放り込んでいった。収容作業はすみやかに手際よく完了し、犬たちの3頭が飛び乗り、バックドアは閉められた。
「お先」
男たちはチャッと指で敬礼するみたいにして車に乗り込み、大型ワンボックスカーは坂道を上がっていき、ウインカーを点滅させ、右折して大通りへ入っていった。
もう1台、真っ赤な、これも大型のステーションワゴンがワンボックスカーの去った後へ止まった。
運転席のドアが開き、若い男が降りると後ろのドアを開けた。
「行け」
女の命令に残り2頭の大型犬が後部座席に駆け込んでいき、若い男はドアを閉め、助手席に回って女の来るのを待った。コツ、と杖を地面に突いた女は、工場の方を振り返り、コツコツと、上がっていった。
OLの彼女は胸を掻き抱いてガタガタ震えた。女は近づくと、苦笑し、言った。
「ごめんよ、あんたを殺す気なんかないよ。あんたを助けるための作戦さ。悪かったね。でも」
女はサングラスの目でじっと彼女を見下ろして固い声で言った。
「あいつらが殺されて当然のクズどもだってのは分かるよね?」
彼女はうんうんと一生懸命うなずいた。
「だがわたしらがあいつらを連れ去ったっていうのが知られるのも困る、っていうのも理解してくれるよね?」
彼女はまた一生懸命うなずいた。
「けっこう。じゃ、気を付けて帰りな。今度はいつでも助けを呼べる安全な道をね。あなたも」
女はフレームに手を添え、顔をうつむかせるとサングラスをずらして彼女を上目遣いで見た。
「こうなりたくなかったらね。気を付けるんだよ?」
彼女は目を丸くし、思わず恐怖の悲鳴を上げそうになる口を両手で押さえた。女はサングラスを戻すと顔を上げ、
「じゃあね」
と手を振って緩い坂を下りていった。女が車の所に来ると、OLも立ち上がって駆け下りてきて、女に頭を下げると急いで道路を駆けていった。
若い、甘い顔をした坊やが心配そうな目で訊いた。
「だいじょうぶでしょうか?」
女は冷たい顔で言った。
「さあね。自分で気を付けるさ。結局自分を守るのは自分なんだからね。そうそうわたしらみたいなのが都合よく助けてなんかやれないよ」
「いえ。警察に通報しないかと」
「ああ…」
女はそっちかと軽く笑った。
「だいじょうぶだろうさ。ちょっと脅してやったからね」
女が助手席に乗ると男はドアをそっと閉め、運転席に戻った。
運転席に戻った男はエンジンをかけると、ボックスから携帯電話を取り上げ、ピッピッと操作して女に渡した。
「部長からお電話がありました」
「なんだろう?」
男は車を発進させて坂道を上り、先行のワンボックスカー同様右折した。後部座席の上と下にしゃがんだ大型犬たちは大人しくしている。
「もしもし。ケイです」
電話で「部長」と話しているらしい「ケイ」は、
「ええっ?」
と相手の話に不愉快そうに眉を歪めた。
「紅倉美姫を?殺すつもりなんですか? ……ええ、……ええ、ええ、わたしもその方が賢明だと思いますね。来るんですね?紅倉美姫が、そっちに? ま、わたしも朝には着きますから、そちらで。……はい、では」
盲目の女=ケイは電話を切るとボックスに戻した。運転手の坊やが気にして訊いた。
「紅倉美姫って、あの紅倉美姫ですよね? ……何をしに来るんでしょう?…………」
ケイは不愉快そうに、
「彼女が来るなら、わたしたちの秘密を探りにでしょうが……」
と言いながら、考えてフフッと笑った。
「会ってみたいとは思っていたのよね、彼女。できることならお友だちになりたいものね。でなければ、」
犬たちに「やれ」と命じた冷酷な顔になって言った。
「殺さなければならないわ」