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16,犯罪を嗅ぐ女

 彼女は街灯の下を通り過ぎてしばらく行ってから振り返った。今通り過ぎた街灯の下を、黒の革ジャンを着た若い男がこちらへ歩いてくる。不安が半ば的中して彼女は嫌だわと思った。アパート暮らしの彼女は駐車場を別に借りて、アパートまで10分くらい歩かなくてはならない。夜の11時。地方都市のベッドタウンはあらかた寝静まり、バイパスに合流する2車線6メートル幅の道路も今は通る車もたまにしかない。彼女はその道を辿り、バイパスの下のトンネルをくぐり向こうへ抜けなければならない。バイパスの斜面は枯れたススキがいっぱい茂り、道路灯の陰になったトンネル内の蛍光灯は薄暗い。でかでかスプレーの落書きだらけで、嫌なトンネルだ。でも明るい歩道を渡ろうとするとうんと遠回りしなければならない。もっと近くに駐車場を借りられればよかったのだけれど、近場で空いているのはここだけだった。近くの駐車場の管理会社に空きができたら連絡してくれるよう頼んであるが、まだ連絡はない。

 会社で残業を終え、彼氏に電話したら向こうもちょうど終わったところだというので待ち合わせて食事をした。お互い明日も仕事なので食事が終わるとそのまま早めに帰宅したつもりだったが。

 駐車場から出たところ、まるで待ち伏せていたようにふらりと男が現れ、後を付いてきた。どうしようかと思っていると男に電話がかかってきて男は立ち止まって話し出した。遠ざかる話し声がどうやら彼女からの電話のようでほっとしたのだが。夜は無人の建物が続く寂しい所に来て再び男が後を付けてきているのに気づいた。いや、たまたま方向が同じだけかと思ったが、道の向こうから同じようなかっこうをした男が歩いてきた。危険を感じた彼女はバイパスと反対の住宅地に逃げ込もうとしたが、トンネルへ向かう最後の枝道にやはり同じような革ジャンを着た男の二人連れが立っていて、彼女を見るとゆっくり歩いてきた。彼女はパニックになりそうなのを必死に抑え、そうだ、防犯ブザーを鳴らそうとカバンのポケットを探った。すると後ろから付けてきた男が走り出した。彼女はギョッと戦慄し、逃げるため、走り出し、トンネルへ向かった。

 トンネルをヒールの音を響かせて駆け、出口を出たら大声で助けを叫ぼうと思った。

 彼女の希望をくじくようにもう一人の男が出口に現れ、一瞬足の止まった彼女に後ろから男が抱きついてきた。心臓を飛び上がらせ、悲鳴を上げようとした口を男の手で塞がれ、腰に何か押し付けられたと思ったらチクリと痛みを感じて一瞬ですくみ上がった。

 トンネルに靴音を響かせて仲間の男たちも追いついたようだ。出口に立った男は暗い蛍光灯の明かりを受けて無精ひげの生えた口を嫌らしく笑わせている。

 彼女の口を押さえ腰にナイフを突きつけた男が耳元で興奮を抑えた声で言った。

「姉ちゃん、ちょっとオレらとお散歩しようぜ、な?」

 チクンと腰を突かれて彼女は腰を躍り上がらせた。男はたばこ臭い息で笑い、歩け、と肩で押した。


 彼女は男たちに囲まれて油臭い工場の敷地に連れ込まれた。バッグは取り上げられ、はっきりと、刃のギラギラ光るナイフを見せられた。

 歩きながら彼女は自分の明るく無邪気な人生が永遠に終わってしまうのを予感していた。彼氏のことは考えたくなかった。絶対にこれから起こることの記憶と彼のことをいっしょにしたくなかった。警察だってきっとこういう犯罪は本人以外誰にも秘密に処理してくれるはずだ。こいつら絶対許さない。いずれ、絶対に罪を償わせてやる、と、怒りの炎を燃やすことでこの地獄を耐えようと思った。許さない、絶対に。

 男に腕を突き飛ばされて、彼女は暗く恨めしい顔で振り返った。ナイフの男がニヤニヤ嫌らしく笑いながら言った。

「そんな嫌な顔すんなよ、美人のOLが台無しだぜ? 憧れちまうぜ頭の良さそうなキャリアウーマンさんよお」

 彼女はやっとしわがれた声を出した。

「わたしは、そんなんじゃないわ」

 男たちはへらへら笑った。

「いいんだよ、その方が気分が盛り上がるからよ。あんた美人だから当然彼氏いるよな? もしかしてエッチしてきた帰りかな?」

 彼女は絶対思い出すまいと思っていた恋人のことを言われてカッとなり、堪えていた涙がじわりと滲んだ。

「お願い、何もしないで帰して」

「いやだよお〜〜」

 男たちは嫌らしく笑い、彼女が逃げられないように輪になって彼女の背を灰色の浪板の壁に追いつめた。

「なあ、恵まれないオレたちにちょっと幸せを分けてくれよ? いいだろう?なあ? ちょっと我慢してくれりゃあ、オレたちがうんと気持ちよくしてやるぜ? なあ?オレたちと楽しもうぜ? 彼氏よりうんとかわいがって病みつきになるくらいイかせてやるぜ?」

「嫌よ…」

 男はナイフを横にかまえ、彼女の目の前に持ってきて、スーー…ッと、鼻の上を裂くように動かした。彼女は目を寄せて刃を見つめ、脚をガクガク震わせた。

 男ががらっと変わった暗く凶悪な声で言った。

「ちょっと我慢するのとよお、一生残る傷を顔に刻まれるのと、どっちがいい?」

 彼女がナイフを見てガクガク震えていると、男がドスを利かせた声で怒鳴った。

「どっちがいいって訊いてんだよ!?」

 彼女はヒッとナイフをよけて首をすくませ、震える声で、

「顔は、やめてください……」

 と頼んだ。男が顔をぬっと近づけて、彼女はますます小さく縮こまった。

「じゃあいいんだな? オレたちといたしてよお?」

 彼女は恐怖に震え、屈辱に震えながら

「はい……」

 と返事した。絶対に、後から、訴えてやるんだから……と自分に言い聞かせて。

「はい、こっち見て」

 後ろの男がかまえた携帯電話のカメラを見て彼女はぞっと体が冷水に支配されるのを感じた。カメラをかまえた男はニヤニヤ笑い、言った。

「ポリ公に訴えるなんて考えるなよな? 世界中にAV女優デビューしたくなかったらな」

 彼女は自分の幸福な人生が永遠に終わったことを知って涙をこぼした。体が萎え、男たちに抵抗する気力を完全に失ってしまった。男たちは彼女をニヤニヤ眺め、残酷に言った。

「じゃあ、ありがたくヤらせてもらうとするか」



「ああ……、臭いねえ……」



 声に男たちはさっと緊張し、彼女の口を押さえ、凶悪な顔でじっと様子を探った。

 工場は高台から下ってくる坂道の下にあり、大きな会社の木の茂った庭のフェンスと、マンションの土台の石垣に挟まれている。裏手は生活排水を流す堀が通っている。

 声は女の物だった。

 カツンカツンと杖を突いて前の道に立っているのは、黒い服装の、まだ若い女で、立ち止まりながら杖を道の前に倒し、顔を上向かせて何か探るような仕草から、どうやら目が不自由なようだ。

 女は上向かせた鼻をくんくんさせ、真っ黒な眼鏡の目を工場に向けた。

「臭いねえ。男どもの精液の臭いと……、血の臭いがするね?」

 暗がりにじっと身を潜めていた男たちは凶暴な顔を見合わせ、やっちまうか?とあごをしゃくった。

 二人が表に出てきて、女を挟んで向き合った。

 女の顔を近くで見た男たちは思わずヒューと口笛を吹く真似をして喜んだ。

「よお、姉ちゃん。目が見えねえのか? なかなかべっぴんさんみてえなのによ、もったいねえ。あんたも仲間に入りてえのか? 大歓迎してやるぜ? オレたちゃ障害者差別なんてしねえからよ」

 男はニヤニヤ嫌らしく笑い、「ま、いまさら嫌だって言っても逃がしゃしねえがよ」とつぶやいた。

 盲目らしき女は話しかけた男の方を向き、ニヤリと唇を笑わせた。

「そう? わたしって綺麗?」

 男はこいつ痴女か?と舌なめずりして言った。

「ああ。べっぴんだともよ」

 女は笑い、サングラスのフレームに指をかけ、

「これでも?」

 とサングラスを外した。

 うっと男の顔が驚愕して腰が引けた。


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