THE END
村人たちが自分の魂を取り戻したのだろうか、数百の青い光の玉が上空に昇っていって、星々に紛れていった。
その空が明るくなり、星々は姿を消し、山に囲まれた村も全体にぼんやり明るくなってきた。朝の清浄な光に畏れを為すように赤い霧は徐々に薄くなって地面にくすぶり、物陰に逃げ込むように消えていった。
紅倉は目覚めなかった。
芙蓉は顔をしかめ、涙に潤んだ目で恨めしく美紅を振り向いた。
「目覚めない」
なじるように言う。
「奇跡なんて……、起こらないじゃないっ!!」
美紅は痛々しくも静かな表情で見下ろしている。
「あなた、誰なの?」
芙蓉は泣きながら問い詰める。
「あなた、本当に先生の守護霊なの? 幽霊に守護霊だなんて、おかしな話じゃない!?」
「そうよ。わたしは紅倉の守護霊なんかじゃないわ。
わたしはあなた以外の誰にも見えない。
わたしはあなたが見ている幻。
わたしはあなたの中にいる。
わたしは、
紅倉があなたの中に残した、バックアップデータよ。 」
「どういうこと?……………………」
「紅倉は、死んだって事よ。
紅倉は元々作られた人格。魂の本質ではなかったわ。
こうして頭を破壊されて、せっかく作り上げた人格が、壊されてしまった。
あなたの大好きな紅倉美姫は、
死んだのよ。 」
芙蓉は顔を歪めて泣いた。
「・・・・う………、
うわあ〜〜〜〜〜〜、
わああ、
うわああああ〜、あ〜〜、ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んんんん……………… 」
芙蓉は肩を揺らして泣き続けた。しゃくり上げ、ひっくひっくと鳴き、またわあ〜〜〜、と泣き続けた。
「 キャーーーーッ、ウワーーーーーッ、キャーーーーーーーッ 」
芙蓉とは別の金切り声がやってきた。黙ったかと思うとまた発作を起こしたように嫌な金切り声を上げる。
狂った悲鳴を上げながら現れたのは、麻里だった。
麻里はどす黒くくまの浮いた目をぎょろつかせ、
「キャーーーーーーッ、キャーーーーーーーッ」
と、自分の不安を訴えるように無知性な子どもの金切り声を上げた。
横たわる紅倉を見て、非難をぶつけるようにますます甲高く金切り声を上げた。
芙蓉は怒り狂い、立ち上がると走っていって麻里の頬を思い切りびんたした。
麻里はどっと倒れ、鼻血を垂らし、口の中を切って唇からも血を吐き出し、芙蓉を見てまたキャーキャー金切り声を上げた。芙蓉は麻里の髪を掴んで二度三度容赦なくひっぱたいた。金切り声を上げようとするとすかさず叩いた。悲鳴を上げると殴られることを学習した麻里は、ようやくまともな意志のある目で芙蓉を睨み、どす黒く恨みのこもった声で言った。
「悪魔め。何もかも壊して、殺して。この、悪魔め!!」
芙蓉は麻里を突き放した。
「・・ざまあみろだわ」
芙蓉は麻里に背中を向け、紅倉の下に戻った。
「アハハハハ、キャハハハハハハハハ、」
麻里は今度は狂った笑い声を上げ始めた。
「なにがざまあみろよ、そいつこそ、天罰よ。ざまあみろのお返しよ。アハハハハハハハハ、キャハハハハハハハ」
ざまあみろざまあみろと笑いながら、麻里は去っていった。芙蓉はもう無視した。どうせあの娘にも、地獄の景色しか残っていないのだから。
「せんせ……」
芙蓉は再び傷口を塞いで、額をくっつけ、愛しそうにこすり付けた。
「嫌ですよ、わたしを一人にしないでください? 先生の魂はどこに行ってしまったんです? 幽霊だったくせに先生に魂がないなんて、そんな笑い話、全然笑えませんよ?」
姫倉美紅も悲しい目をして、ポロリと涙をこぼした。
「美貴ちゃん………。
紅倉はそのためにわたしをあなたの中に残したのよ?
あなたが望むなら、わたしをインストールし直して、紅倉美姫の人格を再構築できるように。
…………どうかしら?
あなたはそれを望む?
目覚めた紅倉はきっと以前とそっくりの紅倉になるわ。でも、それはあくまでコピー。オリジナルの紅倉はもう失われてしまった。それでも、あなたは紅倉美姫を甦らせたい?」
芙蓉はしゃくり上げながら訊いた。
「…………悲しく……、悲しくないの?」
「何が?」
「……元の…、先生が………」
「人は必ず死ぬ。紅倉は誰よりもそれをよく知っていたじゃない?
死ぬのも生きていることの内。
紅倉は最後まできちんと生きた、とわたしは思うわ。
でも、心残りでしょうね、あなたを悲しませてしまって」
「返して……。わたしに、先生を、返して…………」
「わたしでいいのね?」
芙蓉はじっと恨めしそうに美紅を睨んだ。
「そんなこと言わなければ……。あなたがただ、自分が紅倉美姫の魂だって言えば、わたしは受け入れたのに。わざわざ「死んだ」なんて説明して、あなたは、紅倉美姫そのものだわ」
美紅は悪戯っぽく微笑んだ。
「そりゃあね、わたしのやることだもの、コピーは完璧よ?」
芙蓉も恨めしい目をしながら、ようやく少し笑えた。
美紅が横たわる体を見て難しく眉をひそめた。
「でも、美貴ちゃん、覚悟はしてね? 脳の破壊ももちろんだけど、霊体も神々にだいぶ痛めつけられてしまったわ。霊媒物質がかなり失われてしまった。以前のように脳機能を取り戻すのは、絶望的よ?」
「それでも………」
いい…、と言いながら芙蓉もやはり絶望的なショックを隠しきれなかった。顔が青ざめ、震えてしまう。美紅も悲しそうに目を伏せる。芙蓉は焦った。美紅が、「やっぱりやめましょうか?」と訊いたら、「いいえ」ときっぱり答える自信が、あるか……、どうか……………。
『わたしを、使って』
ケイの霊体が立っていた。
綺麗に黒い瞳をして、穏やかな、綺麗な顔をしている。
ただ、とても悲しそうで、
ケイの肉体は、辺りに転がっている焼け焦げた炭同様、寝台の上で真っ黒になっていた。
『わたしの魂を紅倉さんの一部として使って? わたしは一度紅倉さんの魂に同化している。傷ついた魂の修復材には打ってつけだと思うわ』
「ケイさん。あなたはそれでいいの? 成仏すれば、別の人生を生きられるのよ? 先生の魂の中身は……、よく分からないわ?」
『それに関してはわたしの方がよく分かっているわ』
ケイは芙蓉に優しく微笑んだ。
『怒り、憎しみ、暴れ出そうとする強すぎる力……。
それを押さえつける鋼の正義感。
あなたへの思いやりと、愛と、甘え。
紅倉さんの持つ正義の心と、優しさは、わたしの魂にはとても心地よい…………。
芙蓉さん』
ケイは心配そうに訊いた。
『わたしのような汚れた魂でも、あなたは、愛してくれる?』
芙蓉は穏やかな表情を取り戻してうなずいた。
「お願いします、ケイさん。先生を生き返らせてください」
ケイはうなずき、目を閉じた。
『これで、ようやく安らかに眠れる……』
金色に輝き、光の粒子となってケイの形はなくなり、紅倉の額に吸い込まれていった。
ケイが中に入っても紅倉に変化はなく、
「どう?」
と芙蓉は不安そうに美紅に訊いた。
「美貴ちゃん。
これからも、よろしくね?」
美紅の姿がフウッと消え、芙蓉の紅倉の頭を押さえる手からエネルギーが迸った。それは一瞬で消え、芙蓉は何かが自分の中から消えたのを感じた。
ちょうど山の上に太陽が顔を出し、さっと金色の光線が走った。
「先生?」
芙蓉は恐る恐る紅倉の顔を覗き込んだ。
パッと紅倉の目が開いた。
芙蓉は背筋を電流が駆け抜け、喜びより、畏れを感じた。
「先生?…………………」
紅倉のガラスの目玉はまっすぐ虚空を向き、何も、映していなかった。