118,来迎
大字村の人口は50世帯約180人。内若者を中心に20名以上が死に、5人の小学生と父母たちは校長が家を回って村を離れさせたはずだ。小学校で気絶していた鬼木成美も無事発見されただろうか? 海老原愛美はとうに父母、平中らと逃げ出しているが、村長の曾孫百子の父のように夜祭りに参加していた若い父親がいたかもしれない。元々学業や出稼ぎ、各方面の工作で村を離れている者も十代二十代を中心に20名ほどいた。
それらの人数を抜いて、現在まだおよそ110名ほどが村にいた。意外に多い。その中でも得物を持って社に押し寄せているのが40名から50名くらい。その他の6、70名ほどは家でひっそりしていた。
「神」とその神を使って行っている村営の事業は村人公認の秘密であったが、実は彼らの多くは「手のぬくもり会」のいわばサポート会員で、実際に事業に関わっている人間は実は、そんなものだったのである。
しかし、今日の一日、そして今村を襲いつつある脅威は、彼らの「自分は関係ない」という思いなどまったく省みることなく、平等に災難を与え、今またふっかけようとしていた。
闇の中にいる村人たちは、立ち現れた巨人をよく見ようと後ろに下がったが、そこから逃げ出そうとはしなかった。
彼らの新しい「神」は美しかった。
滑らかな真紅の肌をした裸形の女神で、彼らには大陸の奥のインダス文明由来の神に思われたが、実際はもっと北方のアラブ民族の血を濃く感じさせる顔立ちをしている…………有り体を言えば、紅倉美姫の東西ハーフの顔立ちをうんときつくしたものだ。
憤怒…というほどあからさまな表情を表していない。つんとして、不機嫌そうだ。怒りよりむしゃくしゃした子どもっぽい癇癪を抱えているように思える。
「おお、神よ!!」
美しき女神を称えて両手を上げる老人を、ジロリと不愉快そうに見下ろすと、虫けらのように踏みつぶした。老人はちょうど小柄な背丈を覆う女神の足裏にぎゅうっと踏みつけられ、ミシッと骨を砕かれて血を噴き出して潰れた。老人の噴き出した汚い血は、女神の怒りによってジュッと赤い煙を噴いて蒸発した。
老人たちに驚きが走った。慌ててひざまずき、へへえーーー…、と平伏し、女神に機嫌を直してもらおうとした。女神は汚らしい老人の存在そのものが気に入らないように蹴り飛ばし、泡を食う老人たちにカッと目を光らせた。
「ぐう・・・・・・・」
睨まれた老人たちの肌が赤くなり、ぶつぶつと血の玉を噴き出し、流れ落ち、全身を濡らした。
「あ、あ、あ、あ、…ああああーーーーーーっ」
悲鳴を上げ、鉄板で焼かれるようにジュウジュウ赤い煙を上げて転げ回り、やがてボッと火がつき、ヒイとますます激しく転げ回りながら、炭となり、ぼろぼろに壊れて、動かなくなった。
「たっ!・・・・・・・祟り神だあっ!!!!」
恐慌が起こった。神が自分たちの手には負えない恐ろしいものだと思い知った老人たちは、今度こそ我先にと逃げ出した。
カッ、と、女神の視線が赤いビームとなって老人たちを襲った。通り過ぎるビームにズバズバと肉体を断ち切られ、傷口から火を噴いて、悲鳴を上げて焼かれていった。
黒かった空気が次第に赤く染まっていった。
丘は燃え、爆ぜた火の粉がほこらに火をつけた。下から炎に照らし出されて、赤い女神、いや、鬼女は、まるで不機嫌なまま焼け死んでいく老人どもを眺めていた。
村長は炎と村人たちの悲鳴に囲まれながら、自身袈裟懸けに切断された体を地面に横たえ、炎を立ち上らせながら、うわごとをつぶやいていた。
「あんまりじゃ…、あんまりじゃ…、これが世のため人のため働いてきたわしらに対する仕打ちか? あんまりじゃ…、あんまりじゃ…、これでは誰も浮かばれん…………」
炎にめらめらなぶられ、カッと目を見開いたまま、村長は焼けこげていった。
信木は現実的な男である。彼は横を芙蓉が駆け抜けていくと、丘の上によじ登り、妻の下へ駆けた。妻奈央は境内にぬうっと立ち上がった赤い裸形の女神を呆気にとられて見上げた。信木は妻の見ている物を確認もしないで手を取り、
「行くぞ」
と有無を言わせず引っ張って丘を外へ駆け下りた。ゆるい下りになり、峠のふもとの森になる。こちらは南の陰になるので段々畑もなくそのまま森が残っている。信木は妻を連れてその中に潜み、ようやく様子を振り返った。
老人たちが騒いで、血を吹き、炎に巻かれている。いったい何が起こっているのだ?
マイナスに特化した強力な霊能力者である信木にはあの巨大な女神の姿が見えないのだ。
信木は妻の視線を追い、表情を読み、想像する。顔をしかめて言う。
「まったく、なんて事をしてくれた。我々の神が台無しだ」
しかし冷静に考える。
「紅倉の体は無事だろうか? 体が無事ならいずれ怒りが収まればコントロールできるかもしれない」
「あなた、あなた」
奈央が信木の肩を揺さぶった。
「逃げましょう。バケモノよ? は、早く、避難しましょう?」
「よし、そうしよう。このまま木に隠れながら山を越えてしまおう」
二人は斜面を幹の陰から幹の陰へ隠れながら登っていった。信木が山登りが趣味というのは本当で、軽々と斜面を登っていったが、妻の方は夫に右手を銃で撃たれていた。信木が先のルートを気にしている隙に妻が手掛かりを掴み損ねて泥の斜面を滑って落下してしまった。
「奈央! 大丈夫か? 今助けてやるぞ」
信木が奈央のすがりついている茂みまで下りていくと、奈央は恐ろしく目を見開いて宙を見ていた。
「奈央?……」
信木も恐る恐る奈央の見ている方を見た。その途端、二人の視界を真っ赤な光が覆った。
「「ぎゃっ」」
二人同時に悲鳴を上げて、目を覆った。
「ぎゃああああっ、うぎゃああああっ」
「あああっ、くそっ、奈央っ、奈央っ、どこだっ!?」
「ぎゃああ・・、・・・・・・・ぎゃああああああああああ………………」
奈央は火だるまとなって斜面を転げ落ちていった。
「くうう、おおお、おのれえ〜〜………」
信木は脳の燃え上がる激痛に苦しみながら、目を焼く炎を拭い、無理やり見ようとした。
真っ赤に、何もかも燃えていた。その中に女の巨人が立っていた。
「紅倉……美姫……なのか?………」
信木はマイナス方向ゆえ見たことの無かった霊の姿を初めて見て、そして、
「・ ・ ・ ・ ・ ・」
目玉が炎を噴き上げ、頭の中身を燃やし、信木も妻を追って斜面を転げ落ちていった。