116,敗北
「待て」
村長が半信半疑で問う。
「紅倉を『神』としてコントロールできるのか?」
「もちろん」
「今までの『神』とは違うぞ?」
「こちらの方がより純粋な『力』だ。かえって扱いやすいだろう。
ガン細胞の集まりなどという不安定な物に比べて、現代の最新医療を用いれば植物人間の肉体を生かし続けるのはずっと楽だろう。どんな姿だろうと生き続けてさえすればいいのだ。
世話も清潔な治療室が一つあれば足りる。大がかりで面倒な水路などもう必要ない。
生身の肉体を持つ神なら、サイボーグ技術も使えるかもしれない。上手くやれば巫女を使わなくても神経に接続したコンピューターで直接神を操れるかもしれん。
どうだ村長? 村の未来は明るいではないか?」
「なんでじゃ?」
「何故、とは?」
「なんでおまえがそないなこと知っちょる?」
信木は村長のいわんとする事を不思議そうに眺めた。村長は目をぎょろつかせ、怪しみながら言う。
「おまえは、村の誰よりも、それが『分からない』人間じゃろうが?」
「失敬だな。わたしはカウンセラーだぞ? 脳死判定など、最新の医療技術もちゃんと勉強している」
「そうではない。神だ!
おまえは、誰よりも『神』を感じない人間じゃろうが? そのおまえに、どうしてそんげなことが言える? おまえには、分からんはずじゃ、絶対に!」
信木はうん?と思い切り顔をしかめた。
「絶対に、分からない?……」
「『神』のことは、おまえには、絶対に分からんはずじゃ。そんなおもちゃみたいな仕掛けで、神の力が操れるなど、わしには信用できん!
何故だ? 何故そんげに自信満々に言える?
何故じゃ?
おまえのしたことは……、ただの人殺しじゃぞお?」
信木が恐ろしく眉を寄せ、うんと首をひねった。
「わたしが、ただの人殺しだと?」
考え、ニヤリと笑った。
「いや、間違いなく、紅倉は作動するよ、『神』として」
村長はじっと信木の目を覗いた。
「おまえ。信木じゃないじゃろ?」
信木がまたうん?と首をひねった。
「何を言ってる村長。わたしまでスパイか何かと疑っているのかね?」
「ああそうじゃな。そうかもしれん。おまえは……、
モグラに操られておるんじゃろう」
ふうっと信木の表情が消え、不思議そうに村長を見た。
「わたしが操られている?」
「ああそうじゃ。おまえはこの村で誰よりも現実的な考えをする男じゃ。そのおまえが、そんなSFマンガまがいの発想をして、なんの疑いもなく酔いしれるなど、わしには考えられん」
「・・・・・・・」
信木は不思議そうに村長を見ながら、その目は空洞で、何も見ていなかった。
「おまえもその『式』とかいうもんを仕組まれておるんじゃろう?
ええかげん姿を見せたらどうじゃ、高野のモグラ!」
雲が湧いた。
『わっはっはっはっはっはっはっはっは』
境内の上空低いところに湧いた黒雲に、男の顔が浮かび上がった。
芙蓉の目がギラリと光り、ゴッと怒りのオーラが噴き上がった。
真っ赤なフレアは、しかし、黒雲に到達する手前で拡散して消えた。
『残念だったなあ、芙蓉。俺は既に霊体レベルの有限無限を自在に切り替える法を修得しておる。
おまえの倒したのは俺の単なる影に過ぎぬ。
しかれども、影とはいえ倒したのは見事。褒めてやる。が、
残念無念。
大事な紅倉は、守れなかったな』
芙蓉は死ぬほどこの男を憎んだ。
『観自在。この世に起こることなど俺の目には全てお見通し。事象を操るのも又しかり。相手が悪かったと観念せよ。
俺は欲しい物を半ば手に入れておる。俺が欲しかったのはその女の力を我が物として自在に操る事のみ。心などというものは一時の事象の揺らぎに過ぎぬ。過ぎてしまえば何ほどの事も無し。紅倉と言う意識の消えたところで俺の勝ちだ。
芙蓉。おまえにとって欲しい物はなんだ?
紅倉の命ならばその体につなぎ止めてある。心が大事だというならば、それは所詮おまえの観察に過ぎん。おまえの心が決める物だ。俺の影に勝った褒美だ、その体の世話をさせてやってもいい。童女の人形遊びのように、その体の『心』に話しかけてやるがいい。
いいことを教えてやる。紅倉の肉体もいずれは死ぬ。そうすれば魂はその肉体という牢獄から解放されて自由な『心』を取り戻す。
さあ芙蓉よ。なんならかまわんぞ? おまえの手で紅倉の肉体を殺してやれ。医学的には死んだ状態だ。殺人にもなるまい。俺の目には紅倉は確かに生きておるのだがな、ま、それも一時の事象に過ぎん。
色即是空 空即是色
全ておまえの心のままだ。
さあ、選ばせてやる。
植物状態の紅倉と共に生き続けるか、
紅倉を殺して終わりにしてやるか、
俺に復讐して殺されるか、
どれがいい?』
「べらべらと。坊主の説教なんて訳分からない。
わたしの選択など、一つしかない。
おまえを殺す。
それから後のことは、それからだ」
芙蓉が怒りのオーラを燃え上がらせると犬たちが一緒になって一斉に吠えだした。
『犬畜生。おまえたちにもう用はない』
吠える声が一斉に止んだ。死というセレモニーに一切の心構えもないまま犬たちは命の糸を断ち切られ、何も思うことなく地面に倒れた。
「きっさまあ・・・・・」
芙蓉のオーラはめらめらと燃えた。
「おい、陰陽師」
日本太郎が呼びかけた。
「てめえとの契約は終いだ。さっさと失せろ」
『おや、公安君。すっかり忘れてたよ。ああいいよ、これは俺が趣味でやってることだから。死にたくなければそこを離れたまえ。君にも『式』が仕込んである。うるさくすると消すぞ?』
日本太郎は無言でしらっとした顔を芙蓉に向けた。
「そういうこった。おまえも無駄死にはするな、…と、一応言っておくぞ」
と言いながら日本太郎はそそくさと退場した。
『村の方々も下がっていてもらおうか? 君らも紅倉を『神』として利用したいのだろう?』
信木は道の方へ下がり、「村長」と下がるように声を掛けた。村長も仏頂面しながら信木を追い越し、追い越しざま、
「神など、もう死んどるわ」
と嫌味を言った。信木は笑ってやり過ごした。現実主義者の彼は「式」で操られていようと、自分の理想の「神」が手に入ればそれでいいと思っている。
『さ、いいぞ、芙蓉。やるか?』
「殺す」
芙蓉は爆発寸前にオーラを高めた。
『俺の力を教えてやろう』
雲が手を開くと、
芙蓉の頭上に大きな丸鏡が現れた。
丸鏡は端を重ね合わせながら上下左右に増殖していき、ちょうど境内に収まるドームとなって芙蓉を閉じこめた。
鏡の向こうに透けて土亀が笑った。
『俺は力の及ぶ限り空自在だ。試しに力を放ってみよ』
負けるか!と芙蓉は怒りを込めてオーラをまとめた霊力を放った。土亀の雲に向かった霊力は、鏡の中に消え、百に及ぶ丸鏡からそれぞれ芙蓉向かって返ってきた。
「わああっ・・」
芙蓉は自分の霊力、それも百倍した霊力にまともに撃たれて跳ね上がり、悲鳴を上げた。
どっと地面に倒れ伏し、体をブルブル震わせた。
芙蓉の正直な気持ちは大きなショックを受けていた。
恐れなど無い。しかし、実力差は圧倒的だった。
芙蓉は、
立ち上がった。
にっくき陰陽師を睨み付け、さっきにも増して霊力を増大させた。
もはやこの世になんの未練もない。
自分は、死んでも、先生を守る。