115,生きている
「うわああああああああああっっっ」
芙蓉はわめいて、信木の手をはね除けた。信木はサッと後退し、紅倉の上半身が芙蓉の腕からこぼれてずり下がった。
「!」
芙蓉は慌ててしゃがんで紅倉の体をかき抱いた。嘘だ、夢だ、悪夢だ、とまるで現実感を失った頭で必死に思いながら。
「せんせ・・・・・・」
紅倉は口をポカンと半開きにし、目が、死んでいた。
「せんせ………………………………」
芙蓉はカチカチ歯を鳴らした。再び全ての負の感情が膨れ上がって芙蓉の頭を破裂させようとする。
「わあああーーーーーーーーーーーーーーーっ、
うわああっ、
わあああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ、」
芙蓉は狂ったような悲鳴を上げた。事実狂ってしまったと芙蓉自身思い、…………
正気が戻った。
紅倉の額の左右に丸く穴が開いて真っ赤な血がつーっと太く流れ出している。
「あっあっ。動かさないように。静かに仰向けに寝かせておきたまえ」
冷静な信木の声に芙蓉の怒りが燃え上がった。
「うわあっ、死ねえっ!!!!」
紅倉を地面に下ろし、信木に飛びかかり、殴りかかった。ビュッビュッという芙蓉の怒りのパンチを、信木はスッ、スッ、と軽やかな身のこなしで避けた。まるでいつもの芙蓉の格闘と逆だ。
パシッ、とパンチを横に弾いた信木が、ドン!、と肩を押して芙蓉を突き飛ばした。
地面に回転した芙蓉は、睨み、怒りのオーラを放って信木にぶつけた。
「説明したように、わたしに霊気の攻撃は効かないよ?」
涼しい顔の信木に芙蓉はまた殴りかかろうとしたが、
「紅倉さんのことを教えてあげよう!」
鋭く言われて思わず動きが止まった。
「紅倉さんは、死んではいないよ」
日本太郎は、さしものこの男も、足下で繰り広げられた事態に唖然とした。
「紅倉を、殺りやがったのか…………………」
その背後で、丘を囲って物騒な気配がうごめく。先の尖った農器具や大工道具を手にした老人たち、50名近くが、境内を見下ろす丘に徒党を組んで登ってきた。
「チッ」
舌打ちして日本太郎は境内に飛び降りた。紅倉の元に駆け寄り、確かに、紅倉が致命傷を負っているのを確認した。
「どういうことだ?、保安官?」
村長もダルマのぎょろ目を見開いて信木に問うた。
「信木よ、おまえいったい、なんのつもりだ? 今さら気が変わって、復讐か?」
信木は呆れたように村長を振り向き、
「違いますよ」
と言った。
「言いましたでしょう?、紅倉美姫に、神になってもらう、と」
丘の前面に殺気立った凶相をした老人たちが現れた。その中に奈央も顔を見せ、紅倉の殺られたのを見てニタアッと笑った。
彼らを見渡し、信木保安官は高々と宣言した。
「 見よ! 我々の、新しい「神」だ! 」
人々はしいーんと静まり返った。理解できない。
「 我々の社会は「神」を必要としている。彼女がその「神」だ。
彼女がこの腐った社会の「善」と「正義」を象徴し、体現するのだ!
人々は「神」の威光にひれ伏し、善良なる者が、安心して、平和に暮らせる社会が守られるのだ!
「神」は「力」だ!
紅倉美姫は、自ら神を超えた人類最強の「力」であることを証明した!
彼女の「力」こそ新しき「神」なのだ!
しかし「神」は人間の「個人」であってはならない。
人間である紅倉には逝去してもらった。
しかし、
「神」たる「力」は生きている。
紅倉の精神は死んだが、肉体は生きている。
不必要な大脳は死に、生き神に必要な生命の脳、小脳、脳幹は、
無傷で生きている!
紅倉美姫という人間は、現世の煩悩を捨て去り、無垢なる
「 神 」
に昇華したのだ!
村は存続する。ずいぶん傷ついてしまったが、新しい血によって再生する。
村の新しき秩序が、日本社会の秩序となり、
「善」と「平穏」と「幸福」が、
約束されるのだ!
さあみんな、祝おう、
新しき「 神 」
バンザイ! 」
「生きておるじゃと?」
村長がいぶかしく訊いた。
「ほんに生きておるんか?」
紅倉の頭にかがみ込んだ日本太郎が首筋の脈を取って言った。
「確かに…、死んじゃあいねえようだな……」
信木が満足そうにうなずいた。
「ほらね? 死ななければいいんでしょう? これで、我々も紅倉の怨霊に祟られる心配はない」
信木は周りを囲んで暗い顔でいる老人たちを鼓舞した。
「 「 神 」 バンザイ! 」
「『神』、万歳!」
「万歳!」
「万歳!」
老人たちは喜び……というより厳かな面もちで万歳の声を上げ、手を振り上げた。万歳。万歳。
「 やかましいいいいいっっっ!!!!! 」
芙蓉が血の出るような叫びを上げて立ち上がった。
「やかましいやかましいやかましいっっっ!!!!!!!!!」
ヒステリックに叫ぶ。
「何が、神だ、何が、力だ、何が、善だ、平和だ、正義だ、秩序だ、幸福だ。
おまえらみんな悪人だ。
みんな、殺してやる」
信木が言う。
「悪人? いいや、我々は善人だ。それで多くの人々が、不幸にならずに済むのだ。それを分かっていて悪を演ずる我々は、善人だよ」
「やかましい。詭弁だ。それは恐怖政治の、独裁者の言い分だ」
「我々は富も名誉も求めない。歴史も要らない。ただ、純粋に、平和を望むだけだ」
「宗教者のつもり?」
「その通り。我々は、自らの使命に準じているのだ。紅倉さんにも、天命に従ってもらった」
こいつらには何を言っても無駄だ。芙蓉は心底どうでもよくなった。
「……もういい。おまえたちは、殺す」