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107,別離

 車の音が近づいてくる。坂を上がってくる。

 車はいったんスピードを落として、いかにも慌てたようにスピードを上げて走り去っていった。

『うう………』

 意識を取り戻した芙蓉は息を吸い、肺に鋭い痛みを感じて咳き込んだ。また痛んだが、徐々に落ち着いて普通に呼吸できるようになった。体を起こす。

 背中が痛い。左の肩胛骨の内側だ。狙撃者は背後から芙蓉の心臓を狙って撃ったらしい。

 芙蓉は防弾ベストを着ていた。紅倉にも着せている。

 金属のプレートを使用した特に防御力の高い大型のものではなく、強靱な繊維を重ねて編み込んだ薄手のもので、服の下に着ていても外見上まず分からない。しかし当然防御力は低く、例えばライフル狙撃などされればまず防げない。せいぜい小型のピストル程度の弾を1度防げるだけだ。

 今回は運が良かった、と芙蓉はゾッとしながら思った。

 手を後ろについてもうしばらく呼吸を整えた。ペンションの灯りが少し邪魔だが黒い空にたくさんの星が透明なきらめきを放っている。

 芙蓉は、自分は油断していただろうか?、と自問した。銃弾のひやりとした感触は体……霊体だろうか?が覚えていて狙撃者、と言うより銃器、弾丸その物に、反応したはずだ。自分は先生の身を案じて周囲への感覚を無視してしまったのだろうか? そうなのかも知れない。しかし、そうでなかったら、狙撃者は…………。紅倉はまた指輪のリンクを切っている。

「くっ」

 芙蓉は下腹に力を込めて立ち上がった。キッと村の反対側を睨み、駆け出した。




 墓地の表に車を乗り付け、紅倉は自分でドアを開けて外に出た。回り込んできた信木の手を断り、自分で歩いて裏の社に向かった。

 篝火に照らされて、血の惨状が広がっていた。篝火は4基のうち2基が倒され消えている。転がる死体はどれも大きな傷口をばっくり開けて実にむごたらしい有様だ。


 村長は遺体たちを見回し、目を剥き、

「吉之助…………」

 とつぶやいた。孫を見つけたのだろう。娘もあり、将来の村長候補でもあったはずだが、何とも浅ましい死に様をしたものだ。


 紅倉が現れると、顔を見て、ミズキはちょっと驚いた。

「来てくれたか。ありがとう」

「あなたも、頑張ったわね。ジョンも。わたしは、間に合わなかったわ」

「いいさ。ケイを守るのは俺の仕事だ」

「でも、あなたはどうやって?」

「俺は……」

 ミズキはちょっと不快そうに顔をしかめた。

「たぶん、神の肉を食った。ねちゃねちゃして、ションベン臭かったからな、たぶんそうなんだろう。だが、おかげで死んだ体が動いてくれたよ」

「どうやって神の肉を?」

「分からん。口の中に押し込まれた。ほとんど意識を失っていたから、誰の仕業か分からん。ただ……」

 ミズキは思い出して苦笑いした。

「物凄く生臭い息を嗅がされた気がする。もしかしたら、犬たちじゃないかと思う」

 と、ジョンの頭を撫でた。ジョンのチームの他の四頭の犬たちは昼の地震後行方不明のままだ。

「そう…」

 紅倉は犬だけはどうしても苦手だったが、彼らが主人に忠誠を尽くす動物であるのは知っている。何故彼らが姿を現さないのかは分からないが、何か理由があるのだろう。地震の際、地下の出口であるお婆の家と役場裏の物置が倒壊した。神の凶暴な霊気が大量に噴き出したためと思われるが、その際その付近にいた彼らに何かトラブルが生じたのかも知れない。

 紅倉はだるい体を引きずるようにケイに近づいた。

「待たせたわね」

 仰向けの首の下に髪の毛を掻き分けて手を入れ、ぼんのくぼを触った。首と頭のつなぎ目、霊魂の出入り口だ。

 すうっと、紅倉の魂からケイの霊魂が分離して自分の体に入った。

 ケイは胸を反らせて大きく息を吸い、はあーーーー…………、とゆっくり吐き出した。

 見えない目が開いた。ケイの目玉は瞳が無く、瞳が破けたみたいにギザギザの形をした透明のガラス体が広がり、奥の赤い毛細血管がレンズに拡大されて覗けた。

「紅倉さん……かい?」

 ケイは起き上がり、額を押さえた。

「ああ、ちくしょう、ひどい悪夢を見た最悪の気分だ。ここは…外かい? 寒いじゃないか、いったいどうなってるんだい?」

 ミズキが身を起こし、コートを脱いだ。

「これを。汚れてしまっているが」

 紅倉は受け取り、ケイの肩に掛けてやった。ケイは寒そうに震えてコートの前を掻き抱き、

「ミズキかい? 何してるんだい、紅倉さんのお手を患わせるんじゃないよ? ねえ、どうなってるのさ? ここは、ひどい血の臭いが立ちこめてるじゃあないか? まさかおまえも怪我をしたのかい? わたしは目が見えないんだよ、顔をお見せ」

 ぞんざいな口をききながらケイは心配そうに手をミズキのいる方へ伸ばした。ジョンがミズキを立たせようと顔を脇の下に入れて持ち上げようとし、紅倉が手を貸してなんとかミズキを立たせた。

「ミズキ。ジョンもいるのかい?」

 ケイは両手を伸ばし、それぞれにミズキとジョンの顔を触った。

「ああ、二人とも迷惑掛けちまったみたいだねえ? どうなってるんだい? ムカつくひどい霊気だらけだけど……、神のオーラが感じられない……。いったい、どうなってる?」

 ケイは、ひょっとして…、という期待を滲ませて訊いた。

「ケイ。神は、滅びました。紅倉さんがやっつけちゃったんですよ」

「本当かい? ……そりゃあ………、喜んでいいものなのかねえ?」

「いいんですよ、喜んで。あなたはもう自由だ。もう、神の力もないんでしょう?」

「そう……なのかねえ?」

「不自由かも知れないが、我慢してください。それが自由の代償ですよ」

「なんだい、偉そうに」

「……ケイ。」

 ミズキはまぶたの閉じかけた暗い目でケイを見つめながら微笑んだ。

「これから、ちゃんとあなたの人生を生きてくださいね? あなたの悪夢は、今、終わるんです…………」

「ミズキ? どうした? おい、しっかりしな?」

 不安そうに触るケイの手にミズキは頬を押し当てた。

「クロさん、斎木さん、末木さんは、死にました」

「なんだって!?」

「あなたを守って……。村の連中が裏切ったんです。だから、あなたはもう村にも神にもなんの恩義も感じる必要はない。あなたは十分社会の…、不幸な女性のために働いた…。もう、あなた自身の悪夢も忘れてください。それが、俺たちの、最期のお願いです。ありがとう、ケイ……。どうか、幸せに……、生き…て…」

「おい、ミズキ! おいいっ!!!」

 ケイは崩れ落ちるミズキの顔を一生懸命押さえようとした。

「しっかりしろ!ミズキ!! おまえがいなくなったら、わたしの杖は誰が務めるっ!?」

「ケイ…。もう、勘弁……」

 ミズキはケイの手に包まれ笑った。

「ミズキっ!! 死ぬなあっ!!!!」

 自分を必要としてくれる人の声に送られてミズキは幸福に意識を途切れさせようとした。


 素早く、


 走ってきた巨大な物がミズキの横から飛びかかり、ガアッと首に噛みついてその勢いのままケイの手から奪い去った。

 それは地面に押し倒したミズキの首を強い力で乱暴に振り回し、完全に息の根を止めた。

「ミズキいいいっ!!!!」

 ケイが悲鳴のように叫んだ。

 あごを開いてミズキの頭を地面に落としたのは、頭の高さが紅倉の胸まである、灰色の毛むくじゃらの体をした、犬だった。



「  バウッ!、ワウッ!、ワウッ!  」



 人間の血の混じった唾液を飛ばして空気を爆発的に震わせる大声で吠えた。

 その声でケイは相手が分かり、

「キース! …………おまえ…、なにしたんだいっ!?」

 とち狂った飼い犬を激しく叱りつけ、

 紅倉は、ビイイイイイイ……イイン…、と犬の吠え声が耳の奥に反響し、

「ヒイー………………」

 息を吸い込んだきり恐怖に身をすくませ、

「ウウ〜」

 ジョンは「敵」に凶暴に唸った。


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