105,夜祭
青黒い闇の中で土亀はゆっくりまぶたを開いた。
土亀恵幸(どきさとゆき)、自他共に天才を認める暗黒の陰陽師である。
これまでまったく物語の表舞台に顔を出さず、まるで忘れ去られたかのような男が、実は何をしていたかと言えば、何もしていなかった。
『「式」は既に立っている。時が来るのを待てばよい』
今長い瞑想から目を開けたということはその時が来たようである。
『さて、それでは俺も出向くとするか』
土亀は塗り壁のように凹凸の乏しい長方形の顔にカッと目を見開き、開いたままぴくりとも動かなかった。剥き出した目玉はガラスのようにうつろな瞳をしていた。
紅倉は体に危機的なダメージを負い、とりあえず動けるようになるまで眠ってしまわないようにおしゃべりをしながら休憩した。この時間のロスがケイの体に危機的状況を進行させてしまっているのは分かっていたが、『自分にも限界はある』、と突き放して考えていた。紅倉は「生き霊飛ばし」の技があったが、今霊体が肉体を離れるのはすなわちそのまま死を意味した。紅倉もわざわざ死にたいとは思わない。芙蓉に怒られる。
足が腫れて靴が履けず、バスタオルを巻いてもらって代わりにした。なんとか動けるだけ体力を回復したつもりだが、村長宅から夜祭りの行われる社までわずか300メートルほどが、絶望的な長距離に思えた。
「いいから待ってろ。車を回す」
日本太郎が広場から見える道ばたの鍵付きワゴンカーを見つけて走り出した。広場にはでかいゴリラプロレスラーの公安が独りぽつんと突っ立っていて、日本太郎は見とがめ、
「ゲンジ。おまえ何やってんだ?」
と訊いた。ゲンジとはもちろん光源氏などではなく北京原人とかいったものを指してのネーミングだろう。ゴリラから原人に降格?したゲンジはのぼうとした顔で、
「誰を殺ったらいい?」
と訊いてきた。日本太郎は呆れて、
「ぼうっとしてやがれ」
と走り出した。
村人のワゴンカーを拝借して広場に戻り、信木に肩を支えられた紅倉に
「乗れ」
と命じた。紅倉と信木が後部座席に乗り、助手席に仏頂面の村長が乗り込んだ。
「ご老体も行くのかい?」
「ふん。村の『未来』とやらをこの目で見させてもらうわい」
紅倉がちょっと嬉しそうに言った。
「どうしたんです? やけに親切じゃあないですか?」
日本太郎はルームミラーに目をやり、
「別にな。俺は結果だけでいいんだ。片を付けるんだろ? その後であんたをどうするかはまた上の指示待ちさ。行くぞ」
車を発進させた。
この時点で紅倉はもう知っている。
事が既に済んでしまっていることを。
この村の共同体意識は高い。墓地というのは春夏ならば緑に包まれたちょっとした小山の上に石造りの五輪の塔が立っている。その背中に箱がしつらえてあって、そこに亡くなった者たちの名簿が収められている。これ以外に墓はない。大字村には寺もない。きれいさっぱり、死生観に爽やかな印象を与えるが、その小山の下はどろどろとした暗黒が隠されている。
神は死んだ肉は食さない。
だが死者の魂は食う。
死んだ村人は臨終後すぐに小山の下に隠された穴に放り込まれる。そこには累々と先祖代々の遺骨が積み重なっている。腐肉が骨をぶら下がり、したたり落ちて、軟らかな土となって下の骨を埋めていく。元はかなり深い穴だったろうが今やずいぶん嵩が溜まり、入り口から上の骨が覗けるようになってしまった。もう10年もすれば満杯になってしまいそうだ。
天井は漏斗を逆さにしたように上に向かってすぼまっていき、天頂に開いた穴は隣、社の境内の地下にある神の水槽につながっている。穴は天井を結んでいるので水は通っていない。腐った死体で神の住居を汚さないためだ。神はこの穴の出口で肉体を抜けた魂を待ちかまえ、食すのだ。そうして新しく得た魂の分肉体はブドウ糖で膨らむ。村人のあの世は天国もなく地獄もなく、神の中にある。輪廻転生も神の体内から村で新しく生まれる肉体へ行われる。
そう、だから夜祭りの秘祭は大事な神事なのだ。
墓地の裏の社というのは小さな物で、朱塗りのほこらがあり、その前の境内が10メートル弱ほどの正方形の広場になっている。砂利も石畳もなく土が剥き出しになっている。周りは覆い隠すように土が盛られ今は枯れた灌木が覆っている。
境内の四隅に篝火が焚かれ、ほこらの前に長方形の木のテーブルが出されている。「寝台」と呼んでいるが、これは普段は片づけられていて、こうして必要なとき必要な数を出して並べる。彼らに残念なことには結局寝台は一つで足りてしまうようだ。
寝台はほこらに向かい縦に置かれる。今その上にケイの体が頭を広場側にして寝かされている。神の家に足を向けて寝るとは不遜であるが、この場合はそれでいい。股が神に向いていなくてはならない。
広場に集まった男たちは木場田と三人が欠けてちょうど10人になっている。彼らは三人がもう来ないことを承知している。
異様である。
男たちはこの身に染み入るような寒さの中、裸にふんどし一丁の姿でいるが、そのふんどしは股ぐらを包んで締めることはせず、腰の後ろで紐を結んだきり四角い布を前に垂らしている。局部を形ばかり隠した状態だ。
異様なのは顔もそうだ。奇怪な天狗のような面を被っているが、面相は天狗だが、そのトレードマークである長い鼻やくちばしはない。顔を覆うのは鼻から上ばかりで、鼻の先と口は表に出ている。
そのように異様な出で立ちの男たちが、
更に異様な事をやり始める。
寝台に向かって前から4人4人2人と3列に並んで自分の位置が決まると、彼らはしゃがんで土を掘り出す。そうして開けた穴に、ふんどしの前をからげ、丸出しにした己の股間の物が収まるようにうつぶせに寝るのだ。そうしてじっと、神が己の種の貯蔵庫に上ってくるのを待つ。
神は時に二人三人同時に宿ることもあるが、大抵は一人ずつ順番に行われる。確実を期すため2巡3巡、延々と朝方まで行われることもある。そうした時の捧げ物の女は美しい良い体をしているものだが。
今夜捧げ物となっているケイも、当然朝方まで男たちが何度も繰り返し種を注ぐことになるだろう美しい女だ。顔に大きな傷があるのがもったいないが。残念なことに魂が抜けているからまぐわいになんの反応も示さないだろうが。
男たちはじっと神が上ってくるのを待つ。
一人に、神が宿った。
袋がばい菌でも感染したように丸々膨れ上がり、差し棒が祭の張りぼてのように巨大にそそり立った。
男は興奮して、歯を食いしばって起き上がった。ほこらの前に回って神の役回りとなり、寝台の上のケイにのしかかり「神事」を行おうとする。
しかし。
男が立ち上がったところ、他の男たちも興奮した様子で立ち上がった。十人全員である。ズルをして己個人の欲望で立ち上がったのかと見てみれば、ふんどしの布を押しのけて神の御印がはっきり屹立している。
複数人というのは過去もあったが、全員というのは初めてのことだろう。
こうなれば。
男たちは我先にとケイの体に群がった。