99,敗者へ
紅倉は怖い目で麻里の霊体を睨んでいる。その右手に狙いを定められて、
『お願い……、もう……、ひどいことをしないで…………』
霊体の麻里は泣きながら哀願した。
ぶすぶすと小さく赤い焼け残りをくすぶらせながら、麻里の形は崩れ、真っ黒に炭化して、ひび割れていた。
紅倉は、右手を下げた。
麻里は少し悔しさを滲ませて、訊いた。
『あの巫女たちは何? おまえはどうして平気なのだ? おまえは……、死んだはずだ……………』
紅倉は冷たい顔で言った。
「あなた、神のテリトリーの中で絶対の自信があったんでしょ? だからね、わたしも自分のテリトリーを作ったの。あなたの読んだ通りケイさんの特殊能力を借りてね」
『だが…、おまえはその中で中毒を起こして自滅したはず……。どうして……?』
「あの時は危なかったわよ? あなたがもう少しじっくりわたしをいたぶって、わたしのテリトリーの中に入ってこなかったら、わたしもあなたに幻を見せられずに、本当に死んでいたかもね?」
『幻……? あれは……、幻を見せられていたのか?………………』
幻にきゃっきゃと喜んでいた自分の滑稽さに腹が立ち、麻里は紅倉を恨めしく思った。
紅倉はふうとため息をつき言った。
「わたしねえ、ある人に、おまえは才能だけの素人だ、ってさんざん嫌味を言われたんだけど、それは、神の力に頼り切ったあなたにこそ当てはまる評価だったようねえ」
『神を頼って………………。わたしには、産まれたときから、それしか生きる道はなかった………………』
「ま、そうかもね。人は所詮、与えられた環境の中でしか生きられないものよ。不幸だったわねえ?
ま、お説教なんて聞きたくもないでしょうから解説してあげるわね。
あの巫女たちはね、わたしもさんざん苦しめられて、毒がたっぷりわたしの中に残っていたのよ。それをあなたの神様の霊力を使って再生しちゃった。うふふう、わたしのスキルも大したものでしょ? あなたをやっつけられるし、あの神様は巫女たちの毒が怖いだろうし、一石二鳥ね。あはははは」
紅倉は乾いた笑い声を上げ、麻里は嫌な女と思った。
紅倉がまたスッと冷たい顔になった。
「あなた、助けてほしい?」
『助けてよ…………。ケイは助けるんでしょ? だったら、わたしだって助けなさいよっ!!』
麻里の霊体は悔しさを吐き出し、紅倉は呆れたように表情を和らげた。
「はいはい、助けましょう。ほら、興奮して大声出すと顔が崩れちゃうわよ? …でもねえ、条件付き」
『何よ?』
「悪の道から更生すること。人生先は長いんだから、今からでも十分明るい世界で生きていけるでしょう?」
『フッ、フフフ……』
麻里は意地悪な少女の顔に戻って笑った。
『あんた金八先生? やっぱ説教するんじゃない? 何よ、あなた、わたしが憎いんでしょう? どうしてそんなこと言うの? そこまで、子どもだと思って、馬鹿にするわけ?』
「困った子ねえ」
紅倉はあごに指を当て小首をかしげた。
「わたし、けっこうあなたのこと好きなんだけど? あなた、かわいいわよ?」
『……そうやって、馬鹿にする………………』
「じゃあねえ…、どうする? このまま惨めに死ぬ?」
『助けなさいよ』
「じゃあ更生」
『分かったわよ。これからお利口になってあげるわよ。それでいいでしょう?』
「はい、けっこうです。ちょっと待ってね?」
紅倉は貯水池に下り、向かいの岸によいしょと苦労しながら這い上がった。
死んだように動かない麻里の体を赤い血溜まりから外へ引きずり出した。
「はいはい、いらっしゃい」
紅倉が手招くと固く炭化した麻里の霊体は引き寄せられるように飛んできた。
「変換」
紅倉が触れると、炭の体が白く燃え、じんわり熱を放ち、表面が溶けるようにして瑞々しい白い霊体に戻った。
健康な霊体に戻った麻里は素早く紅倉から離れた。
『アハハ、バーカ。馬鹿にして舐めた真似してくれて。誰が今さらいい子ちゃんになんてなるものですか!』
紅倉は呆れた。
「まあ。悪い子ちゃん」
麻里の霊体は黒い水路を背に言い放った。
『死ね! 紅倉!』
冷たい静寂がたたずむばかり。なんの激烈な変化も起きず、麻里の顔を驚愕が立ち上り、悔しそうにキッときつくなると、
『お父さま! いい加減になさって!』
と水路を振り返った。
「ねえー、麻里ちゃーん」
気の抜けた声で呼びかけられ、麻里はキッと振り返った。
「あなたもわたしのこと馬鹿だと思ってる? わたしはね、」
ひどく意地悪な笑いを浮かべた。
「わたしに仕返しをするような敵を、そのまま逃がしてやったりはしないのよ?」
『………どういうことかしら?………』
「あなた、自分で気づかないの? あなたのお父さま、とっくにあなたを見限って、霊体のリンクを解いてるのよ。もうその子とわたしは無関係ですからどうぞお好きになさってください、ってね」
『………………そんなはず……ない……………』
麻里は後ろを向いてじっとしていたが、おどおどした悲惨な顔で振り返った。視線を落として、紅倉を見ようとしない。
「ほら、さっさと体に戻りなさい? 死んじゃうわよ?」
紅倉が手招くと大人しく飛んできて、紅倉の横を通り過ぎ、横たわる肉体に入っていった。
「・・はあっ、」
麻里ががばっと起き上がり、
「うえっ、ぐえっ、」
また気持ち悪く吐き散らす続きをやろうとして、恐ろしい目で紅倉を睨み上げると、
「殺してやるうーーーっ!!!!」
起き上がって飛びかかってきた。紅倉は右手を突き出し、炎を放った。
「ぎゃああーーーーーーーっ!!!!!」
麻里は再び炎に全身を巻かれて踊り狂った。口からも青い火を吐いている。炎は一通り麻里を焼くと、ボオッと天井に燃え上がり、麻里の体から去った。
麻里は目玉をひっくり返して、どおっと倒れた。
「浄化の炎よ。苦しかったでしょうけれど、体に染み込んだ霊的毒素を焼き払ってあげたから、きれいになったわよ?」
紅倉は倒れて答えない麻里を覗き込み、ふう、と息をついた。
「あなたはこれから明るい世界で清く正しく、明るく生きていくの。あなた自身を守るためにね。ま、悪くないと思うわよ? 人生楽しむことね。……………あ、」
紅倉は何か思い出し、舌を出した。
「麻里ちゃんに訊こうと思ったことがあったんだけど……、ま、いっか」
大した用でもなかったようだ。
そして。
「さて。」
怖い目で黒い水路の奥を睨んだ。