在りし日の日常
「ごめんね、裕哉…」
それは、裕哉が聞いた母親の最後の言葉だった。
小学生の頃の裕哉は、とてもわがままな子供だった。親に言われたことは、守らないし、欲しいものがあれば何時間も駄々をこねていた。それでも、裕哉の母親は叱ることなく見守っていた。その結果、裕哉の性格は治ることなく、だんだんと大人の階段を上ることになってしまった。
そんなある日、今まで別居していた父親から、未来都市で一緒に住まないかという話が出てきた。母親は始めは迷ったが、裕哉も父親と一緒に過ごした方が楽しく過ごせるだろうと考えて、引っ越しを決断した。
そして小学五年生の夏に、裕哉は別の小学校へ転校することになった。それが、地獄への始まりだった。
小学五年生ともなると、すでにグループができており、そこに新しく加わるのはかなり難しかった。それに、裕哉の性格が、わがままな独裁王であったため、皆から嫌われてクラスで孤立し、学校で一人ぼっちの存在になってしまった。それにむかついた裕哉は、ある日一人のクラスメイトを殴り怪我をさせてしまった。その事が、さらに裕哉を孤立させてしまう結果になるとも知らずに。
小学六年生に上がっても、友達が一人も出来ず、家での笑顔もなくなってきた。
その環境に慣れてきたころ、裕哉は小学校を卒業して中学に進学した。そのころにはもう、わがままではなく心を閉ざした、抜け殻のような子供になってしまっていた。
そして、ここからが悲劇の始まりである。母親は、裕哉の現状に心を病み、その原因が自分にあると自身の心を攻め立てた。父親は、仕事で家にあまりいないため、裕哉の現状を知りながらも何もしてあげることができなかった。心身ともに疲弊していく日々が続いたある日、耐えられなくなった母親が家を飛び出したのだ。
裕哉は、母の後を追って夜の街に飛び出した。今まで抜け殻になっていたはずなのに、母親がいなくなるということを受け止められず、心に反して体が勝手に動いてしまっていた。しかし、追いつくことはできずに街灯もない夜の街で迷ってしまう。
「うわっ…!!」
後先考えずに走った結果、何かにぶつかり裕哉はその場に倒れてしまった。辺りが暗いため、何にぶつかったかは分からなかったが、それでも自分よりも大きいものであるということだけは、一目で分かった。
「あぁん?誰だてめぇ?」
「ひぃ…」
裕哉がぶつかったのは、ガラの悪い三人組の集団だった。それも、高校生くらいの。
「うっうぅ…」
体格差がありすぎるため、裕哉なんて片手で持ててしまう。実際、今裕哉は胸ぐらをつかまれて、宙に浮かされていた。
何とか、反撃しようとするも裕哉のパンチは何の攻撃にもなっていない。足をばたつかせても、離してはくれなかった。
「お前、悪い奴だなぁ?今、何時かしってんのか?あぁん?」
「これは、教育が必要だなぁ」
三人のうち、裕哉を掴んでいる男ではないうちの一人が、指をポキポキと鳴らしながら近づいてきた。
裕哉は、怯えて自身の顔を守るために、腕を動かそうとしたその時、今の自分の状況と、今まで殴ってきたクラスメイトの姿が重なるように感じられた。そして、自然と涙があふれてきた。母親が出て行った時も、仲間外れにされて孤独になったときにも出なかった、涙がだ。理由までは分からないが、自分の姿がいかに惨めで、みっともなく思えてしまったからだろう。
そうして、涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた裕哉だったが、殴られることはなかった。それどころか、気づけば地面に立っていた。
「え?」
ゆがむ視界を直そうと、手の甲で涙をぬぐっていく。徐々に開かれた視界には、月明かりに照らされた一人の少女が映りこんできた。
「お…お前が、助けてくれたのか?」
裕哉は、震える声で少女に問いかけた。少女は、無言を貫き通していたが、同年代の子供ということで多少は心を許したのだろう。ゆっくりと裕哉の方に近づいてきた。
「そうよ。で?あんたは何でここにいるの?」
「そ、それは…」
心が落ち着いてくると、母親がいなくなったという現実が今になって襲い掛かってきた。それを言っても、もうどうにもならないことを知っていたため、裕哉はどうにかして話を変えたかった。
そして、回らない頭で考えたありきたりな問いを少女に投げかけた。
「おまえ?名前…なんて言うんだ?」
少女は、もちろん質問に答える訳なく、不服そうに裕哉に物申した。
「はぁ…いい?人に何かを聞くときは、まずは自分から言うもんよ!それに、あんたのその態度。王様気取りってやつ?上から目線、気持ち悪いのよね。あんた、友達いないでしょ?」
「…」
あまりにもひどい言われようで、裕哉は黙り込んでしまった。それでも、今にして思えば少女の言うことは全て正しい。それを認めたうえで、少女の言った「まずは自分の名前から」に従って、口を開いた。
「お…俺の名前は…」
「いいわ、今は聞かないでおく。そのかわり、次会ったときに教えなさい。わかった?」
そう言うと、少女は闇に消え去っていった。一人夜の街に取り残された裕哉は…。
視界がぼやけ、徐々に意識が消えていく。そして…。
「懐かしい記憶だ」
裕哉は、家のベッドの上で目を覚ました。今の話は、裕哉の子供のころの記憶だ。なぜ今それを思い出したのか。その原因は一目瞭然だ。
昨日の夜、裕哉のせいで蓮介が怪我をして病院に送られた。雫の正体もバレてしまった。そして、あのとき、母親が出て行ったのは裕哉のせいだ。
後から少女に言われたことを思い出して考えて、母親では裕哉を叱れずに、一緒にいたら裕哉のためにならないと考えて出て行ったと自分の中で答えを出した。つまり、自分が変われば母親も戻ってくると。そういう、答えにたどり着いて、口調や一人称、性格を直して、今の裕哉がここにいる。
ここで、今までしてきたことと逆のこと、人のためになることをしたいと思うようになって、学生治安維持委員会を目指すようになったのだ。もちろんそれだけでなく、あのとき助けてもらった少女のようになりたいという思いも、少なからず…いや、半分くらい占めていただろう。その結果は言うまでもなく、皆が知る通りだ。
「…行くとするか」
裕哉の覚悟は決まっていた。自分の罪は自分で償う。今まで友達がいなかった裕哉には、誰かと分け合うという考えなど存在しない。その目つきを見れば、誰も反論などできはしないだろう。




