「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?
「お前を愛することはない! 私が愛するのはセレーネだけだ!」
「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! こんな姿を見るなんて最っ低!」
結婚式の夜、侯爵家に嫁いだオリヴィアは夫となったリアムに失礼な宣言をされ、リアムは信じられない返しをされた。
侍女にリアムが引きずり出されるのを仁王立ちで見ていたオリヴィアは、寝室のドアが閉められるなりベッドに倒れ込んだ。
「この狼藉……! 何なのあの男!」
ポスポスとベッドを叩く。
オリヴィアとリアムは王立学園の同級生だ。しかし交流は無く、一度も話した事は無い。
ただ、リアムは入学時から令嬢たちの注目を集めていた。顔も頭も良くて侯爵家の一人息子、その上剣の腕も見事で、王立学園を卒業後は王宮騎士団に入団が内定している。年頃の令嬢なら誰でも憧れる貴公子だ。なので、オリヴィアもリアムの存在は知っていた。
そんなリアムが恋した相手は、男爵家の庶子のセレーネ。身分が低い上に、容姿も頭脳も凡庸。だがそれが逆に美談と受け取られた。純粋な、真実の愛だと。
学園の皆は二人を祝福したが、侯爵家は侯爵夫人の役目を果たせそうに無いセレーネを受け入れる訳にはいかない。
そこで、リアムの意思を無視して伯爵令嬢オリヴィアとの婚約を決めた。
リアムも学園の皆も、オリヴィアを真実の愛を引き裂く悪女と見なした。聞こえよがしの悪口に、無視に、ささやかな嫌がらせがオリヴィアに降りかかる。そしてリアムは、オリヴィアと結婚してもセレーネを愛し続けると公言し、オリヴィアなどお飾りの妻だとセレーネと一緒にあざ笑う。
オリヴィアはそれらを意に介さず、リアムと没交渉を貫き、全く愛が育たぬまま学園を卒業し、本日結婚した。
リアムは、いや皆は、オリヴィアがリアムを愛していると思っているが、オリヴィアは全くリアムに関心が無い。わざわざ教えるために接触する気は無いので誤解されたままだが。
こちらが近づかないようにしてるのに、何でそっちから来るのか。自分を愛さない事より腹が立つ。
恋愛より勉強が好きなオリヴィアは、リアムに限らず男性に興味が無い。卒業後は城の文官となりバリバリ働くつもりだった。
そんなオリヴィアに届いた侯爵家からの縁談は理想的だった。夫になる人には愛する人がいるという。そちらに夫の世話も子作りもまかせて、自分は侯爵家の仕事に励んでいいのだと。愛人に子供が出来たら、侯爵家の後継者を育てるという仕事も任せてもらえるという。
なんて楽しそうでやりがいのある仕事。
オリヴィアはこの縁談に飛びついた。それでされたチマチマした嫌がらせなどどうでもいいとスルーし、卒業後は喜んで侯爵家に嫁いだのだ。
そして、追い返した夫とは必要な時に夫婦を装うだけの関係となった。
それから三年後。
オリヴィアは予定通りにバリバリ働いていた。実社会に出てしまえばリアムがオリヴィアをどう思っているかなんて関係無い。侯爵夫妻に全幅の信頼をされているオリヴィアを侮る者などいない。
次期侯爵夫人として歴史のある仕事を学び、新しい挑戦をさせてもらい、色々な事を吸収してオリヴィアの日々は充実していた。
今日は後援している教会の慈善バザー。
侍女と共に会場を見回っていると、見覚えのある女性を見掛けて目を疑った。
(セレーネさん……?)
リアムと住んでいるセレーネがなぜ慈善バザーに? いや、リアムもまだ新米に毛が生えた程度の騎士だ。家とセレーネと二重生活するのは経済的に大変なのだろう。侯爵家の援助は望めないし。
気付かないふりで通り過ぎようとしたが、セレーネがオリヴィアを見つけた。
「お飾りの妻が何でいるのよ!」
セレーネの絶叫が会場に響き渡った。
教会の応接室を貸してもらう。
オリヴィアと侍女がセレーネを案内して部屋に入ろうとするが、教会の孤児院の子供たちがいつも優しいこーしゃくふじん(ちょっと違うのだけど)がこの女の人に虐められるのではと応接室のドアから離れないので、オリヴィアはお金を渡してお使いを頼んだ。
「これで焼き菓子を買ってきてくれない? 教会のみんなの分も」
子供たちの顔が輝く。
「お金を払う時に、ちゃんと自分でも計算するのよ」
元気な返事と共に子供たちは走り去った。
静かになった部屋でオリヴィアがセレーネとソファーに座ると、セレーネはオリヴィアを憎々し気に睨み付ける。
侍女が備え付けのティーセットで紅茶を淹れてくれるが、怒りで目に入っていないようだ。
これでは次期侯爵夫人として社交界を渡るのは無理だ、とオリヴィアでも分かり、そっと息を吐く。
「あのような場で私を『お飾りの妻』だなどと……。あなたは、学生時代から何の成長もして無いのですね」
「な、何よ偉そうに」
「偉いんですよ。私は侯爵家の嫡男の妻です。あなたは男爵家から縁を切られて、今は平民でしょう?」
「誰のせいだと……!」
「ご自分で愛人の座を選んだからでしょう」
オリヴィアは紅茶を口にする。茶葉は安物だが、淹れ方が上手いのでまろやかな甘みが喉を過ぎていく。
「学生時代と言えば、学生時代のお友達と今でもお付き合いがあって?」
「え? いえ、皆結婚したので忙しくて……」
「その認識から間違っているのよ。皆さん『結婚して忙しい』ではなく、『結婚して正妻になった』の。正妻から見れば、あなたは穢らわしい愛人。だから付き合いを絶たれたのよ」
オリヴィアは、夜会などで級友に会うと謝罪される。「なぜ愛人の肩をもったのか、当時の自分が恥ずかしい」と。皆、学生時代の考え方を卒業しているのに、この女の頭の中は当時のままだ。
「私はお飾りの妻ですが、愛人はそれ以下だとご自覚された方がよろしいわ」
「なっ! 私はリアム様の真実の愛の相手なのよ!」
「真実の愛など、何の法的拘束もありません」
「は? 法……?」
オリヴィアは、ため息をついて説明する。
「つまり、もし今リアム様が亡くなった場合、私は自動的にリアム様の未亡人として扱われます。例えリアム様の心が私に全く無かったとしても、法律は籍が入ってる私を妻と判断しますので。私は、未亡人として皆に同情され、侯爵家から相応の財産分与を受けるでしょう。……でもあなたは?」
セレーネは、今までそんな事を考えた事も無い。
「リアム様がいなくなれば、あなたは妻のいる男の愛人になった、ただの身持ちの悪い男爵令嬢。いえ、もう除籍されて平民でしたね。そもそも、リアム様が亡くなった事をあなたに伝える人がいるかしら?」
初めて想像する。
リアムが亡くなった事も葬儀も全て終わった事すら知らずに、セレーネは一人で待ち続ける。もう存在すらしない人が来る事を。もし来たら怒って見せよう、甘えてあげようと想像して。でも、何日待っても全然連絡が来ない。もう自分を愛して無いのだろうか。妻の元へ行ったのだろうか。不安に押し潰されそうになり、お金が無くなって生活に困るようになった頃、風の噂でリアムの死を知る。でも、どうする事もできない……。
自分はこんな不安定な立場なのだ、とやっと気付く。
顔色が変わったセレーネに、オリヴィアは
「自ら愛人でいることを望むなんて、真実の愛とは不思議なものなのですね」
私には分からないわ……とつぶやく。
嫌味では無い発言に逆に血の気が引くセレーネだが、そこにドタドタと複数の走ってくる足音が聞こえ、侍女がドアを開けるとお使いから帰った子供たちが飛び込んできた。
「はい! これがこーしゃくふじんでー、これがおきゃくさま、これがじじょさんのぶんー!」
と、可愛くラッピングされた小さな袋を配る。
「お店のおじさんがねー」
「計算ができるのはえらいって!」
「ごほうびにキャンディーくれたよ」
子供たちの報告で賑やかになる室内からいつの間にかセレーネは姿を消していた。
夕方、侯爵邸のオリヴィアの私室のドアをリアムがノックもなく勢い良く開けて、ズカズカと入ってきた。
「セレーネに私が死んだらと脅したそうだな!」
まったくこの男は女性の部屋に入る時のマナーを知らない。不機嫌なオリヴィアに気付かずリアムは続ける。
「セレーネを傷つけるお前など離縁だ! 今すぐに出ていけ!」
高圧的なリアムにオリヴィアが切れた。
「調子に乗ってんじゃねーよ! あんたは私がいるから嫡男でいられるんだろーが!」
学園を卒業後は男たちに交ざって働くつもりでいたオリヴィアなので荒っぽい言葉遣いも出来るのだが、知らなかったリアムは鳩が豆鉄砲を食った顔だ。
「あんたもセレーネさんと一緒で、いつまでも頭ん中が学生時代のまんま! あんたが皆が憧れる侯爵令息だったのはとっくに昔の話なのよ! 今のあなたは愛人を囲っている不誠実な男! しかも、学生時代から耐えた私を離縁するようなクズ! そんな不良債権にまともな後妻が来ると思うの?」
クズだの不良債権だの、次々と出てくるリアムを罵る言葉に反論も出来ない。
「私がいなくなったら、『侯爵夫人にふさわしい妻がいない男に爵位は継がせられない』とあんたの廃嫡は確実よ。どっかから来た養子に爵位を奪われ、あんたはセレーネさんと一緒に平民に。それでいいの? そうなりたくないから、嫌々私と結婚したのでしょう?」
言葉に詰まるリアムに
「そうなるのが嫌なら、セレーネさんと仲良くして真実の愛だと周りにアピールしなさい。侯爵家の事なら、お飾りの妻の私がやるから」
と、有無を言わせぬ勢いで命じる。
しばし悩んだリアムだが、了承したのだろう黙って帰って行く。
リアムの後ろ姿を見守るオリヴィア。
「それでいいのよ。あなたにはお飾りの侯爵になってもらうから」
お飾りの妻は密かに笑った。
2025年11月19日
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