後半第2節「栄光」(前編)
土曜の朝六時。
街はまだ眠っているが、公園には三人の足音が響いていた。
「はぁ、はぁ……おい、今日のコース、ちょっとキツくないか?」
蓮が息を切らしながら隣の拓真に食ってかかる。
拓真は軽く笑って、ペースを落とさずに言う。
拓真「お前が“もうちょい距離伸ばしていい”って言ったんだろ? ほら、文句言うな。ペナルティーになるぞ」
蓮「……くっそ」
蓮は顔をしかめながらも、足を止めなかった。
玲央は二人の会話を背後で聞き流すように、黙々と一定のリズムで走っている。
玲央「無駄口叩くとタイムが落ちるぞ。呼吸を合わせろ」
拓真「……アイスマン、言うこといちいち正論なんだよな」
玲央「正論で勝てるなら安いものだ」
玲央は短く切り返す。
周回を終え、クールダウンのストレッチ。
拓真がタオルで汗を拭きながら笑った。
拓真「よし、今日は蓮の家で朝飯だっけ?」
蓮「え? マジで来るのかよ」
拓真「おう。昨日決めただろ、“朝ランのあとはプロテインより米だ”って...もしかして、言いそびれた系?」
蓮「昨日言ったら、ノリノリだったけどさ…」
玲央がさらりと続ける。
玲央「朝食は一日の始まりだ。炭水化物を適切に摂取しておくべきだろう」
蓮「そうだとしても……お前ら、人んち勝手に決めんなよ……」
蓮は頭を抱えながらも、結局二人に押し切られる形になった。
蓮の家
玄関を開けると、台所から包丁の音が聞こえる。
「……あら、おかえり。」
エプロン姿の母が顔を出した。
蓮「ただいま……。」
母「朝から元気ね。あら、いらっしゃい拓真くんと玲央くん」
母はにっこり笑った。
拓真「お邪魔してます!」
玲央「失礼します」
母は手際よく皿を並べながら、ふっと息を漏らした。
「うちの子、昔から朝が弱かったのにねぇ。
あんたたちが一緒だから続けられてる。
いつもありがとうね」
拓真「いえいえ、大したことしてませんよ…」
蓮がバツが悪そうに頭をかく。
蓮「別に……俺一人でもできるし」
母「はいはい。お母さんにカッコつけてもダメ」
拓真は吹き出す。
「ははっ。可愛いとこあるじゃん、グース」
「黙れマーベリック」
蓮・拓真・玲央「いただきます」
母「どうぞ」
蓮の朝ごはんは雑穀米にきゅうりと大根の浅漬け。ほうれん草とお揚げの味噌汁
そして、鶏肉のさっぱり煮と、だし巻き卵。
玲央はご飯を一口食べて、静かに言った。
「おいしいです。……走った後には十分な補給だと思います」
母はくすりと笑った。
「玲央くん、素直でいいわねぇ。蓮なんか、少しでも薄かったら文句言うし」
「なっ……!」
蓮は思わず箸を落としそうになり、拓真は笑いを必死に堪えていた。
食事を終え、三人は並んで学校に向かう支度をしていた。
「なあ蓮、お前んちの飯、めっちゃ美味かったな」
「だろ? 母さん料理だけは自慢なんだよ」
「「だけ」はって何よ」後ろから母の声。
「……やべ、聞こえてた」
玲央は淡々と漕ぎながら口を開く。
「食事も環境の一部だ。勝利を目指すなら、軽んじてはならない」
「お前は全部勝利に結びつけるんだな」蓮が苦笑する。
「当然だ…「全国制覇」って言ってしまったし」
玲央の申し訳なさなそうな姿を見た拓真がニヤリと笑う。
「よし、じゃあ今日も勝つために練習だな。七星の三角形、磨いてやろうぜ!」
朝陽に照らされる三人の背中は、どこか誇らしく見えた。
午前八時過ぎ。まだ陽射しは強くないが、すでに土の匂いが熱を帯びていた。
「よーし、そこ! 声出せ声!」
平井先生の指示が飛ぶ。
三人はチームの中心に組み込まれて、基礎練から実戦形式までひたすらこなしていた。
「拓真、左!」
「わかってる!」
拓真が鋭く切り返し、玲央が正確にスルーパスを通す。
そこに蓮が全力で走り込み、シュートを放つ。
ゴールネットが揺れ、歓声が上がった。
「ナイス、グース!」
「決めたぁ!」
蓮は息を弾ませながらも、どこか照れくさそうに笑う。
「はぁ……まだ、タイミング合ってない気がするけど」
「お前、贅沢だな。十分だろ」拓真が笑って背中を叩く。
玲央は額の汗をぬぐいながら、冷静に告げた。
「悪くはない。だが、2テンポ遅れていた。次は修正しろ」
「……はいはい」蓮は苦笑しながら頷いた。
「おーい、ちょっと水分補給!」
平井先生の声で、選手たちがベンチに戻る。
そのとき。
グラウンドのフェンスの外から、大きな声がした。
「あの……こんにちは」
「ん?」
振り向いた瞬間、拓真がにやっと笑う。
「おお、噂をすれば…!」
先生に近づいていたのは、涼子だった。
手にはコンビニ袋、その中に紙コップと1.5Lペットボトルのスポーツドリンクがひとつ。
そして、500mlの色違いのスポーツドリンクもいくつか見える。
「先生、差し入れです。みんなで飲んでください」
にこやかに差し出す涼子。
平井先生は少し驚きながらも受け取った。
「おお、ありがとう。気が利くなぁ」
涼子ははにかんでいた
拓真がすかさず、玲央の肩を肘で小突いた。
「デキた彼女だねぇ、このこの……!」
「うるさい」
玲央は眉をひそめるが、完全に拒絶しているわけではない。
むしろ、わずかに口元が緩んでいるのを蓮は見逃さなかった。
蓮は羨ましいよりも、諦めに近い感情で眺めていた。
(……“あっち側”なら彼女がいるのも模範、尊重される。
でも俺が付き合ったら――冊子にも“リスク"だの"処分対象”って書いてあったし。
俺達には羨ましがる資格すら、ないんだろな…)
他の部員との会話をしている涼子は一瞬だけ、玲央の横顔を見つめる。
けれどすぐに、視線は蓮へと移った。
「……?」
蓮は首をかしげる。
「佐藤さん?」
「えっ、あ、ううん……そ、そういえば、この間の話はどうなったんですか?」
涼子は慌てて部員に視線を戻し、ポニーテールを直すように髪に触れた。
拓真はそれに気づかず、さらに茶化す。
「おーいグース、どったの?」
「なんか視線が感じたけど?」
「そっか…でも、顔が赤いぞ」
「走ったからだ!」
会話を終えた涼子は玲央に駆け寄り玲央に色違いのスポーツドリンクを渡す
玲央は無言でペットボトルを開け、涼子に一言だけ。
「……助かる」
「…うん」
その短い言葉に、涼子は頬を少し赤くしてまた小さく笑った。
グラウンドには再び笛の音が響く。
「よーし、次のメニュー入るぞー!」
紙コップを握ったまま、蓮はふと考えた。
(なんだ……今の視線……?)
胸の奥で小さなざわめきが広がる。
それが何なのか、まだ蓮自身にも分からなかった。
笛の音とともに、グラウンドは再び熱を帯びた。
「ポジション入れ! 声出せよ!」
平井先生の檄が飛び、ボールが転がり出す。
拓真が前線で動き、玲央が中盤からゲームを組み立てる。
蓮はボールを受けるたびに汗を飛ばし、声を張った。
「行くぞ!」
「任せろ!」
呼吸を合わせた瞬間、三角形が鋭く回る。
周囲の部員たちが思わず感嘆の声をあげた。
「やっぱりあの三人、別格だな……」
「グース、動きよくなってきてね?」
蓮はその声を聞きながら、心のどこかでむず痒さを覚えていた。
(……俺が、別格? そんなわけ……)
「けど、集中しなきゃ…!」
蓮は邪念を振り払い、全体を見渡しながら向かってゆく。
一方、フェンスの外では涼子がベンチ横に腰を下ろし、ノートを開いていた。
鉛筆が小さな音を立て、視線は時々グラウンドへ。
「……」
ページには、走る三人のシルエットが描かれていく。
特に蓮がボールを追う姿は、線が重ねられるたびに力強さを増していた。
「佐藤、今何してるん?」
通りかかった別の部員に声をかけられ、涼子は慌ててスケッチブックを閉じた。
「えっ、な、なんでもない。ただの落書き」
「ふーん。……まあ、玲央とはかなり似合ってるけどな」
そう言って走り去る部員。涼子は胸を押さえて息を吐いた。
(なんで……玲央よりも、野中を描いちゃうんだろ)
練習終了の笛が鳴り、選手たちが次々とベンチに戻る。
拓真がタオルを被り、声を張った。
「はーっ! 今日も走った走った! なあグース、俺ら全国でもやれるんじゃね?」
「いや、まだまだ……」
蓮は苦笑しながら水をあおぐ。
玲央は静かに答えた。
「勝つかどうかは準備次第だ。慢心は負けに直結する。
だが蓮、お前はこれ以上自分を追い詰めるな。練習試合のように、いつかは潰れる」
「またそれかよ。……でも正しいから腹立つんだよな」拓真が笑う。
拓真「でも、玲央の話に一理ある。…クラブにいたときは追い詰めすぎて去っていった友達を何度も見た。
だから蓮、一人だけ抱え込んで無茶だけはするな。いいな」
蓮「…うん」
拓真が真顔から笑顔に変わる
拓真「そうと決まれば、近くのファストフード店でシェイク飲みますかー」
蓮「拓真はシェイク好きだよな」
拓真「うるせぇー俺にとってのシェイクは「心の洗濯」だ」
「……なんだそれ」玲央が呆れたように返す。
そのやり取りを、涼子は小さく笑いながら3人の笑顔を見つめていた。
そして視線を落としたスケッチブックの端には──
「#グース」という小さなメモ書きが残されていた。
四月下旬。
まだ桜の花びらが土手に残る、河川敷のグラウンド。
七星学園中サッカー部は、県大会の初戦を迎えていた。
相手は同じ地区の強豪――とはいえ、実績は互角。
ベンチに座る部員たちの表情は固い。
「おい、緊張してる暇はないぞ」
平井先生が、胸を張って声を張り上げる。
「初戦で足元すくわれるやつらは、いつも“やれることをやらなかった”チームだ。お前らは違うだろ!」
「はいッ!」
声が揃う。だが、蓮の胸は早鐘のように脈打っていた。
(本当に……やれるのか、俺)
キックオフ
試合開始の笛。
相手が一気に攻め込んでくる。
「落ち着け! ライン整えろ!」
玲央の声が飛ぶ。冷静で、無駄がない。
拓真が身体をぶつけてボールを奪い返す。
「よっしゃ!」
すかさず玲央へと預けられ、ボールはスッと足元に収まった。
「展開する」
玲央のロングパスが正確にサイドを突き、味方が駆け上がる。
観客席からどよめきが上がる。
「すげぇ……」
蓮の役割
前半二十分。
拓真と玲央の連携は相手を押し込んでいたが、得点には至らない。
そこで呼ばれたのは――蓮。
「野中、いけ!」
先生の声。
「は、はいっ!」
ピッチに入る瞬間、蓮の耳に拓真の声が届いた。
「お前の走力、ここで効くぞ。信じろ!」
その言葉に背中を押され、蓮は全力で駆けた。
相手DFの裏へ抜ける動き。
玲央が一瞬だけ視線を合わせる。
(来る……!)
ボールが吸い込まれるように足元へ届いた。
トラップ、前へ――シュート!
ゴールネットが揺れた。
歓声が爆発する。
「グース!」「やったー!」
ベンチからも叫び声が飛んだ。
ハーフタイム
「よし、悪くない!」
平井先生がタオルで首を拭きながら笑う。
「蓮、今のはお前の積み重ねだ。走り込みがモノを言ったぞ!」
「……っ」
蓮はうつむき、震える声で答えた。
「ありがとうございます……」
拓真が隣でニカっと笑う。
「だから言ったろ? 信じろって!」
玲央は水を飲み干して、短く言った。
「次も決めろ。だが冷静に、な」
その言葉に、蓮は息を整えながら力強く頷いた。
後半
相手も必死に攻めてきた。何度も危ない場面があったが、七星は踏ん張った。
拓真が決定機をものにし、二点目。
最後は玲央が自ら持ち込み、冷静にゴール左隅へ流し込んだ。
試合終了の笛。
スコアは3-1。七星学園、初戦突破。
試合後
「よっしゃああ!」
拓真が拳を突き上げる。
蓮も声を上げようとしたが、喉がつまって言葉にならなかった。
ただ、胸の奥が熱くて仕方がない。
平井先生が笑って言う。
「お前ら、やっと“チーム”になってきたな。次も行くぞ!」
「はいッ!」
三人の声が響く。
だが蓮の心の中では、別の声もささやいていた。
(……でも、俺はまだ“外側”に立ってる気がする)
勝利の歓声の中、小さな影は確かに芽生えていた。
地区大会2回戦
初戦の勢いそのままに、七星は攻めに攻めた。
拓真が豪快にヘディングで決めると、スタンドから大歓声。
「マーベリック!」「マーベリック!」
コールが自然に湧き上がり、SNSにはハッシュタグが踊った。
#マーベリック
#グース
#七星トライアングル
それに混ざって、誰かが口走ったタグがSNSで拡散していく。
#ミーティアストリーム
三人の連携を象徴する言葉として、すぐに定着していった
蓮の名前も少しずつ拡散していた。
だが、玲央を示すタグは――まだ少なかった。
準々決勝
相手はフィジカル頼みで、激しいぶつかり合い。
蓮が何度も当たり負けそうになるが、拓真がカバーし、玲央が的確にパスを散らす。
「繋げ!」
玲央の低い声と同時に、ボールが連続で動く。
最後は拓真の左足シュートが決まり、2-1で試合を制す。
「お前ら、だいぶ形になってきたな」
平井先生が笑い、蓮は息を弾ませながら頷いた。
(俺……チームの一部になれてるのか?)
準決勝
序盤から互角の攻防。
相手のプレスは強烈で、蓮はマークに潰されかける。
だが、玲央が冷徹に読みを入れ、拓真が身体を張ってボールを守る。
後半、三人が縦に連動。
玲央 → 拓真 → 蓮の一連の動きでゴールをこじ開けた。
「決まったあ!」
会場に歓声が広がる。
スコア2-1で逃げ切り、決勝進出。
県大会決勝戦
相手は不動の王者にして、全国制覇経験のある名門私立「市田原学院附属中」
勝てば初の全国大会、関東ブロックとしての出場がかかっていた
スタンドには人だかり。応援旗がはためき、笛や太鼓の音が響く。
七星学園中サッカー部は決勝の舞台に立っていた。
試合開始前の更衣室
試合開始前の更衣室。
「お前ら、ここまで来たら臆病になるな!」
平井先生の声が飛ぶ。
「一人じゃなく、三人でもなく――“チーム全員”で勝ち取れ!」
「「「はいッ!」」」
声が重なった。蓮の胸は高鳴っていた。
その時、玲央が珍しく大声を上げた。
「……表で円陣を組まないか?」
不意を突かれ、部員たちが一斉に顔を向ける。
「掛け声は――蓮がやれ。いつも走って、前に引っ張ってるからな」
「えっ、ちょ、おい!」
蓮が慌てると、周りから笑いが起きる。
部員たちは次々と立ち上がり、輪を作った。
だが中には、躊躇いながら腕を伸ばす者、明らかに加わらない者もいる。
その一瞬、玲央の視線がそこに止まり、眉がわずかに動いた。
(……やはり、“影”は確かにある)
だが、次の瞬間には何事もなかったように輪へ加わった。
「こんなの初めてなんだけど」蓮が苦笑すると、
「ウチらも初めてだから!」と誰かが笑い飛ばし、空気が和んだ。
拓真が声を張る。
「よーし! 声出せよ!」
蓮は深く息を吸い込み、叫んだ。
「この決勝に勝って、頂を取るぞ! ななほしー、ファイト!」
「「「おおーーーっ!!」」」
(ここまで来たんだ……俺たち、勝てる……!)
スタジアムに前半開始の笛が鳴り響く。
観客席は立ち見も出るほどの人だかり。旗が翻り、太鼓のリズムが大地を揺らす。
「市田原学院附属中」――不動の王者。
その名がコールされた瞬間、スタンド全体から地鳴りのような歓声が湧いた。
(……すげぇ。これが“全国制覇”を知る学校か)
蓮は思わず喉を鳴らした。
市田原の選手たちがボールを回す。その一つ一つのパスが正確で速い。
トラップひとつに迷いがない。身体のぶつかりも強烈。
「押せ! 下がるな!」
玲央の声が飛ぶ。
しかし次の瞬間、七星の左サイドが突破される。
「やばっ!」
蓮が必死に戻る。
だが相手のスピードは一段階上。並走しても振り切られ、クロスがゴール前に放り込まれた。
拓真が身体を投げ出してヘディングで弾く。
だがすぐに相手に拾われ、また縦へ――。
「なにあれ……」
ベンチからも息を呑む声。スタンドでは「格が違う」というざわめきが広がる。
(止められない……!)
蓮の心臓は跳ね上がり、まだ開始三分だというのに足が鉛のように重く感じられた。
「落ち着け! 慌てるな!」
玲央が声を張る。冷静さを失った味方を繋ぎとめるように、低く鋭い声だった。
相手の猛攻をいなしながら、玲央は素早く状況を見極める。
(パス回しは速いが、縦への切り替えが単調だ。読み切れる)
次の瞬間、相手MFがボールを振ろうとした足元に玲央が滑り込み、インターセプト。
「行け!」
切り取ったボールをすかさず拓真に預ける。
「任せろ!」
拓真が体を張って相手をブロック、強引にキープする。
スパイクが芝を抉り、筋肉が悲鳴を上げても、彼は踏ん張った。
「こっちだ!」
蓮が手を上げて走り込む。
拓真はニッと笑い、ワンタッチで前へ流した。
「ナイス!」
歓声が一瞬だけ七星側に傾く。
相手ゴール前に迫った――が、最後のシュートは惜しくもポストを叩いた。
「惜しいっ!」
ベンチから悲鳴に近い声が上がる。
だが蓮の胸の奥に、小さな火が灯った。
(……行ける! 王者相手でも、俺たちはやれる!)
時計は前半残り五分。
互角の攻防が続き、スタンドは緊張に包まれていた。
「下がるな!」
玲央の指示でラインを保つ。
相手の縦パスをカットした瞬間、拓真が前を向く。
「行くぞ!」
体をぶつけられても、強引に押し返す。
拓真のスルーパスが芝を切り裂き、蓮の足元へ届いた。
「っ……!」
蓮は迷わず走り込む。相手DFが二人、立ちはだかる。
だが――背後から玲央が声を飛ばす。
「左に流せ!」
反射的に左へボールを送る。
拓真が走り込み、渾身のシュート。
ズドンッ!
ゴールネットが大きく揺れた。
「やったーーー!」
ベンチが総立ちになり、スタンドの応援も一気に七星に傾いた。
蓮は肩で息をしながら、拓真と笑い合う。
「拓真……ナイス!」
「いや、お前が運んだからだろ!」
二人の間を通り抜けるように、玲央が静かに呟く。
「……まだ終わってない。気を抜くな」
それでも、前半終了の笛が鳴るまで、七星は気迫で押し切った。
スコアは1-0。
王者・市田原学院から先制点を奪ったのだ。
ハーフタイム
ロッカールームに戻った瞬間、全員がどっとベンチに腰を下ろす。
汗が床に滴り落ち、荒い息が狭い空間を満たした。
「……はぁっ……!」
蓮はタオルで顔を覆いながら、まだ胸の鼓動が収まらない。
(先制できた……でも、足が重い。後半も走りきれるのか……?)
「っし! 最高だろ!」
拓真がタオルを頭にかけ、豪快に笑う。
「相手が全国だろうがなんだろうが、やれるんだよ!」
「浮かれるな」
玲央が冷たく釘を刺す。
「王者は後半で本気を出す。ここからが本当の勝負だ」
それでも、その視線は蓮へと移る。
「……野中。前半、お前が走ったから相手DFのラインが下がった。
あの一点は、お前の動きで生まれた」
「え……」
蓮の手が止まり、思わず顔を上げる。
拓真がニカっと笑う。
「そうだぞ! お前が全力で抜けてくれるから、俺らが自由になるんだ。後半もガンガン走れ!」
「……うん!」
蓮の胸に小さな火が灯る。
そこへ平井先生がタオルを首にかけながら立ち上がった。
「よくやった。だが、相手はこれで終わらん。むしろこれからだ」
鋭い視線で全員を見渡す。
「一人で勝つんじゃない。三人でもない。――“全員”で勝ち取るんだ!」
「はいッ!」
声が重なり、ロッカールームの空気が熱を帯びた。
玲央が短く戦略を告げる。
「後半は相手が前がかりになる。だから――カウンターだ。蓮、お前の走力が鍵になる」
拓真がすかさず肩を叩く。
「任せたぞ、グース!」
蓮はタオルを握りしめ、胸の奥で呟いた。
(後半……もう一度、俺も勝負する!)
ピッチに戻った瞬間、空気が変わった。
市田原学院――王者の本気。
RPGで例えると、まるで「中ボスの第2形態」が現れたかのようだった。
開始早々、相手は怒涛の攻めを仕掛けてきた。
両サイドからのクロス、中央からの突進、次々と七星ゴールを脅かす。
「くそっ……!」
拓真が身体を投げ出して弾き返す。
だが押し返しても、波は途切れない。
玲央が必死にラインを整える。
「引くな! 間合いを詰めろ!」
冷徹な指示が響くが、それでも相手のシュートがゴールポストを叩いた瞬間、観客席がどよめいた。
(やばい……押し込まれてる!)
蓮は必死に走り、ボールを追った。肺が焼けるように痛い。
それでも―
『後半はカウンターだ。蓮、お前の走力が鍵になる』
玲央の言葉が脳裏に蘇る。
そして訪れた、一瞬の隙。
相手のシュートをGKが弾き返した。こぼれ球が玲央の足元に転がる。
「前へ!」
玲央が正確なロングフィードを放つ。
「受けろ、グース!」
拓真の声。
蓮は全力で駆け出した。
スタンドの視線が一斉に追う。
「速い……!」
相手DFが必死に追うが、距離が開いていく。
(ここで決める!)
蓮はボールを受け、GKと一対一に。
シュート――!
だがボールはGKの両手に弾かれる――!
「うわっ!」
観客席が一斉に悲鳴を上げる。
こぼれ球が転がる。
誰よりも早く反応したのは拓真だった。
「任せろッ!」
全身を投げ出すように飛び込み、スパイクの先で押し込む。
ゴールネットが大きく揺れた。
「決まったぁぁぁ!!!」
ベンチも観客席も総立ちになり、太鼓と声援が地鳴りのように響く。
蓮は膝に手をつき、荒い息を吐いた。
(俺じゃ決め切れなかった……でも――!)
拓真が笑いながら走り寄る。
「ナイス突破だ、グース! お前が開けた道だぞ!」
力強く肩を叩かれ、蓮は思わず笑みをこぼした。
玲央は水を含み、静かに吐き捨てるように言った。
「……今ので試合は決まったな」
スコアは2-0。
残り時間はわずか。七星の勢いはまだ止まらなかった。
だが王者・市田原がそう簡単に沈むはずはなかった。
「前に行け!」
怒号とともに、怒涛の攻撃が再開される。
七星の守備陣は必死に身体を張るが――。
ズドンッ!
鋭いミドルシュートがゴール右隅に突き刺さった。
「一点返された!」
スタンドがざわめく。残り時間は十分にある。
(まだ……! ここで怯んだら終わりだ!)
蓮は必死に声を張り上げる。
「下がるな! まだ行ける!」
玲央が短く頷いた。
「野中、次はお前が決めろ」
拓真も笑みを浮かべる。
「最後はお前の見せ場だ、グース!」
――その瞬間が訪れた。
相手の攻撃を凌ぎ切り、玲央がカット。
即座に前へ送り出すロングフィード。
「行けっ!」
拓真の声に背中を押され、蓮は全速力で駆け出した。
相手DFが二人、必死に並走する。
(負けない……! 俺は、走れる!)
全身の力を込めて前へ。
一人をスピードで振り切り、もう一人を切り返しで置き去りにする。
ゴール前、GKと一対一。
(決める……今度こそ俺が!)
蓮は踏み込み、迷わず右足を振り抜いた。
ドンッ!
ボールは一直線にゴール左隅へ。
ネットが大きく揺れた。
「ゴーーール!!!」
スタンドが総立ちになり、歓声が爆発する。
蓮は両腕を突き上げた。
拓真と玲央が駆け寄り、三人で肩を組む。
「やったな、グース!」
「……悪くない」
歓喜の渦の中、試合終了の笛が鳴り響いた。
スコア3-1。
七星学園付属中、県大会優勝。
初の全国大会出場を決めた瞬間だった。
「勝ったあぁぁーーーっ!!」
七星側スタンドが総立ちになり、旗やタオルが乱舞する。
蓮の父は拳を突き上げて叫んだ。
「やったな、蓮ーーっ!!」
隣で母は涙を拭きながら拍手を送る。
「信じられない……本当に全国へ……!」
拓真の父は腕を組んだまま、口元をわずかに緩めた。
「……あいつ、やりやがったな」
隣で玲央の父も小さく頷き、低い声を洩らした。
「ふむ。実に見事だ」
観客席のあちこちで「マーベリック!」「グース!」の名を叫ぶ声が飛ぶ。
中にはスマホで「#七星の奇跡」とタグを打ち込み、拡散する者もいた。
大歓声の渦の中、ピッチ上の三人は肩を組みながら天を仰いだ。
(……俺たち、本当にやったんだ)
蓮の胸の奥で、熱がこみ上げていた。
歓声が渦巻く中、涼子は観客席で両手を胸に当てたまま立ち尽くしていた。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
視線はまず玲央に向かった。
彼の冷静な指揮と読みが、この勝利を支えたのは間違いない。
「やっぱり……すごい人だよね」
小さく呟き、笑みを浮かべる。
だが次の瞬間、涼子の視線は自然に蓮へと移った。
汗で髪が額に張り付き、息を切らせながらも、仲間と笑い合うその姿。
(……羨ましい)
その想いは、玲央の彼女としての立場とは違う場所から溢れていた。
自分には描けない「まっすぐな輝き」を、蓮は持っている。
スケッチブックを抱きしめ、胸の奥に小さなざわめきを閉じ込めた。
蓮はまだ速く打つ心臓を手で押さえながら、ゴールネットを振り返った。
(本当に……俺が決めたんだ。俺も、このチームの一員なんだ)
拓真は笑顔のまま蓮の背中を叩く。
「最高だったぞ、グース! 全国でも暴れようぜ!」
玲央は汗を拭いながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……悪くない。だが次は、もっと上を目指す」
三人の視線が交わる。
言葉はなかったが、その眼差しには確かな信頼と期待が宿っていた。
試合終了後、スタンドに残っていた部員たちが整列して挨拶を終えると、
平井先生が前に出て声を張った。
「よくやったな、お前たち! ――それとだ」
一瞬ためをつくと、ちらりと観客席にいた保護者を振り返る。
「“マーベリック”と“アイスマン”の親御さんのご好意で、近くの居酒屋を貸し切ってくださった。
祝賀会を開くそうだ。行きたい者は、親御さんの許可をもらってから来い!」
「「「うおおおおーーっ!!!」」」
部員たちが一斉に沸き立った。
「マジっすか!?」
「やったあ! 飯タダだぞ!」
「唐揚げ! 唐揚げあるかな!?」
拓真が隣の蓮の肩をがしっと抱き寄せる。
「ほらな、最高の夜になりそうだろ!」
「いや、まだ試合の汗も拭いてないんだけど……」
「いいから行くぞ! 今日は思いっきり食うんだ!」
玲央は冷静にリストバンドを外しながら、
「……悪くない」
とだけ言って立ち上がる。
夜、居酒屋ののれんをくぐると、すでに大皿料理がずらりと並んでいた。
唐揚げ、ポテト、焼きそば、枝豆――どれも湯気を立てている。
「いただきまーすっ!」
部員たちが歓声を上げて雪崩れ込む。
「唐揚げは俺のだー!」
「バカ、ポテト取んな!」
テーブルごとに取り合いが始まり、たちまち大騒ぎになった。
蓮は拓真に無理やりビールジョッキ(もちろん中身はウーロン茶)を持たされ、乾杯の音頭を取らされる。
「えっ、俺!?」
「お前が点決めただろ! ほら、声張れ!」
仕方なく立ち上がり、蓮は照れながら叫んだ。
「えっと……県優勝おめでとう! 全国でも勝つぞ! かんぱーい!」
「「「かんぱーーいっ!!!」」」
大音量の声とグラスのぶつかる音が居酒屋中に響いた。
カウンター席では、拓真の父がビールを片手に平井先生に話しかけていた。
「実はですね……」
語られたのは、拓真が一度サッカーを諦めかけていた過去。
「でも、仲間がいたからまた夢を見られたんです」
その言葉に先生は真剣に頷き、グラスを傾けた。
一方、玲央の父は短く一言。
「……王者を倒せたのは、先生のおかげです。」
平井「いえいえ、玲央くんが頑張ってくれたおかげですよ。」
玲央の父は軽く会釈しつつ、語る。
「次の全国でも、引き続きお願いします。」
重みのある声に、場が一瞬だけ引き締まる。
スタジアムからの帰り道、涼子はスマホを操作していた。
画面には玲央宛てに送った文字列。
《おつかれさま。そして、おめでとう。
今日は目一杯楽しんでね》
玲央からののメッセージはなかったが、代わりに拓真と蓮の3人が頬張る写真が送られてきた。
玲央のぎこちない笑顔にくすっと笑う涼子。
だが視線は自然に、唐揚げを頬張りながら笑っている蓮へと移っていた。
(……羨ましい。あんなふうに、まっすぐ笑えるなんて)
画面の電源を落とし、そのまま帰路へと向かうのであった。
後編に続く




