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前半第4節「冷徹の獅子」

初めての練習試合から数日後――。

中間テストが終わり、サッカー部は“地区予選に向けて”本格的な強化に入っていた。


「よーし!今日から週5で強化メニューいくぞ!」

平井先生の声が、グラウンド全体に響き渡る。


「予選まであと1か月!走れ、繋げ、戦え!最後に笑うのは、倒れなかったやつだ!」

「「「はいっ!」」」


声を張り上げる部員たち。

放課後の西日が、赤茶けた土のグラウンドに影を伸ばす。

空気は熱く、土ぼこりの匂いと汗の混じったにおいが充満していた。


――全員での持久走。

笛の音に合わせ、校舎裏のランニングコースを駆け抜ける。

前列にいるのはやはりクラブ経験者たち。

その中に混じって、野中蓮も必死に食らいついていた。


(……前は、5分で足が止まったのに……!)

胸は苦しい。脚は重い。けれど――もう倒れそうにはならない。

毎朝のランニングで身に染みついた呼吸のリズムが、身体を動かしてくれる。


「はっ……はっ……!」

必死に足を前に出す蓮。その横に並ぶ拓真が、ちらと視線を投げる。


拓真「……お前、もうバテなくなったな」

蓮「っ……はあ……やっと……だよ……!」

拓真「これなら“試合で走りきれる”。立派な武器だ」


にやりと笑う拓真に、蓮も苦笑いを返した。

汗が額を流れ、夕日で光る。


――次は、パス回しのドリル形式。

狭いスペースでワンタッチ、ツータッチを繋ぐ。

走り込む蓮に、拓真がすぐ声を飛ばす。


拓真「背中空いた、左!」

蓮「――受けた!」


即座に左斜め後ろにリターン。

拓真はボールを受けるより早く、次の動きを決めていた。

そのまま逆サイドへ展開。


「おい、今の見たか?」

「野中のトラップ、完全に藤井に合わせてたな」

先輩たちが小声でつぶやく。


グラウンドのはずれで平井先生とコーチが遠巻きに見ていた。


「……おい、今の2本。仕組んでないのに動きが通ったぞ」

「ええ。あの2人、なんか“意思の流れ”がある感じですね」


コーチが目を細める。

走り込みで培った体力。そこに、拓真との連動が加わって――

蓮は、少しずつチームの中で存在を強め始めていた。


別の日

夕暮れのグラウンド。

部員たちは汗で泥だらけになったビブスを洗濯袋へ放り込み、ミニゴールやマーカーを片づけていた。

西の空は茜色に染まり、声も次第に落ち着いていく。


「はー……今日も走ったな……」

「水分足んねー……」


疲労と充実感の入り混じったざわめきの中――。


「……それ、逆向きに入れたほうが早いですよ」


すっと差し込まれた声に、全員の動きが止まった。


マーカーを拾い上げ、無駄のない所作で重ねていく一人の男子。

制服は乱れなく、髪も汗ひとつ浮かんでいない。


「……あれ、東條?」

器具を抱えていた先輩が、驚いたように口にした。


「先輩……お久しぶりです」


振り返った少年は、落ち着いた声音で一礼した。

――東條玲央。


初対面の1年生たちも、思わず息を呑む。

ただ片付けを手伝っているだけなのに、妙に整然としている。

秩序だった空気が、彼の周囲にだけ漂っていた。


「おお、来たか」

平井先生が腕を組んで近づいてくる。


平井「“転部”希望の東條玲央。クラブ所属だったな?」

玲央はうなずく。


平井「ポジションは?」

玲央「どこでもいいです。……ただ、パスカットと視野は任せてください」


その眼差しに揺れはなかった。

“できること”と“責任”だけを口にする冷徹さ。


平井「……明日からいけるか?」

玲央「はい。よろしくお願いします」


玲央はもう一度、深く頭を下げると、持っていた器具をきっちり揃えて脇に置き、すっと立ち去った。

足音は静かで、砂埃ひとつ立てなかった。


誰も声を出さない。

その沈黙だけが、彼の存在を強調していた。


「……何者?」

蓮がぽつりとつぶやく。


隣の拓真が小さく答えた。


拓真「東條玲央。県外クラブにいた。……“アイスマン”って呼ばれてた」

蓮「アイスマン?」


拓真「冷静さと、寸分違わぬ判断。その正確さで試合を“読み換える”やつ。

……俺の親父が好きだった映画のキャラにも、そういう奴がいたらしい」


蓮は息を呑む。

――汗と熱気に包まれていた空気の中に、一瞬だけ氷のような静けさが降りた。


翌日の放課後、サッカー部の練習。

いつも通りの掛け声と、土を蹴るスパイクの音が響いていた。


「よし、3対3のポゼッションだ!制限時間は3分、パスはワンタッチ!」

平井先生の笛が鳴る。


狭いスペースにボールが転がる。

部員たちが必死に足を出す中、ひときわ静かな影がそこにいた。


――東條玲央。


相手のパスが横へ出た瞬間。

玲央の身体がわずかに傾く。

次の瞬間には、もうボールが彼の足元に吸い付いていた。


「えっ……抜かれた!?」

「いや、パスカットだ!今の、狙ってたのか……?」


驚く声を背に、玲央は一歩も止まらない。

取ったボールをワンタッチで前に送る。

その精度は、味方FWが足を止めずに受けられるほど。


「ナイスパス!」

FWがそのままゴールへシュートを叩き込む。


あまりの鮮やかさで部員同士がざわめきが広がる


別の場面。

敵がドリブルで仕掛けてきた瞬間、玲央は一歩下がり、相手の重心を読む。

足先をわずかに伸ばす――それだけで、ボールが自然と奪われる。

派手さはない。だが、確実。


「……すげぇ。無駄がねぇ」

「止めたあと、すぐ次の選択肢……」


見ていた先輩たちがざわつく。


グラウンドの中央。

拓真が横目で玲央を見ながら、ぼそりとつぶやいた。


拓真「……“アイスマン”は伊達じゃねぇな」


その横で、蓮は喉を鳴らした。

蓮(……正確さが、ここまで試合を変えるのか……。

俺の0.5秒遅れが、あいつには“読めてる”……)


夕暮れの風が吹き抜ける。

熱気の中に、冷徹な秩序が刻まれていた。


練習が終わった放課後。

夕暮れの校門を抜ける生徒たちの列。

疲れ切った顔、笑い合う声、ジャージ姿の部員が次々に帰っていく。


その中で――ひときわ目を引く二人がいた。


「……待った?」

「ううん、今来たとこ」


制服姿で鞄を抱えた佐藤涼子と、練習後のジャージ姿の玲央。

自然に並んで歩き出す。


周囲の部員たちは小声でざわついた。


「……あのふたり、やっぱり付き合ってるんだな」

「東條、部に来てすぐなのに……すげぇな」


玲央は無表情のまま歩調を崩さず、無駄のない動き。

一方、涼子は隣でほんの少しだけ背筋を伸ばし、誇らしげな笑みを浮かべていた。


蓮と拓真は少し後ろからそれを見ていた。


拓真「……いいなー」

蓮「……何が」

拓真「いや、ああいう“放課後デート”ってやつ。ドラマでよく見るやつじゃん」

蓮「まさに“ありがちなシチュエーション”だな……」


蓮は苦笑してみせるが、その声はどこかかすれていた。

拓真は横目でじっと見て、ふっと笑う。


拓真「……もしかして、泣いてる?」

蓮「うるせぇ! 泣いてねぇし!」


図星だったのか、蓮は目をそらす。

頬に触れる手が少しだけ震えている。


拓真はため息をつき、軽く肩を叩いた。


拓真「……帰りにシェイクおごるよ」

蓮「……は?」

拓真「“失恋予備軍”には糖分が必要なんだよ」

蓮「誰が失恋だ! まだ始まってもねーよ!」


言葉とは裏腹に、胸の奥のざわめきは誤魔化せなかった。

夕陽の中、玲央と涼子の影が遠ざかっていくのを、蓮はただ黙って見送るしかなかった。


試合前日

駅前のゲームセンター。

色とりどりのLEDと電子音が、夕方の街に浮かんでいた。


蓮は部活で軽めのメニューを行った後早めの解散となり、気分転換で

ゲームセンターに寄っていると、UFOキャッチャーで苦戦している

同じ学校の制服を着た少女を見つける。

蓮(あの子は、確か...)


涼子(……あと少しで取れるのに……!)


UFOキャッチャーのアームが、またしてもぬいぐるみ型のキーホルダーをかすめて落とした。

財布の小銭は、もう残りわずか。


涼子「……っ」

悔しそうに唇を噛む。

横目で、同級生たちがプリクラで盛り上がっているのが見えた。

――でも彼女は輪に入れない。ここだけが、少しだけ自分を守れる場所だった。


「……」


隣に立つ影。いつの間にか、もう一人分の気配があった。

涼子が顔を上げるより早く、ひょいと100円玉が投入される。


蓮「……貸して」


短い言葉とともに、レバーを握る。

涼子は思わず息を呑んだ。


アームがゆっくり降りる。

――掴んだ。

力強く持ち上げ、揺れに耐え、そのまま景品口にストンと落ちる。


涼子「え……」


あまりに一発すぎて、目を瞬かせた。


蓮「……はい」


それだけ言って、景品を涼子の手に乗せると、そそくさと背を向けて歩き出す。

涼子「ちょ、ちょっと……」


声をかけたかったのに、喉がつまって出てこない。

人混みに紛れて、彼の背中はあっという間に遠ざかっていった。


手のひらに残された、小さなぬいぐるみ型キーホルダー。

軽いはずなのに、やけに重く感じる。


涼子(……なに、今の。

ただのクラスメイト……のはず、なのに。

……どうして……こんなに胸が、熱いの……)


その夜、涼子はスケッチブックの片隅に、キーホルダーの絵を描いていた。

気づけば、ページの隣には――“小さな横顔”のラフ画も描かれていた。

涼子は慌てて消しゴムで消したが、ココロの中で引っかかるかのように強く消せなかった。


週末。

市立スタジアムの人工芝グラウンド。

スタンドには保護者や学校関係者がちらほらと腰を下ろしていた。


「……人、けっこういるな」

ジャージの襟を直しながら蓮は小声でつぶやく。

手汗がにじむ。


「緊張すんな。相手も同じ中1中心だ」

隣で拓真が笑って肩を叩いた。

その声が少しだけ、蓮の胸を軽くした。


だが――視線の先にいるもう一人は違った。

玲央。

ベンチでジャージの袖を整えながら、顔色ひとつ変えず試合開始を待っている。


(……やっぱり、“温度”が違う)

蓮は無意識に息を呑んだ。


ホイッスルが鳴り、前半キックオフ。


序盤は一進一退。

お互い譲らず、シュートは枠をかすめるばかり。

時間だけが過ぎていく。


「野中、もっと詰めろ!」

「はいっ!」


声を張るが、0−0のまま前半終了。


ベンチに戻ると、平井先生が短く檄を飛ばす。

「いいぞ、このまま我慢だ!後半、チャンスは来る!」


そして後半15分。

相手のシュートがポストをかすめ、跳ね返ったボールが中盤にこぼれる。


「拾え!」


一歩早く反応したのは玲央だった。

無駄のないトラップから、即座に視野を広げる。


「――左、空くぞ」

低い声が飛ぶ。


半歩遅れて蓮が動く。

ボールを受け、トラップ一つ。

前を見た瞬間、拓真の走り込みが視界に入る。


(ここだ……!)


スルーパス。

拓真がそれを受け、1タッチで前へ押し出す。


「っしゃ!」


FWが走り込み、ダイレクトでシュート。

ゴールネットが揺れた。


「ナイスボール!」

歓声とどよめきがスタンドに広がる。


ベンチの平井先生が目を見開いた。

「……無言で通したぞ、あいつら……」


蓮は荒い息を整えながら、拓真と視線を交わす。

言葉はいらなかった。ただ、口元が自然にゆるむ。


試合はそのまま1−0で終了。


ホイッスルが鳴り響き、勝利が決まった瞬間、ベンチもスタンドも大きく湧いた。


「やった……勝ったんだ……!」

「これで県優勝とか行けるかもな」


蓮の胸の奥が熱くなる。

握った拳が震えていた。


その隣で、玲央は静かにユニフォームの袖を直していた。

まるで当然の結果だと言わんばかりに。


拓真がポツリとつぶやく。

拓真「……あいつのパス、すげぇ精度だったな」

蓮「うん……俺の0.5秒、完全に読まれてた」


歓声の渦の中、蓮は背筋に小さな冷気を覚えた。

“アイスマン”――その異名がただの噂でないことを、今さら思い知らされていた。


地区予選を突破した七星中サッカー部は、創部以来初の県大会へ進んだ。

スタンドには普段の倍以上の観客。生徒会や教師の姿もちらほらと見える。


1回戦。

「よっしゃー!」

拓真のミドルがゴールネットを揺らし、3-0で快勝。

注目されたのは、やはり中盤の連携。


実況役の先輩が叫ぶ。

「藤井と野中のパスが止まらねぇ!」

二人のコンビネーションに、スタンドからも拍手が広がる。


2回戦。

格上相手に1点ビハインドのまま迎えた後半終了間際――

玲央が読み切ったパスカットから拓真に通し、そこから怒涛のカウンター。

「逆転だぁ!」

2-1。七星はベスト8へ。


だが準決勝。

相手は全国経験校。序盤で先制され、追いつくチャンスも作るが――

玲央の読みがことごとく外され、精密さが逆に“裏をかかれる”形となった。

蓮も拓真も食らいつくが、ゴールは遠い。


ホイッスル。1-2敗退。

ベスト4で大会を終えた。


更衣室に戻った3人は、汗と涙に濡れた顔をタオルで覆った。


蓮「……っ、くそ……!」

拓真は無言でペットボトルを差し出し、ただ隣に座った。


その先で、玲央はピッチを振り返るように座り込み、低くつぶやいた。


玲央「“正確さ”だけでは、届かない壁がある……」

拓真「……だな。そういう時もある。気を悪くするなよ」

蓮「……ああ」


ほんの短い会話。

だが、それは敗北の痛みを分け合うには十分だった。


会場を後にした3人を、外で待っていたのは蓮と拓真の家族。

笑顔でタオルを差し出し、肩を叩いて迎えてくれる。


一方――玲央の家族は来ていなかった。

代わりに、制服姿の涼子が小走りで駆け寄り、自然に彼の隣に並ぶ。


涼子「……お疲れさま」

玲央「……ああ」


そのまま2人は静かに歩き去っていった。


蓮と拓真は、それぞれ家族に囲まれながらも、その背中を見送ることしかできなかった。


数日後の体育館。

全校生徒が並ぶ中、壇上にはサッカー部員たち。


教頭が賞状を読み上げた後、顧問の平井先生がマイクを握る。

「えー……今回の県大会ベスト4進出は、学校史上初の快挙であります!」


拍手が広がる。

その勢いに押されるように、先生はつい口を滑らせた。


「とくに中心となったのは……“マーベリック”こと藤井、そして“グース”こと野中――」


「「「……!?」」」

体育館がざわついた。


(やばっ)と気づいた平井が慌てて言い直す。

「い、いや、あれは練習中のあだ名で!……訂正、藤井拓真、野中蓮、そして東條玲央!この三人が主軸で頑張りました!」


だが時すでに遅かった。

“マーベリック”“グース”という響きは、もう全校生徒の耳に焼き付いていた。

会場の後方で小声が飛び交う。


「マーベリックとグースって、あの映画?」

「いや、部活で呼ばれてるんだろ」

「カッコよ……」


蓮は壇上で居心地悪そうに目をそらす。

拓真は苦笑しながら肩をすくめていた。


そして――玲央。

表情は変わらない。だが、ほんの一瞬だけ瞳が細く揺れた。

ただ彼の心にだけ、静かな氷が残っていた。


体育館に響く拍手。

平井先生の口から出た「マーベリック」「グース」という言葉は、すでに全校生徒の耳に焼きついていた。


壇上に並ぶ3人――拓真、蓮、玲央。

緊張の中でそれぞれの胸に残った感情は違った。


全校集会が終わり、それぞれが教室に向かう途中

先に降りてきた2年生たちが振り返りざまにひやかす。


「おーい!マーベリック!」

「グース!サインくれよ!」


笑いが飛び交う。

蓮は真っ赤になって手を振る。


蓮「ちょ、やめろって!マジでやめろ!」

拓真は逆にケラケラ笑って肩をすくめた。


拓真「……いやぁ、やっちまったな先生」

蓮「笑いごとじゃねぇよ……」

蓮は情けない顔をするが、どこか悪い気もしない。


拓真がふと真顔になり、ぼそりとつぶやいた。

拓真「でも……ちょっとカッコよかっただろ?」

蓮「……知らねぇよ」

顔をそむける蓮。その耳は赤かった。


廊下の少し後ろを歩く玲央。

彼は何も言わない。

ただスマホを開き、校内SNSに上がり始めた「#マーベリック」「#グース」の

投稿をスワイプで静かに消していく。


玲央(……あの日のゴール、“俺”が起点だった。

でも、呼ばれたのは俺じゃない)


冷たい瞳の奥で、小さな影が芽を落とした。

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