前半第2節「体力強化」
本入部初日
春風がやわらかく吹く放課後。
校庭の隅では、ボールの弾む音と笑い声が混ざり合っていた。
「全員そろったなー!はいー、集合ー!」
笛を鳴らしながら現れたのは、顧問の平井先生。通称「ミスター」。
笑うと顔が四角く見えるのが特徴らしい。
平井「今日から“正式な”入部ってことで、まずは自己紹介だ。先輩も顔と名前、ちゃんと覚えろよー!」
新入部員8人が並ぶ。クラブ経験者もいれば、明らかに緊張している子もいる。
■ 新入部員紹介(抜粋)
藤井 拓真
拓真「1年の藤井です」
姿勢がよく、雰囲気も落ち着いていて、すでに“できるやつ”のオーラをまとっている。
平井「こいつは小学からクラブ所属。“戦術理解が早い”って、元指導者に太鼓判押されたタイプだ」
拓真「よろしくお願いします」
野中 蓮
蓮「お、同じく1年の……の、野中です……」
緊張のあまり猫背気味で、学校の体操服もどこか“借り物”っぽく見えてしまう。
平井「……こいつは……ポテンシャル枠だな。とりあえず名前だけ覚えとけ」
蓮「よ、よろしくお願いします……」
蓮(いくら未経験だけど、紹介ざっくりすぎじゃ……)
他の6人も自己紹介を終えると、部員は4人1組に分かれてウォームアップとリフティングへ。
拓真はクラブ経験者らしく、1年生の中でも圧倒的に上手かった。
一方、蓮はというと――
蓮(ヤバっ……みんな普通にできてる。俺だけ……)
公園で友達と蹴った程度の経験しかなく、技術は乏しい。
二回目でボールを落とし、先輩たちに笑われる。
平井「おい野中、ボールに謝っとけ!」
「ははは!」と周囲から笑いが起き、蓮は肩をすくめた。
別の日。新入部員による実技チェック。
平井「今日は“実戦形式のパス回し”だ!試合は走ることが基本!止まるなよ!」
三人一組でパスとマークを繰り返す練習。
蓮は必死に走ろうとする――が。
開始5分。
蓮(……や、やば……足が上がんない……!)
呼吸は乱れ、足取りはふらつき、視界は揺れる。
手足がバラバラに動き、マークも外れてしまう。
先輩「野中!戻れ!マークついてねぇぞ!」
蓮「は、はいいぃっ……す、すみませ……」
その瞬間、平井の笛が鋭く鳴った。
平井「ストップ! 野中、外で休め!
酸欠で倒れられたら困る!」
蓮「す、すみません……っ」
ベンチに下がり、倒れこむように座り込む。
水筒を掴む手すら震えていた。
蓮(……俺、全然動けてない。
思ってたのと違う……“サッカー”って、もっと……)
そのとき、平井が声を飛ばした。
平井「野中! お前に今いちばん必要なのは――テクニックじゃない。
まずは“体力強化”だ。サッカーは最後まで走れるやつが勝つんだぞ!」
一瞬、部員たちの笑い声が止まる。
蓮は驚いて顔を上げた。
平井「……続けろ。続けたやつだけが、ピッチに立てる」
その言葉が胸に残り、蓮は拳を握りしめた。
部活がない日の夕方。
蓮は図書館で借りた文庫本と、アニメショップで買った雑誌を紙袋に入れて帰路についていた。
ふと、自宅近くの土手のランニングコースから、一定のリズムを刻む足音が聞こえる。
視線を向けると、ひとりの男子が黙々と走っていた。
──藤井拓真。
フォームは乱れず、肩も上下せず、まるで機械のように正確なテンポで走り続けている。
その表情は、部活中に見せる笑顔とは違っていた。
蓮(……あんな顔、初めて見た)
声をかけようとしたが、喉が動かなかった。
ただ、紙袋を抱えたまま立ち尽くし、夕暮れの中を走る拓真の背中を見送った。
蓮の部屋にある机の上に雑誌と読みかけの文庫本を置いたまま、
彼はベッドに倒れ込んでいた。
蓮(……俺は昨日、ちょっと走っただけでバテたのに。
あいつは、当たり前みたいに続けてたんだ……)
窓の外には、まだ薄明るい夕焼けの残り火。
拓真の真剣な横顔が脳裏にちらつく。
蓮(……“体力強化”。先生はそう言った。
……俺に必要なのも、それなんだ)
軽く拳を握りしめる。
静かな部屋の中で、決意だけが熱を帯びていった。
週末の朝。買い物帰りの蓮は、信号待ちの交差点で見覚えのあるフォームを見た。
蓮「……拓真?」
拓真が反応し、蓮がいる方向に頭を向けた。
拓真「……おはよ、野中」
蓮「あっ、おはよう……!」
信号が変わるまでの短い間、拓真は足を止めず、蓮の横に立った。
拓真「お前、朝から走ってるの?」
蓮「あ、いや……おつかい。牛乳と豆腐と……」
拓真「渋いな」
思わず、ふたりとも笑う。
蓮「……先輩、いつも走ってるの?」
拓真「うん。小学校の頃からずっと」
蓮「だから、あんなにスタミナあるんだ……」
拓真「お前、このままだとまたバテて終わるぞ?」
蓮「……うん」
信号が青に変わり、拓真は再び走り出す。
拓真「……明日も走るよ。公園の南側、6時半な」
蓮は呆然と立ち尽くし、その背中を見送った。
蓮(……誘われた、ってことでいいんだよな)
翌朝、公園の南側。
ラジオ体操の参加者たちが談笑をする横で、拓真はひとりストレッチをしていた。
拓真「おはよ! てっきりまだ寝てるかと思ったよ」
蓮「……現状を変えたいからな」
拓真「そっか…よし、じゃあ行くか」
ふたりは並んで走り出す。
最初の数百メートルで、蓮の呼吸はもう苦しい。
だが横を見れば、拓真が黙って同じリズムで走っている。
蓮(……キツい。でも、不思議だ。ひとりで走るより……止まりたくない)
公園の外周を一周し終えた頃、息を切らした蓮に拓真が笑った。
拓真「お疲れ様。初日でこれなら上出来だ。続ければ必ず変わる」
蓮「……ほんとに?」
拓真「ああ、保証する」
その日から、野中蓮の“朝ラン”が始まった。
辞めるその日まで続く習慣。
やがてそれは、彼の未来を変える一歩目となる。




