8 報復とお礼1
翌日、教室内に奥水と藤岡の姿は無かった。
二箇所空いてしまった席を見て、昨日の自分はただ引っ掻き回しただけで何も解決に導いていないような気がしてならなかった。
確かに奥水のやったことは決して許されることではないが、正直俺自身少し感情的になってしまった部分も否めない。最後は勢いで捲し立てるような形になってしまい、奥水を諭すのではなく負かすことが目的になってしまっていた。もう少し冷静に向こうの言い分も聞いてあげるべきではなかったのかと……今更反省しても遅いのだが。
一時限目が終わり、竹山に藤岡のことを聞いてみることにした。
「竹山、昨日ってバイト先で藤岡ってどうだった?」
「昨日は僕が休みだったので、分からないです」
「そうか……いや、昨日ちょっとやらかした気がしてさ。様子が分かればと思ったんだけど」
「えーっと、今日は僕シフト入ってて藤岡ユカさんが休まなければ一緒だったはずなので、可能であれば様子を確認してみますよ」
頼む、と言いかけたところで竹山の机の上に置かれたものに目が行く。
「それ、お前が描いたのか? 上手いな」
そこには少女向けのアニメキャラクターが模写されたノートが開かれていた。
「え……な、中山君は知ってるんですか?」
「いや、名前だけな」
竹山がどんどん興奮していくのが分かる。これはマズイ。
この手のタイプはスイッチを入れてしまうと歯止めが効かなくなってしまう。
「でぃ、DVDが最近出たんですけど貸しましょうか?」
「あー大丈夫。それより藤岡の件、よろしくな」
竹山の言葉に被せるようにそう伝え、その場を後にした。
三時限目、国語の授業。
「────ぶぅえっしゃあおお!!」
怒声のような咆哮のような形容し難い声が鳴り響く。
担任の高橋がくしゃみをしたのだった。小柄の女性には似つかわしくない大きなくしゃみが何の前触れもなく発せられるので、毎回驚かされる。
失礼。と言う本人からは悪気を感じない。クラスのうち、複数名からは必ず失笑が起こるものの、その度に意に介さず、いちいち触れてくれるなといった圧や念のようなものを放っていた。
授業終了後、そんな高橋から呼び出されそのまま近くの進路資料室へと連れて行かれた。席に座らされ向かい側に腰を下ろした高橋が話し出す。
「伊野から聞いたけど、昨日藤岡のことで奥水と言い合ったんだって?」
「言い合ったというか、まあ注意したら結果的にそうなってしまったというか」
「あなた、次から次へと首突っ込むようになったわねぇ」
高橋が軽く笑みを浮かべながら続ける。
「藤岡とは元々よく話すの?」
「いや、全く」
「そう。あの子とはご自宅に電話する度に話すんだけど……今朝もね、奥水と何があったのか聞いてみたら『特に何も無いです、大丈夫です』の一点張りで、結局何も分からなかったのよね。それでもし、あなたがまた話すことがあったら話を聞いてみてほしいの。同い年の方が話しやすいだろうし」
“同い年”という言葉に引っ掛かりはしたものの、それ以上になんとなく荷が重い気がした。
「俺じゃなくてもいいんじゃないですか? 昨日だって藤岡を困らせちゃったみたいだし」
「そんなこと言わずにお願いよ。私は中山が適任だと思うし」
強引に押し付けられている気が……まあ話し掛けることは出来るにしても、問題は心を開いてくれるかだ。
「ところで、進路ってどうなの? 最近少しずつ勉強頑張っているみたいだけど」
「いやぁ、まだよく分かんないす」
そろそろ考えておくように。と立ち上がる高橋と一緒に資料室を出る。教室に戻る最中、二十年前は結局最後まで決まらずに調査票に「コンビニ店員」だったかを適当に書いて提出し、高橋を困らせたことを思い出したりしたが、それでも今この時代で高校生活を終わりまで過ごすつもりなど毛頭も無かった。
「中山ってやついるか?」
昼休み、昼食を終えてユウトや川波、木村達と教室で談笑をしていたところにガタイの良い強面の三年生が入ってきた。
「あ、俺っすけど」
「ちょっと付き合えよ」
心配するユウト達を落ち着けつつ、その先輩について行くとそこは校舎裏の殆ど利用者の無い駐輪場だった。ゴール地点と思われる場所には何やらヤンチャそうな私服姿の男二人と、奥水の姿があった。
奥水はこちらを見ながらニヤニヤと笑っている。
「中山ぁ、友達連れてきてやったぞ」
「ちょっと俺が言ったのと毛色が違うみたいだけどな。あと、百人連れてこいって言ったはずだぞ」
「あれ、ゼンちゃーん。将来の夢なんだっけー?」
示し合わせたかのように、奥水が強面の先輩に質問をした。するとその先輩が首を鳴らしながら答える。
「医者だよ」
「ほらな。ちなみにこっちの二人は弁護士だってよ。お望みなら百人紹介してやるよ」
「先輩マジっすか。こう言っちゃなんですけど、どう見ても手術して治すよりも中身を売買する方じゃないっすか」
「うるせえよ。おら、とりあえず殴らせろ」
「何で殴られなきゃいけないんすか」
「あいつ泣かせただろ」
まさかとは思っていたが……こんな絵に描いたような復讐をされるとは思わなかったな。
その時、遠くでバイクがエンジンを吹かしながら走行する激しい音が聞こえた。これ以上増えたらどうしようかと困惑する中、私服男と奥水のやり取りが聞こえてくる。
「エリ、こんなやつに三人もいらねぇだろ。ゼン一人で十分だよ。それよりホントにボコれば女紹介してくれるのか?」
「するよ。人来る前に早くやってよ」
どうやら女を紹介してもらうダシにされたらしい。しかし新しく仲間がやって来ることは無さそうだ。
ジリジリと先輩が、プロレスラーの様なガタイが近づいてくる。マズイ状況になってきた。
「な、なあ奥水。藤岡と何かあったのか? もしそうだったらお互い話し合って解決してみるのもいいんじゃないか?」
「うるせーよ。早く殴られとけ」
先輩に胸ぐらを掴まれ、強面の顔が一層目の前にやって来た。
「先輩も医者目指してるなら、早く教室戻って勉強した方が……」
「お前、いい加減黙れよ」
その言葉と同時に一発平手打ちを喰らう。まあまあ重い、頬に鋭い痛みが残る。
戸惑いしか無かったこの状況が、今の一発で一気に腹立たしいものに変わり、理性で抑えるよりも反撃をしようと考え始める。
乗り捨てられた自転車……武器になりそうなものの位置の確認や一度距離を取ってからの攻撃方法のシミュレーションを頭の中でしていると、先程まで鳴っていたバイクの音が学校に入って来たことに気づく。
運転をしているのは同じ高校の制服を着た生徒のようだった。そしてそのままバイクはまるでこちらなど目に入っていないかのように通り過ぎ、駐輪場に停まった。
バイクを降りた男子生徒と目が合う。
「あれ、中やん。何してんの?」
「コトジ……」
その正体は中学校からの同級生である琴島だった。
「もしかして喧嘩か、悪りいやつだ。手伝おうか?」
琴島はその細身の身体からは信じられないほど喧嘩が強い。少し悪さをする同世代であれば、知らないやつはいないほど有名だった。加えてこの時は地元でも規模の大きい暴走族に所属していたはずだ。
「いや、大丈夫」
その琴島に暴れられると余計に面倒臭いことになりそうだったので、咄嗟に断ってしまった。
「ふーん、そっか。とりあえず君、その手放しなよ」
言った瞬間に掴まれていた胸ぐらがすぐに解放される。
「君達、この人に手を出したらただじゃおかないからね」
そう言って琴島は昇降口を目指して行ってしまった。
しばらくその背中を見送って、先輩達の方を見ると先程とは打って変わって完全に萎縮していて、気まずそうにしている。お互いに目を合わせながら、誰がこの場を終わらせるか探っているようだった。
「おい中山、とりあえず今日はいいや。もうエリにちょっかい出すんじゃねえぞ」
先輩が重たそうな口を開いてそう吐き捨てると、奥水を残して学校の外へ消えていったのだった。
……いや、ちょっかいは出してねえよ。
奥水と二人取り残されて、お互いに微妙な空気が流れているのを感じる。
「奥水、お前さぁ……やめようぜこういうの。あの人達になんて言ってこの場に呼んだんだよ」
「別に……男に泣かされたから、そいつボコボコにしてほしいって」
「で、動いてくれそうに無いから女紹介で釣ったのか。てかそれだけ言うと勘違いされるだろ」
「別にいいだろ」
「いや、良くはねえよ。まあ俺は悪者でいいんだけどさ。藤岡のことは何でそんなに目の敵にするんだ?」
「っせーな、関係ねーだろ。それよりヒロキくん、お前そんなに仲良かったの?」
「コトジ? だったらなんだよ」
「……な、何でもねーよ」
そのまま奥水も教室へ戻っていった。
何も進展しないというか、真相に迫れる気がしないな。
それでも奥水とは話そうと思えば、腰を据えて話せそうだということが分かっただけでも収穫はあった気がした。
「シンペー!」
教室に戻ろうとした時に、ユウト達が走ってくるのが見えた。手にはサッカーボール、川波は何故か三角コーンをかぶっている。
「中山、大丈夫か?」
「ああ、木村達こそどうした?」
「実は心配でずっと見てたんだけど、お前が平手打ちされてるもんだからさ。助太刀しなきゃいけないと思って」
「俺は止めたんだぜ? そんなことより先生呼びに行こうって」
「バカ、先生なんか呼んだら中山だって処分されるかもしれないだろ?」
「それで、何で全員サッカーボールを持ってるんだ?」
「いや、これ投げつけて隙を見て逃げりゃいいかと思ってな。仕方なかったんだよ、咄嗟に考えついたのがこれでさ」
「川波のそれは?」
「僕だけこれかぶっとけって渡されたの」
「川波は足遅いからもしもの為だよ」
「木村君、ひどーい」
と言いながら川波の顔が少し嬉しそうだ。
「シンペーごめんな。もっと早く何とか出来れば良かったんだけど、俺らみんなびびっちゃってさ」
「ああ、気にすんな。ありがとな」
確かに非効率的な方法ではあるが、俺のピンチに駆けつけようと必死に対抗出来るものを探しているこいつらの姿を思い浮かべて、思わずその場で笑ってしまった。