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7 善悪の判断

 それから約二週間余りが過ぎた。

 その間特に変わることなく学校へ行き、授業を受け文化祭の準備を進めて、アルバイトのある日はそれをこなしていく日々を過ごした。おかげで高校生に戻ってしまった戸惑いも薄れ、不本意ながら新しい生活にも慣れていったのだった。

 あの日以来、戻る方法を完全に断たれてしまったような気がして正直途方に暮れていた。本来の時間軸からずれた世界をこの先生きていくのかと不安と恐怖に襲われた。ただし決して諦めたわけではなく、他に方法は無いかずっと探しあぐねている。


 今日も一日が終わり、眠りにつくとまたおかしな夢を見た。


 少女が泣いている。後ろ姿で顔は見えない。

 

 どうしたの?

 声を掛けてみても反応がない。身体に触れてみようとしても身動きが取れない。

 どうやら場面だけを見せられているだけのようだった。

 

 少女が泣きながらこちらへ話しかける。

 どうしてここが分かったの? 何でここに来たの?

 

 そして、振り向こうとした次の瞬間……


 ……またか。

 今度は前の声の主とは違う、あの女の子は一体。ここに来てからたまに変な夢を見るけど何なんだ。

 ただ今回はなんだか懐かしいような、前回とはまた違ったおかしな寝起きの感覚だった。


 下に降りると珍しく父親の姿がある。


「おお、息子よ。目覚めはどうだ?」

「仕事は?」

「はっはっは、ぎっくり腰だ」


 だからこんな中途半端な場所でうつ伏せなのか。腰が弱いのはひょっとして遺伝か?

 地元の企業でメーカー営業をしており、いつも仕事はほどほどに切り上げ直帰してくるお気楽社員。子育てもザ・放任主義で基本的にこちらがやることに対して全く干渉をして来ない。そんな父親。

 仕事が終わった後や、休みの日はパチンコや飲みに出掛けていることが多く、家にいることが稀だ。

 大人になった今ではそのスタンスに憧れさえ抱くが、当時は鬱陶しくて仕方がなかった。


「アーちゃんによろしくな。すっかり大人の女性になっておじさん嬉しいと伝えといてくれ」

「黙っとけエロ親父」

「母さん、湿布まだかい? もうかれこれ一時間近く経ってるんだけど?」


 リビングから湿布の箱が飛んできた。

 ちなみに定年退職後は妻に先立たれてからすっかり意気消沈し、寂しさを紛らわす為に飼い始めた猫を撫でながら口数の少ない日々を過ごしている。


 準備をして家を出る。どうやらアサミはいないようだ。ここ最近は一緒に登校したりしなかったり、別にお互い強制してるわけでもないし、本来の自然の形に戻っただけで特に気にすることも無いのだが。

 薄手のコートを羽織るサラリーマンや学生を横目に見ながら、商店街へ入っていく。



 アサミと登校しない日は、商店街を通って登校をすることにしている。短縮出来るのは二、三分程度だがやはり大きい。しかしアサミの言う通り“大して変わらない”のに違いないとも思う。

 この時間帯は通勤や通学で利用する人がいるだけで、殆どの店がまだ開店前ということもあり、静かな時間が流れている。

 張龍の前を通ると、裏のダクトから風に乗っていい匂いが運ばれてきた。どうやら開店前に仕込みを行なっているようだ。

 この店で改めてアルバイトをして分かったことは、チャンという人は他人にも厳しいがそれ以上に自分に厳しいということ。聞けば元々東京の有名中国料理店でシェフをしていたらしい。どういう経緯でこの商店街に来たのかは分からないが、腕の良さを鼻に掛けず、そこから更にメニューを研究して街に根ざした気取らない中華料理屋となったのだから単純にすごいことだ。

 それに厳しいと言っても、今の自分にとっては許容範囲だった。もしかしたら社会人を経験した差が出たのだろうか。気になるのは肉体労働、特に皿洗いをする時の腰への負担ぐらいだ。


 商店街を抜けかけたところで、向かい側から歩いてくる細身で背の高い人影が目に入った。同じく張龍で働く神矢さんだ。


「おはよう、中山君。学校頑張ってね」

「ありがとうございます。神矢さんは店ですか?」

「うん。出来ることはあまり無いんだけど、一応仕込みの手伝いにね」


 そのまま別れを告げ、小走りで店へと向かう神矢さんとすれ違う。

 神矢さんは俺の三つ年上で同じ高校の卒業生だ。穏やかな人で、色々教えてくれる。今はフリーターでアルバイトをしながらバンド活動をしているそうだ。高校時代も軽音部に所属していて文化祭で当時流行ったパンクバンドのコピーを演奏したらしい。

 正直、二十年前の神矢さんは覚えていない。俺がすぐに辞めたせいで時期が被らなかったか、単純にシフトが一緒にならなかっただけかもしれない。



 文化祭も近づき、少しだけ浮ついた雰囲気を感じながら教室に入り自分の席に座ると、三列隣の後方から二つ目の席、いつもは空白になっている部分が埋まっていることに気づく。

 先日ブックホームで見かけた藤岡がいる。学校で見たのは初めてだ。

 誰と話すわけでも無く、ただ座ったまま本を読んでいる。あまり登校をしていないせいなのか、打ち解けられていないようだった。周囲もそんな藤岡に対して空気のように、そこに存在があっても無くても関係ないように過ごしている。

 

 まあ接点が無ければ難しいか。

 接点と言えば竹山は、チラチラと藤岡のことを気にはしているみたいだが話しかけられないようだ。アルバイト先でもあんな感じなのだろうか。

 そもそも藤岡があまり来なくなったのはいつからなのか、理由は……何か良からぬ理由で無ければいいのだが。



 二時限目が終わり、そろそろ限界を感じていた。

 今まで日常生活をギリギリで頑張ってきたが、そろそろ眼鏡を掛けないと視力の良い右目だけを酷使してしまい顔が歪んでしまいそうだ。

 黒板の細かい文字はずっと見えておらず、隣の席の有沢さんに頻繁にノートを書き写させてもらっている。

 もはや阿吽の呼吸が出来上がりつつあり、授業中でもこちらが目を細めてペンを止めていると察して自分のノートを差し出してくれ、たまにその判断が外れてミスをしたりする茶目っ気も見せてくれる。

 アルバイトの初給料で買うものは眼鏡に決まりそうだ。より一層励まなければならない。


 そんなことを考えながら、ふと藤岡に目をやると何やら様子がおかしい。相変わらず手に本は持っているが、下を向いたまま身体を硬直させているように見える。

 教室内を見回すと、少し離れたところで奥水達が藤岡の方を見て笑っている。

 嫌な予感がしてそのまま注意深く観察していると、奥水のグループのうちの一人が藤岡を目指して歩いていき、そのままさりげなく机を蹴飛ばして戻っていったのだった。

 

 うーわ、あいつらやってるよ。

 周囲にもバレにくい陰湿でタチの悪い嫌がらせだった。藤岡が学校に来ていなかったという点を見ても、今日が初めてというわけでは無いだろう。

 奥水達に対しては今まで特に何か感情を抱くことは無かった。人を馬鹿にしたりするような言動も、あの年頃のああいうタイプにはよくあることのように思えたからだ。

 眼鏡をかけた藤岡ユカという三年間同じだったクラスメイトがいたことはうっすら記憶していた。しかしいつの間にか、卒業を待たずしていなくなっていたのだった。その原因が今回と同じような出来事があの頃も起きていたからなのかは分からないが、もしそうなのだとしたら看過するべきではないと思った。


 今度は奥水が立ち上がり、藤岡へ歩いて行ったところで堪らず立ち上がり声をかけた。


「おい、見てて不愉快だぞ。やめろよ」


 奥水が鈍い目つきでこちらを睨みつける。


「んだよ中山。しゃしゃんじゃねーよ。オメーに迷惑かけたかよ?」

「ああ、人を不愉快にさせてる時点で立派な迷惑だよ。何でそんなことすんだよ」

「見てるだけで鬱陶しいんだよ、こいつクソど陰キャのくせによ。学校に来ないで大人しく家で寝てりゃいいんだよ」


 教室が静まり返っていく。

 

 何だそれ。しょーもな。

 確かに学校や会社、人が集まる場所ではそこに所属する人達に何かしら優劣がつく。それは仕方のないことなのかもしれない。しかしそれを理由に人を傷つけて良いなどと、そんな理不尽なことはあってはならない。ましてやそんな評価、その人の一部を切り取っただけのものに過ぎない。たったそれだけで存在そのものを否定なんて出来るわけが無いのだ。


 伊野の止める声が聞こえたが、無視して続けることにする。


「理由ってそれだけか」

「あ?」

「それがこんなことしていい理由になると思うか? てかお前ってそんなに人を貶めることが出来るほど、このクラスで自分が優れているとでも思ってるのかよ?」

「少なくとも……こいつよりは」

「じゃあ俺にも分かりやすく教えてくれよ。言っとくけど陽キャとかダメだからな? そんな不確定なもの。もし威張りたかったら、将来役に立ちそうな友達百人連れてこいよ。医者とか弁護士とかになりそうなやつ紹介してくれ。まあ俺からしたらお前に比べて藤岡のほうが本だって沢山読んでるだろうし、色んな知識を持っていて賢そうだ。そっちの方が将来的に財産になるだろうな。お前が勝てるのって運動ぐらいか? でもそれって他の連中からしてみたら目くそ鼻くそだぞ。人を見下していいレベルじゃないな」


 奥水が目を赤くする。そして


「うるさい! そんなこと、知ってるよ!」

「……え?」


 そのまま教室を出ていってしまった。続いて奥水のグループの残りの生徒達もこちらを睨みながら出ていく。


 何だ、歯応えの無い。最後の捨て台詞は何だったんだ。


「……えっと、大丈夫?」


 一応アフターケアのつもりで藤岡に声を掛けたものの、顔を赤くして下を向いたまま反応が無い。

 続く沈黙、何だこの空気は。


 その時、肩に手を置かれる。ユウトが満面の笑みをこちらへ向けている。


「お前すげえな! よくやった!」


 その一言が空気を変え、クラスメイト達も周りに集まってくる。

 遠くでは竹山がぎこちない笑顔でこちらへ親指を立てている。

 奥水の行為に気づかなかったと笑って誤魔化すやつ、俺のとった行動に驚くやつ、その行動を賞賛するやつ、今まで話したことなんてないくせに藤岡を慰めるやつ。


 どいつもこいつも現金な連中だ。あー煙草吸いてぇ。

 そして最終的に謎の「高校・デビュー」コールが発生し、休み時間の終了と共にその場は治まった。


 果たしてこれで良かったのだろうか。

 結局藤岡は最後まで下を向いたままで、微妙な後味の悪さだけが残ったのだった。

お読みいただきありがとうございました。

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