2 幼馴染と登校
「……何でいるんだ」
「いや、何でって家隣なんだから当たり前でしょ。それより学校の準備しなさいよ」
いきなりの“学校”という単語に戸惑いと、懐かしさと、変な憶測が入り混じり言いようのない感情に襲われる。
急いで家に入り洗面所に向かい、鏡を覗くとそこには高校生の自分がいた。
……こんなことホントに起こるのか。夢か。いやきっと夢だろ。
頭が混乱したまま咄嗟に何か痛みを与えなければと思い、腕に思い切りシッペをしてみた。
痛い……気がする。
よく分からないので今度は攻撃力を高めようとデコピンを試みる。いわゆる“両手式伸ばし中指型”と言う破壊力のあるやつだ。
「いっっっっ!」
リアルな痛み。マジかよ。アニメや漫画じゃあるまいし……それにしてもどうしてこんなことになったんだ。
「確か空き地の楓を眺めていたら急に……」
仮にそれが原因でこうなったとしても、理由が全く分からない。
「あんた何してるの」
出口の見つからない考えを巡らせていると、後ろから声がした。
それは聞き慣れた……でも懐かしい声だった。
「あ……え、おお……久しぶり」
「何わけの分からないことを言ってるの。早く準備をしなさい」
昔に幾度となく繰り返された何気ない会話と日常のやり取り。それが再び戻ってきたようで少し目と鼻の奥が痛くなる。
確かにこうなった理由は分からない……が暫くの間だけ踊らされるのも悪くないと思った。
「あとその汚い寝巻き、洗うから出しておきなさい」
そういえばどうやら服装はそのままだったらしい。今や一張羅とも言うべき黒のスウェットを脱いで洗濯カゴへ放り込んだ。
そのまま二階の自分の部屋へと向かう。ドアを開けるとあの頃の光景がそこにはあった。
部屋に入り、壁に掛けられたカレンダーに目をやると二十年前を示していた。
「うわ、ブラウン管だ」
テレビを付けながら準備を始める。映し出される朝の情報番組の内容が懐かしく思わず見入ってしまった。アナウンサーが日付を発したタイミングで、自分が丁度二十年後からやって来たことが分かった。
制服に袖を通す。なんだかコスプレをしているみたいで小恥ずかしい。ポケットには携帯電話が入っていた。当時使っていたガラケーだ。
「使いづら……画面小せえな」
有名企業がスマートフォンの一番最初のモデルを発表し始めることになるのは数年後の話だ。メールのセンター問い合わせをしてみると、予想通り「0件」と表示された。
しかし改めて見渡してみても、目に映るもの全てが懐古の対象となってしまう。浸るだけで恐らく丸一日は潰せる。
東京に出ていく時、不要なものは殆ど処分していった。当時使っていた漫画やテレビ、机やベッドも全て。
もうここには戻らない。そう誓って最後に家を出て行ったのを思い出した。実際この十数年間、出戻ってくるまで年末年始などの長期休暇の時期になっても戻ることはなかった。
最初の里帰りは母の訃報を聞いた時、結局死に目にも会えず久しぶりの再会は棺の中で眠る姿だった。その前から何度も父親から連絡は来ていたにもかかわらず、それでも帰らなかった。
歳を重ねるごとに意識させられた“親孝行”と言う言葉を自分の感情を優先させて目を背け続け、結局何も為さないまま終わってしまったのだ。
己の身勝手さに嫌悪しながら学校に持っていく荷物の確認をしているとインターホンが鳴った。
「あら、アーちゃんごめんね~! ちょっとシンペーイ!!」
あいつ待ってたのか……そんな律儀なやつだったっけ。なんだか申し訳ないな。
急いで残りの準備を済ませ、カバンを持ち階段を降りると隣の家に住む幼馴染のアサミが玄関に立っていた。本当にいる。まだ上手く受け入れられず心が落ち着かない。
「お、おお待ってたのか。悪りぃな」
何気なく発した一言だったが、アサミの目がすぐに丸くなったのが分かった。まずい事でも言っただろうか。
「そんなんだったっけ、あんた」
あ、そういうことか。
どうやら昨日と今日とで振る舞いに変化があって驚いているようだ。見た目は高校生、中身は社会人経験を積んだ大人だ。
「あー……気にすんな」
確かに高校生の頃は愛想は無かったかもしれないが、一言詫びることもしなかったのかと少し自分が情けなくなった。
不思議そうなアサミの視線を浴びつつ、家を出て学校を目指す。その際に「行ってきます」と言い掛けたが、当時絶対言わなかったであろうその言葉を飲み込んだ。
「…………」
「…………」
当時どのように接していたかを覚えていないのもあって上手く話題が出てこない。そんなに自分から喋る人間でもなかったからこれでいいのだろうか。アサミもめちゃくちゃお喋りというわけでもなかったし。
いっそのことこれまでの経緯を話せたら楽なんだろうが、言ってもきっと信じてくれないだろう。
「……そういえば、文化祭大変そうね」
「文化祭? ……ああ」
そんな時期だったか。
「ユウトから聞いたけど、上手くまとまってないのに無理矢理進めてるんでしょ?」
「んー、そう……だなぁ」
全然覚えていないし、分からない話題を振られて反応に困る。
「でもすごいわよね、伊野君。そんな状況の中で強引に決めちゃうなんて、並大抵の精神力じゃ無理よ」
伊野……脳筋学級委員長か。いたなぁ、そんなやつ。
「多分何も考えてないんだろうなぁ」
「誰か助けてあげたらいいのに。あんたもユウトも」
現状、何も分からないので手も口も出しようがない。そこは教室に行ってから見てみるとして、確か二年生のこの時期の行事は詰まってた気がする。
「……修学旅行ってどこ行くんだっけ?」
「大阪と京都……忘れたの?」
「あー、そうだった。いや関西っていうのは覚えてたんだけど」
話題を振るのがこんなに恐ろしいとは。体育祭は終わったのだろうか。秋か夏前でやってたような……どっちだ。
「た、体育祭……どうだった?」
「いきなり随分前の話題ね。それなりに楽しかったんじゃないの」
よし、当たった。全く覚えていないからこれ以上話の広げようがないが。
「あんた、競技そっちのけで友達とサッカーばかりやってたんでしょ。先輩の目がすごい怖かったってミサキちゃん言ってたわよ」
「ミサキちゃん?」
「同じクラスの子。興味ないのかもしれないけど、忘れないでよ」
競技そっちのけでサッカーか……確かに運動は嫌いじゃないが、体育祭はダルかった記憶がある。適当に玉入れとかその他の全員参加種目だけこなして、あとは遊んでたな。しかし先輩の視線も無視するとは、若さってすごい。
「ピアス、外したの?」
「え?」
「ピアス。欠かさずに毎日つけてたじゃない。検査にも負けずに」
高校入学と共にピアスを開けた。深い理由は無かったが、何かを変えたかったのかもしれない。というかそんなもの身につける習慣なんてとうの昔に無くなってしまった。
「高校入って髪染めて、ピアス開けて、イキがって色気付いてさ。根暗のくせに」
「……っせーな」
その時、アサミの表情が少しだけ緩んだ気がした。その顔はあどけない少女のようだった。
学校が見えてきた。学力は決して低くはないが、高いわけでもない地元の公立高校だ。
比較的近所ということもあり、入学するよりも以前からこの高校は知っていた。田んぼと畑に囲まれた長閑な環境が気に入って学力の丁度良さも相まって受験することを決意したのだった。
歩いて大体二十分弱か……商店街を通ればもう少し短縮出来なかったか。
「なあ、何で商店街通らなかったんだ?」
「誘惑が多いのよ。日頃から意識して避けてるの」
そんなもんか。と校門を抜けたところでアサミと別れる。二年次からクラスは文系、理系、そして特進に分かれたはずだ。それで俺は文系、アサミは特進だったはずだが彼女はきっと学力を持て余してるんじゃないだろうか。そのぐらいこの学校を選んだことが不思議だった。
靴を履き替え教室を目指す。一応通い慣れているという体だが二十年という年月はあまりにも大きすぎる。
拭い去れない緊張と不安の中、二年一組へと入っていった。